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『心配なの。ローくんはすぐに無茶をする』
唐突だった。普段の腑抜けた顔を引き締めて、真面目くさった声色で紡ぐそいつに、おれは自分の眉間に妙に力が籠るのを感じていた。
『でも「無茶しないで」なんて言っても、ローくんはきっとする』
『なんで決めつけんだ』
『分かるんだよ。分かるの』
反射的に反論するも、何を根拠にか、そう断言される。出会った頃はほとんど変わらない目線だったのに、いつの間にかそいつはこちらを見上げるようになっていた。下からゆるやかに覗き込む双眸はしかし、それ以上の反論の仕方が分からなくなるくらい、一点の揺らぎもない強い瞳だった。
『だから私も、もっと強くなるね。ローくんを護れるように。ローくんと一緒に生きていられるように』
人間の「傷つけ方」を知らなかったそいつは、フライパンの似合う小さなその手で、いつの間にか人を「傷つける」武器も握るようになった。色々を試した末に、その手にまだ馴染んだのは短剣だった。おれは、そいつには戦う才能などないと思った。一片の気遣いもなしに、本人にそう告げたこともあった。だが、そいつはそれでも剣を手放さなかった。
それは誓いだった。願望ではない、そいつの目指す先を示した言葉だった。
『この先もし、どうしても無茶しないと前に進めない時があったとしても、私が絶対に護るから……』
おれよりずっと長い睫毛を伏せて、それからゆっくり開いて、濁りのない眼差しが、真っすぐにこちらを射抜く。
『だから、ローくんは安心して無茶していいからね』
そう言って笑ったそいつに眩んで、おれは返事の代わりに顔をしかめた。
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ガシャン!!
D棟SAD製造室に、重く痛々しい衝撃音が響く。高い天井に余韻が消えていき、ヴェルゴは手元で弾むそれをぎゅっと握り潰した。
「ぐあぁぁぁぁっ!!」
施設内の放送を聞きつけたヴェルゴは、一度己の手で下したローと再び相見えていた。だが勝敗はすでに見えている。柵に磔にされて悶え苦しむローを、ヴェルゴは悠然とサングラス越しに見つめた。──刹那、背後からの殺気。大きく状態を反らすと、視界が煙ると同時に、首のあった位置に巨大な十手が振りかざされた。
「……お前がどれだけあいつらと長く付き合っていようと、百歩譲って基地長だろうと!! 基地を離れりゃ部隊の命は隊長が預かってんだ!!」
ローとの戦闘のさなか乱入した己が部下、スモーカーが咆哮する。しかし二人の名のある能力者を相手取っていてなお、ヴェルゴの余裕は崩れない。
「おれの部下に手ェ出してんじゃねェよ!!」
激昂するスモーカーを横目に、ヴェルゴは得物の竹竿を握り直す。ローの心臓は、文字通りこちらの掌の上。スモーカーも、取るに足りない有象無象の一人──と言い切るには些か優秀過ぎる男ではあったが、ヴェルゴにとってはなんら脅威にはならなかった。
白煙が視界をふさいでいく。竹竿に再び覇気を纏わせ、煙を割くように軽く振るえば、スモーカーの身に重々しい打撃が入った。
自然系の能力者の実体を捉える武装色の覇気。ヴェルゴはその使い手の中でも桁違いの実力を有していた。的を増やすだけとなるスモーカーの能力は、あまりにも分が悪い。にも拘わらず、スモーカーは執拗に能力で煙を吹かし続ける。その白の中、僅かなライトブルーを視界が捉えた。
「シャンブルズ」
一度通用しなかった手が、次に成功する道理などない。
手中からローの心臓が消える。同時に、ヴェルゴは煙の中で竹竿を振るいながら月歩で間合いを飛び越えた。スモーカーのうめき声。能力で心臓を奪取したローにすかさず蹴りを入れる。スピードすら敵わないと、この餓鬼はいつになったら理解をするのか。
ヴェルゴは静かに失望を重ねながら、再三奪い返した心臓を強く握る。──歪んだ柵に凭れ掛かるローは、動かない。
