第三話
月夜がくれた奇跡




「ねえねえ、桜木花道って何組か知ってる?」

翌日名前は久しぶりにチャイムが鳴る前に席に着いていた。そして自身の席の近くで何やら会話が盛り上がっていた男子のクラスメイト達に唐突に尋ねてみる。

「桜木花道?バスケ部の?」

ああ、そうそう彼はバスケットボール部だった。
思い出せずモヤモヤしていた気持ちが晴れた。

「そうそう、一年生でしょ?アイツ。」

そう言って残り僅かだった紙パックのコーヒー牛乳をキュルルルと一気に飲み干す。

「10組だよ確か、水戸と同じクラスだったはず」
「水戸?誰それ」

ただでさえ今日は覚えて持ち帰る課題が多いのだ。無駄な情報を吹き込まれると混乱してしまう。
名前は「ありがとう」とそのクラスメイト達に挨拶をしてスッと立ち上がり教室を出て行く。教室の扉に向かう途中、女子生徒に「どこに行くの?」と尋ねられ立ち止まる事なく「サボりに決まってんでしょ!」と吐き捨てて教室を出た。
一時限目の終わりを告げるチャイムが鳴るまで保健室で時間を潰し、チャイムが鳴ったと同時に1年10組へ向かった。

「桜木花道ってどの席?」

教室の入り口付近で話し込んでいた女子生徒の集団にそう問いかけた。

「…桜木?ああ、あそこだよ」

彼女が指さした席は空席で、あのトレードマークの赤頭の人物は不在のようだった。どこにいるのかと再度尋ねると「遅刻かサボりだろーね」と即答されてしまった。

そんなこんなで一日を慌ただしく過ごし、ようやく赤い頭を見つけたのは四時限目の終わりのチャイムが鳴った頃であった。廊下で見つけたその姿にすぐに駆け寄り彼の腕を思い切り引くと桜木の側に一緒に居た男子生徒4人組は突然の出来事に硬直していた。

「桜木花道、」

腕を引いて名前を呼んだ名前の姿に周りの硬直していた4人組がざわつき始めて直後に「ひゅーひゅー」とヤジが飛んできたが華麗にスルー。見えないフリよ、聞こえないフリ。

「あんたバス通?いつもあのバス停から学校来てんの?」
「…バス停?ああ、朝の話スか?」
「背が低い茶髪と、あんたよりは背小さいけど長身の黒髪の人と一緒に」
「ああー」

そう言って桜木が自身の手が届きそうな天井を仰いだところで、掴んでいた彼の腕を離してやった。

「あ!」

何か思い出したようにこちらを向いた桜木との思いがけない視線の交差に名前は咄嗟に少し身を引いた。この迫力よ……。

「りょーちんとミッチーのことか?」
「それそれ!!」

今度は急に声をあげた名前に桜木含む5人が反射的に全員で身を引いた。

「どっち!?」
「な、何がスか…?」
「黒髪の方の奴の名前と学年とクラス!!」

桜木に攻め寄り尋ねる名前に桜木は後退りをしながら答えた。

「ミッチー…だと思うが、…組なんて知らねえ」
「何年!?」
「三年。」

三井とやらの学年を答えてくれたのは今、私が尋問していた桜木ではなくその桜木の隣にいた黒髪リーゼントの彼であった。

「…な、何組か知ってる?」
「さあね、」

少々どもってしまった名前はリーゼントの彼に尋ねてみたが、その風貌に似合わず柔らかい笑顔を返された。

「本名は?」
「本名?」
「ミッチーってあだ名でしょ?だから名字と名前」

何故か急に恥ずかしくなった名前は声のボリュームを下げて「正式なヤツ」と付け加えてからそのリーゼントに問うと彼は

「ああ、三井寿だよ」

と、今度は困ったように眉を下げて笑って答えた。


その日の昼休みに、名前は屋上へ向かった。
扉を開けると青空と共にあぐらを掻いてこちらに背を向けたまま座っている男子生徒が目に入る。

「あ、りょーちんだ。」

名前の声に背を向けて座っていた男子生徒が首だけこちらを振り返る形を取り「誰?」と聞いて来たので、にっこりと微笑んで彼の元まで歩いて行って隣へストンと腰を下ろした。

