25歳、春(1話)
私たちは限られた時間を生きている。こうしているあいだにも時間はどんどん過ぎ去って行き、��今�≠ヘ��過去�≠ノなる。
『 離れない 』
そう言っていた君は
いま、元気でやっていますか?
25歳、春
― 25歳、春 ―
「……ふぅ。終わった」
時間を忘れて集中していたパソコンの画面から自身の腕時計に視線を落とすと、時刻は22時を回っていた。「これから行くのは悪いよね……」無意識にそうつぶいた私は、目の前のパソコンの電源を消し帰る支度を済ませてから、オフィスを後にする。社屋を出るとまだ肌寒い。春とは言えども、夜風は冷たかった。
「名前……っ!?」
「——彩子……!?」
寒いなぁと、両手を擦っていた指先の向こう側に見えた懐かしい面影——。時を経ても変わらないその姿に自然と頬が緩むのを感じた。
私の声に相手が、私本人だとはっきり認識したらしく「ちょっと〜久しぶりじゃな〜い!?」とブンブン手を振りながら、こちらへと駆け寄ってきた。彼女は高校時代、たくさんの思い出を共に刻んだ大切な友人だ。また、青春時代を��バスケットボール�≠ノ染めた、親友のひとりでもある。
忘れられない風景がある。
忘れられない風景がある。
そう言えば、最近は忙しい事を理由に連絡すらまともに取れていなかったことを思い出す。あれこれと互いの近況報告をしている最中、立ち話もなんだろうということになり、彩子からの提案で近くのBARに立ち寄る事にした。彼女は偶然にもこの近くで仕事の接待があったのだと言う。
「なに飲む?とりあえずビールでいい?私はカクテルにしよーっと」
「さっき少し飲んできたのよねー」と言いながらメニュー表を眺める彩子。そんな彼女の傍らで私は小さな液晶画面と睨めっこをしていた。先程から脳裏を掠めていた相手に向けて必死に文字を打ち込む。『高校時代の友達と会ったので今日は遅くなりそうです。また今度、遊びに行きます』そう文字を入力した後に私は、無意識に溜め息を吐いていた。フリック入力と言うやつは、どうも苦手だ。送信相手は約半年ほど前に知り合った、スポーツバーのマスター。連絡先を交換してからというもの、営業なんだかプライベートのつもりなんだかそこは分かりかねるがこうして『今日はお店来る?来れるなら終わったらそのまま二人で飲みに行こうよ』などと、お誘いの連絡が入る。
——送信。気付けば既に時刻は23時を回っていた。一日がまもなく終わる、そんな時間帯に、高校時代の友人と、こんな小洒落たお店でお酒を嗜んでいるなんて。私たちも大人になったなぁと苦笑いを浮かべつつグラスを手に取りそれに口を付けた。
「なによ〜? 先約でもあった?」
そう言って、私の左肩に腕を乗せた彼女に驚きつつも「ううん、大丈夫!」と私はスマホを急いで鞄の中へとしまい込んだ。
お店の雰囲気も相まって静かで穏やかな時間が過ぎてゆく。
「ホント久しぶりよね〜!赤木先輩たちの成人式ぶり?」
「元気してた?」と彩子が問う。「うん。彩子はどう?」と私が聞き返せば「見ての通りよ!」などと、何とも典型的な挨拶のようなやり取りが交わされる。そのとき彼女が不意に「あっ、そう言えば…」と、何かを思い出したように呟いた。
「アンタ、なんで来なかったのよー?」
「ん、なに?」
「なに?って……湘北バスケ部の同窓会よー!」
「えっ……?」
カラン——私の返事とほぼ同時に彼女のグラスの中の氷が、解ける音がした。それがやけに耳に響く。何となく気まずくなった私はグラスに口を付けて「仕事が忙しくてさぁ。ごめんね」と伏目がちにつぶやく。すると「そう」と、彼女もまたグラスを手に取った。昔と変わらず彩子の横顔はとても美しかった。
