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『そんなこと私に聞くんじゃないわよ』
ずっと自分に自信が持てなかった。取り柄の一つもない、何もできない人間だから、自分なんかの考えより他の誰かの考えのほうが正しいに違いないと、いつも思っていた。
ちゃんと自分で考えなければならないことがあるとわかっていたけど、わたしはいつも他人に頼ってばかりで。決断を誰かに委ねようとしてばかりで。常に誰かの意見に、自ら流されにいこうとしていた。
責任の所在をずらしたかったわけではない、と思う。けれど、たぶん、わたしは「誰か」に近づきたかった。「誰か」になりたかった。少しでも「自分」から離れたかった。
『……ま、貴女の好きにすればいいんじゃないの。だって貴女、
あの時わたしが頼った彼女は、呆れたように、だけど決して失望することなく、見放すこともなく、薄く笑ってくれた。彼女は本当にやさしくて、いつもいつもわたしの背中を押してくれて。
──それでも結局、わたしは今も、武器を手放していない。それは決断したからか、それとも決断できなかったからか。それすらもわからない。
だけどわたしは、わたしが武器を握り続ける理由だけは、ちゃんとしっている。
*
ぐらり。クナイの柄尻を頚椎に叩き込まれた体が、小さく呻いてよろめいた。男の手から放された軽機関銃は、弾帯を揺らしながら奈落へと落ちていく。それを視界の端で見送りながら、真琴は白目を剥いた男の後ろ首をひっ掴むと、ヘリコプターの機内に力いっぱい引き倒した。
「っ!? 貴様何を──!!」
反対の扉に構えていたもう一人の狙撃手が、すぐに事態に気がついて手元の機関銃を真琴に向けようとする。しかし重さで一瞬遅れた分、真琴が右手に握ったままのクナイを放つほうが早かった。肩を刺された男の手から武器が落下し、派手な音を立てて機内に転がる。
「貴様ァァ!!」
間を空けずに操縦席の男の一人が立ち上がり、隠し持っていた拳銃を至近距離から真琴に向けた。真琴は次いで左手で得物を取り出すが、河上を騙すために作った手のひらの傷から全身へと痛みが駆け抜け、クナイを滑り落としてしまう。
「──っ!!」
鼓膜が痛む銃声。がくりとヘリコプターが傾いた。
右肩にはぜたような感覚、遅れて極度の熱と痛みが広がった。不安定な機体はすぐに持ち直したが、止まらない痛みと出血に真琴はふらりと膝を突く。その隙に、今しがた発砲したばかりの銃口を額に乱暴に押し当てられた。
──あ、死ぬ。
死ねる。
これで、ようやく……
『死んで本望なんて奴ァ、いねェんじゃなかったのか』
──ダンッ!
床についた両手から痛みが走る。身を低くしてかわした拳銃を、先ほど落としたクナイを片手で突き上げて弾いた。ほとんど同時に体をひねって相手の足を払う。
「ぐあっ!?」
転倒した男の頭を、握ったままのクナイの柄尻で強かに殴りつけ気絶させた。真琴はこれまで手を離すことのできなかったもう一人の操縦者に近寄ると、得物の切っ先を首もとに押し付ける。
「このまま低空飛行を続けて……殺されたくなかったら、わたしに従って」
「貴様っ……! 我らを裏切ったか!!」
痛みと緊張感で上がる息を、どうにか押し込める。