「──?」
気絶をしたか? いや、それならもっと気配が断絶されるはずだ。
ヴェルゴは今一度心臓を握る。ローはやはり、顔を伏せたまま反応を見せない。
なんだ、この違和感は。
思えば、あの時からそうだった。研究所の通路で鉢合わせ、戦闘に入った時。あの時一度、確かに彼の心臓を潰したはずなのだ。しかしローは留まることも怯むこともなく、そのままこちらに特攻してきた。
やせ我慢をしていた? そんなことができるはずがない。人体の最重要器官ともいえる心臓を、潰されたのだ。
「……」
ヴェルゴは心臓を床へ落す。そしてとうとう、一切の加減をせずに竹竿を突き立てた。
床と竹先に潰され小さく跳ねる臓器。しかし、彼の思うようなひしゃげ方は、していない。押し返す力の妙な強さに、ヴェルゴは眉をしかめる。
この心臓を他者に明確に晒したのは、これで三回目。二回目はローを牢屋に閉じ込めていた時。そして、一回目は──
ヴェルゴは、研究所に踏み入る前に、雪上でローの部下と戦った時のことを思い出した。あの、取るに足らない、か弱く愚鈍な女。もはや相手取ることさえ莫迦莫迦しく思わせた彼女に、このローの心臓を見せつけた時──そういえばあの女は、やけに長く、わざとらしく、まるで
力でも込めるみたいに、心臓にその両手を触れていた。
「──あの時か……!!」
ビキリ、異形の化け物のように、身体中に仰々しく血管が浮かび上がる。その首に、背後から振られた太い十手が叩き込まれた。
ヴェルゴの巨躯が横に吹き飛ぶ中、全身を巡る血液が沸騰するような怒りが彼を襲っていた。
出し抜かれたのだ。あの愚かで、何もできない、戦士のなり損ないとも言えるような弱者に。事実、あの女からは傷の一つも負わされていない。
しかし彼女の残した一手が、今この戦況をひっくり返した。スピードも力も、技術の一つも敵わない圧倒的格上の自分が、今思えば単なる猿芝居で、不意を突かれたのだ。
あの女から搾れる情報を諦め、早々に殺していれば。牢に閉じ込めていた時に、そうでなくとも先ほど、ローの『苦しむふり』に気づいていれば。
「シーザー共々間抜けなもんだな。ようやく気づいたか? ──お前に、おれの心臓はもう潰せねェ」
厚い白が視界を覆う。忌々しい小僧の声がする。
一閃。
ヴェルゴの持つ竹竿が、細長く真っ二つに裂けた。
「確かに返してもらったぞ」
スモーカーの煙が晴れた先で、己の心臓を手中にしたローが、神経を逆撫でする不敵な笑みを見せていた。
*
「モチャ待て〜〜〜!!」
「キャンディよこせ〜〜!!」
所変わって、B棟三階ビスケットルーム奥通路。かるたは巨大な袋包みのキャンディを腕に抱えたモチャと共に、正気を失った子どもたちから逃げ走っていた。
「ハアッ、ハアッ、こっちでいいんだよね!? えっと、カルビおねえちゃん!」
「かるたです」
「かるたおねえちゃんっ? なんかっ変わった名前だね!」
「よく言われま……伏せて!」
巨大化した少年の一人が、しびれを切らしたように大きくジャンプして飛び掛かった。かるたが袖口から出した細長い紙を宙に張り飛ばすと、少年は弾かれたように後ろに倒れた。
「あっ……! お姉ちゃんお願い! 皆を殴らないで!」
モチャが脚を止めて瞳を潤ませる。かるたは顔を合わせず、モチャの手を引く代わりに彼女のスカートの裾を掴んで走る。
「お願い、みんなともだちなの! ホントはみんなとってもやさしいの! こんなことしたくてしてるんじゃない!」
「大丈夫……わかっていますよ。一瞬『壁』を作っただけ、大きな怪我はさせていません」
安心させるようにやさしい声色を作りながら、かるたは密かに眉を歪めていた。
──倒していい相手なら、ここまで苦労はしないというのに。
