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 そんな光景が見られるなんて、思ってもいなかった。けれどそれは、もしもいつか見ることができたらと、口に出すことのない願いとして心のどこかにずっと在り続けたものでもあった。







 ボロボロのパトカーから飛び乗った車輌で、土方を筆頭に伊東と交戦していたさなかだった。突如起きた爆発に車体は揺れ、通っていた真下の橋梁が崩壊。数車輌分短くなった列車はそのまま半身を放り出され、橋の断面から中途半端に垂れている危険な状態となった。
 その最下部の車輌の中で伊東は、鬼兵隊みかたからの銃撃を受けた。──裏切られたのだ。彼がそう気づいた時にはもう、その体は奈落へ向かっていた。
 先の爆発に巻き込まれ、伊東は裏切りの報復とでもいうように右腕を上腕から失っていた。滑り落ちるさなか、残された片腕を、生にすがるように、あるいは迷子の子どものように、必死に伸ばしもがく。しかしすべらかな床板に掴まれるものなどなく、彼はなす術もないまま絶望の底に落ちていく──

「先生ェ!!!」

 ──すんでのところでその手を力強く掴んだのは、他でもない、彼に命を奪われんとしていた近藤その人だった。さらに近藤の脚を沖田が、沖田の脚を新八が、新八の脚を神楽が掴み、数珠繋ぎになって伊東の命を必死につなぎとめる。誰一人、その手を離そうとはしない。

「な、にを、しているか……わかっているのか……僕は君を……殺そうとした、裏切り者……」
「謀反を起こされるのは大将の罪だ。無能な大将につけば兵は命を失う……これを斬るは罪じゃねェ」

 近藤は迷いのない声で、即座に切り返した。

「……すまねェ、俺ァアンタの上に立つには足らねェ大将だった。元々ガラじゃねーんだよ、アンタのほうがよっぽど向いてらァ。……俺は隊士か死んでいくのを黙って見てるなんざできねェ。死兵なんて割り切ることはできねェ」

 その声色は徐々に震えを帯びていった。頭から流れた血で濡れた頬が、やわらかく持ち上がる。愛情をもたぬ者には決してできない、愚直な泣き笑いを、伊東は目の当たりにしていた。

「先生、俺ァ……兵隊なんかじゃねェ、ただ肩つき合わせて酒をくみかわす友達として、アンタにいてほしかったんだ。まだまだアンタにたくさん、色んなこと教えてほしかったんだ。先生……」

 伊東は呼吸の仕方も忘れ、彼の顔を見つめていた。いつでも豪快に笑っていた彼の、そんな顔を見るのは初めてだった。誰かにそんな顔を向けられるのは、初めてだった。
 ふいに破壊音が聞こえ、伊東はハッと息を呑んだ。近藤らとは反対に、垂直になった車輌の上へ上へと向かっていたのは二人。──朋子が刀で破壊した貫通扉を潜り、土方が外に飛び出した。

「何してやがる! さっさと逃げやがれェェ!!」

 同時に再び自分たちに襲いかかった銃撃が、間もなくしてすぐに止んだのは、彼のおかげに違いなかった。車輌の外で、土方の叫び声と共に再び派手な破壊音。近藤によって座席の上に引っ張り上げられた伊東は、後戻りするかのように躊躇なく下方に乗り出した。バランスを崩した体を、近藤が慌てて掴み支える。
 斬られたプロペラと、機関銃を乗せたヘリコプターが奈落に落ちていく。その手前で、刀を片手にした土方が、伊東に向かって跳躍した。

「おおおおおおお!!」

 彼の伸ばした手を、掴めるのはただ一人。

「……土方くん。君に言いたいことが一つあったんだ」
「奇遇だな、俺もだ」

 近藤らに体を支えられながら、伊東は決して離すまいとその手を掴んでいた。上方にいた朋子は、座席を伝って慎重に下りながら、彼らのつないだ手をただ、見つめていた。

「僕は君が嫌いだ」「俺はお前が嫌いだ」

 ヘリコプターの墜落する音が響いた。あちこちの爆音も未だ止まない。しかし彼らの言葉を邪魔するものは、何一つない。

「いずれ殺してやる……」
「だから……」


「「──こんなところで死ぬな」」


 重なった声が、一本の糸となって紡がれるように。好意なんて一欠片もない。嫌いあって、憎みあって、互いの本領を誰より理解しあって。彼らのいとは、そうやって確かにそこに存在していた。







