それを愛と呼ぶなら(1/2)

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  • ※三井長編『tiimalasi』スピンオフ作品※



    「私、結婚するんだよね」

     そう言って笑った彼女の表情がとても綺麗で、痛いくらい心臓が締め付けられた。そこで俺は、思わずごくりと息を飲み込んだ。
     彼女は微かに——でも確実に幸せな色を含めた息を、その緩やかな弧を描いた唇から吐く。静かすぎる夜に、それ以外の音は存在しない。
     彼女の傍にはいつだって俺がいたはずで細やかな表情も、些細な変化も全てこの目に焼き付けてきたつもりだったのに、まだまだこんな風に見たこともない表情を見せてくるのだから本当に彼女には敵わない。

     俺、三井寿と名字名前は家が近所の所謂、幼馴染という関係だった。とはいえ物心がついた時には既に俺の中の一番奥の柔らかい部分は端から端まで彼女に陣取られていて、そんな俺からしてみれば彼女を幼馴染≠ネんて簡単なカテゴリーに分けた事は、一度だってなかったけれど。

    「そりゃあ旦那になる奴は世界一の幸せ者だろ」
    「もう。またそういうこと言う」
    「いや、マジでそう思ってんだって」
    「ははっ。逆だよー。奥さんになれる私が世界一幸せ者なんだよ?」

     ほら、またそんな幸せそうな顔をして笑うんだ。その笑顔を一生近くで見続けられて、そしてこの先また新しい彼女の一面を一番最初に見つけられるなんて、きっと地球の裏側まで探したってこれ以上に幸せな奴なんてそうは居ないだろうと思う。

    「色々あったよねぇ」
    「ああ。急に別れるとか言い出して寒い寒いクリスマスイブの曇り空の下に置いて行かれたりな」
    「……」
    「あと、婚約者が俺の昔のライバルで、そいつと海外に行くとか言われたり?」
    「……」
    「『私が寿を幸せにする』とか言って?わんわん泣きつかれたりとか、な?」
    「わんわん泣いてはいないし」

     わざとらしく、指折り数えて思い出話を語ってみれば、彼女の声真似をしたのが気に食わなかったのか、それとも苦い想い出を突かれたからか、不機嫌そうに唇を尖らせた幼馴染がじとりと俺を睨みつける。

    「普通、思い出の中でさ、あえて今それ言う?」
    「だってよー、俺にとっちゃワースト上位で忘れらんねー思い出なんだから仕方ねェだろ?」

     いつだって俺は彼女しか見ていなかったのに、こいつはいつも俺以外の男しか見ていなかった。幼稚園の時は彼女と同い年の何とかって奴と遊んでばっかで、小学校の時はサッカーが上手かった俺の同級生。そして最近ではあの、藤真とか。
     そんな健気な恋をしていた俺の事を実はずっと思い続けていたなんて事実を知ったのはつい最近の話だ。けれどそれに対して当の本人は「寿がちゃんと私を見ていなかったからだ」なんて言う。

     数年ぶりに実家の前で再会してから自身の婚約者を紹介したすぐ後に向こうからも結婚して海外に行くと告げられた。
     お節介な後輩達からのお膳立てもあって、それからまた彼女と関わる機会が増えた。悲しい顔をする彼女を見るたびに、何度も何度も「俺にしとけよ」と言いかけて、何度も何度も飲み込んだ。あんな苦い味、忘れろという方が無理な話だ。
     彼女が俺と別れたいと言ったときも、婚約者と海外に行くと言った事も、嬉しそうに笑った顔も辛そうに溜めた涙も、どういう訳か俺の記憶には全て鮮明に残っていた。それは息をするのと同じくらい簡単に甦ってきて、彼女を好きだと思う分だけ心臓にずしりと今も変わらずに圧し掛かってくるのだから、もうここまで来れば自分ではどうすることも出来ないので諦めるより他ない。

    「寿は、ずっと私を好きでいてくれたんだよね」
    「ああ、まあな」
    「そっか……ごめんね」

     あーあ、ったく。そんな顔して謝らないでくれよな、頼むから。
     俺はこいつの、この落ち込んで困った顔にめっぽう弱い。例えばどんな大きな喧嘩の最中だってこの表情をされてしまえば俺なんかすぐに折れてしまう。

    「はぁ……そんな顔すんなよ」
    「だって……」
    「さっさと迎えに行かなかった俺が悪いんだってそれに今さら過去は変えられねーし、今となれば変えたいとも思ってねェけど」

