そんな甘酸っぱいこともあった

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  • 小学校から中学時代は人気者だった。
    いつも側にはバスケがあったから。

    自分の存在意義があって、バスケットに関しては自信もあって。過剰なくらいに。

    高校時代、三分の一は大荒れだった。
    バスケットを失ったから。

    自分の存在意義を失って、心底喪失感を味わってそれでも結局最後にはバスケを追いかけて。

    大学ではまた人気者に昇格。
    人気の理由はもちろんバスケだったのだと思う。

    けど、気持ちに余裕も出来て来てたし、学科とかダチとか、誕生日を迎えたら酒とか、相変わらずバスケとか。そんな大学生ライフを送った。

    社会人。
    何故か俺の周りには人が寄ってきた。

    もはや高校時代の黒歴史を知る人もいない環境。俺は仕事に遊びに、バスケにと一般人となんら変わらない生活を現在も送っている。

    最近では、バスケ以外にだって、もちろん自信がついたし、自分自身を好きにもなってきた。

    そう言えば大学んときは、いっちょまえに彼女なんかもできたっけな。どんな理由か忘れたけど、その子と別れて。そうそう、このあいだ偶然、街ですれ違ったんだ。そんとき少し話して、特に何の進展もなく、その日は別れて。


    その日の夜、携帯のネットを適当に流し見していたとき目に入った、とあるツイート。
    『相合傘なんてしたことない』という、どっかの誰かがぼやいてるツイートを見て、ふと思い出したことがある。

    高校三年のときの同級生、名字名前。
    同じクラスで、荒れてた時期に唯一、俺が女で話ができた同級生だ。

    バスケ部に戻って………
    あれ?なんで話さなくなったんだっけって。
    卒業式に一緒に写真を撮ったような撮らなかったような……

    あれ?結局アイツと、どーなったんだっけ?
    ああ、そうだ。バスケに戻ってすぐの頃で、それどころじゃなかったんだっけっか……なんて。
    そんなことをふと、思い出していたんだ。






    「三井くん、」
    「……グー……」
    「三井、寿くん……」

    授業中、安定に昼寝をしていたら、突如となりの席から声が聞こえた。

    窓際の一番うしろの席だった俺の隣の席の彼女が、俺の名を呼んでいる。

    「……あ?」

    椅子にもたれて寝ていたので、薄く目を開けて彼女の座っている左側を見やれば、なぜか古文のノートを指し出された。

    「たぶん、次。当てられるよ?」

    そう言って笑った彼女の、窓から入ってきた春の風でなびいた髪の毛とか、柑橘系の爽やかな何かの匂いとか、なんかよくわかんねーけど、一瞬で目を惹かれて、そのまま何も言葉は返さずに固まっていたら案の定「次、三井」と、センコーから当てられた。

    「……その、二行目だよ」

    そうボソリと呟いた彼女のお蔭で、受け取ったノートの二行目をぼそりぼそりと読み進めれば「よし、座っていい」と言われ安堵した。

    キーンコーンカーンコーンと鳴った合図で、センコーが出て行き、教室内が騒がしくなる。

    「……これ、サンキューな」

    ぶっきらぼうに小言をつくように口の中でそう言って、彼女の机にノートを返したとき、へらっと笑って彼女が言った。

    「アイツだけだよね、三井くんのこと当ててくる先生」

    「みんな怖がって当ててこないもんね」と笑って言い退ける彼女に俺は、無意識にこんなことを聞いていた。

    「名前は……」
    「え?」
    「だから……名前。おまえの。」

    自分でもびっくりした。
    なぜ、わざわざ名前など聞いたのだろうかと。

    「あ、ああ……名前。名字名前だよ」
    「ふうん……名字か。」
    「下の名前がいいな…」
    「……は?」
    「下の。名字じゃなくてさ」
    「……」
    「名前で! 呼んで欲しいなっ」

    そう言って、屈託なく笑う彼女から俺は咄嗟に視線を逸らした。


    その日から、彼女、名字は毎日のように俺に話しかけてくるようになった。俺はほぼ相づちだけだったけれど、名字が楽しそうに話してるから、まあいっかって流してた。


    「三っちゃん」

    今日も名字と話している?名字の話に相づちを適当に打ってた?ときに、教室に徳男らが入ってきて俺に呼びかける。

    「あ?」
    「売店行くけど、三っちゃんも行くか?」
    「堀田くん!」
    「!!?」

    グイッと、急に身を乗り出して徳男に声をかけた名字に徳男らも、俺も一瞬ギョッと目を見開く。

    「な、なんだよ…」
    「堀田くん、三井くんと仲いいんだよね?」
    「あ?あ、ああ……まあな」
    「三井くんってなにが好きなの?どんなものが好き?」
    「は?」

