子守唄
※ワンピースマガジンの小説に登場したキャラクター「ヴォルフ(ガラクタ屋)」が名前だけ出ております。
*
*
*
「眠れないの?」
寝間着姿で布団に座り込むおれと、同じく寝間着姿で小さな椅子に腰かけるかるた。ガラクタ屋に無理言って空けてもらったこの一人部屋で、おれは何故かコイツと二人でいた。というのもコイツが勝手に上がり込んだだけであって、決しておれが寝室に招き入れたわけじゃねェ。まだ照明も落としてねェから辛うじて見逃してやったが、次やったらお前はもれなく木っ端微塵だ。そんな意を籠めて睨んだって、コイツには通用しねェことくらいわかっているが。
「みんな心配してた。ローくん最近いつにも増して隈ひどいって」
「……そうか」
かるたの問いは間違ってはいなかったが、眠れないというよりは眠りたくないと言ったほうが正しかった。
──毎夜毎夜、声を上げて飛び起きる。新聞で『あの記事』を見た日からずっとだ。酷い寝汗に、息すら切らしていることもあった。その度にあいつらを起こしてしまうのもいい加減悪くて、部屋を変えてもらった。だが、これで魘される日々が改善されるわけでもねェ。一日を終えた体は、睡眠による休養を欲しているが、それでもおれは眠りたくなくて、とくに今日は一人なのをいいことに随分と夜が更けても部屋を明るくしたままだった。そこにやってきたのが、とっくに寝たと思っていたコイツだ。
「お前はさっさと寝ろよ」
「ローくんが寝たらね」
「……一日くらい寝なくたって死にゃしねェ」
「じゃあ私もそう」
「……お前が部屋にいると寝れねェだろ」
「出ていっても寝る気ないでしょ」
ああ言えばこう言うとはまさにこのこと。かるたは「困ったなぁ、辛いよなぁ……」と独り言ちるように呟く。その眉間には、能天気なコイツにしては珍しくシワが寄っていて、どこか悲しげに目が伏せられていた。他人事だってのに、かるたは本当に自分の心を悩ますのが得意だ。阿呆みてェな特技だと思う。こいつは、やさしすぎる。
「……あ! そうだ」
と思った瞬間、いかにも「閃いた!」と言いたげに声を上げたかるたに、先程までの思考がふっ飛んだ。閃いたというそれがロクでもねェってことぐらい、共に過ごしたこの三年間で裏は取れてんだ。思わず顔がひきつるが、かるたはそんなことも関係なしにニコニコとおれに告げた。
「子守唄うたってあげる」
「いるか!」
ほら見ろやっぱりだ! なんだ子守唄って! ナメてんのか!? 赤ん坊かおれは!
「遠慮しないで」
「してねェ! おれが何歳だと思ってんだ!」
「16なんてまだ子どもだよ」
「お前だって大差ないだろうが!」
「ほら、おやすみなさい」
両肩を押さえられたと思えば、そのまま体重をかけられた。これだけの体格差と力量差があるにも関わらず、寝不足でロクに疲れの取れていない体は易々と布団に倒れていく。やわらかい布団に体が沈んだ。──どんどん背丈が伸びていくおれに、ギブアンドテイクにうるさいはずのガラクタ屋が買い与えてくれたこの布団は、当時はでかすぎると思っていたが、いつの間にか丁度良いサイズとなっていた。
おれが抵抗するより早く、かるたはばさりと掛け布団を被せてくる。それから部屋の電気を消すと、暗がりの中で椅子に座り直して、すうっと息を吸い込んだ。結局歌うのかよ。だがもうやめさせる気も湧かねェ。一本歌えば満足して帰るだろ。おれは諦めて目を伏せ、わずかばかりの良心で聞いてやる体勢に入った。
「……つぅ〜きぃとぉと〜もにぃ〜〜、ねぇむぅれ〜やねぇむぅれ〜」
──そしてこいつの歌は、端的に言えばド下手くそだったのだ。
まず音程が明らかに狂っている。原曲を聞いたことはないが、これが曲として完成されたものであるなら作曲者の感覚麻痺を疑うレベルだ。罰ゲームだこんなのは。おれの。
しかも、おれを安心させようとしてるのか何なのか知らねェが、おれの腹あたりを布団の上から、歌に合わせてぽん、ぽんと軽く叩いてきやがる。それに合わせて、この地獄ソングが体に刻み込まれていくのを感じた。声自体と音量だけはまともなのは、不幸中の幸いか。
