いつか罪に呑まれても

  17歳、春
― 17歳、春 ―


『おい……、あんたら、そっちには体育館しかないぜ。なにするつもりだ』

『知ってるよ。……体育館だろ、これからちょっとバスケットをしにな……』





『ぐずぐずしてらんねぇな……』


『チッ。一年坊なんざおめーらやれ!オラ行け!』





『おい、逃げんなよ主犯』


『来な。』

『小僧……』


『死にてーらしいな……』


『おい……、まだだぞう』

『立てよ』





『ぐっ……、くそ……なんなんだてめえは……っ!』

『バスケ部でもねーのに』

『関係ねーだろてめーには!!』





『もう、バスケ部にはかかわらないと言え』

『この体育館には二度と来ないと言え』








俺がこいつを呼び出したのは、別に殴りたいからとかおとしまえつけたいからとか、もうそういうんじゃなくて、もっとこう、なんつーか、ガチガチに気まずくなるよりは、形式上でも謝っといた方がこれからのためにいいだろうと思ったから、だ。

もとわといえば、俺のせいで。百パーセント俺のせい。お蔭様でバスケ部にも復帰できたわけで。

だから全然怒ってねーし悲しくもない。だって謝る気だったんだからな。

俺が練習終わって体育館裏に行ったとき、水戸はコンクリの壁に背中を預けて煙草を吸って立ってた。しかも、妙に殺気立って。

そんな奴を見て俺はつい口走った。そういうつもりじゃねえんだよ、って。そしたらこう返された。

「じゃあ、どういうつもりなんですか?」

煙草を壁に、じ、と押しつけながら。思わず背中に汗かいた。冷や汗じゃねえ。練習終わって熱かったんだっつーの!

「その、このまえは、悪かった」
「……」
「なんか、結局は助けられたしな」
「……変なの」
「はっ……!?」
「……」
「……」

謹慎処分のせいで今日は学校に来なかったんだってことを、今の今まで忘れてた。

別にこんなの処分終わってからでもよかったんじゃねえの。わざわざ桜木にこいつの家電訊いて呼び出すなんて我ながら、自分のバカさにあきれる。

そんなことを頭の中で巡らせていたら、水戸はひとつ大きくため息をついた。

「なに、ちゃんとみんなに謝って優等生にきれいさっぱり転身しようってこと?」
「いや、そんなんじゃねえけど」
「じゃあ、なに?」
「……」

こいつの声って、なんか冷てえよな。なんとなくそう思った。温度がない。抑揚はあるんだけどよ。

「いや……、なんとなくだよ」
「……」

苦い、煙草のケムリ。吸ってる方より吸っちまった方のが被害でかいんだぜ、こら。

消されたはずなのに充満するこの匂いは、多分こいつの匂い。

「不良、やめて正解だったね、みっちー。」
「あ?」
「多分、——死んでたよ。」

水戸は、
そう言って笑った。

額に流れる汗は、冷や汗なんかじゃない。

「んじゃ、俺帰りますんで。」

「今日——ちゃん、メシ食いにくるんですよ」なんて言いながら、俺の横を通り過ぎて奴は、体育館裏から姿を消した。

「……」


『不良やめて』

『正解だったね、みっちー。』



思った以上に、傷は深い——。





——そして、あのときの
あいつが言った奴の名前なんだっけ。

ナニ、ちゃんだっけっか……。

……忘れた。








「みついってのはどーれだっ♪」

放課後、練習している傍ら聞こえてきた聞き慣れない女子の声。

体育館の入り口でバスケ部を見学していたらしい、赤木の妹となにやら話し込んでいる。

「三井さんは、あの人よう」
「……あー、ありがとう。」

赤木の妹は俺を指を差して丁寧に教えていた。それに誘われるように彼女も指さす先に視線を向けてきた。

「あれかぁ……」

あれって言うな、アレって……。

「ディフェンスあめーよ木暮」

苦笑いを浮かべた彼女と、ふいに目が合った。彼女が反射的なのか笑顔を向けてきたので、思わずぷいってそっぽを向いてしまった。感じ……悪かったかもな。

結局その日、最後までバスケ部の練習を見学していた彼女は体育館に残っている桜木に話しかけていた。帰りは桜木と一緒に帰ることにしたのか、体育館の外で桜木が出てくるのを待っていたようだった。