「じゃあ、仕方ないわねっ!」
しかし気まずい空気が一変、明るい笑顔を向けられる。ああ、この笑顔に私は、何度助けられたことだろう。あの頃と変わらない彼女の笑顔が、たしかにそこにはあった。
「えっと……あの。けっこう、集まってるの? その、バスケ部とかで……」
モゴモゴ語尾が窄まっていく私にフッと視線を自身のグラスに落としこんだ彼女がグラスに刺さったストローを回しながら「全然よ」と、言う。カラカラと氷のぶつかる涼しげな音が、心地よくその場に響く。
「みんな時間が合わないからねぇ〜本当久しぶりだったわよ?赤木先輩たちの成人式以来かしら」
人差し指を顎に当てて話すその仕種も、本当にあの頃と全く変わらない。「そ、そうなんだ」と平然を装って言葉を返し、少しずつ高鳴る鼓動に気づかないフリをして。出来るだけ、平常心で。
「……みんな、変わった?」
「えっ? 変わらないわよっ!」
間髪入れずに「変わるわけないでしょー!」と呆れたような顔をして彼女は、右手をヒラヒラと振った。
「桜木花道やリョータは昔のまんま!晴子ちゃんは、相変わらず可愛かったわぁ〜」
と、目を閉じて両手を合わせながらうっとりと演技するように話すその姿を見てその場の情景が一瞬にして、パッと浮かんだ。みんな変わらずにあの頃のままなんだなと、微笑ましくもなった。
「——あと、」
トクン……。不意に目を逸らしてぽつりとつぶやいた彼女の声に私の心臓が音を立てた。二人の間に沈黙が流れる。そのまま視線を合わせずに彼女が「三井先輩ね、」と言った。
久しく耳にしたその名前は、いったいどれくらいぶりに聞いただろうか。それでもいつ、彼女の口から出てくるものかと内心ドキドキはしていたけれども。
無言のままでいる私に慌てて「あ、ごめんね」と気遣う彼女に「ううん!いいよ続けて続けて」と、私は大袈裟に両手で先を促す。彼女はそんな私をチラと見やり「そう?」と、尚も遠慮がちに言葉を続けた。
「 三井先輩、結婚するらしいわよ。」
きょうは忙しかった。心身ともに疲れ果てた。朝から晩までデスクに座って打ち込むパソコンのキーボード。何度か連絡が入っていた彼の店には行けそうにない。帰って、早く眠りにつきたい。そんなことを考えて社屋を出た。そして予期せぬ親友との再会。久しぶりに会えて嬉しかったのは本心だ。誘いを受けていた相手にメールを送ったときの小さな罪悪感と、疲れた体に染み渡るアルコール。親友の口から飛び出す懐かしい仲間たちの名前と、蘇る数々の風景。ここ数時間で感じた様々な感情や感覚が一気に真っ白になった——、そんな表現が一番近い気がする。
私は目の前のグラスの中身を一気に飲み干してから「すみません、同じの下さい」と、グラスを静かにテーブルに置いた。
「そっかぁ……この世に居たんだねぇー、あんな破天荒な人を好きになる、相手がさ」
「……いるじゃないのよ、ここにも」
言葉に詰まる私。暫くして、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきたのでそっと顔を横に向けてみれば高校時代の親友がカウンターに頬杖を付きながら、きれいな顔で微笑んでいた。
「……たしかに。」
私は、観念したように鼻先で笑いながら呟く。間もなくして「どうぞ」と目の前に置かれた新しいグラス。それを両手でそっと包み込む。そして時間差で襲ってきた、彼女からの予期せぬ報告の内容の重圧にフッと情けない笑みが零れてしまった私は持ったままのグラスに口を付け、真っ白になった脳裏にまで染み渡るように、アルコールを喉へと流し込んだのだった。
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