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『思考を止めるな』
それは、共に航海を始めてからというもの、船長が常々私たちに言い聞かせてきた言葉だった。
『特にお前は世辞のひとつも飛ばしてやれねェほど馬鹿だ。だが、どれだけの窮地に立たされようと、意識がある限り考えることをやめるな。思考を回せ。打開策を探せ』
私たちが進むのは、かくも厳しい海賊たちの船路。どんなピンチに見舞われようと、自分の力ではどうにもならないと全てをなげうって、人任せにしてはいけない。自分の力で切り開き、そして他の仲間を自分が助けるのだと。そのくらいの気概をクルー全員が背負わねば、きっと到底、生きて先へ進んで行くことなどできやしないだろう。
現に、これまでそんなふうに窮地に陥ったことは、指折り数えていたらキリがないくらいにあった。十年という長い長い年月、海を旅し、いくつもの島々を渡ってきた私たちは、海軍はもちろん他の海賊団や、島を牛耳る柄の悪い輩、盗賊だの山賊だの、とにかくそういう人たちを相手に幾度となく戦ってきたのだ。
とはいえ。
『戦う』にも色々な種類がある。私たちが、真っ向から派手に敵と相対したことは、実は少なかった。
船長はとても慎重な人で、綿密な作戦を練るのも得意だ。旅の足が潜水艇であることからも分かる通り、私たちは表立って戦うよりも隠密に近い動きを主としていた。クルーの大半が顔を隠す装備をしているのも、見分けのつきにくい揃いのつなぎを着ているのも、その理由のひとつは船長と、それから見た目の特徴を隠しようがないベポを除いたクルーの「個々」を認識させないためでもあった。私達の中のほとんどが、政府に指名手配されたり懸賞金を掛けられていない所以だ。
──だから私は、あんなふうに見ただけで分かるような「格上」とサシの状態になったことなどほとんどなかった。あの場の私の判断が、本当に正しかったのか、自信もない。
だけどその答えは、次に目覚めた時の風景で決まる。そして私は、絶対に
戻ってこなければならない。それだけは、今の何よりもの「絶対」だった。
『──アイアイ、
船長』
私は今日も、身にしみて己の一部となった彼の教えを、忠実に守っている。
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絶え間なく続く振動があった。凍った体が徐々に溶けていくようなあたたかさがあった。
ふかふかの、毛足が長めの絨毯に身を投じているような気分だった。ただそれは妙な温度と動きがあって、例えるなら動物の毛並み。……ベポ? 寒いんだから、そんなに毛皮が出るほど薄着になったら……あ、違う。ベポは体温が高いし、そもそも毛皮があるからそう寒がりではないんだ。
違う。
今度の「違う」は、本当に「違う」だった。ようやく鮮明になってきた視界に広がるのは、見慣れた真っ白な毛皮ではなくて──
頭部に乗った、見覚えのある水色の帽子に、かるたは水分が抜けてガサガサにかさついた唇を小さく動かした。
「トニー屋、殿……?」
「お、気が付いたかカルビ!」
「かるたです……」と訂正すると、口の端が切れているのかじくじくと痛んだが、確認する術はない。かるたは最初に出会った時と同じく、タヌキのように丸々と巨大化したチョッパーに背負われて、施設内通路を駆け抜けていた。
「お前、雪に埋もれてたんだぞ。頭の出血も酷いし、凍傷になりかけてるし、体温もすげー下がってて……できる限りの手当てはしたけど」
「そ……か……船医、ですもんね……」
頭の軽い圧迫感は、確認はできないがおそらく包帯が巻かれているのだろう。モネに斬られた左肩も、コートの下で同じように布が巻き付けられているのを感じ取れた。ズキズキと嫌な痛みは続くものの、もう出血は止まっているらしかった。
一瞬、ほんの一瞬。
船に戻ったような安心感を覚えてしまったことに、酷くがっかりした。──早く船長と、私たちの船に帰りたいな。だけどここは敵地であると、かるたは今一度心の帯を引き締める。
「なあ、一体なにがあったんだ?」
「……船、長は?」
「トラ男は……」
チョッパーに答えることなく質問を返すかるた。明らかに言い淀んだチョッパーに、かるたは最悪の事態まで想定しながら次の言葉を待つ。
「予定通りおれと一緒に、シーザーの研究室を調べてたんだ。でもアイツ、突然胸押さえて苦しみだして……それで気づいたらおれ、ワープさせられてて、そこではぐれたままなんだ」