「桜木花道の友達1号でしょ?」

そう言ったら「オレは先輩だしっ!」とムキになった彼に不意に溜め息が漏れた。桜木の交友関係に関わると無駄に疲れるのは何故だろうか。

「あなた名前は?」
「オレ?オレは宮城リョータ」
「朝、バス通でしょ?」
「うんそうだね、たまに乗るよバス」

焼きそばパンを頬張る宮城に「何でここにいるの?」と尋ねると「このまま午後サボろうと思って」と申し訳なさそうに言ったのでその柔らかい表情にどうやら悪い人ではないのだと認識する。

「一緒に居た桜木じゃない方の人のクラス知らない?」
「分かれば他の情報も」と付け加えるとすぐに「三井サン?」と返して来た彼に桜木よりも多少使えるのかも知れないと本能が感じ取った。

「3組だよ?確か」
「“散々”って覚えてたから」とケラケラ笑う彼に「なにそれ」と名前は口に出して返してしまった。そして彼からは、その三井サンの情報が次から次へと降って来る。

・バスケットボール部。
・三井の自宅はあのバス停の近く。
・元々はバスケ部だったが色々あって最近復帰。
・スタミナは無い。(悪口)
・短気。(悪口)
・ねちっこい。(悪口)

「会いたいならバスケ見に来れば?」

情報収集が終わった最後にそう言われたので名前は早速放課後、見に行ってみようと思った。

「その色々の部分が知りたいんだけど」
「そこ結構重要だよね?」と言った名前に対して焼きそばパンを飲み込んでからあからさまに嫌な顔を見せた宮城が

「いいけど… 100年の恋も冷めちまうぜ?」

なんて言うので「恋じゃなくてキューピッドの方なのよね」と呟く名前に宮城は目を丸くしていた。
そのあと三井のバスケ部復帰に至る生い立ちを説明されて、ロン毛だった事とか歯が抜けた事とか負けず嫌いな事とか。結果あまり可愛らしい性格では無い(笑)事に関しては名前には伏せておこうと名前は自身に固く誓った。
快く情報をくれた宮城に丁寧にありがとうと返した時ちょうど昼休みを終えるチャイムが屋上まで鳴り響いた。

名前が名前の家を訪ねたのは午後9時をまわってからだった。折しも雨が少し前からパラパラと降ってきて今日の路上ライブは中止にしようと思っていたところだったので名前の話を聞くにはいいタイミングだった。

「でさ結局、四時限目まで見つからなくて」
「うん」
「けど話のついでに名前を聞いた桜木の友人1の水戸洋平って奴が今日イチ断トツで好みかな〜」
「名前」
「あの最後の困った笑顔が良かったなあ〜」
「名前ってば!」

目の前にあったお菓子を口の中に放り込んでボリボリと音を立てたのち「何よ」と名前に言った。

「肝心な彼の情報はいつ出てくるの?」
「ああ、ごめんごめん!」

お菓子で汚れた自身の手を雑にティッシュペーパーに拭き取ると名前は、そのまま自分のスマホを取り出した。差し出された名前のスマホには両手をポケットに入れて椅子に背をもたれ掛けたまま目を閉じている彼が映っていた。