「山崎ィ!! てめっ生きてやがったか!」
「ふっ、副長ォォ!! 様子が戻ったんですね!!」
「雪ちゃん!? なんでここにいんの!?」
「公衆トイレ探してたら道迷っちった〜」
「そっか〜〜〜ってんなわけあるかァァァ!!」

 土方の彼たる強い姿に山崎は感極まり、いけしゃあしゃあと言ってのける雪に朋子がシャウトした。
 あれから一同は座席を伝いながら、崖から落ちかけた車輌をどうにか抜け、橋の上の安全地帯まで登り切った。しかし、そこに再び待ち構えていたのは無数の鬼兵隊の浪士たち。万が一先程の爆破で敵が生き残っても、すぐに仕留められるよう配置されていたのだろう。動ける者は各々即座に得物を構えたが、さらにその奥から、どういうわけか突然飛び込んできたのが山崎と雪だった。

「なんで雪がここにいるアルか!」
「まさか雪さんも真選組を助けに!?」
「あーなんでもいいから手ェ動かせ死ぬぞ〜」
「ってギャアアア! 今完全に僕のこと狙ってましたよね!?」
「ねェ、銀ちゃんは!? 銀ちゃん見てないアルか!?」
「あーハイハイ無事無事さっき見た」

 答えつつ、雪はほとんどHPフル充電のその身で次々と敵を倒していく。山崎も疲労困憊の土方たちに代わるように、力の限り刀を振るった。彼らに触発されたか、他の者たちも今一度得物を握る手に力を籠める。
 そうして列車内の戦況が真選組の有利に傾いたところで、頃合いを見計らってその場を離れた者がいた。

「伊東さん」

 朋子がひとり自分のもとに駆け寄るのを、伊東は後方で座り込みながら呆然と眺めていた。返事も上手く返せないうちに、朋子は伊東のそばにそっとしゃがみ込む。

「……たかだか腕の一本飛んだくらいで、くたばろうってんじゃないよね」

 彼女には珍しく低い声だった。いつも笑顔な彼女の、表情が抜けたような暗い顔。その憤りには、間違いなく自分への憎悪が込められているに違いないと、伊東は考えていた。
 彼女は普段から腰に巻いているスカーフに手を伸ばして、するりと解いた。経緯は知らないが、彼女だけに与えられた腰のホルスター……拳銃が露になる。刀から現代の天人武器までそれなりに明るい自信はあったが、爆風で眼鏡を失った今は、痛みと煙で視界がかすんでいることもあり、その種類まで推定することはできなかった。
 朋子の手が、ためらいなく伊東の左肩に触れた。手袋越し、隊服越しであるにもかかわらず、彼女の体温を感じたような気がした。

『でも今は、しってくれてる人は少なからずいるから』
『何より、あたしのことはあたしがちゃんと認めてやってるんでね』

 朋子は強い人間だった。伊東からすれば、身を焼くような眩しさに感じられた。当の本人にその自覚がなかったとしても、彼女の言葉は伊東の心の箱に空いた穴を暴くようだった。
 ずっと一人だった。ずっと孤独だった。ずっと寂しかった。ただ誰かにそばにいてほしかった。
 一人だと思い込んでいた。いつの間にか孤独ではなくなっていた。寂しくなどなかった。そばにいてくれる人たちがいた。
 見て見ぬふりをしていた。愚かで臆病なだけだった。手の中にあった大事なものに気がつかず、握り潰そうとしていた。
 もしも彼女のようになれていたら、何かが違っていたのだろうか。

「……今はさァ、えらく上等な義手とかもあるらしいですね」

 鮮血がしたたり続ける上腕に、朋子のスカーフがきつく縛りつけられる。青い布地が血を吸って黒く淀んでいく中、彼女の言葉に伊東は目を丸くしていた。

「……君はまさか、この期に及んで、僕の……未来を、考えているとでもいうのか?」
「ったり前でしょ。貴方は死なない。死なせやしない。聞きたいこたァ山ほどあるし、それに……たっぷり溜まった借りを返してもらわにゃ割に合わないってね」

