第六話
月夜の告白




名前は、ここ暫くの間カーテンで締め切ったままの窓の外にふと目を向ける。

 元気にしているのかな。
 バスケットは頑張ってるかな…。

「名前〜!ご飯〜!」

一階から母親の声が聞こえた。「んー」と一階まで聞こえるか聞こえないかのような声量で返事をしてから名前は仕方なく重い腰を上げて階段を下りた。

「おっす、名前!」

階段の途中で足を止めると目の前のダイニングテーブルに名前が座ってジュースの瓶の蓋を開けていた。程なくして父親と母親もキッチンからテーブルの方へ来たので名前もゆっくりと階段を降り切って席に向かう。

「この皿でいーすか?」

その声にキッチンの方を瞬時に向くと三井が名前の自宅の皿を持って立っていた。

「…よぅ、」

三井のぎこちない挨拶に名前はバタバタと階段をまた駆け上って行った。父親と三井が咄嗟に一緒になって階段の上を見やる背後から名前が呟いた。

「やっぱ無理じゃない?」

その言葉に父親と三井は溜め息を吐き、とりあえず四人は席についた。


 ― バタバタバタ… ―


物音も無い静かだった自宅に急いで掛け下りてくる足音が響き渡り四人で同じ方向を見やると先程、部屋着で登場した名前が小奇麗に私服に着替えていた。そんな名前の行動に母親と名前が目を合わせて笑った。その二人を見て名前は少し不機嫌な顔で席に着いた。

「…おじゃましてます。」

そう言った三井に目を合わせず名前は箸を持ち両手を合わせた。

「いただきます」

名前の声に他の四人も「いただきます」と、ばらばらに声を発して不思議な夕食の時間が幕を開けた。

「おい、お前は普段なにも食ってないのか?」
「◎△$♪×¥●&%#!」
「なに言ってるか全然わかりません」

父親と名前の他愛も無い会話。
これはいつもの光景だ。

「ひさし君、遠慮せずに食べてね?」
「あ、はい…いただいてます」
「お口に合うかどうか」
「いや、どれもめちゃくちゃ旨いス」
「お前本当いい奴だな」

これだ。
これは絶対におかしい、ありえない。
いつもの光景ではない。なんなんだこれ。

「…なんかおかしい」

名前の言葉に四人は箸を止めて名前を見る。

「変だよこんなの、誰が考えたの?」

一瞬にして気まずい空気が漂う。が、気を効かせた三井が咄嗟に会話を繋いだ。

「お父さんが…招待してくれたんだよ」
「お父さん!?お父さんが寿君と何を話すって言うの!?」
「そんなに怒んなよ」
「別に怒ってないけど…」

名前と三井のやり取りにまた異様な沈黙の時間が流れた。

「なんなの?なに企んでるの?」
「別に隠すつもりは無かったんだけどよ…」

そう言って立ち上がった三井は名前の目の前に行き一枚のチラシを差し出した。それを受け取り内容を確認した名前は三井を勢いよく見上げる。そしてすぐにまたチラシに視線を落とした。
そのチラシには『オリジナルソングをCDにしませんか?』との見出しが書かれていた。しかし製作費には2万円が必要とも書いてあった。

「どうしても、もう一回名前の歌を聴きたくて」
「…」
「けど俺、頭悪ィからこんなのしか思いつかなくてよ」
「これ…どうしたの?」
「部活の後輩が街で配ってんの貰ったみてーで」
「宮城さん?」
「へ?…あ、ああ。んで俺バイト…しようかなって」

三井を見上げた名前。三井は右手で後頭部を掻きながら照れたように目を逸らした。

「…その費用なら俺らが出してやってもいいぞ、なあ母さん」
「え、… 本当すか?」
「ええ、いいわよ」
「いや…でもそれは、やめておきます。これは僕が決めた事なんで、最後まで自分でやりたいんです」
「ダメだよ!」

名前の怒りの籠った大きな声に四人が名前を見た。

「寿君はバスケットがあるんだよ、だめバイトなんて」

三井はそんな名前の言葉に驚いた表情で名前を見下ろす。

「じゃあ…大人になって稼いだお金で返しに来い。」
「え?」
「俺と母さんに約束しろ」
「…はいっ!」

名前はちらりと父親を見た後また貰ったチラシに目を向けた。

「どうだ?CDにしないか、名前の歌を。」

三井の言葉に暫く沈黙が流れ、唇を強く結んだ名前が三井を見上げ大きく頷いた。

その日の帰り道、名前は三井と二人で外に出た。三井から少し遠回りをして帰ろうと提案された名前は嬉しくなって三井の自宅とは逆方向へと歩き出した。

「そこまで考えてくれてたなんて思わなかった」

少し先を歩く名前の言葉に三井は照れ臭くなって「いや…」と返す。

「ありがとね。」

最近こうして他人から素直に感謝を述べられた事などあっただろうかとふと考える。親にも周りにも迷惑ばかりかけていた二年間。誰かのために何かをしたいと言うボランティア精神を持って行動したわけではない。

