恋時雨(4/7)
私に人生初の彼氏ができて数ヵ月。相変わらず彼とは
そんな五月が目前に迫った今日は、久しぶりに彩子とランチの予定を立てていた。彩子と別れたら、彼へのバースデープレゼントを選びに行こうかなとも思っていた私だったがそんな私の思いを知らない彩子が帰り際、出し抜けに言う。
「——ねえ。いいこと考えたんだけど、私」
大抵、こんなときの彼女はろくなことを言わない。それは、中学時代もそうだった。だから私は返事よりも先に渋い顔を彼女に返す。
「名前、三井先輩とまだ��して�≠ネいでしょ?」
思わず段差の無いアスファルトの上でずっこけそうになった。彩子をギロリと睨みつける私をスルーして彩子は続ける。
「やっぱりねぇ。歳食ってバージンだとそうなるわよねぇ」
……歳食って、って。あのねえ、人をなんだと思ってるんだ、この子は。
「天然記念物♡」
「うっ、うるさいっ!!」
彩子は隣でカラカラと笑う。ほんと昔から彼女はこういうことですぐ揶揄うんだから。
「いっそ、三井先輩の誕生日にでも……」
「ねえ! 高校生みたいなこと言わないでよ!」
「照れちゃって、可愛い♡でもあの三井先輩も、よく我慢してるわねぇ」
「……っ」
「立派、立派!一応アンタがバージンだってことは知ってるけどね、あの人も」
「彩子!!」
「だってぇー、言っててあげなきゃずっとお預けくらってて可哀想じゃないのよ」
……彩子、あんたって人は。妙なところで変な親切心遣いやがって。確かにそんな雰囲気になったことはあったけどうまくそらしたというか何というか。
「……可哀想な三井先輩。好きな女の子がこんな態度じゃあねぇ〜」
「ぐっ……」
言いたいことを散々言って彩子は帰って行った。彼とデートだとか言って。そう言えば彩子の彼氏が宮城さんだと寿くんから聞いたのも、つい最近の話だったなと思い出す。高校時代から宮城さんの方が彩子を好きだったって……なんだよ、自分だって長年お預け食らわせてたくせしてよく言うわ!
去り行く彼女の凛とした後ろ姿を見ながらでもあんな風に生きられて、正直うらやましいと思うときもある。だからずっと、友達で居られるんだとも思うし。彼女を尊敬しているから。私のかちかちの頭を柔らかくしてくれるのは決まって彩子なのだ。
よし。誕プレは、また今度。改めて出直そう。そう思って地下鉄の駅へ向かう。そのとき突如、携帯が鳴った。見れば『着信:寿くん』と表示されている。
「もしもし?」
『おっ! よぉ、名前か?』
「うん、はい」
『なあ、いま何してんだ?』
「いま?え、地下鉄に乗ろうかと……」
『道路の向かい側、見てみ?』
言われるがまま視線を道路へと向けた。そこには見覚えのある車。運転席から寿くんが電話を耳に当てたまま手を挙げていた。私は急いで信号を渡り車に駆け寄ると寿くんが身を乗り出して助手席のドアを開けてくれる。
「どうしたの? 偶然?」
私は車に乗り込みシートベルトをしながらそう問う。
「あ? 彩子が教えてくれたんだよ。一緒にいるってな」
「あ、そうだったんだ」
「俺も予定早く終わったしデートでもすっかなーって思ってよ」
……彩子。ちょっとうれしい。しばらく忙しくてちゃんとしたデートなんてしてなかったから。えー、なにあの子、気が効くじゃんか。
そしてそのまま食事をしてから、寿くんの家に行った。私からバッグを受け取り、所定の場所に置く。私がいつもその辺にぽんと置いておく癖があるからだと思うけど。
私がキッチンでコーヒーを入れるのも最近は習慣になっていて寿くんはにこにこしながらそれを見ている。まるで、おやつを待つ子供みたいに。でもどちらかと言えばフランソワに似ている気がする。こういうときの彼って、なんか犬っぽい。ブンブン振ってる尻尾が見えそうだもの。
ソファに並んで座ることも当たり前になっていた。でも今日は……彩子が余計なことを言うもんだからさっきからずっとそのことが頭の中をぐるぐる回っている。
「名前?なんかあったか」
「へ?」
「ずっと、一人で百面相してるぜ」
「い、いや。何でもない……です」
そう言って私はテレビに視線を戻す。しばらく視線を感じていたけれど、彼がちょっとだけ更にこちらに距離を詰めたとき、心臓がひくっとなった。そして密やかに彼が囁く。
「名前……」
その声がちゃんと聞こえていた私が横を振り向くと、寿くんがそっと私の頬に手を添えてきた。そのままいつもの優しいキスをお見舞いされる。
……ん?……んん!!?
