09








 真っ白で途方もなく長い、先の見えない道のりだった。降り注ぐ雪に負けないくらい、とめどなく溢れ続ける涙に阻害され視界は不明瞭。元々珀鉛病の進行や、どれだけ激しく慟哭しても足りないくらいの絶望を抱えていたものだから、フラフラとしていてまともに前も見れちゃいなかった。だからおれはあの時、雪に埋もれていたそれに気が付くことができず、見事に躓いてすっ転んだのを今でもよく覚えている。
 おれの呻き声と同時に、誰かの潰れたような悲鳴が聞こえて、おれは慌ててそこを退いた。真っ白な道だと思っていたそこが、小刻みに震えつつももぞもぞと隆起する。予想だにしなかった出来事に、止まることは二度とないとさえ思っていた涙はいとも容易く引っ込み、ただただその様を唖然と見つめるだけ。そうして、ようやく薄い雪の層から這い出たそいつの、ぼんやりと開いた瞳と初めて目が合った。
 かるたと出会ったのは、おれからすべてを奪っていった真っ白な世界の中だった。









 鎖に巻かれた体の其処此処が痛みを訴える。しかし時間が経ったおかげか多少は軽減しており、これなら問題なく動けるだろうとローは小さく頷いた。
 堅固なチェーンで宙に釣られた牢屋。収容されているのはローを始め、ルフィ、フランキー、ロビンの麦わらメンバー。そしてローの能力により精神が入れ替わったままのスモーカーとたしぎだ。ローはヴェルゴに、彼らはシーザーによって気絶させられ、一様に海楼石の鎖で動きを封じられて捕らえられていた。
 吹きさらしの檻の隙間から、吹雪と共に煙が入り込む。火元は地上で燃え盛る軍艦だ。先程フランキーがローに頼まれ、遠距離攻撃で燃やしたものだった。

「ゲホゲホッ! おいトラファルガー! こっちに煙来たじゃねェか!!」
「お前がやったんだろう」
「おめェがやらせたんだよ!!」
「ゲホ、ウェッホ! あははは、何やってんだよ!」

 ローの計算通り、風の流れで空中牢屋に流された煙は、彼らの動向を敵方の映像電伝虫から隠してくれる。「さて……」文句を叫ぶフランキーと笑いながら野次を飛ばすルフィを無視して、ローは腹筋に軽く力を込めた。海楼石の影響で体たらくなルフィを、模倣するように体の力を抜いていたローは、いとも簡単に上半身を起こす。そしてオペオペの実の能力で、自分の鎖の錠をあっさり解錠して見せた。

「!?」
「え!?」

 シーザーは牢屋ごと研究所の外に出し、殺戮ガスによってローたちを一纏めに殺す算段であったらしい。肉眼で監視できないところへ移動させるという彼の甘さが、功を奏した。
 ローがまとわりつく鎖をがしゃがしゃと外すと、ルフィたちは一様に驚きの声を上げる。ローに巻き付いている鎖も海楼石でできていると思い込んでいる以上、当然の反応だった。

「なんだお前、どうやって海楼石の鎖取ったんだ!?」
「なに、初めからおれのはただの鎖だ。能力で簡単に解ける」
「ええ!?」
「おれたちが何ヵ月ここにいたと思ってんだ」

 ローはいざと言うときにすり替えられるよう、研究所内に普通の鎖をいくつも紛れ込ませていたという。何かの間違いで自分が捕まった時、海楼石だけは避けられるようにと、周到に用意していたものだった。

「……そういえばトラ男くん、カルビは?」

 おれ"たち"という文言に引っ掛かりを覚えたロビンが、先程から気になっていたことを尋ねた。ローは一瞬口を閉ざしたが、表情は変えずに「さァな。だが敵にやられたと見ていい」と淡々と答えてみせた。面々の表情が、微かにこわばる。

「あら、そんなか弱そうな子にも見えなかったけれど」
「そりゃあそうだ。おれのクルーだぞ、そう易々と死ぬタマじゃねェ……だが、ヴェルゴと鉢合わせた可能性が高い。今ごろどっかで死にかけてるかもな」
「ええーー!?」
「さっきのサングラスの男ね。彼かなりの強者に見えたし……カルビ、瀕死のまま放置されてあのガスに巻き込まれてなければいいけど」

 「ヤメロ!」とどこからかウソップの突っ込みを空耳していると、ローを中心にライトブルーの膜が広がった。それから金属音とともに、体に解放感。見ればローが、能力で回収した己の得物を使い、ロビンを拘束する海楼石の鎖を断ち切っていた。同様にルフィ、フランキーの鎖も斬られ、一味はようやく自由を取り戻す。

「さァ……お前らをどうしようか」

 成すすべなく沈黙していたスモーカーとたしぎに、ローはおもむろに視線を向けた。スモーカーはたしぎの大きな瞳を険しく吊り上げ、たしぎはガタイの良いスモーカーの身に緊張を走らせる。

「少し知りすぎたな……お前らの運命はおれの心ひとつ」
「どうするかはもう決めてあんだろ。さっさと……」

 そこまで言って、スモーカーは──正真正銘、体も精神もスモーカーである男が、言葉を切った。「え」「あァ?」スモーカーとたしぎそれぞれが発した声は、それぞれの体から。ローを見ればなにか技を発動する──あるいは既にしたかのような構えを取っており、そこで二人は彼に施された精神の入れ替わりを、元通りに戻されたことに気がついた。