 わざと突き放すような、そしておどけた口調だった。彼女は自分の膝に手を乗せて立ち上がると、腰のベルトに引っ掛けていたらしい何かを手に取った。

「あとこれは、落とし物ね」
「え……わっ、」
「ったく、眼鏡キャラは眼鏡掛けててこそなんだから、しっかりしてくださいよ」

 強引に掛けられた眼鏡は、左のレンズにヒビが走ってしまっていたものの、視界が一気に明瞭になる。最後におまけのように額を拭われ、彼女の手袋が赤に染まったのを見て、初めて頭からも流血していたのだと気が付いた。
 見違えた世界は戦火に包まれていて、鮮やかとも美しいとも、とても言えない。けれどこちらを見据える、血や煤で汚れていた朋子の顔は、それでも凛と気高い。

「じゃああたしは加勢してくるんで。せいぜいそこでしっかり見ててくださいよ、伊東さん」
「待って、くれ」

 咄嗟に絞り出した声に、朋子は律儀に足を止めた。

「ひとつ……頼まれてくれるか。言伝を……」

 言わねばならぬことがたくさんあった。その中でも、この戦場にいない、もう二度と会うこともできないであろうあの少女への言葉だけは、今すぐにでも遺しておくべきだと考えていた。

「……あのに、」

 そのくせ、つい名前を伏せてしまった。列車内で沖田に言ったことが、そのまま自分に返ってくるなと頭のどこかで思った。しかしやはり彼女はそれが誰を指すのか理解したらしい──伊東が『あの』などと称する相手は、おそらく一人しかいなかった──朋子は「ああ、」と一つ頷くと、

「い、や、で、す」
「……!」

 一文字一文字強調して、台詞通り至極嫌そうに顔を歪めて答えた。

「やだよそんな面倒くさい。なんであたしが、貴方の言うこと聞いてやんなきゃならないんですか。"自分で"伝えてください」

 朋子はそれだけ言い残すと、異論は認めぬとでも言いたげにさっさと踵を返して行ってしまった。残された伊東は彼女の言葉を繰り返し咀嚼すると、すっかり赤みの抜けてしまった唇から「……ふ」とわずかな笑声を漏らした。

 クリアになった視界には、戦場がよく見えた。浪士共と戦う、真選組の姿。その中で、自分のめいによって始末されたと思っていた山崎の姿も鮮明に映った。誰かに助けられたか、それとも自力で生き延びたのか。わからないが、驚愕よりも、安堵に近い感情が今は生まれていた。
 虫が良いと思われるだろう。けれど一度死の淵に立たされた伊東は、真選組で得たつながりが何よりも大切で、愛しいものであったのだと、ここまできてようやく気付いた。
 ふいに、彼と同じ監察方の、自分の腹心の男が気掛かりになった。篠原は、まだ生きてくれているだろうか。今まで、ただの双方の利でつながった仲だと思っていた。そう信じて、自分が傷つかないように一定の距離を保っていた。けれど思い返せば、彼のことはたぶん、誰より信頼して、気を緩めることのできる相手だった。それは篠原が本当に、自分を心底信頼し尊敬してくれていることに、心のどこかで気づいていたからなのだろう。
 彼の姿が見たいと思った。また、やりたいことが、言いたいことが、この期に及んで増えていく。欲を止めるすべがわからない。
 刀を握りたい。立ち上がって皆と共に戦いたい。なぜ自分はこんなところに力なく座り込んでいる。なぜ刀も、それも握る腕もない。なぜ仲間が戦う姿をただ眺めている。なぜ、なぜ──

 ──プロペラ音が近づいてきたのは、その頃だった。
 座席の脇に凭れるようにして座り込んでいた伊東は、割れた窓越しに外を見やった。低空飛行したヘリコプターから、機関銃を持った男が姿を現す。
 心臓が、ドクリと跳ねた。

「!! 伏せろォォォ!!」

 土方の叫び声が聞こえる中、考えるより先に体が動いていた。
 隻腕を床につき、弾けるように立ち上がって車輌内を駆け抜ける。狂った平衡感覚の中で、痛みや熱に侵された体で。伊東は咄嗟に地に伏せた皆の前に、片腕を広げて立ちはだかる。

「いとっ────」

 朋子の声にならない悲鳴が、どこか遠くから聞こえた。





「……あ、れ?」

 頭を押さえて伏せていた新八が、おそるおそる顔を上げてぽつりと呟く。

 銃弾の雨は、降ってこない。

 たった一人、自分達の盾になるように立っていた伊東の、黒く細い背中。その奥で、ヘリコプターの男の手から火器が離れるのが見えた。先程までの脅威は重量に従って、実に簡単なことのように奈落へと消えていく。手持無沙汰になったその男は、屈強な身体を後ろにくらりと傾かせるや否や、機内のほうに吸い込まれるように倒れていった。