     それは——少しだけ嘘だった。変えられるものならいくらでも変えてやりたいくらいだが言ったところでどうにもならないのならせめて……と、見栄くらい、張りたかっただけだ。

    「でもね、私……結婚する前に一度ちゃんと言いたかったの」
    「あ?何を」
    「寿に……ごめんなさいと、ありがとうって」

     申し訳なさそうに眉を下げた彼女が俺をじっと見つめる。そんな顔をさせたくてずっと好きだったわけじゃなかったんだけどな、なんて言ったら彼女は100%泣くだろうから色んな理由を右手に託して、彼女の頭を撫でつけてやった。

    「色々……本当に色々あったけど終わり良ければ全て良しって言うよね」
    「あのよぉ、結婚するんだぜ?そこは始まりなんじゃねーの?」
    「だって結婚は人生の墓場って言うじゃん」
    「はぁ〜あ、これから花嫁様になる女の言葉とは思えねェな、ったく……」

     半分だけ開けた窓から入り込んだ夜風が彼女の髪を揺らした。ほんの少し乱れたそれは彼女の細い指先にするりと通されてまた元に戻っていく。
     一日の内、彼女を一番綺麗に見せるのは夜だなと、ぼんやりとそんな事を考えた。静まり返った世界は彼女の声をダイレクトに耳に届けるし謙虚な月明かりは彼女の肌に明暗を付けるし、なんてそんなことを挙げ始めたらキリがないだろう。

    「ねえ、どう思う?これから二人でやっていけると思う?」
    「さぁ、どうだかな……でもまぁ、とりあえずは一緒にいたいとは思ってるぜ、俺は・・。」
    「そこ強調するのね?そうだね。だけどさ、もしまた何かあったら、次は私がフラれると思うな」
    「それ、お前が言うのかよ……まぁ、未来なんてわかんねェけど一緒にいてみりゃいいんじゃねーのか」

     とにかく俺はこの時間の何気ない瞬間に何度も彼女に恋をしたのだ。でも彼女はそんな俺の気持ちを知っている訳がないしこれから先だって一生知ることはないだろう。まあ、こればっかりは今まで素直に言えなかった自分が悪いのだけれど。

    「また、新しく始まるんだよ」

     控え目に笑った彼女の目が再び開かれた時には少しだけ瞼が落ちていて、もう随分と夜が更けている事に気付いた。

    「眠くなったか?」
    「うん、少しね。寿も眠いよね?ごめんね、変な話に付き合わせちゃって」
    「大したことねーよ、ほら」

     伸ばした腕の中に潜り込んだ温もりを抱きしめると力なく服を握り返されていよいよ眠りに落ちる寸前の彼女の額に、そっと唇を落とした。

    「寿とね、始めるんだよ。三井名前になった、新しい人生を」

     なるほどな、悪くねェ。と心中で納得する俺の隣から、すうと規則的な呼吸音が聞こえてきた。今度こそ意識を手放したらしい幼馴染の彼女——未来の俺の花嫁に、声には出さず「おやすみ」と伝える。

     もう覚えていないくらい幼い頃から焦がれ続けた彼女の心も彼女自身も、苗字さえもついに俺のものになるのだ。
     今までの俺は曲がったことばかりしていた気がする。だからせめてコイツのとこには真っ直ぐにただ真っ直ぐに走って行きたいと思う。

     やっぱり世界一の幸せ者はきっと自分だったんだなと、その寝顔で再確認して、俺もゆっくりと目を閉じた。





     —


     まだ半分夢の中にいた俺は聞き覚えのある自身のスマホから放たれているアラーム音を未だ夢見心地で聞いていた。腕を伸ばしスマホを探るが、一向にその手に触れることはなく室内にはピーピーピー!という爆音の機械音が鳴り響いている。
     ついに目も覚めてしまい「あン?」と声に出しながら目を擦った俺は、ようやくスマホを見つけるとアラーム音を止める前に、上体をベッドから起こす。そうして、ようやく切ったアラーム音が止むと、室内は一気に静まり返ったのだった。

    「何時だよ、オイ……」

     そう呟いて時刻を確認する前に隣にいるはずの人物の姿がない事に気づいた俺は反射的に彼女が眠っていたはずの隣のスペースに手を滑らせた。ひんやりとしたその肌触りに「はっ?」と思わず声が出てしまった。
     そんなに長い時間寝ていたのだろうか。しかし耳をすましてみても寝室の外——リビングにいる気配すらも感じない。出かけたのかもしれないが特にそんな予定があるとは、昨日も報告は受けていなかった気がする。おかしいな……。