「……何年?」

不意に背後から声をかけられたことに、思わず振り返った彼女の驚いた声。

「……一年、生デス」
「ふうん」

自分で声をかけたくせに、興味なさそうというか、機嫌悪そうというか、ポケットに手を突っ込んでそっぽ向く俺。

なにを考えているのか、やっぱり何も考えていないのか、そんな感じで俺を見上げた彼女。

「……あ?」
「……へ?」

そっぽ向いていた俺が、彼女を見下ろして眉間に皺を寄せる。

「なに見てんだ」
「見てませんよ?」
「……あっそ。」

言って俺は、肩にかけていたスポーツバッグを再度、肩に掛け直してすたすたと校門のほうへと歩いて行く。

「……あ、あの!」
「……あ?」

俺が振り向くと彼女はへらりと笑って言った。

「言葉と態度のわりには、なんか寂しそうですね」
「………」

彼女の声は、誰もいなくなった校外には十分なくらいに響き渡る。俺はぴたりと足を止めて、気怠そうに振り返ってまた

「……あ?」

と、言った。彼女はにやける顔を抑えるかのように、唇をぐっと引き結ぶと俺のもとへと駆け寄って来た。

「一緒に、帰ります?」
「………はあ?」
「あの、花道待ってたんですけど、なんか気分変わりましたので」
「………」

困ったように顔を左右に巡らせた俺は、チッとひとつ、舌を打ち鳴らしたあと

「別に、いーけど……」

と吐き捨てて、先を歩き出したら微かに笑いながら彼女もあとを着いて来た音がした。








「桜木の、ダチか」

もうすぐ駅の改札、というところまで俺と彼女は一言も話さなかった。間もなく彼女と別れられることへの安堵からか、急に俺から口を開いた。

「あ、はい。 私、洋平たちと同中オナチューなんですよ」
「……ようへい?」
「あ、水戸!! 水戸です、あなたをぶん殴った」

ぎろりと見下ろせば一瞬ひえっとした顔をした彼女にしまったと思い、目を逸らして勝手に納得した俺は、そのまま話を終わらせた。

「つか——」
「はい?」
「いまどき、同中オナチューなんて言わねーだろ」
「へ? そ、そう?」

「言わねーって」と言って、クスッと笑った俺になぜか彼女は面食らっていた。

結局その日、駅の改札の前で俺は「俺、買い物あっから」と電車には乗らずに、スタスタと彼女とは逆方向に向かって歩いて行った。









それから三日後、天気予報は雨だった。
的中して今日は雨だ。

このなんともいえない湿気が嫌なんだよなあ。ジメジメしてて、気持ち悪いったらありゃしねえ。

「あーくそ、傘教室だ」

今日は朝練が休みだったのをいいことに、傘を教室に置いてきちまう不覚。

着替えも終了してロッカーのドアを閉めたところで、そのことに気がついた。

「なんだミッチー、ズブ濡れで帰るのか?」

横で桜木がバッグからタオルを取り出して言う。汗だくなこいつはこのあとも基礎練習だからまだ帰れないわけだが。

「んなわけねーだろうが。取りに行くよ」

俺はバッグを肩にかけ、じゃーな、と残った部員に声をかけてロッカーを出ていく。


ザアアアア、と雨の音が響く廊下。
もうすっかり暗くなってやがる。

非常灯しかついてない夜の学校は薄気味悪い。三年でよかった、一階だもんよ。一年なんか五階だかんな。へっ、ざまーみやがれ。

「……」

そういやアイツ=c…今日も見学来てたな。
もう帰ったのか?他の奴らと。

「……って、何あいつのこと考えてんだ俺は」

一人廊下で立ち止まり、ぽつりと呟く。
気を取り直して教室の前に来ると、廊下にある傘立てから暗がりの中、頑張って自分の傘を見つける。900円したんだぜこのビニール傘。そうは失くさせねえ。