「……! きゃーっ!!」
「何を女みてェな声出しやがって、小娘が……」

 スモーカーによって身体の前部を豪快に露出させられていたたしぎが騒ぎ、スモーカーが呆れたように唸る。その二人が何度か言い合いを繰り返したが、ローはつまらなそうに、しかし邪魔することなく二人の会話に耳を傾けた。
 彼らの言葉の中にあった『ヴェルゴ』の名は、ローにとっても無視しがたい分子であるが、それ以上に彼は本来、海軍G-5……すなわち、スモーカーとたしぎの所属する基地のトップに立つ男であった。
 その男がシーザーと組んでいたのは、海軍を裏切ったからではなく、むしろその逆。彼は元々海賊であり、十五年にも渡り海軍に潜入、一から信頼を築き上げてきた。裏から情報を流すことも、海賊による「事件」を「事故」として処理することも自在。つまり、このパンクハザードに誘拐され捕らわれていた何人もの子どもたちも、表向きには「海難事故」として処理されていたのだった。

「……女のほうがいくらか利口だな。おい白猟屋、お前を助ける義理はねェが……」 

 海賊であるローに従ってでも、今自由を手にして部下の命を守り、ヴェルゴや子どもたちの問題と向き合わねばならない──そう主張したのはたしぎだった。スモーカーは海賊に命乞いすることに一時は反論したが、筋の通った彼女の発言に押し黙っていた。

「お前らが生きて帰ることでヴェルゴが立場をなくせば、おれにも利がある。ただしおれの話、ジョーカーの話については全てを忘れろ」

 そしてヴェルゴという男は、ローと最も因縁深い男──王下七武海、ドンキホーテ・ドフラミンゴの一味であった。彼は"ジョーカー"として裏社会に名を馳せるブローカーであり、ローはかつて彼の部下だったことがあるという。

「これは頼みじゃねェ、条件だ。"お前の命"と引き換えのな」
「なあトラ男!」

 低い声色で告げるや否や、割り込むようにそう呼んだのはルフィだ。眉間に皺を刻んだローは、煩わしそうにスモーカーとたしぎの鎖を斬りながら、そちらを振り返った。

「カルビ、ほっといたらまずいんだろー? なら先にアイツから捜そう!」
「……は? 何を言って、ってお前! 勝手に外に出るんじゃ……」
「あールフィにゃ何言っても無駄だぜ」

 フランキーが匙を投げたように手を振った。ルフィは牢屋の網を素手でこじ開けると、その穴を縫って勝手に外に飛び出してしまった。

「……! おい、聞け! どこにいるかもわからねェかるたを気に掛けてる時間はねェ! そもそも、同盟には関係ねェことだ。お前が捜す義理はねぇだろ!」
「なことねーよ! おれたちはお前と同盟組んでんじゃなくて、『ハートの海賊団』と同盟組んでんだからよ!」

 ニッシッシ、と歯を見せて笑うルフィに、ローは呆気にとられたように眉を寄せて目を見開いた。ぽかんと開いた口も塞がらない。
 ……まったく、勝手が過ぎる。あまりにも、風変わりが過ぎる。

「……調子が狂わされる」
「こんなモン序の口だぞ。それよりおれはサニー号をなんとかしてェんだが」
「ああ、勝手にしろ!」

 ルフィに次いで自由奔放なフランキーに、ローはやけになったように叫んだ。このガスの中にある自船を気に掛けるということは、何か策があるのだろう。鉄人サイボーグの名に相応しい、人間離れした策が。

「おういルフィ! サニー号のついでだが、カルビのことはスゥ〜パ〜おれに任せとけ!」
「おう、そっか! じゃおれたちは中に入ろう! で、どうやって入んだトラ男!」
「……」

 いよいよ頭痛を覚えるロー。とんとん拍子に進んでいると言えば、そう。しかし予定が大いに狂っていると言えば、それもそう。
 だがこれ以上時間を無駄にするわけにもいかない。ローは深くため息を吐いて、愛刀の大太刀を肩に担いだ。それから手持無沙汰の片手が、無意識に心臓のあたりを触る。

「あら、痛むの? さっき思いきり潰されていたけれど」
「いや、問題ねェ」

 覗き込むロビンにあっさりとそう返答した。決して嘘でも、強がっているわけでもなかった。心臓に攻撃を与えられてから、随分と・・・時間が経った。痛みはほとんど残っていない。
 脳裏に自分を見上げるかるたの顔がよぎる。──勝手に単独行動を取っておいて、長時間連絡も無し。あまつさえ、無様に敵に倒された。今お前はどこにいる。さっさと見つけ出して、全てを終えて、帰ったら──おれたちの船に帰ったら、一からしごき直してやらねェとな。

「かるたはそう簡単にはくたばらねェ。余計な心配は無用だ。おれたちはおれたちで行動するぞ、ニコ屋。反撃だ」
「ウフフ、一番心配してるのはトラ男くんに見えるけど」
「……」




back
topへ