    徳男が答えるまえに、俺の口から先に出ていったクエスチョンの意志を纏った台詞。

    「三井くん、もーすぐ誕生日なんだって!知ってた?」
    「え、そーなのか?三っちゃん」
    「……」
    「好きな物聞いても教えてくんないんだよー」
    「もういい、徳男……行こうぜ」

    そう言い捨てて俺は席を立つと、徳男らより先に教室を出た。「オイ、三っちゃん」とあとを追って来た奴らに名字のことを聞かれたが「ただの隣の席の奴」と短く答えた。

    その日の放課後、担任に呼ばれて説教をくらったお陰で、徳男らが先に帰ってしまっていた。

    外は午後からの雨足が強まっていて、俺は生徒入り口の傘立てに置いてあった、誰のかわかんねービニール傘を拝借した。

    「キャー!!入れて入れて!!」

    そう背後から聞こえた瞬間もうすでに俺の隣に並んで肩についた水の雫をはらっている女子生徒。まぎれもなく、名字であった。

    「……はみ出るだろ、使えよ」

    そう言って自分の左肩を少し濡らしながら俺は持っていた傘の柄を名字のほうへと差し出した。

    「いーよ!一緒に入ってこ?」

    その差し出した柄をぐいっと戻されたとき、ダイレクトに手と手が触れてドクンと、少しばかり心臓が高鳴った気がした。

    名字が勢いよく傘の柄を押しやったことで、今度は名字の右肩が雨に濡れた。すぐに俺は彼女が濡れないように少しばかり彼女の方に傘を寄せて、そのまま校舎の外を無言で歩いていた俺ら。

    今日は珍しく、俺のほうから名字に声をかけた。

    「おい、」
    「ん? なに?」
    「お前、徳……堀田とかに気安く声かけんなよ」
    「え?」

    名字が俺を見上げて、きょとんとしている。

    「あ、いや……周りになんて思われるかわかんねーし、その……アイツいい奴だけど、なんつーか……」
    「……?」
    「なにがあるか、わかんねーしよ……」
    「………」
    「ちなみに俺、好きなもんとかねーから」
    「……」
    「……そんだけ。」
    「………み、」
    「くらぁ!名字!」

    名字が何か言い掛けたとき、俺らのほうに数学のセンコーが傘を指しながら歩いてきて、背後から名字の名を呼ばれた。

    「え?……はーい?」

    名字が立ち止まって振り返ったので、俺も一応足を止める。

    「補習したついでに、このプリント持ってけって言っただろーが」
    「あ、ごめん先生!忘れてたー!」

    そのままセンコーに向かって走っていった名字が「三井くん!先行っていーよ!ありがと!傘!入れてくれて!」と言って手をあげたので、素直に俺はそれに従って姿勢を校門へと向けたことで、名字との先ほどの中途半端な会話は強制終了された。


    それから名字が風邪かなんかで一週間ほど休んだり、そのあいだに俺が入院、退院なんかあって。退院後もバスケ部への暴力事件を起こして、ごちゃごちゃしてて、きれいさっぱり更生した俺と名字が教室で会ったのは、三週間ぶりくらいのことだったと思う。

    名字よりも先に教室に入ったのは、三年になってからたぶん、これが初めてのことであったから、名字がなにも知らず教室に入ってきて友人らに朝の挨拶をしていたとき、俺が席に座ったままでちらりと名字を見やればパチリと、視線がかち合った。

    「え? え、み、三井くん!?」

    と、いつものようにハイティーンでまた、前のめりになって言ってくるだろうと予想していたのに名字はサッと、俺から目を逸らして自分の席である、俺の隣の席へと腰をおろした。

    いつもなら、自ら「おはよー」と声をかけてくるのに、それすらないので、こちらから「はよ。」と声を掛けてみた。声が低くて届かなかったのか名字からの返事は特になかった。

    二時限目が終わり、次は移動教室だったため、俺からまた、名字に声を掛けた。

    「名字、」

    一瞬、ビクンと肩を震わせた名字が「な、……なに?」と、警戒心まる出しのツラでこちらを見るので、なに怖がってんだよ、とちょっとばかし不機嫌になり、目を逸らしながら俺は言った。

    「俺、バスケ部復帰してよ……」
    「……」
    「あ、俺……バスケ部、だったんだよ。一年の途中、」

    そう言って名字のほうを見たとき、俺は思わず口を噤んでしまった。なぜなら、名字の目がまるで俺をケダモノでも見るような感じに見据えていて、微かに怯えていたからだ。

    ふたりのあいだに、居心地の悪い沈黙が流れる。そのとき、「三井!」と教室の入り口に木暮がやってきて、助け舟を出されたことで、俺は「お、おう…」と、木暮の元へと向かった。