事態は混沌を極めていた。かるたはチョッパーに、少しでも長く子どもたちを食い止めるよう託し、その間にモチャと共に件のキャンディのあるビスケットルームへと向かった。子どもたちに狙われているキャンディ、施設の人間に狙われているモチャ。その両方を守りつつ、目的地の"R棟"を目指す算段であったが、ビスケットルームにて雪女モネと遭遇してしまったのだ。
さらにそこに、チョッパーの守る扉を突破してしまった子どもたち、彼らを追うチョッパー、途中で合流したゾロ、ナミ、ロビンが集った。麦わらの一味がモネを足止めしている間に、かるたとモチャはどうにか部屋を切り抜けてきたが、その後ろをキャンディを狙う子どもたちに追われているのが現状だった。
「とにかくこのまま走って! 全員をR棟へ誘導します! 仲間の誰かと合流できれば、キャンディを手の届かない場所に飛ばすなり、子どもたちを押さえるなりできるはずです!」
「う゛んっ……! あっ!?」
「!!」
二階に向かう階段を下る二人の足が止まる。被検体の子どもたちのうち、数人が回り込んでいたらしい。前後挟み撃ちにされたことを理解したモチャは、キャンディを抱える腕に力を籠めることしかできない。
「……貴方はギリギリまで下に降りてください」
「かるたおねえちゃん!?」
かるたは即座に階段の手すりに飛び乗り、それを踏み台にさらに跳躍した。戦闘経験は無いに等しいとはいえ、巨大化し膂力が増している子どもたち。その上、傷つけてはいけないという大きなハンデがある。一対多で、どこまでやれるか。迷っている暇はない。
先頭の子どもの両肩に手をつき、ロンダードの要領で小さな集団をひらりと躱す。着地と同時に、先ほどチョッパーから預かっていた注射器──子ども用の鎮静剤だ──を取り出して一人の腕に刺した。途端に子どもの動きが静かになる。かるたは続けざまに隣の子どもに鎮静剤を打とうとして──別の子どもの拳を頭に食らい、地面に倒れ込んだ。
「おねえちゃん!!」
モチャの叫び声が聞こえるも、身体が上手く動かない。脳震盪は起こしていないだろうが、何しろこれまで蓄積したダメージが短時間で消えているはずもなく。元々限界に近かったのを、無理に動かしていたのだ。
ヴェルゴに負わされた傷が再び開くのを感じる。チョッパーが巻いてくれた包帯に鮮血が滲み出す。痛い、グラグラする、吐きそうだ。
低い視界で、子どもたちがモチャの元へ向かってしまうのが見える。そのやわらかい脚に刃を突き立てれば足止めは容易だったが、モチャの懇願と、子どもたちの無垢な笑顔がそれを許さない。
思考を回せ。子どもたちにはもう、絶対にキャンディを与えてはならない。しかし前からも後ろからも、子どもたちがモチャを狙っている。仲間と合流するまで、子どもたちを傷つけずに時間を稼ぐには──かるたは倒れ込んだまま、口を開いた。
「キャンディをこっちに投げて!」
一か八かだった。もう「制限」はギリギリで、どこまでやれるか分からない。だがこのままでは確実にモチャは押し負けてキャンディを奪われてしまう。その前に彼女が大きな怪我を負うかもしれない。それは絶対に避けなければならなかった。
「かるたおねえちゃん……」
「早く!!」
「……ごめんね、」
は、と喉から呼気が漏れた。
モチャの謝罪は何に掛かっていたのか。考えるよりも先に悪寒が走り、そしてほとんど同時に、モチャはキャンディを無理やり己の口に含んだのだ。
あの巨大なキャンディは、中に小さなキャンディがたくさん詰まった「入れ物」だった。目測だが、その中身は被検体の子どもらの数の何倍も多い。それを、たった一人の子どもが全て体内に取り込めばどうなるか。
「モチャ!! やめろーっ!!」
追いついたらしいチョッパーの声が、階段の上方から聞こえる。しかし彼の制止もむなしく、モチャは細い喉を動かして全てのキャンディを飲み下してしまった。
モチャの体が崩れ落ちる。数秒して、彼女は激しく吐血した。
『──もうキャンディは誰にも食べさせないっ! みんなでおうちに帰るんだ!!』
