13歳、春(2話)
13歳、春
― 13歳、春 ―
「寿ーっ!」
ガラガラーッ!と、騒々しく三年三組の教室の扉を開いた。授業がはじまる前の小休憩は、どの学年も賑やかで、激しく鳴り響く扉の音など誰も気にしていない様子だった。
「テメェ……」
「へっ?」
「敬称をつけろ、敬称をっ!��センパイ�&tけて呼べって、いつも言ってんだろーが!」
そう顔を真っ赤にして怒鳴っている彼の名は、三井寿。学年はひとつ上にあたる私の幼馴染だ。なにが敬称だ、えらそうに……。
「え〜?ずっと前から寿って呼んでたじゃ〜ん」
「そ、それは……っ!ガキの頃の話だろーが!」
「……はいはい。」
「……っ。……んで?今日は何しに来たんだよ」
早々に向こうが話題を切り替える。怒ってみたり優しくしたり、本当に忙しい男だ。思わず漏れてしまった溜め息。彼の周りを囲んでいた友人たちがそんな私を見て「お!名前ちゃんだ」などと声を掛けてくれる。いつからか私の名前を覚えたらしいその彼らに「こんにちはー」と軽く挨拶を返してから私も本題に戻った。
「私ね、バスケ部のマネージャーやりたいの!」
幼馴染の彼は「げっ」とでも言いたげに驚愕の表情を見せて目を見開かせた後すぐに怪訝そうな顔をして、その大きく開いた瞳を細めた。
「却下だな」
「瞬殺かーい!」
とはいえ、ノリツッコミは欠かさない。ねぇ、どーしてぇ?と猫撫で声で私が彼の肩に手を置きながら訊ねると、彼はその手をやんわりと払って溜め息混じりに言い放った。
「おまえなんかにできるわけねーだろ」
「武石中の名が廃るぜ、けっ!」と抑揚つけて鼻を鳴らす幼馴染。私は「な、なにィ〜!?」と大袈裟に頬を膨らませながら「幼馴染の美人マネージャーがいたら、ヤル気出るでしょ〜?」と、冗談ぽく言い返したけれど本音は��好きな人�≠�できるだけ少しでも多く近くで見ていたいという何とも不純な理由もオマケで付いているわけで。そんな乙女心など微塵も知らない私の幼馴染は、「余計なお世話なんだよ!」と叫んだ。しかし、すぐに「気ぃ散るわ」と、彼が頬をほんのり赤くさせながら言ったことで、私は少々、期待に目を輝かせる。
「えっ? 気が散るって?」
「……な、なンだよ」
「だっていま、気が散るって……」
「……っ、」
とくに中学生時代というものは流行りの漫画やドラマ雑誌などの影響を直に受けやすいものだ。おまけに中高生は大人に比べて自分本位な妄想や想像なんかも膨らみやすい思考にあると思う。
無論、このときの私もきっと、世間一般の女子中学生たちと同じで、そうだったのだろうなぁと今となれば、ぼんやりと思ったりもする。
気が散るのはもしかして私の事が……?なんて頭の中が一瞬にしてお花畑になったあの頃の私。なにかのドラマのワンシーンだったのだろうか、学園ものの両思いの王道シーンを妄想していた、そんなとき。
「危なっかしくてな!」
「ドジだしよ」と付け加えてケラケラ楽しそうに笑う幼馴染の声がそばから聞こえてきて、私はジト目で彼を一瞥した。先ほどの赤ら顔は、一体どこへやら……と、思いながらも私は大きく溜め息をひとつ吐いたのだった。
「ですよねー。やっぱりそうだよねー、だって、寿だもんねー」
「あ? なにがだよ」
「ううん、べつに? なんでもないよ」
少女漫画のような展開を夢見て期待に胸を躍らせた時間は瞬殺で過ぎ去り、私はもうひとつ溜め息を吐き散らした。
「そっか。そんなに嫌いなんだね、私のこと」
珍しくあっさりと引き下がって、あからさまに拗ねてしまったふうな私に「は?なんでそーなるんだよ」と今度は彼のほうが呆れたように盛大な溜め息を吐く。
「……いーから、早く二年の教室戻れ」
そう冷たく言って立ち上がった幼馴染の彼は、「つぎ、移動教室なんだよ」と、シッシのジェスチャー付きで私を払い退けた。「もう行っちゃうの?」と、金魚の糞のごとく、彼のあとを追って行く私。それでもなんだかんだ文句を言いながら結局いつも寿は、懲りることなく私の相手をしてくれていたように思う。
幼少期の私はやんちゃな女の子だったと思う。お父さんもお母さんも口数は少ない方で、とても真面目な両親だったけれど、もともと私はひとりっ子だったし、それこそ小さい頃なんかは友達と喧嘩をして泣いて帰ってきた、なんてことも多々あって、そのたびによく両親を驚かせたものだ。