真琴は忍としての目を買われ、観測手のような役割を河上から与えられていた。そうでなくとも、忍の機動力を活かすには、だだっ広い平地を走らせ敵と正面衝突させるよりも賢い判断だっただろう。その気になれば、上空からの奇襲だってできるわけだ。
しかし、その真琴がひそかに奇襲を狙っていた相手は、同乗した浪士たちだった。ぎりぎりまで従順な姿を見せ、「彼ら」の位置を観測し──しかし、その「彼ら」への攻撃を妨害できるように、その命を護れるように。
『テメーもこの腐った世界に大切な人を奪われたか』
世界が嫌いだった。幕府が嫌いだった。憎くて憎くてやりきれなかった。
『決行は二日後。手筈もすでに整っているでござる』
だけど河上から
死ぬ思いで薬品庫に忍び込み、何かに使えればと薬をくすねた。実際にそれが功を奏し、偶然鉢合わせた山崎を河上の手から逃がすことに成功した。己の体を傷つけることも厭わなかった。
真選組のことを、嫌いではなかった。粗野で乱暴で怖くて、いい思い出なんかひとつもないけれど、それでも真琴にとっては、彼らが何者かに害われそうになるのであれば、護りたいと、そう思える人たちだった。
大きな外側を憎んだって、その内側には憎悪を向ける必要なんてない人がたくさんいた。
あの頃見ていた「幕府」は知らないが、少なくとも真選組の彼らは皆、彼らの信念のもとこの世界で足掻いている。
──真選組は、わたしの憎んだなにかじゃない。
「お見事でござる」
「!?」
背後の気配に気づいたと同時に、首の前に鈍く光る刀身があてがわれた。その声、特徴的な語尾。背筋を汗が伝う。
耳を澄ますと、別の男の声もする。先ほど仕留めなかったほうの狙撃手が、河上に連絡をするなりして
「実に鮮やかな手口であった。この拙者を欺くとは」
形勢逆転。真琴は指の一本も動かすことができなくなった。
河上が自分をここに乗るよう指示した含意は、なんとなく察していた。万が一「こんなこと」が起こった際に、真琴に逃げ場を与えないように。そして確実に居場所の把握ができるように。
「なるほど、己の手に穴を空けたか。どうりで、血糊を手に入れる暇などないと思っていたが」
雑な手当てしかしていない左手を、するりと掬われたと思えば強く握られた。傷穴が強烈に痛み、痺れと鳥肌が毒のように全身を巡る。再び血がにじみ出した。撃たれた右肩も未だ出血は止まらず、頭がふらふらとしてくる。
河上は脅すように、ほんの僅かに皮膚に刃を沈めると、再び耳元で囁いた。
「ぬしが逃した幕府の犬と、仕込刀を操る女が、ぬしのことを捜していた」
「……!」
山崎と雪のことに違いないと、すぐに理解した。何故雪までいるのかはわからなかったが、山崎が無事に生き延びていたことに、安息を覚えていた。しかし彼らが自分を捜しに来たことを考えると、息が詰まりそうで、相反する感情に体が混乱した。
「首を落とされたくければ、そのクナイを下ろせ」
「……」
真琴は従わなかった。このままでいれば、殺されるかもしれない。それでいいと、真琴はその運命を享受していた。どのみちこのまま生き延びても、帰る場所などないのだから。
「……残念でござるな」
首に当たる刀に力が入る。心臓が壊れそうなほどに脈を打つ。真琴は息を吸い込みながらそっと目を閉じ、そして──
ガシャアァァァン!!
