05
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「何見つめ合ってんだ」
傍らから飛んでくる声に、かるたは手元に落としていた視線をちらりと寄越した。
「合ってない。一方的に見つめてるだけ」
「大差ないだろ。いいから作業してくれ、おれたちだって延々とこんな作業したくないんだから」
「心臓に目はないよ」
ドクン、ドクンと等間隔に跳ねる臓器。"彼"の能力により生きたまま抜かれたそれは、薄水色の膜に覆われていて、精巧に作られたサンプルのようだった。しかし鼓動を刻むたびに、それは生々しく"持ち主"の生を訴える。
命は軽い。とても、とても軽い。
例えばいま、かるたがこの心臓にナイフを突き立てれば、"持ち主"はたちまち苦しみ喘いで死ぬだろう。仮に手元に心臓がなくったって、己の得物を相手の胸に正確に突き刺せば死ぬのだ。隣で心臓を麻袋に詰めているペンギンの命だって、そうやって簡単に奪える。逆に、ペンギンがかるたの命を奪うことも容易い。かるたたちは、その術を持っている。人を殺められる道具を、知恵を、常に持っている。
命を奪うのは、本当に簡単なことだった。
この"持ち主"も、なんの躊躇いもなく人を殺すような海賊だった。もちろん海賊であればすべからくそうであるとは思わない──現にかるたたちの船長は無駄な殺戮は好まないし、最近は音沙汰無しだが以前まで世を騒がせていた麦わらの一味なんかも、余計な殺生をしないタチであったとかるたは感じている──が、海賊は人殺しに躊躇いのない者たちばかりだ。むしろ、そうでなければ自分たちが殺されてしまうかもしれないのだから。
"持ち主"たちは、かるたたちがこの間まで停泊していた島の先客だった。島民相手に暴れ回り、多くの金品と命を奪っていたところ、後からやってきたかるたたちハートの海賊団が、さらに彼らからその命を文字通り『奪った』。
そろそろ折り返し地点に到達しただろうか。百に到達するまで、あといくつ集めれば良いのだろう。
目の前の箱に視線を落とす。袋詰めされたそれらは、ドクンドクンと生き物のように蠢いていた。これだけの量があると流石に薄気味悪い。気分だって悪い。いや、悪いどころの話ではない。"持ち主"たちの現在を、末路を考えるだけでかるたはえずきそうだった。ゾッと凍る背筋を誤魔化せなかった。目眩すらした。例えそれが、残虐非道な悪党たちのものであったとしても。──そんなことを言えど、かるたたちだって同じ穴の狢ではあるのだけれど。
両手から伝わる鼓動が、息づく他人を感じさせる。いま、自分は他人の生殺与奪を握っている。こんなにも近くにある。目の前にある。それが酷く気持ち悪いのに、かるたは丁寧な手つきで掬い上げたそれを、まるで目に焼き付けるように黙って見つめ続けていた。
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「船長、これからどうするんですか?」
「かるた、そこの電伝虫片付けておけ」
「って無視か〜い。いやギャグではなく」
華麗にセルフツッコミを入れるかるたにさらに無視を重ねて、ローは闖入者たちに向き合った。──彼らはかるたが先程出会った麦わらの一味、その残りの面子だ。麦わらのルフィを筆頭に、二年前シャボンディ諸島で相見えた面々がこちらへ向かってきていた。それも、何故か研究所の警備兵であるはずの茶ひげの背に乗って。何をこき使われているんだ、お前は。
小さく息を吐いて、そっと視線をずらす。少し離れた雪面では、ローとの戦闘に敗北した海軍中将、スモーカーの姿があった。はだけた制服から、左胸にぽっかり空いた穴が覗く。そこにあった器官は今、ローの手中におさめられていた。生かすも殺すも、そこにスモーカー自身の意思が加わることはない。
命は軽い。とても、とても軽い。
「……おい」
「アイアイ、キャプテン」
ローに急かされ、かるたは今度こそしっかり返事をする。それから、研究所の入り口付近に固められていた大量の電伝虫に近寄った。ローが能力で海軍から奪ったものだろう。確かに、これを放置すれば本部に連絡を取られかねない。
かるたはその前にしゃがみこむと、長いコートの裾を受け皿のようにたくしあげて、電伝虫を一匹ずつ入れていった。なるべく素早く、しかし寝ているところを起こさないように。
そうしてすべて拾い上げると、かるたは再び研究所内に戻っていく。氷漬けの死体の間を抜けて、先程麦わらの一味に破壊された扉を潜り、アーチ型の高い天井に覆われた通路をひたすら進み、奥へ奥へ。
「──あら、かるた」
「モネ殿」
ふいに名前を呼ばれ、顔を向けるとそこには薄黄緑のハーピーがかるたを見下ろしていた。かるたより目測五十センチメートル以上も大きい上、さらにはその羽で宙を飛んでいるのだから、かるたはこの数か月の間、彼女と目を合わせるたびに後ろ首が痛んだ。
モネはかるたの抱える電伝虫を一瞥すると、すぐに意図を理解して「こっちにいらっしゃい」と翼で優雅に手招きした。言われた通りに彼女の後を追うと、しばらくして一室に通される。そこでかるたはまた、一匹ずつ電伝虫を手で下ろしていった。仕事のない電伝虫たちは、軒並み瞳を閉じてスヤスヤと眠りこけたままだ。
「……まどろっこいしわね」
「だって寝てますし」
「可笑しなこと言うのね。虫相手よ?」
「虫でもなんでも、寝てる時に起こされたらストレスですよ。たぶん」
どこかうんざりした様子のモネだったが、かるたはそれに気付かない。最後の一匹を置くと、彼女はよっこらせと立ち上がりコートの裾を直した。それからベルトに括りつけたホルダーの上から、ダガーの存在を触って確認する。
海軍にこの場所が割れた。事態は確実に動き出す。戦闘は避けられない。此処にこれ以上留まることも、恐らくもうできないだろう。そうなれば、ローはシーザーの手中にある己の心臓を力ずくで奪い返すことになる。
かるたはちらりとモネを伺う。──だからきっと彼女とも、もう二度と会うこともなくなる。
モネの左胸にも、無慈悲な穴が空いていることをかるたは知っていた。そして、ローが握っているそれが彼女の胸に再び戻るとも到底思えない。
彼女は敵だ。同情など必要ない。けれど人間の心とは厄介なもので、敵とわかっていながらも数か月もの間共に過ごせば──無論、シーザーのように明らかに人間性のねじ曲がった相手はその限りではないけれど──少なからず情に近いものが湧いてしまう。
モネとは必要以上に関わらないようにしていたものの、例えばここを寝床に使っていいと案内された時。例えば作った料理に美味しかったと告げられた時。例えば何か──あるいは誰かに想いを馳せる、その寂し気な横顔を見た時。かるたは心を全く動かさずにはいられない性質であった。これはもう、治らないものだと自負している。
厄介だ。本当に厄介で、邪魔で、甘ったれている。──私は器用じゃないから、優先順位を付けて、本当に大切なもの以外は全部切り捨てていかないと、何ひとつ護れなくなってしまうのに。
「……じゃあ、私は船長捜しに行くので」
「そう」
モネに一言断りを入れて、かるたは退室する。嫌な気持ちだった。足取りも重い。眉間にしわが寄る。
(ああ、本当に私は、船長の言う通りだ。)
命は重い。本当はとても、とても重いもののはずなのだ。
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