明るい女子中学生だったと思う。あの日、お母さんが居なくなってからは、とくに——。
小学校三年生のときに突然、母が死んだ。自殺だった。遺書らしき物も特に見つからなかった。私は、お父さんと二人きり、取り残されたのだ。母が思い悩んでいた事にすら気づかず、そもそも母が死んでしまった事実すら、ちゃんと理解できない年齢だった、あの頃の私は。
あの日は、遅くまで友達と遊んで帰った日で。「怒られちゃうなぁ」とか思いながらも、急いで自転車を漕いで家路に着くとパトカーや救急車が自宅の周りを囲んでいた。
私と寿の住む街は目の前に海が広がっている。母はその海辺の死角になっているところで手首を切って亡くなっていた。と、ずいぶん後になってから聞かされた。なかなか帰ってこない母を心配して探しに出たお父さんが母を見つけたらしい。あの当時のことは、よく覚えていない。なんだか記憶が途切れ途切れなのだ。
お母さんの事があって寿と寿の家族がそれからずっと心身共に支えてくれた。私もお父さんも、本当に三井家にはお世話になった。感謝しても、しきれないほどに。
彼とは、家が近かった。だから二人の関係性を問われれば、迷うことなく幼馴染と伝えている。物心ついた頃から彼は、私の遊び相手だったし、お兄ちゃんだったし、喧嘩相手だった。
お母さんの事があって、元気でいなきゃって、みんなには、気を遣わせたらいけないんだって。明るいふりでいいから周りを笑わせるんだって。そう思って、ずっと必死に頑張って生きて来た。だけど、本当はすごく寂しかったし、とても孤独だった。
そんな私をいつも気にかけてくれて、笑わせてくれたのが彼、寿だった。落ち込んでいるときも怒っているときも、笑っているときも。いつも、変わらず側にいてくれた。
彼と一緒にいると、素直に楽しかったし、嬉しかった。幼少期から、小学校も、中学校もずっと一緒だった。たぶん、物心ついた頃から私は……寿のことが、好きだった——。
彼にとって私はただの幼馴染なんだろうけど。きっと、私の気持ちになんて気付いていないんだろうけれど。あの人は昔から究極の鈍感男だからバスケットしか見えていないってわかっている。
でも。ずっと寿を見て来た、だから分かるの。彼が最近、私を露骨に避けていることくらいは。
*
白いブラウスから、紺色のセーラー服に変わる衣替えの季節。教室も一気に秋を感じさせる雰囲気に様変わりする。
私はよく帰り道に、海に立ち寄る事があった。「目の前に海があっていいよね〜」と友人からは羨ましがられたりもした。だが、意味もなく足を運んでいたわけではない。私があの海に立ち寄る理由は明確にある。母に、会える気がするのだ。なんとなく、そんな気がしていたから。
今日は制服一枚じゃすこし寒いかもしれない。もうすぐ、冬が来る……。
風が吹いていて、潮風も冷たかった。けれど、どこか心地いい、そんな夕暮れの日。遠くからはどこかの学校の野球部の元気な掛け声がここまで聞こえてくる。
「名前?」
背後から名前を呼ばれた。その声に振り向くとそこには、汗だくの幼馴染が突っ立っていた。
秋の夕暮れは穏やかな反面、なぜか心を暗くもする。突然寂しくなったり、泣きたくなったり。こんな日は特にお母さんを思い出す。私にとってこの海には数えきれないほどたくさんの思い出が詰まっていたから。
「自主トレ?体力作り?それとも……自己満?」
その姿を確認した後、すぐに視線を海に戻して揶揄い口調で言うと「最後の自己満は余計だ!」と、大声を張ってムキになっていた幼馴染。そのまま「よいしょ」と口に出して隣に腰を下ろした彼が突如視界に入って来た。この横顔は、幼少期からまったく変わらないな。そんなことを改めて思い返したりして。小さい頃から憎らしくも整った顔立ちで、このまま今の彼を小さくしただけの彼の実家にある卒園時のアルバムの写真は、実は私のお気に入りの一枚だったりする。ぜったいに本人には言わないけれども。
「なにしてんだよ、こんな時間に」
「う、うん。考え事?……かなぁ」
「考え事? ふーん」