あの扉の前で、三人で子どもたちを押さえていた時。チョッパーは、事のあらましを全てモチャに説明した。シーザーに騙されていたこと。子どもたちは皆病気などではなかったこと。日々与えられていたキャンディは、身体を壊す薬であったこと。このままでは皆、大人になる前に命を落とすということ。
黙っていれば、絶望させずに済んだ。しかし、知らないままであることに、子どもたちは納得しただろうか。きっと知りたいに違いない。そして、チョッパーの愚直で誠実な判断は、モチャの信頼を得た。
モチャは酷くショックを受けていた。しかしすぐに自己を奮い立たせ、友人たちと共に家に帰ると宣言した。心の強い子だと思った。それが、あだとなったのだ。
子どもが頑張っているのに、大人の自分が倒れている場合じゃない。かるたは四肢に力を込めて立ち上がると、チョッパーを抱きかかえていたロビンに声を張り上げた。
「ニコ屋殿……! 大きな『腕』を出せましたよね!?」
「え!? ええ……」
「その女の子の腹部に腕を回して……へその上で手を握ってください! それから、手前上方に突き上げるように圧迫して! キャンディが溶ける前に、ほんの少しでも吐き出させます……!」
「分かったわ!」
「トニー屋殿と私で、応急処置をします! ナミ屋殿も手伝ってください! 船長に合流できれば、必ず助けられる! だからそれまで……!」
「でも! 鎮静剤を打つチャンスも、子どもたちが怯んでる今しかないんじゃ……!」
「いやナミ! モチャの治療が先だ!」
医者のクルーかるたと、船医のチョッパーの意見は一致していた。しかし、現実的に考えればナミの言うことも無視などできない。圧倒的に人手が足りないのだ。どうする、どうする……。
にわかに床が揺れ出す。地響きにも近かった。かるたたちが顔を上げると、そこに飛び込んできたのは海賊顔負けの荒々しさを帯びた男たち──海軍集団と、彼らを先頭で率いるサンジだった。
「暴力はなしだぞ野郎ども!! 取り押さえろ!! 多勢には多勢だァ!!」
「サンジ!!」
「チョッパー!! 医療班がいくらか混ざってる、注射くらい打てるはずだ! こいつら使え!」
チョッパーの手から海軍へ、鎮静剤が移っていく。モチャからキャンディを吐かせていたロビンが、腕を操作して運搬係の数人の男らに手際よくモチャを乗せた。横たわるモチャの腹の上に、ほんのおもりにすらならない身軽なチョッパーが乗せられる。「オネーサン失礼するぜ!」消耗しきったかるたを見つけた海兵の一人が、彼女を横抱きにして走り出す。モチャとともに、この近くにある検査室へというチョッパーの指示だった。
回らなくなってきた頭で、かるたは考える。奇跡のようなタイミング。まさに渡りに船だった。いや、それにしたって、きっと麦わらの彼らは「持っている」のだろう。かるたにはそう思えてならなかった。
「……チョッパーちゃん……わ、たし、キャンディ……わたさなかったよ……」
モチャが絞り出した声は、今にも消えてしまいそうだった。チョッパーはぐしぐしと涙を拭って、明るい笑顔で答える。
「友達を護ったんだな、ありがとう……!! おかげでみんなウチに帰れるよ!! お前だって必ず助けるからな!!」
「うん……かるた、おねえちゃん……ゆうこと、聞けなくて、ごめんね」
「……!」
モチャの視線がこちらに滑り、彼女の横で運ばれていたかるたは目を見開いた。
「おねえちゃんが、みんなに殴られちゃったら……やだから……わたし、おねえちゃんのことも……ちょっとは、まもれたかな……?」
「……ええ、ええ。ありがとうございます、護ってくれて」
「う゛ん……おねえちゃん、も、まもってくれて、ありがとう……」
薬の作用からか、モチャの目からは生理的な涙がこぼれていた。しかし、それでもなお気丈に笑顔を見せようとする彼女に、かるたは絶対にこの子どもを助けなければならないと、再度その胸に誓っていた。
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