「そう、ですか……」
「アイツ、心臓に穴が空いてたんだよ! なあ、カルビはなにか知らないか!?」
「……それなら、
もう、ひとまずは大丈夫です」
「え? そうなのか?」
「ええ。心配はご無用。その点に関しては、船長は大丈夫」
「そ、そうか……お前がそう言うなら……」
かるたの要領を得ない発言に、チョッパーは毛に埋もれた太い首をかしげるが、あまりにはっきりとした物言いだったため、とりあえず納得した様子だった。
チョッパーは背負っていた青いリュックサックを、今はかるたの邪魔にならないよう前に抱えていた。その隙間から薬の類いや資料が見えるあたり、当初の目的はしっかり果たせたのだろう。
「それにしても、見つけられてよかったよ。おれ、その後どうしてもトラ男が見つけられなかったから、お前のニオイを辿ろうとしたんだけど、外じゃ吹雪のせいでなかなか鼻が利かないし……でも何でか見つけられてさ!」
「まあ……そうでしょうね」
「え?」
「いいえ、なんでも」
うまく聞き取れなかったらしいチョッパーが聞き返すが、今のは彼に向けた返答ではないのではぐらかす。こういう口が軽いところは、早く直さないと、と長年思っているのだが、なかなか上手くいかないものだ。船長を見習った方がいい。
チョッパーに背負われたまま、この数ヶ月で幾度も通った通路を駆け抜けていく。しばらく彼の動物特有の高い熱に触れていたことで、かるたの体にも少しずつ体温が戻ってきていた。そろそろ自力でも動けるだろうかと指先を動かしていると、チョッパーが口を開く。
「それでおれたち、どこに行ったら──」
『こちらD棟より、第三研究所全棟へ緊急連絡!!』
不意に突き抜けるように入った放送に、動いていた視界が突然止まった。音割れするほどの焦りを滲ませるそれに、チョッパーは高い天井を見上げる。「ぐえ」帽子をかぶった後頭部が当たった。
『ただいまトラファルガー・ローが「SAD」製造室へ侵入しました!! 繰り返します、ただいま──』
「!!」
「トラ男! やっぱり無事だったのか!」
チョッパーの安堵の声をよそに、かるたは目を見開いていた。図らずもローの安否を確認できた安心がひとつ。それから、彼がもう『そこまで』動いていることへの驚きがひとつ。
かるたはしばし逡巡したのち、チョッパーの肩をぽんぽんと叩いて口を開いた。
「トニー屋殿、いいですか」
「なんだ?」
「私たちの現在位置は、この第三研究所で最も広いB棟です。私たちはこれから、この先にあるR棟を急いで目指しましょう」
「え? そこに何があるんだ?」
「R棟には、この施設から直接海に脱出できる、唯一の通路があります。外は吹雪で視界も悪いし、雪に紛れ込める能力者もいる……かなり不利な状況ですから、そこからの脱出を目指しましょう」
「で、でもおれたち、子どもたちの安否が確認できるまではこの島を出ないつもりで、」
「子どもたち諸共の脱出です。恐らく船長も、周囲に味方がいればR棟を目指すよう伝えていると思います。船長はまだ……他にやることがあるので、猶予はあると思いますが、そうですね……短く見積もれば一時間。この場にいれば、命の保証はしかねます」
「なっ……なんだそれ!? トラ男のやつ、そのナントカ製造室で何するつもりなんだよ!?」
「『それ』が行われれば、どうなるかは我々にも分かりません。だから──」
「──チョッパーちゃあん!!」
かるたの説明を突如遮ったのは、甲高い叫び声だった。二人は声の発生源に、導かれるように同時に視線を向けた。
向こうから駆けてきたのは、幼い頭身ながら巨人族とも見紛う巨躯。大きな丸い目からは、比喩を含まない大粒の涙がこぼれる。ふわふわの天然パーマに、清潔で真っ白なワンピース──もとい検査着を纏った彼女は、シーザーの実験の被検体にされている子どもの一人であった。
「ごめんなさい、ゆうこときかなくてごべんなさい! たすけて!」
瞳を潤ませながら、地を鳴らして駆け寄ってくる少女。ずっと走り通しだったのか、息切れと疲労の色が強い。「トニー屋殿、」身じろぎしたかるたの意図を汲んで、チョッパーが彼女を背から降ろす。その間に少女は二人の元にたどり着いて、視線を近づけるように床に手と膝をついた。
「助けてチョッパーちゃん! おねえちゃん!」
「大丈夫だ、落ち着け! 何があったんだ?」
少女は大分混乱しているらしかった。体を震わせながら、なかなか言葉を紡ぐこともできない。