「午後から撮影したから数分だけど」

そのままスマホを名前に渡した。窓越しの彼の、一度接触した彼のリアルに動いている動画。名前は瞬きもせずにその動画を眺めていた。

「名前は三井寿。」
「ミツイヒサシ…」
「3年3組」
「…寝てるの?」
「んーん、何か頭悪いみたいよ?」

教室の映像から次の映像に切り替わると今度は体育館が映し出された。

「バスケ部らしいよ?三井」
「へえ、思ってたより綺麗な体育館だね」
「そう?ぼろいよ、うちの学校」

三井と一緒にバス停で見た赤い頭と小柄な茶髪の生徒も映り込んでいた。

『三井サンずりー!そーゆうとこスよエースになれねーのは』
『ああ!?宮城!このチビが!!』

「こっちの茶髪が後輩1の宮城リョータ。」
「宮城さん。」

『カーカッカッカッ!ミッチーなんかがエースになれるわけがあるまい!スタミナねーからなあ』
『てめーに言われたくねーよ!ファイブファールが!』
『…ンだとミッチー!』

「んで、こっちの赤い頭が後輩2の桜木花道」
「バス停の人たちだね」
「まあ大抵、部活中はこの三人でつるんでるみたいだね」
「へえ…」

ここで名前が動画の一時停止ボタンをタッチした。

「まあこんな感じ!まとめると…バカで短気?」

あ、言ってしまった。
まあいいか、フォローのしようが無いほど良いシーンを撮影出来なかったのだから、と名前は開き直って名前に笑顔を向けた。
結局その日の夜は激しく雨が降った。名前も一日中、校内を走り回ってかなり疲れていたらしく、いつもならもっとお喋りをするところなのに早々に切り上げて帰って行った。
名前は雨の音を聞きながら彼の事を思い返していた。

あの日…。
初めて彼を見た満月の日。
左足に着いていたギプスは…やっぱりただの怪我ではなかったんだ。あの時の胸の苦しみを少しでも聞いてあげることができたなら…。辛かったんだろうな。切なかったんだろうな。
そう、あの日の彼の姿を名前はここから見つめていた。
名前は名前にしか知らない三井のあの日の姿をそっと胸の奥の大切な宝箱の中に仕舞い込んで眠りに着いた。

 それから数日後、久々に続いた雨がようやく晴れて空は満点の星空で月がくっきりと顔を出していた。名前から貰った彼の動画を見ながら片手にはギターケース。傘を指して歩く彼の後ろ姿の映像を見ながら名前は家を出た。そしてバス停の前で立ち止まり青いベンチに腰をかける。動画が終わりまたリピートして見返す。
何度か動画を見返した名前はそのまま携帯電話を自身の真横にカタンと置き月を見上げた。彼を思いながら目を閉じた名前に自然と優しい音色と歌詞が舞い降りて来た。
ふう、と息を吐いた名前は閉じていた瞼を開きお気に入りの漆黒のギターケースを開いた。

『 ジャーン、 …♪ 』

静寂の中で鳴らしたギターの音色は思ったよりも暗い夜の中に鳴り響いた。海が近いからか無駄な雑音がないからなのか…いつもよりも鮮明に響く気がする。

「 〜〜♪ 」

鼻歌まじりに即興で奏でた音色に適当に英語で歌詞を付けて歌ってみる。

「So I decided to do Going to see now〜♪」

 うん、
 なかなかいい。

「And so long before yesterday willing to change Oh Good-bye days now to〜♪」

名前はギターを弾く手を止めた。
視線をギターの弦から足元に移すと、目の前に誰かが立っているのが視界に入り込んだのでそっと顔を上げてみる。

「……」
「……」

名前は一瞬心臓が止まった。
そこには先程まで携帯電話の中で昼寝をしたりバスケットをしていたミツイヒサシが少し距離を取って突っ立ってこちらを見ていたから。
右肩に掛けられているスポーツバッグの中身は彼の所属しているバスケットボール部の荷物が入っているという事が分かったのはつい数日前の話。そんな彼の片手にはバスケットシューズが持たれていた。

「こ、こんばんは。」
「お、おぅ…こんばんは。」

咄嗟にそう言った名前に対して向こうも反射的に挨拶を返してくれた。多少の沈黙が続いた後に彼が口火を切る。

「お前、あの時のだよな?」
「あ…うん、あの時はごめんなさい」
「あの時って…、ぶつかった日の事だよな?」
「私ちゃんと謝らなきゃってずっと思っていて」
「いや、俺の方こそジョギングの邪魔しちまって悪かったな」