    「あ?」

     途端に何かを思い出したみたいに閃いた自身の顔が、みるみる内に青ざめていく。
    「やべぇ!」と発した大きな声と共に、半分ほどかかっていた布団を豪快に剥ぎ取り急いでベッドから降りてバタバタとリビングへと向かう。
     がらんどうな室内を見渡して段々と息も荒くなっていく。人は動悸と焦りが頂点に上り詰めると冷や汗が流れてくるものだ。俺は今まさにそんな状態だった。

    「やべぇ、やべぇ、やべぇ……!」

     呪文のようにブツブツ唱えながら急いで身なりを整える。何を着たらいいんだ!?といつもならすぐそばでアドバイスをくれる相手が今日はいない事態。とりあえずスーツなら問題ないだろうとクリーニングに出してくれていたであろうスーツを身に纏う。そうしてマンションを出た俺は自家用車に乗り込みF1ドライバーの如くブォォン!とアクセルを踏み込んで式場へと車を走らせた。

     今日は何を隠そう、時を経て復縁した幼馴染の彼女、名字名前との結婚式だ。今年は丁度、結婚式に当たる日取りの前後が休日だったため、結婚式もあるからと部活は副顧問が請け負ってくれていたので休みボケ……いやもしくは幸せボケでもしてしまったのかと自分を心底悔いる。
     どうして起こしてくれなかったのかとか何で新郎を置いて行くんだよ!とか言ってやりたい気持ちが大いに芽生えたが今はそれどころではない。とにかく急いで、式場に向かわなければならないのだ。式の当日に遅れてきた無様な新郎なんざ、死ぬまで高校時代の友人や後輩達のネタにされるに決まっている。そんなのはごめんだと、もはや黄色信号はほぼ無視で、アクセルを踏む足に圧を掛けた。
     青はススメ、黄色もススメ、赤は急いでススメ
    ……というヤンキーの常套句とまでは言わないが今の俺はまさにそんなヤンキーたちと何ら変わらないだろう。だが、今日ばかりは許して欲しいと歴代の三井家の御先祖様たちに願ったところで、不意に財布がポケットに入っていない事に気がついた。と、いう事は免許証も不携帯ということになる。奥歯を噛み締めて眉間に皺を寄せた俺は、急いでUターンし、自宅マンションへと戻った。

    「……っンだよ、どこ置いたんだ、俺——!」

     戻ってきたはいいが財布を探すも一向に見当たらない。仕方なくタクシーを呼びつけて、またも急いで式場へと向かってもらう。
     しかし……この時の俺は気づいていなかった。財布を持ち合わせていない事と、そうするとタクシー代も払えないということを——。

    「到着しましたよー」

     目的地——式場の目の前に降ろしてもらい、急いで車から降りて、式場の中に入ろうとする俺の背後から「お客さんお金!」と言われたその声は残念ながら今の俺の耳には届いていなかった。


    「すいませんっ!三井家と名字家の結婚式場はどこですかっ!?」

     めでたい席の打ち合わせやら、下見に来ている幸せ絶頂なカップルや夫婦たちに反して興奮気味に受付で詰め寄る俺の姿を、絶滅危惧種でも見るような目でギャラリーが窺い見ている。それでも受付担当の女性は「お待ちください」と和かに、かつ冷静に、目の前のパソコンをカチカチと操作している。急かすように受付の台をコンコンッとせっかちに叩く俺の指のリズムと同じ速さで心臓もドクドクと音を立てている。

    「お待たせ致しました。お調べしましたところ、三井様と名字様の御式は——明後日のようでございますが……」
    「——え、は?あ……明後日!?」

     ふと受付台の上に上がっていたデジタル時計の日付を確認して今言われた言葉に間違いはないと理解した俺は、面を食らって後頭部をガシガシと掻き「すんません」と蚊の鳴くような声で呟いてそそくさと式場の外に出た。
     目の前に停まっていたタクシーから慌てて降りてきた運転手が俺の元まで駆け寄ってきて、大層ご立腹な様子で声を荒げる。

    「タクシー代、いただいてませんって!」
    「うおっ!そーだった、そーだった……」

     いつもは後ろポケットに財布を入れているので慣れた動作で後ろポケットに手を突っ込みハッとする。
     ……無い、財布がねェ!そこで財布を持ち合わせていなかった事実を思い出し俺の顔から一気に血の気が引く。