ただ、彼女のために何かしてあげたかった。
それだけの事。
そんな事を考えながら三井は彼女の背中を見つめていた。

「私なんて本当にさ、私なんて」
「え?」
「私なんて、そんな事できないって思ってたし」

言葉に詰まった名前が踏切を渡り切ったところで何も言葉を返してこない三井を不思議に思い名前は足を止めて振り返った。
三井は踏切を渡らずに線路の前でずっと立ち止まっており二人は線路を挟んで向かい合う形になった。

「あれ?なんか私、悪い事言った…?」
「好きだ。」
「…」
「名前がそうゆーの抱えてたとしても。」
「…」
「夜だけ会おうぜ、名前は昼間寝て、俺はバスケして終わったら帰って寝て…それで」
「それで…?」
「太陽が沈んだら会いに行くよ」
「…うん。」

名前は込み上げて来た涙を隠そうと咄嗟に三井に背を向けた。溢れ出す涙を袖で拭っていると背後から三井の声がした。

「あ?どーした?」

名前の真後ろまで歩み寄って来た三井は名前の肩を無理やり自分の方へ向かせようとする。

「泣いてんのかよ?」
「泣いてないよ!」

名前は三井の手を振り払って線路の方へ足を向けた。

「泣いてんだろ!」
「泣いてないって!」
「ちょっと見せてみろよ」

しつこく揶揄う三井から逃げるように背を向けた名前は涙が零れ落ちないように咄嗟に空を見上げた。

「…泣くなって」

名前は三井に肩を掴まれ向かい合う姿勢になってしまう。三井の目の前には瞼に涙を一杯に溜めた名前がいた。

「…笑え!」

そう言って三井は名前の頬を両手で優しく引っ張って見せる。

「…ふっ、変なカオだな」
「ひどい、」

今度は三井が真剣な眼差しで名前を見降ろす。三井はそのまま名前の肩に腕を回し自身の唇を名前の唇と重ねた。唇を離したあと二人は微笑み合う。三井は名前を強く抱き寄せた。





「じゃ、お疲れさーん」
「えっ?三井サンもう帰んの?」
「なんだミッチー、根性ねぇなあ」
「うるせーよ、お前らはちゃんと自主練してけよ」

三井は部活が終わると早々に着替えて部室を出て行った。三井の背中を見つめていた宮城と桜木に彩子が声を掛ける。

「どうしたのよ?リョータに桜木花道。」
「彩ちゃん!」
「彩子さん…いやミッチー、もう帰りやがった」
「ああ…三井先輩ね。」
「最近は遅くまで自主練してたのになぁ〜、マジで勉強に励んでんのかな?」
「なぬっ!あのミッチーが?そんなん絶対ありえねぇ!」
「三井先輩、練習前にやってるみたいよ?」
「「えっ!?」」

