同じ屋根の下で始まった二人の生活は想像していたよりもずっと穏やかで、それは、思っていたよりも深く、私の心を侵食していった。
 朝、目覚めた瞬間から夜眠るまで、いや、夢の中さえも彼の気配に満たされていて私は一日一日まるで記録を塗り替えるように昨日よりも今日の彼──ホークス改め、��鷹見啓悟�≠ニいう実体をより深く好きになってしまっているのだと気づかされる。

 甘すぎて、どこか、現実離れしているような、けれど不思議と、嘘には思えない愛のかたち。
 からかうようでいて真剣で、照れ隠しのくせにまっすぐで。そんな彼の言葉のひとつひとつが、私の胸をじんわりと溶かしていく。
 洗濯物を干す横顔、スーパーの袋片手に歩幅を合わせてくれる足取り、ソファに沈んでうたた寝する姿。日常に紛れ込む愛おしさのカケラたちは彼の手によって、毎日丁寧に更新されているようだった。変わらないはずの生活の中で変わらずに更新され続ける『好き』という名の情熱。それはきっと、私たちだけの秘密のルーティン。

 ある朝、寝ぼけ眼のままぼんやりと天井を見ていた私の額に柔らかな唇がそっと触れて、耳元で甘く囁かれる。

「おはよ。昨日よりもっと好きになってるから、よろしくね」
「ん……まぁた、言ってるぅ……」
「だってほんとやけん。その寝起きの髪、きょういちばん好いとーし」

 ふいに吹き出しそうになるのをこらえながら、私は彼の腕の中で、まどろみの続きを探す。くすぐったいのに嬉しい。彼のその優しさに無防備に甘えてしまえる朝。
 またある夜は、夕飯を終えて、食器を片付けていた私の背中に、彼のぬくもりがふいにふわりと重なったりする。

「……ねえ、さっきの『いただきます』の言い方超〜あいらしかったばい」
「はいはい」
「だから、また更新しちゃった。今日の好き」
「食べ方で好きが更新されるって何なの、それ」
「なんでも更新しますよ〜?目、指、声、背中、ぜ〜んぶ。毎日、どこかに新しく恋しとーと」

 言い返そうとした口が自然に笑みに変わって、私はまた、今日も好きになってしまう。彼という人を底なしで愛しく思うこの気持ちに、自分でももう、手がつけられないほどだ。
 たとえば別の日の朝。身支度をしながら、彼がなんの気無しにつぶやく、そのひと言。

「たぶん明日の俺、また今日より名前ちゃんのこと好きになるったい……すごくなかぁ?恋って」

 その背中に、言葉を返すことはできなかった。ただ胸がいっぱいになって、溢れそうな想いを、そっと押し込めることしかできなかった。だって私も同じように明日のあなたに、また、恋をしてしまうのだから。
 そしてその日の夜ふたりでベッドに潜り込んで灯りを消して眠りに落ちるその直前、私は布団のなかで、小さく囁いた。

「ねえ、ねえ、啓悟くぅーん」
「ん、なん?名前ちゃん」
「明日も、更新されちゃう?」
「うん。即答で確定」
「そのうちさぁ?それ、限界、きちゃわない?」
「来ないですねー。君の分だけは、記録無限大」
「……なにそのシステム。バグってるよ、絶対」
「バグじゃなくて仕様ですよ?君が可愛い仕様。俺が、溺れる仕様」

 笑いながら彼が私の手に絡めてくる指先のぬくもりはふざけた会話の中にも確かな本気があって私はその手の温度に、今日も全身を委ねる。

「……だから、明日の君にもよろしくね?」
「うん! よろしくお願いしまぁーす」
「ふはっ、あいらしかぁ〜」

 この恋には終わりがない。更新されるたびに、ますます鮮やかに心を染めていく愛が、静かに、確かに、ふたりを包み込んでいたから。


 *


 ある日の夜──。隣で彼がすでに眠っていると思っていた布団の中、突然聞こえてきたかすれた声に私は、思わず目を開いた。

「……すきったい……もう、むりぃ……」

 それは闇の中にそっと置かれた誰にも拾われることを望まないつぶやきのようだった。喉の奥で滲んで滞り、まるで夢と現の境界線をゆらゆらと漂う羽のように微かに、けれど確かに私の耳朶に触れた、小さく、くぐもった声だった。

「……更新しすぎて……キャパ、こえたァ……」

 息を飲む。私はただ、耳を澄ませて彼の言葉に静かに浸るしかなかった。息を飲んだ瞬間、胸の奥でなにかがゆっくりと深く沈んでいくのを感じた。まるで水底に差し込む光の粒のように、その言葉が私の中を漂いひとつひとつが静かな衝撃となって響いていく。
 私はただ時の流れを止めるようにまぶたを閉じ闇の中に微かに揺れるその声に、ただ静かに深く浸っていくしかなかった。