    「やっべ……財布持ってねえわ……」

     その言葉に今度はタクシーの運転手が顔を青ざめさせる番だった。
    「困りますよ、払ってもらわないと」とか「参ったなー」などと繰り返し言うタクシー運転手に「もちろん払う!ちょ、ちょっと待ってくれ」とカミカミで言い返していたとき背後から「寿?」と名を呼ばれ、勢いよく振り返るとそこには果たして二日後に、この式場で俺と式をあげる予定の花嫁様が立っていた。

    「お知り合いですか?このお客さんにタクシー代払ってもらえなくて困ってたんですよ!」

     まさかという顔で、強盗の犯人でも見るような視線をこちらに向けてくる彼女に面を食らい「財布忘れちまってよ」と素直に白状すれば「おいくらですか?」とよそ行きの声で運転手に問う俺の未来の花嫁様。

    「2500円です」

     淡々と自分の財布から言われた金額を取り出しタクシー運転手に手渡す彼女からその代金を受け取って「今度から気を付けてくださいよ!」と、少し語調を強めて言い置き、運転手はタクシーへと戻って行った。
     タクシーが発車したすぐあとに今度は式場から出てきた俺の母親が「寿、あなた何してるの?」なんて声をかけてくる始末。

    「もしかして式の日、間違えて来たんじゃ無いでしょうねー?明後日よ、明後日!」

     俺が返事をする前に目敏く息子の失態の正解をバッチリ当てて来た母親にげんなりしていると、隣では幼馴染——俺の未来の花嫁、名前がクツクツと笑っていたので「笑ってんなよな」と、軽くデコを小突いてやった。
     式の前々日にあたる今日は、ドレスや式の軽い最終確認をしに来ることになっていて、ドレスは断固として当日までは見せたく無いという彼女の意向によりドレスの確認は母親と、その他確認は彼女が一人で受けるという流れになっていた。
     母親が「じゃあ名前ちゃん、明後日はよろしくね」と笑顔で言ってそのまま式場を後にしたのち彼女が「それじゃあ私たちも行こっか」と軽い足取りで先を歩き出したので急いでその後を追う。

    「……あ?行くって、どこに」
    「もーう、結婚式の二次会の打ち合わせでしょ?水戸くんがどうしても今日じゃなきゃ時間合わせられないって言ってたじゃん」
    「あー!そーだったな。忘れてたわ」

     今、予定を思い出した俺を呆れるような視線で流し見て笑った彼女の手を取り自然の流れでその手を握れば、向こうも迷うことなく俺の手を握り返して来た。今ではこんな当たり前になった毎日の小さな仕草にすら幸せを感じているレベルなのだから幸せボケが過ぎて結婚式の日を間違えたって何もおかしくないだろうなと自嘲してしまう。

     同じ歩幅で歩みを進めている最中、彼女がふと足を止めて道路の方を見ていた。不審に思い俺も足を止めて「どうした?」と伺いを立てれば彼女は「あの子…」と道路を挟んだ反対側にいた、今まさにこの交通量の中、こちらに渡ってこようとしている子犬を見つめている。同じように、その子犬の方を見た瞬間なぜか俺と目が合ってしまいハッとして、先に声が出てしまっていた。

    「——ダメだっ!こっち来んなよっ!!」

     慌てて両手を突き出し所謂「待て」を示す俺の馬鹿でか声に逆に反応してしまった子犬が、王道展開と言いたくなるほどにブンブンと尻尾を振り勢いよく走って道路を横断してきたので俺も左右を確認し、その子犬を捕まえに走る。
     背中に「寿!危ない!」と叫ぶ彼女の声を背負いながらも、急いで子犬を抱き抱えて彼女のいるところまで駆け足で戻って思わずしゃがみ込むと「もう、本当に驚いたんだからね!」と安堵した彼女の声が頭上から降ってきて心臓の音は止まずとも自分も「ふーっ」と息を吐き肩を落とした。

    「ほんと焦ったぜ。でも、とりあえず良かった」
    「結婚式直前に未亡人になるところだったよ」
    「悪かったって……ん?おっ、飼い犬だな。ほら首輪が付いてら。えーっと、どこの子だぁ?」

     俺が立ち上がって子犬を抱き抱えたまま、首輪に付いているチャームをひっくり返してみれば、しっかりと自宅の住所が記載されていた。

    「寿、近くだね!」
    「ああ、だな。よーし、送ってってやるぞー」
    「うん、そうしてあげよ!——あ!でも二次会の打ち合わせは、どうしよっか……」
    「あー、まぁ……急げばなんとかなるだろ」
    「やっぱり。絶対にそう言うと思ったぁ〜!」