そんな彼女をなだめるチョッパーの傍らで、かるたは内心少し驚いていた。少女とは、最初に麦わらの一味と対峙した際に一緒に邂逅していたはずだ。あんな、明らかに「敵」としての出会い。しかし予想に反し、怯えられるどころか、チョッパーだけでなくこちらにまですがってきている。
そういえば、現在自分の顔には、普段常に身に付けているサングラスも帽子もなかったとかるたは思い出した。恐らく戦闘中に落としたままだったのだろう。腰のベルトに括りつけたダガーだけは、チョッパーが雪の中から見つけて戻してくれていたらしいが、出会った時とは違い素顔を晒している今、少女はあの時のかるたと目の前のかるたを別人と思っているのかもしれない。
「……ゆっくりでいいんですよ。まず息を吐いて、それからゆっくり吸ってください」
チョッパーに続いて、かるたは極力落ち着いた、平生より少し高い声でそう告げた。少女は動揺しながらも、かるたの言う通りに深呼吸し、チョッパーの蹄にゆっくり背中をさすられ、ようやく落ち着きを取り戻してきた。
「あ……あのね、私思い出したの! おうちに帰らなきゃって……! みかん色のおねえちゃんに助けてって言ったの、思い出したの!」
「!! そっか! ここまでよく頑張ったな! お前、えっと……」
「モチャ!」
「モチャか!」
モチャと名乗った少女は、これまでの経緯を話した。友達──他の被験者の子どもたちが、軒並み様子をおかしくしていたこと。『ビスケットルーム』にあるキャンディを食べれば苦しみから逃れられると聞いて、そこに向かっていること。一人正気を取り戻したモチャは、施設の大人たちを振り切ってその場から宛てもなく逃げ出したこと。
話しているうちに、地響きのような音がにわかに大きくなる。遠くから大砲のように、子ども特有の高い声がいくつも折り重なって届いた。しかしそれは決して楽しげな色を帯びてはいない。
「どうしよう、皆が来たんだ!」
「カルビ! 『ビスケットルーム』はどこか分かるか!?」
「B棟三階、ここを抜けた先です」
「ならここを通しちゃ駄目だ! 二人とも! そこの通路を塞ぐぞ!」
チョッパーの指示に従い、三人は慌てて近くの扉に駆けつけた。遠方から、白い衣服に身を包んだ大小さまざまな子どもたちが、こちらにドタバタと駆けてくるのが見える。三人は急いで、モチャでも易々とくぐれるであろうその両開きの扉を閉じて、ロックをかけた。
「抑えろ! ここで食い止めながら、作戦を立てよう!」
「うん!」
「ええ」
衝撃に備えて、三人は扉を手で抑える──その瞬間、ドン!! と辺り一帯が震撼した。扉から、床から伝わるそのパワーに、他二人より一回り以上も華奢なかるたは弾かれそうになるが、なんとか堪える。
「開けろー!」
「ここを通せ〜!!」
「モチャ! そこにいるんだろ!? まさかキャンディをひとりじめする気か!?」
扉を挟んで、ワアワアと少年少女が絶叫する。子どもながら規格外のパワーだった。体が大きい分だけ、筋肉量も骨量も多くなる。彼らが『人間兵器』としての実験を受けていたことを、改めて感じさせるには充分だった。
──シーザーにより町から誘拐された子どもたちは、全員が彼の実験台だった。毎日治療のご褒美に与えられていたというキャンディは、体を壊す薬だった。恐らく子どもたちは、このままでは大人になる前に命を落とすだろう。
かるたは施設の人間に情報を与えられていたわけではない。ローがどこまで知っていたのかは定かではないが、彼から何かを詳しく聞かされていたわけでもない。しかし、子どもたちに関するそれらを、かるたは元々なんとなく察知していた。していながら、ローの目的を最優先事項とし、首を突っ込むことをしなかった。
子どもたちの顛末に今さら胸を痛めようだとか、守ろうだとか、そんなふうに思うことはあまりにも虫が良すぎた。そうわかっていても、かるたはモチャの横顔を静かに見つめて考える。
(……船長なら、)
オペオペの実──"究極の悪魔の実"とも形容される、人智を越えたその能力。彼はかつて、その実の能力を自ら操ることで、一命を取り留めた。彼なら、薬漬けにされたこの子どもたちを助けることもできるかもしれない。
願わくば、この無辜な子どもたちが無事な姿で親元に帰れますようにと目を伏せて、かるたは残った己の"手数"があとどれほどだったかと密かに記憶を辿っていた。
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