「……好きが、止まらん……ぜんぶ……可愛くて愛しくて、くるしくて……」
「……、」
「……あぁもう、……どうしようもないくらい、好いとぉ……」

 まさかの──夢の中でさえ彼は、私を死ぬほど愛していた。その事実が胸の奥で静かに脈打って私はそっと彼の手に自分の指を重ねた。その瞬間相手が微かに身を寄せてきて、途端私は気づく。

「残念、起きてました。……寝たふりしとった」

 その声が落ちると同時にわずかに闇を切り裂くようにして彼の唇がゆるむ。にやり、といつものような茶化しにも似た笑みを浮かべながら、けれどそこに滲む気配は、明らかに嘘ではなかった。
 ふざけた響きの裏に、どうしようもなく真剣な熱が宿っていて、私は胸の奥がきゅっと疼くのを止められなかった。

「……やっぱりね。」
「でも……寝言やなくて、本気やったんやけど」

 ゆっくりと体を起こした彼が私の目を見つめる瞳は、どこまでも真剣で、息が詰まるほどの熱を孕んでいた。

「……もうさぁ、ほんとにキャパオーバー。名前ちゃんが横にいるだけで心臓がバグるったい」
「……っ、」
「触れたいって思うたびにこれ以上好きになってどげんすると?って、自分にツッコんでる」

 その言葉はどこか言葉以上の温度を孕んで私の胸を深く震わせ、喉元までこみ上げた想いは声にならず、私はただまっすぐに彼を見つめ返すしかなかった。言葉を返すには拙く、目を逸らすには惜しくて、息を呑むほどの静けさの中、彼の手がそっと伸びてきて、ためらいもなく、けれど驚くほど優しく私の頬を包み込んだ。まるで、そこに確かな答えがあるかのように。

「言葉にしたら、名前ちゃんが照れちゃうから。だったら俺、全部……触れて伝えてよか?」

 その囁きのあとの静寂には、もはや言葉の余地などなかった。私の頷きは唇の震えに溶け指先の応えに変わる。
 彼が髪をすくう指の流れに、まぶた、頬、唇、首筋へと降りていく熱に、私はただ、静かに身を委ねるしかなかった。二人の距離が呼吸と鼓動とぬくもりのなかで、ゆっくりと溶け合い確かめるように惜しむように、何度も『好き』のカタチを重ねていく。想いが皮膚の奥まで伝わってきて、もう言葉などいらなかった。

 夜の帳が静かにほどけていく気配の中、世界がまだ完全に目を覚ます前の、柔らかく曖昧な光に包まれながら、私は彼の腕の中で静かに微睡んでいた。どこか夢と現実の境目を揺蕩うようなぬくもりの中、ふと彼の胸の奥から零れ落ちた言葉が朝の静けさに溶けるようにして私の耳に届いた。眠気の底で、それでもはっきりと、私はその声を聞いた。

「もう……好きのキャパとかどーでもよかかも」
「……」
「こと、名前ちゃんに関しては、壊れても平気な気がするったい」

 その言葉に胸がぎゅっとなって私は目を閉じたまま、そっと頬を寄せた。
 昨夜、すべてを伝えきった温もりが、まだ肌に残っていて、それだけで私の心は満ちていた。

 そしてこれはまた、別の日の午後のこと──。
 たまたまふたりの休みが重なった週の真ん中、どこへ出かけるでもなくただ静かに流れる時間に身を任せていたリビングで過ごす午後。カーテン越しにこぼれるやわらかな陽の光が私たちの影を淡く、床に落としていた。ソファの背にもたれかかるようにして並び、それぞれのスマホを無言で眺めながら、けれどその沈黙にはどこか満たされた気配が漂っていて私は心地よいまどろみに身を溶かしかけていた。そんなとき不意に隣から声が落ちる。

「名前ちゃーん?」

 その気の抜けたような呼びかけは、まるで空をただよっていた白い雲が、ゆっくりと形を変える瞬間のようで私は見ていたスマホ画面から視線を上げるより先に、声の温度で彼の表情を想像していた。

「好きのキャパを測れるアプリがあったらさぁ〜俺、絶対バグって使えないと思うんだよねぇ」
「え? なに、それ」
「いや、ほら。恋人に対する好きの上限値みたいなのを測って『あなたは今日1,874好きです!』とか出るやつ♡」
「あー、うん?」
「でも俺が使ったら『ERROR:LOVE LIMIT OVER』って出るやろう?ぜったいに」
「……エラー、出さないでよぉ」
「いやでもマジで。だって俺、名前ちゃん見て、好きって思う回数、一日いったい何回あると思いよーと?」

 冗談だと思っていたのにその一言に思わず視線を向けると、彼は、いつになく真剣な顔つきで、まるで重要な統計でも取るかのように一つひとつ丁寧に指を折り始めた。その仕草に、息をのむ。茶化しているようで、どこまでも本気で、しかもその��本気�≠ェ、まっすぐに私だけを向いていることに、胸の奥が思いがけず、きゅっと鳴った。