三井は余っていた片手を後頭部にあてて申し訳なさそうに目を逸らした。

「ジョギング?」
「あんとき走ってたんだろ?」
「いや、あれは……」

そう言い掛けて俯いた名前に三井は少し焦ったように言葉を繋いだ。「いや!つーか…それはもういーんだけどよ」と言葉に詰まった後にまた二人の間に沈黙が流れる。

「…こんな時間に何やってんだよ」
「あ、歌おうと思って…駅前でよく歌ってるの」
「ああ、ストリートライブとか言うやつ?」
「まあ……そうなのかな?」
「さっき歌ってた曲いい曲だな、何ていう曲だ?」
「……、 まだ決めてないの」
「はっ?自分で書いたのかよ?」
「うん…」
「へえ〜!そりゃずげーな」

三井は肩に下げていたバッグを手に持ちかえて名前の方へ歩み寄って来た。

「そっちは?…バスケット?」

名前は三井の手に持たれたままのバスケットシューズに目線を向けて尋ねる。

「あ?…ああ、部活帰り」と返して三井はそのまま名前の隣に腰を下ろした。

「へえ、……かっこいいバッシュだね」
「え…、わかる!?」
「うん。」
「だよな!これ選びに選んで買ったバッシュなんだよ!」

三井は少年のような笑顔で名前の目の前にバッシュを差し出して見せた。

「やっぱいいよな?これ!」
「うん!」

名前も釣られて満面の笑みを返した。
名前は隣に腰をかけたままの三井の横顔をじっと見つめて居た。ずっと窓越しに眺めていた彼が今、目の前にいる。
現実か、はたまた夢か幻か。そんな感情の中で名前は彼の姿を目に焼き付けるように三井の横顔をずっと見ていた。

「……この辺に住んでんのか?」

急にこちらを見た三井に名前は咄嗟に顔を背ける。
「…うん、あの高台の家」と自身の自宅を指さした。

「へっ?あそこ?何だよ、それなら毎日通ってるぜ、この道」
「うん!知ってる」
「ふぅん……はっ?知ってんの!?…ああ、ずっと見てたってあそこからか?」
「そう、」
「なんか恥ずかしいよな、変な事できねーわ」

三井の目に映る名前は終始微笑んでおり柄にも無くそんな彼女の表情に三井はドキッとした。

「じゃあ私そろそろ帰るね」
「えっ、帰るのかよ?…そうか」

軽く頷いた名前は一緒に腰かけていた青いベンチから立ち上がり、ギターを丁寧にケースにしまい込んで三井と向かい合う姿勢を取る。

「じゃあ、」
「ああ…」

名前は高台の自身の自宅の方へと歩き出した。

「なぁ…!」

背後から聞こえた三井の声が名前にも届き、名前は素早く振り返る。

「今度行けたら行くよ、ストリートライブ」
「…行けたら行くとか言う人に限って来ないんだよ?」
「ハハ、…じゃあ夏休み入ったら絶対行く。」

その言葉に名前は笑顔でゆっくりと頷いた。そのまま彼に背を向け歩き出したあと、もう一度振り返ってみると三井が片手をぎこちなく上げたので自分も手を振った後、また彼に背を向けてそのまま走って帰った。

今日は久しぶりにあの駅で歌を歌うつもりでいた。しかし彼の事を思い出すと途端にメロディーが頭の中に浮かんできたので駅に向かう足を彼がいつも利用するバス停に向けた。
ベンチに腰をかけてギターを奏でていると、その憧れの彼が目の前に立っていたのだ。
もうライブどころではなくなってしまった名前はそのまま自宅へと引き返した。

今日も彼を初めて見た満月の日のように空は澄んでいて月灯りが優しく二人を照らしていた。






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