「あ〜さひぃが〜ふ〜んふふ〜ん、ま〜たぁ〜ふんふんふ〜ん」
その上、歌詞がうろ覚えと来た。歌っている本人は至極気持ち良さそうなのが全く腹立たしい。こちらは聞き覚えがないにも関わらず、崩壊具合がまざまざとわかる謎の民謡曲を聞かされているというのに。
──それなのに。おれの苛立ちとは裏腹に、どういうわけか瞼は次第に重みを増していく。
まるで魔法にでも掛かったみたいだった。古ぼけた天井が、ぐにゃぐにゃと輪郭を失っていく。かるたのよく伸びる下手くそな歌声は、おれにお構い無く続いていくが、それはどんどん小さくなっていき、しまいには歌詞すら全く判別できなくなっていく。
おれの意識は、そこで途切れた。
*
*
*
意識が浮上し、視界が90度回転していることにすぐ気がついた。それから、横っ面と耳にやわらかさとぬるい温度。指先で軽く触れ、それが何か確認すると同時に自分の眉間にしわが刻まれるのを感じた。
麦わら屋の船で、これからドフラミンゴと接触するであろう時に、易々と寝ていられるわけがなく。いつでも臨戦態勢に入れるよう愛刀を肩に掛けながら、甲板に腰を下ろし柵に背を凭れて眠っていたはずだ。つまり、こいつの膝に頭を預けた覚えなどねェ。大方こいつが、わざわざおれの体勢を変えさせたのだろう。何を勝手なことをしてんだ。それで起きなかったおれもおれだが。
耳が、かすかに音を覚えていた。
どこか遠くで、下手くそなあの子守唄が聞こえていた。
昔より低くなった声で歌われるのは、しかしあの頃と何も変わらず安穏で、酷く懐かしかった。
眠れる気などまるでしていなかったのに、しっかりと熟睡した頭は随分とすっきりしていて一点の曇りもない。
上体を起こして、ご丁寧に外され腹に乗せられていた帽子をかぶる。
おれはスヤスヤと眠っているかるたの顔に視線をやった。阿呆みてェに平和ボケした寝顔だ。その頭が図ったようにこちらへ傾いてきて、おれは仕方なしに肩を貸してやる。おれよりずっと小せェこいつに掛けられた体重は軽いが、触れた皮膚には少しだけ熱が籠る。ごく静かに寝息を立てるかるたは、まだしばらく起きそうになかった。
視線をぐるりとやれば、水平線の彼方から朝日が昇ってくるのが見えた。暗闇に慣れた目が少しだけ眩む。おれは朝の匂いを吸い込んで、瞼を閉じた。
──あの日見たのは、泣きたくなるくらいに穏やかな夢だった。
かるたが、ヴォルフが、ベポとシャチとペンギンが。おれのすぐ近くに、手の届くところにいて。おれを巻き込んで、笑い合ってる。
静かで、明るくて、平和で、おおらかで、楽しくて、凪いだこの海のようだった。
それは間違いなく、「幸せ」だったのだ。
あの頃、コラさんがくれたやさしさが、おれの荒れた心を凪いでくれた。
今も、かるたたちのやさしさが何度も何度も、無様に荒んだおれの心を凪いでくれる。
「……お前はいつになっても音痴だな」
意識の飛ぶ直前に聞こえてきた唄を思い出しては、喉が鳴りそうになるのを堪える。笑ったらその振動でコイツが起きそうだ。
おれの中に黒く重く息づいている心は、あの頃からずっと、少しずつ、ほんの少しずつ、塗り替えられようとしていた。
その度におれは駄目だ、それだけは駄目だと唱え、何度も黒く塗り直して、この想いを植え付け続けた。
それに決着をつける時が来た。その時に決心が鈍らねェように、お前らの一人でも死なせねェように、おれはお前らを置いて行こうとしたのに。お前は、こんなところまでついてきやがって。本当にはた迷惑で、自分勝手で、どうしようもないほどやさしい奴だ。
おれはコラさんの意思を継ぎ、彼の本懐を遂げる。そして、死んでもおれのことを護りそうなこの馬鹿のことを、絶対に護り通す。
太陽の光が海面に反射し、宝石のような輝きを放つ。途方もなく長い一日の、始まりだった。
←→
back
topへ