「歯磨いてるとき、ソファにいるときー、寝返りうったとき、笑ったとき、くしゃみしたとき……
ぜ〜んぶ更新されとーとよ。ん、ね?バグです」

 あまりに突拍子もないその発想に最初は呆れたふりをしていたのに、気づけば口元が緩んでしまっていた。我ながらなんとチョロい女だろうか。
 笑いを噛み殺すことができず肩が小さく震えるたびに、心までくすぐられるようで、私は、堪えきれずに、吹き出してしまった。そんな私を見て満足げに目を細めた彼は、してやったりといわんばかりの得意げな笑みを浮かべながら、スマホをこちらへと突き出してくる。それはまるで世界にたったひとつだけの愛を誇示するような無邪気で真剣な子どもの絵に描いたようなドヤ顔だった。

「──てことで、好きの上限突破通知アプリ開発したいと思います。名前は��KIMI-METER�=v
「ダッサ。君メーター……ぜったい流行らない」
「でも俺しか使わんけん、よかろ?独占使用パーソナルラブ計測器!」
「……そういうところ、好きだよ。」
「ゔっ……!やばっ、今の一言で1,875好き更新された。あははっ、やっぱバグっとー」

 そのままふたりして笑い合いながら、ソファに背を預ける。呼吸が重なり合うたびにこぼれる
柔らかな余韻に包まれながら私はただ、隣にいるこの人の存在が、どれほど愛おしいものかを深く噛みしめていた。外から差し込む陽光が、部屋の空気をやさしく満たし、なにも話さなくても通じ合える沈黙が、そこには確かにあった。
 そしてその静けさを割るようにして、ふいに、彼がぽつりと落とす。笑い声の残響とは対照的にどこまでも穏やかで、すこしだけ遠くを見つめるような、静かな声で。

「俺ねぇ……たまぁーに、思うったい」
「ん、なにを?」
「好きっていつか言い飽きちゃうのかなーって。同じ言葉をずっと繰り返してたらだんだん重みがなくなるんじゃないかって……前は思ってた」
「……うん」

 彼の言葉が落ちて余韻のように静けさが部屋を包む。私は返す言葉を探しながら、それでも何も言えぬまま、時が流れていくのを感じていた。
 その沈黙は気まずさではなく、むしろ、大切な何かを丁寧に守ろうとするような優しさに満ちていた。そして、その空白を彼の指先がそっと満たしてくる。ためらいも、急かしさもなく、ただ、確かに私の手に触れてきたそのぬくもりは、言葉よりも深く胸に染み込んで、私は黙ったままその手を迷うことなく、受け取った。

「でもね、今は違う。どんなに増えたっちゃ言い飽かん」
「……」
「むしろ今日の君には今日の好きを伝えたいって思う。だから、何回でも言うけん。名前ちゃんのこと、好きだって」

 窓越しに差し込む午後の陽射しが、カーテンの揺らぎを縁取るようにしてふたりのあいだに影を落としていた。その光の粒の中で、彼の瞳がまっすぐに私を捉えて離さず、私はもう、言葉を探すこともできずにいた。
 ただ、その眼差しに宿る真っ直ぐすぎる想いを全身で受けとめながら胸の奥がしんと満たされていくのを感じていた。そして私はほかに何もできないまま、けれど確かに、静かに、深く頷いた。それが唯一、いまの私にできる精いっぱいの応えだったから。

「明日も明後日もずっと。また好きが増えたなぁって思いながら生きていくっちゃろうなー、俺」

 先がふれる、その一瞬だけで世界の輪郭が少しだけ変わる気がした。手と手が触れ合い、躊躇いなく肌が重なっていくたび、言葉にならなかった想いが、ぬくもりの中にそっと溶けてゆく。
 それは説明も証明もいらないほどにまっすぐでただここに在るだけで揺るぎない��好き�≠ニいう名の気配。そこにあったのは、どんな言葉よりも確かな、ふたりの��好き�≠フ証。

「──で、今日の更新履歴は、何件なの?」
「えーっと。朝、寝癖見た瞬間と、昼、お茶こぼしたとき。あと今、目が合ったから三件追加♪」

 季節が移ろい、時間が過ぎ、日々が流れても、私たちの��好き�≠ヘ終わらない。むしろ、題名のないこんな今日もまた、静かに更新されてゆく。記録ではなく、感情の呼吸として。それは静かに確実に、二人のあいだで終わりを知らず息づいていく。限界のない、永遠の──恋文(ラブレター)のように。





 

いと恋し、風のまにまに


(でも、それさぁ?履歴多すぎじゃない?)
(俺の愛は積載オーバー仕様です)
(えっ? なにそれー)
(たぶん、脳内カウンター壊れたのかもしれんね)
(ダメダメ! 再起動、再起動!)
(再起動しても名前ちゃんしか出てこーん)
(……やば、うれしかった、今。)
(……やっばぁ、好きがまた更新されましたー)

※image song『 題名のない今日/平井大 』


prev | next
back
VERTEX