    数日後に席替えがあって、名字とは席も離れてしまったため、話す機会が物理的に減った。と、いうか俺をあからさまに避けていたし、やっぱりこんな中途半端な俺のことなんて、嫌になったんだろーなとかなんとか、自分で理由つけて考えないようにしてたってのもある。


    その日の放課後、赤木らのクラスで部活のミーティングがあった俺が三組の教室に戻ると、掃除班も下校し、なぜか名字が、ひとりぽつんと自身の席に座って、なにか必死になって机に向かってペンを走らせていた。

    教室に入って来た俺を一瞥すると、すぐにフイッと顔を机に戻した名字に、すこしイラっとした俺が、たまらず「無視すんなよ」と、ひとり言のように声を出した。

    「……してないよ?無視。」

    小さく呟いたであろう名字の声。
    俺が自分の席に着いて、部活のバッグを肩に担いだとき、名字が窓の外に視線を移して「雨だね」とぽつりと言った。

    釣られて窓の外に視線を向けた俺をちらりと見やったのが視界の端に見えた。そして名字が、微笑んでいるような口調で、なにか言った。

    「やっぱ、そっちが本性なんだあ。」
    「……え?」

    うまく聞き取れなかったので、窓から視線を名字に移して聞き返せば、もう名字は机に視線を戻していて、シャーペンを走らせて再度、目の前のプリント用紙に集中していた。
    そのまま特に会話も交わさずに俺は教室を出た。

    その日の部活は、遅くまで自主練をしていたので、ふと体育館の時計を見ると、すでに針は八時を指していた。

    他の部員は皆、帰ったあとだったので、部室を施錠して、職員室に体育館を出る旨を伝えて頭を下げると、センコーらに「更生後の三井だ」と今日も弄られた。

    そのまま荷物を肩に掛けて外に出ようとしたとき、放課後に三年三組で彼女と交わした会話を思い出した。

    「マジで雨かよ……」

    そう呟いて、ちらりと傘立てを見ると、今日は残念なことに置き傘がひとつもなかった。
    小さく溜め息を吐いて、走っていくかと意気込んで一歩踏み出そうとしたとき、視線の先に見慣れた後ろ姿を見つけた。

    「……あいつ、こんな時間までなにしてんだ」

    思わず口にしたあと、俺は真っ直ぐに彼女のもとまで走って行った。

    「入れろよ」

    そう言って背後から声を掛けて、隣に並んで彼女が持っていたビニール傘の柄をひょいと持ち上げると、相当驚いたのだろう。立ち止まって、ぽかんと俺を見上げる彼女にもう一度、今度ははっきりとした口調で「一緒に帰ろうぜ」と言った。

    そのまま名字は何も言葉を発さず、俺も特になにも言わずに肩を並べて雨の中をふたりで歩いた。


    「好き。」
    「あ?」

    突如、雨の音に混じって名字がつぶやいた。

    「あ?……なに? 聞こえなった」


     ——いや、……聞こえた。


    「……なんでも、ない……。」

    そのまま、また沈黙。
    気付けば、ザーザーと降っていた雨音が次第に弱まってきていた。もうすぐ、雨も上がりそうだ。


    「名前」


    俺の声にピタッと足を止めた彼女につられて俺も足を止める。そのまま俺は彼女のほうを向くと、その小さな身体を抱きしめた。

    その反動で、俺の持っていた傘の柄が傾いて、傘が数センチ下がる。おかげで、俺の肩は雨にずぶ濡れる始末。

    俺、なにやってんだろーって気持ちと、なんだか愛おしくて堪らない気持ちの狭間にいると、彼女がぽつりと呟いた。

    「濡れちゃうよ……?」
    「あ、悪ィ……、冗談。」

    そう言って俺は彼女から身体を離すと、今度はぐいっと俺の傘を持っていた右腕が引かれた。

    「冗談なんて、言わないで……」

    「え」と言って彼女を見やれば、瞼いっぱいに涙をためて、はっきりとこう言った。

    「ずっと好きだったの、」
    「………」
    「ずっと……ずっと」

    もう聞き終わるまえに俺の腕は再度、名前を抱きすくめていた。気付いた頃には持っていたビニール傘が地面に転がっていて、ふたりで小雨に打たれていた。

    「……。一緒に、濡れて帰るか」
    「へへ、いいね。それ…」

    そんな冗談を笑いながら言い合っていたころ、雨がぽたぽたと止んで、空には満月が出ていた。










     相合傘 濡れてるほうが
      惚れて
    いる。…… らしい。




    (雨あがったな)
    (うん)
    (補習だったのかよ?)
    (あ、……うん。)


    ああ、そうそう。思い出した。
    何年も前の、遠い昔の記憶。
    大人になってから思ったけど……あのとき——
    もしかして、待ってたのかよ…?

    同級生の彼女は、いま元気にやっているだろうか。

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