誘拐もされず無事だったビニール傘を手に、俺は足早に昇降口へ向かう。雨の匂いが近づいてくる。

昇降口につくと、一年の下足箱の方から男女の声が聞こえた。

あー、カップルですか。
ったく……うぜぇな。こんな夜遅くまで二人で何してたんだよ。

想像してはいけない想像が脳内を占領しながらも、俺は手に持っていたスニーカーをぱん、と床に置いて履く。

ちら、とカップルらしき生徒を見ると、それはずいぶんと見慣れた顔だった。


「ちょ、急に……」

止まるな、と彼女のほうが続けようとしたときだった。

「水戸?」

水戸の名前を呼ぶ俺。
彼女が水戸の背後から顔を覗かせる。

「ああ、……こんにちは?三井サン」

水戸は急に、さっきとは声のトーンはそのまんまだけど、どこか冷たく、俺に告げた。

「……三井? あ、バスケ部の!みついひさし」

彼女が言って俺を指さすので俺は「あ?」とまた、顔をしかめた。

「奇遇ですね。なんでこっちにいるんですか?」

水戸は体育館の方をちら、と見ながらそう言う。それに俺は傘を突き出して気だるげに

「傘教室に忘れたから、取りに行ってたんだよ」

と、返した。
水戸は「名前と同じだあ、」と言って笑った。


ああ……
思い出した。

そうだ、名前だ。

あの女≠フ名前——。


そして、水戸がくるっと振り返って先を歩いて行く。

なぜか続けて、俺、そして私も歩き出す。

この時間は一番奥の片開きのドアしかセコムのせいで開かない。一人ずつそのドアをくぐって昇降口へ出る。雨の匂い。俺はこの匂いがキライだった。

「……」
「なあ、三井サンってどっち方面?」

外に出ると急に黙りこくった俺に水戸が声をかけてきた。すると俺は少し躊躇ったあと、「あっち」と指を軽く差しながら呟いた。

「わー……、一緒か。」と水戸は、また笑った。
彼女は俺ら二人の会話を気にせずに傘を開く。

「ちょうどいいや。名前、三井サンに送ってもらいなよ」

バサッという大きな音と共に水戸の声が掻き消されたけど、なんかわけのわからないことを言っていた気がするんだが……

「…… え!?」

水戸がくるっと振り向き、満面の笑みで彼女にそう言った。な、なにそのテンション、てめえ誰デスカ?

「お、おい水戸!」

水戸の後ろで俺もなぜか慌てはじめる。条件反射なのかも知れないけれども。

「いいじゃん、もう暗いし。雨降ってて視界悪いし。危ないから」
「んなこと言ったってよ……」

水戸も傘を開きながら俺の方を見る。俺は舌打ちをしてぶつぶつ文句を言いながらとりあえず傘を開いた。

「じゃあ、よろしくお願いします」

水戸がそう言って、俺達は三人で昇降口の階段を降りる。

「え、だって洋平、ご飯……は?」

しどろもどろになりながら言葉を繋げた彼女は、なんだかカタコトみたいな言い方になってしまっている。

「あー俺、彼女んとこ。」

言って、制服のズボンに手を突っ込んだまま、二ッと笑ってみせた水戸に彼女は何も言い返せなくなって、言葉を飲み込んでしまったようだった。

そんな彼女をちらりと見やった俺の視線をシカトして、とりあえず無視を決め込んでくる。

たしかにこのあいだ、一緒に帰ったけどよ……。でも、なんかあのときと雰囲気ちげえし。いや、だって、なあ……?


「名前、やっぱり今日の夕飯オムレツにして」
「え、ライスじゃなくて?」
「うん、レツ。そんな気分」

降りしきる雨の中、江ノ電に左から、俺、名前とかいう奴、水戸の順で座席に座る。

しゃべることなんてねーし、第一、カップルの会話に割って入れるほどの度胸は持ち合わせちゃいねえ。

混んでるわけじゃねえし、ちょっとくらい間隔あけて座ったって責められやしねーだろ、と思って、ほんの少し水戸の彼女との間をあけた。びったりくっつけるわけねえしな。

水戸は足を組んで、絶えず彼女に笑顔を向けていた。

こいつ、こんなに笑う奴だったのか。
俺と会うときはあんなに殺気立ってるくせに。

むかつく。あー、むかつく……、いや待て、彼女と男友達だぞ?態度違って当然じゃね?いや待て、男友達?俺らって……友達なのか?

「………」

しかも夕飯のメニューで盛り上がってるしよ。
お前ら同棲でもしてんのかよって。

しばらくすると、水戸はすくっと立ち上がり、見たこともないようなさわやかな笑顔で「じゃーね、頼んだよみっちー」なんて手を振って江ノ電を降りた。へえ、やっぱ彼女の前ではとことん猫かぶりしてんのな。

「………」
「………」

予想した通り、水戸が消えた瞬間静まる空気。
あったりめーだろうが、話すことなんかねえっつーの。

水戸ってそんないいか?あいつのために夕飯作ってやんのか?