「!?」
袖口に隠していたクナイを力の入らない左手で握ったのと、腹に腕が回り強引に後退させられたのと、ヘリコプターのフロントガラスが破られたのはほとんど同時だった。
透明な破片が宙に散らばる。操縦者が腕でそれを防ぎながらなにか叫んだ。割れたガラスの向こう、フロント部に乗っている男の、白い綿のような髪が、ゆらゆらと風に揺れる。
「よォ。さっきまで俺に夢中だったくせに、別の女とお空でランデブーですかコノヤロー」
大胆不敵、木刀片手に淡々と問うその侍に、首を這う刃のことも忘れて、真琴はただただ呼吸を奪われていた。
*
「オイオイ」
割れた窓から列車の外に出ていた雪は、怠そうな声色で曇天を仰ぎ見ていた。視線の先には、こちらを狙っていたヘリコプターの、その鼻先で動き続ける影が二つ──先ほど平地で別れた銀時と河上だった。
低い位置でホバリングしていたヘリコプターが再び動き出す。その直後、銀時のほうが押し負けた。鮮血を散らしながら土煙を割いて落下してくる彼に、雪は舌を鳴らして動き出す。──ほとんど同時に、ヘリコプターの中に、見覚えのある着物の女を認めた。
「あー、見っけ」
同乗する別の男に首を捕らえられていたが、雪はさしたる問題とは考えなかった。飛んできた銀時がそばに勢いよく転がったのも気にせず、彼女は線路を囲う壁の上に軽やかに飛び乗った。
強い風に煽られながら、ヘリコプターを見上げる。その先端から、何かが下に伸びていた。頑丈な糸のようなそれは、線路上で体勢を直す銀時の木刀へとつながっていた。なるほど、それを振り回してヘリコプターごと敵を落とそうという魂胆らしい。実に荒唐無稽で、荒々しくて、彼らしいと思った。
「白夜叉ァ!」
いつの間にか糸で──どうやら河上の持つ楽器の弦を、銀時は利用していたようだ──機体に縫い付けられていた河上が叫ぶ。彼の発した言葉は雪にとって聞きなれない単語であったが、それが銀時を指していることに気がつくのに時間は必要なかった。
「この女を助けたいのでござろう? 己が意思でぬしらを裏切り、拙者らもまた裏切った、この信念なき女狐を。今その剣を振り下ろせば、この女もただでは済まぬぞ!」
真琴を捕えていた別の男の手が動く。彼の手には黒い拳銃が握られていた。銃口をねじ込まれるように頭に当てられ、真琴は顔を歪める。
彼女は自力では逃げられない。河上を倒すために剣を下せば、真琴も同時に地面に叩きつけられる。あるいは、その前に彼女の頭が撃ち抜かれる。せいぜい賢い選択をしろと言わんばかりの布陣に、しかし雪は焦りのひとつも滲ませることなく、怠そうに首を回し、木刀を握る彼の腕に力が籠るのを見届けた。
「……ガタガタうるせェな。しったこっちゃねーよ、んなことは。テメーがそいつを語るな。そいつァテメーの手にゃ負えねェ女だ」
「おー、それァ同感だわ」
耳に届いた絞り出すような銀時の声に頷くと、雪は天に向かって声を張り上げた。
「オーイ真琴、んなとこで遊んでねェでとっとと帰んぞォ」
真琴の目が、驚いたように大きく歪むのが見えた。そこかしこに煙が上がり、首を圧迫されている状態で、ようやく雪の姿が目に留まったのだろう。二人の間に酷い温度差が生まれていることに気づきながらも、雪は依然としていつもの淡々とした調子で言葉を重ねていく。
「見誤ったなァ三角グラサン」
雪が懐から何かを取り出し、細い塀の上で片足を前に出して構える。その手に握られたものを視認したヘリコプターの男は、真琴に向けていた銃口を焦ったように雪に向けて、躊躇なく引き金を引いた。
「そいつァ、とびきり死にたがりの生きたがり野郎だよ」
耳を貫く銃声。真選組からくすねてきた手榴弾は、投げられることもピンを抜かれることもなく、彼女の手中に収まったまま。紙一重で俊敏に銃弾をかわした雪の、大矛盾を孕んだその言葉は、何よりも真琴の真理だった。
ゴン!!
鈍い音がヘリ機内に響いた。真琴が勢いよく頭を後ろに打ち付けたのだ。頭突きを食らった男の、拘束する手が緩む。その隙をついて腕から抜けた真琴は、寸分の迷いもなく四方にクナイを放った。
複数の呻き声。真琴を捕えていた男と、操縦者の男の体に、急所を外してクナイが突き刺さっている。同じく串刺しになった操縦盤が、異様な音を上げていた。
「な──!?」
「……今も昔も、俺の護るもんは何一つ、」
プロペラが回るごとに速度を落とし、完全にその回転を止めた頃。
「変わっちゃいねェェ!!!」
銀時の木刀が力の限り振り下ろされ、弦でつながったヘリコプターはそのまま勢いよく地面に叩きつけられた。