宮城と桜木は同時に声を出した後すぐに彩子を見た。

「朝早くから練習までの間、自主練してるの流川が見たって言ってたから」
「クソ、ルカワ…!」
「へぇ〜…そうなんだぁ」





 ― ガチャ… ―

「ただいま」
「あら、帰ったの?ちょっと買い物行って来てよ」
「あぁ?…今から勉強すんだよ」

そう言って三井は玄関に立っていた母親の横を通り過ぎて自身の部屋へ向かうべく階段を登った。

「どうせ夜まで寝てるくせに!」

母親の声とほぼ同時に三井の部屋の扉が閉まる音がした。





― ピンポーン ―

 午後7時。
三井はいつものように名前の自宅のインターホンを鳴らした。

「おす!三井!」
「…何でてめーが出迎えんだよ」
「ここは私の第二の我が家だからね」
「なんだそれ。」

へへへ、と名前は軽く笑って見せたあと階段の方へ向かって声を上げた。

「名前〜!三井来たよ〜!」

名前の声にバタバタと階段を駆け下りて来た名前の手にはギターケースが持たれており、その物音に父親と母親も玄関の方へ出て来た。

「じゃあ今日もよろしく頼むわね?ひさし君」
「はい、ちゃんと4時には送り届けます」
「いってきま〜す!」
「なんでお前が一番元気なんだ?」

名前と父親のいつもの漫才にみんなで自然と笑い合った。そして三人は駅の西口へと向かった。最近ではこれが日課となっている。





「三井〜!」

バスケ部練習中の最中、体育館の入り口で三井の名を呼ぶ馬鹿でかい声が響き渡り部員が一斉に声のする方に目を向ける。

「てめっ…、練習中だバカヤロウ!」
「「あっ!!」」

宮城と桜木は体育館の入り口に立つ名前の姿を見て思わず一緒に声を上げた。三井はズカズカと彼女の元まで行き、ギャーギャーと赤面しながら文句を垂れている。

「りょーちん、あの方…」
「ああ、花道のとこにも来たのか?」
「来た、夏休み入る前に」
「俺のとこにも…やっぱ三井サンの彼女なのかな?」
「なにっ!?ミッチーにカノジョだと!?」

丁度練習も休憩に入ったので宮城と桜木は急いで二人の元まで走って行った。

「こんちは〜!」
「あ、宮城リョータじゃん」
「なんだよ、お前ら知り合いか?」
「ううん、三井の情報集めで世話になっただけ」
「三井サンの彼女だったんスね、やっぱり」
「ミッチー隠すなんて汚ねぇーぞ」
「…待って待って!私こんなん絶対彼氏にしたくない!」
「こんなんって何だ、こんなんって!」
「こんなんじゃん、どー見ても」

三井を指さしながらケラケラと笑う名前。顔を真っ赤にして怒鳴り散らす三井を見て宮城と桜木は名前が三井の彼女ではないという事実にホッ胸を撫でおろした。

「三井の彼女は夜行性なの、だから昼間は私が代わりに相手してあげてんだよ!」
「相手なんざ頼んでねぇよ!」
「夜行性?」

宮城の質問に名前が体育館の外に出て空を見上げながら目を細めて答えた。

「太陽に当たれないの、名前は。」
「タイヨウ…… ?」

今度は桜木が疑問を投げ掛ける。

「…三井サン、紹介してよ俺らにも!」
「あぁ?」
「なあ?花道♪」

そんな三人のやり取りを見ていた名前が宮城と桜木にこんな提案を持ち掛ける。

「じゃあ今日の夜、8時にバス停で!」

「へっ?」と宮城が聞き返せば「名前を紹介するから、必ず来てね!」と言って名前は三人に背を向けて走って帰って行った。

 午後8時。
宮城と桜木は名前に言われた通りバス停に着いた。暫くすると三人組の影がこちらに向かって来るのが見えた。その中の一番大きな人影が三井だと気づいた宮城は片手を高く上げる。

「三井サ〜ン!」

三井がそれに珍しく素直に返答をし、三人がバス停に到着した時名前が名前に二人を改めて紹介した。

「名前、こっちが宮城リョータ」
「はは、こんばんは〜初めまして」
「んで、こっちが桜木花道」
「はじめまして!」

宮城と桜木は名前に挨拶を返す。名前もペコリと頭を下げた。

「名前ちゃん?で、いいんだよね?」
「何で名前さんと名前さんみたいなのが友達なんだ?」
「…! うっさいよ桜木!失礼その発言!」

三井が会話を待ってから宮城と桜木に説明をする。

「名前、駅の西口でよく歌ってんだ」
「あ、知ってるよオレ!」
「あ?そうなのか?」
「結構有名だぜ?湘北では」
「そっか!うちの生徒ってあの駅の利用者多いもんね」

そのまま五人は駅へ向かった。
その日の帰り道、名前と名前が先を歩き今日のライブはどうだったとか、CDはいつ収録に行くだとか楽しそうに話していた。三井と宮城、桜木は二人の少し後ろから着いて歩き宮城が三井に問いかける。

「タイヨウに当たれないって、どーゆうことスか?」
「俺も詳しくはよく分かんねーんだけどよ…」
「夜行性って言ってたよな名前さん、」
「太陽に当たると死ぬかも知れねーんだとよ」
「そうなの!?」
「ああ、」
「なんとかなんねーのか?ミッチー」
「ならねーだろ俺、医者じゃねーし」
「名前ちゃん見た目は全然元気そうなのにね」
「バスケ、見せてやりてーんだけどなァ…」

そう小さく呟いて頭を掻きながらトボトボ歩く三井を見て宮城はふと立ち止まった。宮城が足を止めた事で三井と桜木も反射的に足を止めて宮城の方を振り返る。そして三井が宮城に不思議そうに問い掛けた。

「あ?どーした宮城?」
「いや…… 別に!」

宮城はまた二人と肩を並べて歩き出した。






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