あいつっていつもあんな笑ってる?
思いつく言葉はどうでもいい内容ばかり。

どうせバカだよ。現文できねえよ。

頭をぐるぐる使わせてるうちに、隣で彼女が「あのー」と俺を覗き込んだ。

身長のせいかもしれねえけど、上目づかいだったからかなりびびった。

「え、あ、おう」

よく見たら、結構、なんつーか、水戸の好きそうな顔してるなとか思った。

「私、ここで降りますね」

彼女は申し訳なさそうな笑い方をして、俺に会釈しながら立ち上がる。待て待て。そんな気ィ遣わなくていいんだって。

気づくと俺は、傘とバックを持って改札を出ていた。江ノ電を降りるとき後ろで「え、いいですよ!」なんて声が聞こえた気がする。聞こえなかったかもしんないけど。

彼女もあわてて改札を出てきた。

「あの、なんかすいません」

俺は900円のビニール傘を広げながら「いいよ別に」とか言う。

そして傘を広げて思った。
これ、ちっちゃくね?……間違えて持って来たか。

「………」

暗かったしなー、校舎……とか思いながらふと隣を見ると、横で水戸の彼女がくすくすと忍び笑いをかましてる。

「あ? なんかついてっか?」
「い、いえ別に………ぶっ」
「おま、こらえすぎだろ!」
「だ、だってぇ〜」

俺が声をかけると、耐えかねたように彼女が笑い出す。仕方なく、誰のかも知れないビニール傘を持つと、隣で彼女も傘を広げて、雨足の弱まりつつある夜の街へ足を踏み出した。

横で彼女はひーひー言いながら笑ってる。

ちくしょー、とかぼやく俺。
そういえば、隣に女連れて歩くなんて、この高校来て初めてかもしんねぇとか思った。

道行く人に訊いてみたい。

俺たちって今、

——どんな目で見られてますか?





なぜか途中スーパー(例によって水戸の言ってた○×スーパー)に寄らされ、大量に買い込んだ食品を持たされ、夜もとっぷり更けた頃、新しくもなく古くもない、大きくなければ小さくもない、そんなアパートへ辿りついた。

「私のが年下なんで、名字って呼んでください」なんて、これまた上目づかいで言われながら、名字はガチャリと色んな種類の鍵のついた錠前から一本を選んで、それを鍵穴に入れて回した。

「汚いとこですけど、どうぞー」

名字が俺に先に上がるよう促す。
俺は「おじゃましまーす」なんてちょっと緊張しながらも言って入る。

やっべー女の家に上がるとか……親とかいたら誤解されそうだよな。あーやべえ。

「……」

足を踏み入れて、異変に気づく。
玄関にあるスニーカーの、ハイカットじゃないほうのスニーカーとか。その隣にある皮靴。

どっかで見た、この真黒な男物の靴。
そういえば、ここすっげー煙草臭くねえか?

俺は台所へしゃがみ、買ってきたものを冷凍庫に入れながら思った。

うしろで名字がありがとうございますー、すいません、なんて言った。

「……」

そういや、表札見なかったけど……、
名字 ≠ナはなかった気がする。

「これで帰るのもあれだし、よかったらお茶とか飲みます?」

名字は戸棚を開きながら言う。

「………」
「あ、門限とかやばいですか?」

何にも答えない俺に違和感を感じたのか、振り返って名字は気まずそうに俺に問う。

「ここって、お前ん家か?」

空気も読めないバカな俺は——
今までと何等関係のない話題を持ち出す。

たった今感じ取った不信感。
そうであればいいのにと願う、不安を、口にした。

名字は一瞬目をぱちくりさせて、


「いえ、洋平の家ですよ?」


なんて。

へらりと力のない笑みで、言った。


「………」

勝手に、彼女の家だと思い込んで来ていた。
ああ、そりゃこいつらつき合ってんだし、お互いの家くらい行き来してたって別に……

「あ、でも言っときますけど私、洋平の彼女とかじゃないですからね?」

——え?

俺が冷凍庫を閉めて、立ち上がって次は冷蔵庫、とか思ったとき。

「よく誤解されちゃうんですけどねー」

そんな言葉が耳を通った。


「……つ、つき合って、ねーの?」
「え?はい。幼馴染というか……」


多分最後の方の言葉は俺の耳には届いていなかった。


無意識に彼女の腕を掴んで、

床に押し倒した。

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