     名前と一緒に首輪に書かれた住所まで歩いて向かい、インターホンを鳴らしている俺たちの背後から「あのぉ……」と声がかかった。二人で振り返ると、声を掛けてきた相手から不審者でも見るような視線を投げられる。そうして、その近所の住人らしき人物が、今度は気まずそうに言った。

    「みょうじさんたちなら引っ越しましたよ?」
    「あ、そう——なんすね。いや実はさっき俺たちこの子を見つけて……」
    「あら!やっぱり近くにいたのね!ずっとみんなで探してたんですよ!」
    「そうだったんすか。あの、それでこちらの方の引っ越し先は?」
    「それが……アメリカなんですよ」

     まさかの引っ越し先に思わず二人で「アメリカぁ!?」とハモってしまう。そんな俺たちを見て相手が「確か四時の飛行機だったはずだけど…」と呟いたので、俺は自身の腕時計を見た。

    「——出発まで二時間か……よし、行くぞ」
    「えっ!?行くって、寿……」
    「飼い主に届けてやんねーと」

     そう言って走り出す俺の後から彼女が追いかけてくる音がする。そうして彼女は走りながら俺の背中に向かって「間に合うのっ!?」と問う。

    「やってみなきゃわかんねーだろ!それに……」

     言ってゆっくりと足を止めた俺の横に、彼女が追いついてきて並んだ。俺は立ち止まったまま、まるで教師のそれみたいに言葉を続ける。

    「人間でも動物でもよ、家族と離れ離れなんて、寂しいじゃねーか……」
    「……。そうだね、じゃあ急ごう?」

     彼女は俺の手から子犬を取り上げて抱き直し、大通りの方まで駆け足で向かうと片手を目一杯にあげてタクシーを停めようとしていた。
     なかなか停まってくれないタクシーに溜め息をついていたとき俺たちの目の前にハザードランプを付けて停車した一台の車に二人で視線を送る。するとウィーンと助手席の窓が開いて、中からはずいぶんと知った人物が顔を出した。

    「……桜木?」
    「やっぱミッチーか。お!それに名前さんも一緒でしたか。つーかまだこんなとこにいたのか?」

     少し身を屈めて運転席を覗いてみればそこには野間の姿もあった。「よぅ」なんて、呑気に言いながら手を軽くあげてみせる野間に相槌を打つ。

    「お前ら、何してんだよ」
    「何ってミッチー、俺たち今から、二次会の打ち合わせに向かうとこだぜ」

     俺の問いに答えたのは運転席に座る野間だった。まるで、当たり前みたいに言って退けるその返答に俺は案の定「は?」と目を見開く。

    「何言ってんだ?二次会の打ち合わせは、水戸と俺ら三人で……」
    「堅いことはいいじゃねーかっ!ちょうどいい、ついでだし君たちも乗っていきたまえ」

     親指を後部座席に向ける桜木を合図に、後ろのドアを開けて先に名前を奥に押し込め、俺も中に乗り込んでドアを閉めたあと、矢継ぎ早に言う。

    「野間、悪ィ。四時までに空港行けっか?こいつの家族がアメリカに行っちまうんだよ」

    「このままだともう家族と会えなくなっちまう」と独り言のように呟いた俺を見ていた野間と桜木が互いに見つめ合ったあとニヤリと笑みを浮かべ正面に向き直った。

    「なははっ!おもしれーじゃねぇか!」
    「しっかり捕まってろよ、お二人さん!」

     桜木、野間の言葉のあと勢いよく発車した反動で後部座席の俺と名前が「うお!」、「うわ!」と声を発し、前のめりになる。
     忙しなく、窓から見える景色が切り替わる中、「野間、四時までに着けそうか?」と俺が問えば野間は「まぁ、普通に考えりゃ無理だろうな」と即答する。思わず「え、まじかよ」と、肩を落としたときバックミラー越しに野間と目が合った。

    「でも心配すんなってミッチー。近道すれば余裕よっ!」
    「そうだ、チューに任せとけって。それにしてもミッチー。何でスーツなんか着てんだ?」
    「あ、あはは。こ、これは……ちょっとな」
    「さては明後日の式が待ちきれなかったクチか」
    「ははは!花道、そりゃ違いねーな!高校時代と何も変わってねェじゃねーか、ミッチーも!」

     車内に遠慮なく響き渡る品のない野間と桜木の笑い声に安定で俺は言い返す言葉もなく面を食らう。チラッと横を見てみれば、子犬を大事そうに抱えたままクスクスと笑う幼馴染に何だかこんな未来の旦那で、ほんとに申し訳ないなと思った。

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