ゆっくりとソファに押し倒される。キスもどんどんと深くなっていって……待って!私にも心の準備ってのがあるの、に……っ!!
彼女をソファにゆっくりと押し倒していく。
『あの子、男を知らないから大事にしてくださいねっ』って、彩子に聞いたときには正直びっくりした。生真面目もそこまで行くか?とも思ったけど俺が初めてなんて最高じゃねーか!と心の中でガッツポーズをしたのは記憶に新しい。
つか、身体……がっちがちだしな。別にとって食うわけじゃねーのに。実は何度かこういう機会は今までもあったけど適当にかわされたりして、急に「あ!あれ、どこやったっけ!?」とか言って雰囲気をぶち壊しやがるし。んで必死になって探したらとんでもないとこから出て来たりよ。
……でも。今日はもう、だめだわ。タイムアップ、ゲームセットだ。さって、覚悟しとけよ……名前。
流れに身を委ねながらもなにか言いたげな彼女になにも言わせないようキスをした。俺の腕をつかんでいる指先が震えてる。耳元で彼女に思いを伝えて瞳を閉じた彼女をそのままお姫様抱っこの要領で横抱きに抱き上げて寝室に運んだ。
身体を重ねてまた違う彼女に会えた。生真面目で仕事熱心で、そのくせ少し、てか、かなり抜けてて優しくて。照れ屋で、そんなお前のなにもかもを俺は全部知りたい。お前が思うもの、感じるもの、全部……俺に教えてくれ。俺もすべてを、お前に見せていくから——。
*
朝、隣で眠る彼女が愛しくて、俺はじっと息を潜め、その寝顔を見ていた。彼女が目を覚まし、俺を視界に入れると小さく笑う。
「はよ。」
「うん、おはよ」
「起きるか?仕事だろ?」
「……!! そうだ!」
思わず飛び起きて、自分が裸だってことにようやく気付いたらしい彼女。今度はあたふたと服を探しはじめる。ったく、ちゃんと枕元に置いてんじゃねーかよ。それに十分余裕もって起こしてるっつの。今から自分ち帰っても間に合うぜ、この時間なら。
「時計見ろよ」と促せば時間を確認した彼女のあからさまに心の底からホッと安心した姿がなんだか滑稽だった。それから互いに着替えをすませ一緒に朝食をとった。
「全部持ったのか?荷物」
「うん、忘れ物はないと思う」
そう胸を張って言い切る彼女に「忘れ物」と、囁いて俺は軽くキスを落とした。昨日あんな恥ずかしいことしたってのに、途端に赤くなる彼女を愛しいと思う。
彼女をマンションまで送って俺は自宅に戻る。昨日までの愛しさとまた違う形の愛しさが生まれてる。——離したくない、そんな独占欲まで感じてしまう。あーあ、困ったな。
*
寿くんのマンションから自宅に戻ると、玄関で怒りを訴えるフランソワがいた。ずっと、キャンキャン鳴いている。
「ごめんごめん、寂しかったでしょ?ご飯食べた?」
仕事で遅くなることも多い私は、自動で時間になるとフードが出てくるフードセーバーを使っていたからそこまで心配はしていなかったけどさすがに寂しかったんだろう。その日フランソワは、会社へ行くまで私にまとわりついていた。ああ、可愛い。
スーツに着替えてるとき身体のあちこちに付いた赤い印を見てハッとする。でもそれが、確実に夢ではなかったと昨日のことを実感させてくれたのだ。
「……」
……あぁ、切り替え、切り替え!私は身支度を整えて、フランソワに「いってきます!」と元気よく言ってから会社へと向かった。