いきなりの予期せぬ発言に言葉が吹っ飛んで彼女を見つめた。すると彼女は、桜の木の枝の上に立ち上がり、空を見あげて言ったんだ。
『ここから見る景色はいつもおなじなんだよね。色を変える空に、動く雲、道路を走る車、人の姿。』
「……」
『でも、あなたが居ると変わるの』
「え……」
『変わるんだよ。』
ゆっくりと俺に視線を戻し彼女はクスリと笑った。つぎの瞬間、躰に感じたことのない衝撃が走る。
(わからない?)
頭の中で、桜の木の妖精——彼女の声が響いた。
「待って、なんだよ——これ!?」
(あなたの中に入っただけ、あなたが居たら私は外の世界を知ることが出来るの)
「いや、ちょっと……」
(しばらく付き合って。私、いろんな世界を見たいしもっと、知りたい。)
「だから、待てって……!」
(一回こうしてあなたの中に入れたらすこしの時間はあなたがここに来なくてもそばに行けるから)
「いや——」
(だから、こうしてもいい?てか、しちゃうね!)
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺の意見は!?」
(だって、せっかく会えたんだよ?少しだけ!ダメなときは引っ込むから、ね? お願い!)
このあと俺は、なんだかんだとこの桜の精の彼女にうまく言い含められて「じゃあ、たまにならいいよ」と……納得させられてしまったって話。
結構(いやだいぶ)高飛車にものを言うこの桜の精とやらに圧倒されたというのが正しいかも知れない。でもこの高飛車な桜の精のおかげで俺は平穏な毎日をかき回されることになるなんてこのときは、まったく思いもしなかった。
*
波長を合わせてしまった日から彼女はことあるごとに俺のまえに現れる。
『やっほー!!』
兎にも角にもまず、テンションが高い。しかも見下ろし体勢。俺のまえでふわっと浮いたまま、我が儘の限りを俺にお願いしてくる。
時々、俺の便所まで覗くんじゃないかと気になって思わずそれを口にすると、顔を真っ赤にして怒った。
『いくらどこにでも現れるからって、そんなところ、ぜったいに覗きません!』
「そ? ならいーけど」
『ホント失礼な奴!レディに向かって!』
レディ、か——。彼女のその怒り方が妙に可愛いなと思ったのは言わないでおこうと思う。
「——で、今日はなにしたいの?」
『お酒飲みたい!どっかおしゃれな場所で』
「でも名前は飲めないだろ」
『だから洋平が飲んで洋平の中に入ってれば酔えるしお酒の味も洋平を通してわかるから』
そんなこんなで、気付けば一人でbarに居て飲んでいる。話し相手はもちろん彼女なんだけど。仮に誰かを誘ったところで、きっといまの状況は理解できないはず——ってことで、結局俺はひとりで行動するしかない。
彼女はすでに俺の中に入っていて、なんだかんだと会話をしているけれども、この光景って正直、やばいんだよなぁ……だって俺がひとりで話ながら歩いたり飲んだりしているんだからどう見ても��危ない奴�≠ノしか見えない。でも彼女はお構いなしに話しかけてくるし。ついつい釣られて俺も話し相手になっている。
今日はカウンター席をやめてマスターに話をつけ、角の席にしてもらった。
(美味しいね!お酒ってこんな味なんだぁ〜)
「そんなに美味しい?」
(うん、美味しい!私たちの桜の下で、これを飲んでたんだね〜)
「あ、まあ……」
(いつか飲みたいって思ってたから。お代わり頂戴)
「あ、ああ……うん、」
俺は彼女の言うままに、追加を頼む。花見にこんなバーボンなんか飲まないけどな……っていうのも言わないでおこうと思う。
「ねぇ、名前。」
(なに?)
「あの公園の中に名前みたいな桜の精って他にも居るの?」
俺がなんの気なしにグラスを傾けながらそう聞くと彼女は鼻を鳴らして答えた。
(あたりまえでしょ、あのね〜私たちが居ないと桜は咲かないし、存在自体がないのと一緒なの!)
「へぇ〜」
(あの公園の桜一本一本に、桜の精はいるよ。)
「……てかさ、なんでそんなに偉そうなの? 結構、高飛車だよね」
(仕方ないでしょ、性格なんだから諦めて)
「もっと優しい桜の精が良かったんだけどなぁ……」
(なんか言った?)
「いや、なんでもないです……。」
(私ほどの桜の木はあの辺りじゃ無いんだよ?だれ?失礼にもそこで酔っぱらっていたのは)
「……俺?でもさ、そんなの俺以外にもたくさんいたんじゃねーの?」
(でも、波長が合ったのは洋平だけだもん。)
彼女はぜったいに退かない。高飛車で頑固で意地っ張りな桜の精。でも何故かお願いを断れない俺。
グラスが進むにつれて酔いも回ってきて、ちょっとやばいなと思いはじめている俺に、まったく気遣いの一つもしようとしないで更にお代わりときたもんだ。
「もういーだろ、かなり酔って来たんだけど」
思わずそう言った俺に返ってきた言葉は——。
(え〜、もう?)
だった。もうって……おまえさ、どんだけ飲んだと思ってんだよ。
「じゃあ、あと一杯で帰るぞ、明日仕事なんだよ」
(は〜い。わかりました!)
……でたでた。高飛車なお返事だよな、まったく。
ちょっと千鳥足気味で店を出て、ふっと空を見ると頭上は、満点の星空だった。
「名前、星が綺麗だぞー」
何気なくそう言った俺に返ってきた返事は(今日は疲れたから帰る。また来るね〜)だった。
桜の精=高飛車にプラスで、マイペースというのを付け加えてやろう。
すっと俺の中から抜けたかと思うと、また見下ろすようにふわりと浮かんで彼女は言った。
『また、今度ね〜。すぐ現れると思うけど』
俺の返事なんか一切聞かないまま、夜の中に消えていった桜の精——。だけど彼女と俺のこんな関わりは俺の毎日を確実に変えていったんだ。なんせ、予告もなしに現れる。あるときは親友、花道の試合を応援していたら声がして、あるときは会社の休憩スペース。そしてにっこりと笑う。神出鬼没とはこのことだな。
桜の精って言いながらも、まるで登場の仕方は幽霊みたいだなと、どこかで思いながらも。