彼は、首に巻いていたタオルで汗を拭きながら「あっちー」とか「でも風が気持ちーわ」とか、独り言なのか、楽しげにずっと何か言っている。怒ったり笑ったり、相変わらずコロコロと表情が変わるやつだなぁと、そんな幼馴染の姿を私は、微笑ましくも横目に流し見ていた。
彼が側にいると、いつも温かいし、心地いい。けれど時折、苦しくなったり、嬉しくなったり。彼と一緒にいるといつも私は感情が迷子になってしまう。好きが故の乙女心。けがれを知らない、十三歳、秋——なんてね。
「……寿さ、湘北に行くって本当?」
「あっ?なんだ、知ってたのかよ?」
「うん。このあいだ、お父さんから聞いたよ」
「あー、親が言ったのかもな。そっか。まぁ俺は絶対に湘北に行くって決めてたからな!」
そう笑顔で話す幼馴染に告げなければいけない��さよなら�≠フ一言。きっと、彼の様子を見ればまだ知らないのだろうなと思った。自分から伝えずに、伸ばせば伸ばしただけ、もっと言いづらくなくなってしまうだろう。ならば、今この場で。
「私はさぁー、私は……神奈川出て行くの」
突然、沈黙が広がる。ややあって私が先に立ち上がると彼は「はっ?」と素っ頓狂な声を発して目を見開き、こちらを見上げた。
「で、出てくって、おまえ……。は? え?」
「それがさぁ〜お父さんの転勤が決まってねぇ」
「父さんの、転勤?」
「うん。だから三月にはここを出て行くんだー」
「……へ、へぇ。そ、そうなのか……」
「……。」
波の音だけが、ふたりの間を通り過ぎていく。遠くから未だ聞こえる相変わらず元気な野球部員の掛け声。
ずっと言えずにいた��さよなら�≠�、こうしていざ本人を目の前に伝えてしまうと更に現実味が湧いてきて一気に寂しさが込み上げて来た。思いがけず泣きそうになったのを隠すように半ば投げやりになって、このまま核心に迫ってしまおうと涙が落ちる前に、言葉を発した。
「——寿、私のこと嫌い?」
「……はぁ?」
案の定、予期せぬ私からの問い掛けに、間の抜けた顔で私の方を振り向いた彼に私はやや俯きながら言葉を続ける。
「最近、避けてるもんね私のこと……」
「——!そ、それはっ!!」
突如放たれた馬鹿でかいその声に驚きつつも、「何よ?」と目を細めて聞き返せば今度は不機嫌そうな表情を浮かべた幼馴染。そうして、気まずそうに私から目を逸らして、ぽつりと呟いた。
「……冷やかされんだよ、周りに」
「へ?」
「か、彼女だろって……、冷やかされんの!」
先ほどの不機嫌そうな表情は消え途端に今度は俯いて、彼は耳をほんのり赤くした。
「なに……、意識しちゃってたの?」
嬉しかった。相も変わらず減らず口しか出ないけれど、すごく凄く嬉しかったの。それと同時にほっとした。私はそんな気持ちを悟られないように、その後も「恥ずかしい奴!」などと彼を弄り倒した。
どうもあの頃は、素直になれなかった。思春期だったからとは言え、大人になるともっと多くのしがらみが増えるというのに。若い時は、素直が一番だよ!と、いまならきっと、十三歳の自分に助言してあげられることだろう。
私は、いつもの調子であかるく振舞って見せたあと、未だに俯いたままの彼の顔を覗き込んだ。懲りずに「やーいやーい、照れ屋」と尚も揶揄い続けていると、彼が勢いよく顔を上げ私と視線を合わせた。思わず私は息を呑む。
「意識なんてそんなもん!……ずっと前からしてるわ!」
「……!」
真っ直ぐに、意志の強い眼差しで私を見つめる幼馴染。「さっきまで、真っ赤だったくせに!」とか言ってやりたかったのに言葉が出てこない。私の心臓は急速にバクバクと音を立てはじめる。そして今度は私が、顔を赤くした。
しかし、そんな熱い告白のあと、お互いに何か核心に迫った��好き�≠セの��付き合おう�≠セのと言った会話をするわけでもなく、ただしばらくのあいだ、無言の時間が流れただけで終わった。
あの頃の二人は、お互いにどうしたら良いのか分からなかっただけかも知れないけどね。
ちょうど夕日が沈む頃「ホラ帰るぞ」と彼の左手が差し出されて自然と繋がれた少し熱の籠った幼馴染の手のひらの温もりに胸いっぱいの幸せを噛みしめながら一緒に家路に向かった。
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