かぼちゃサラダ

 一段上がるたびにコン、コンと下駄が鳴る。その回数に合わせて、心拍数が一つ、また一つと増していく心地だった。それをどうにか乗り越え、扉の前に到着すると、二度ほど深く深呼吸をしてからインターフォンを押した。

 「はーいはいはい」ピンポーンと安っぽいベルののち、お店の奥から怠そうな低い声と足音が近づいてくる。手元の器を持つ手が妙に汗ばみ、うっかり落とさないように力を入れ直した。

「あれ? アンタ下の……」
「こ、こんにちは」

 そうこうしているうちに扉が開かれ、現れたのはふわふわで真っ白な、蒲公英の綿毛みたいな頭をした男の人。彼とはもう何度か会っているが、そのうち、こうして自ら会いに来たのは二回目だった。
 ここ『万事屋銀ちゃん』の店主、坂田銀時さん。いつも眠そうで気だるそうで、なんだか掴みどころのない人。腰に下げた木刀が、この廃刀令のご時世において、浮雲みたいな彼の不思議さを際立たせていた。わたしはまだ、彼のことを何も知らない。

「何? 家賃ならこないだバーさんに血も涙もなく取り立てられたばっかりだけど」

 いつも着物を片肌脱ぎしている彼は、さらに残った左腕を袖から抜いて、懐手にしている。怒っているわけではなさそうだけど、自分より背が高いことも相まって、少しだけ圧を感じて、足が後ろに下がりかけた。なんとか堪えて、「あ、いや、別にお登勢さんのお使いとかじゃ……」とだけ返す。

「ふーん。てことはじゃあ、それ、俺に?」
「えっ、あ、」

 それ、と彼が目線で指したのは、わたしの手元にある瀬戸物の器。そして彼の言うことはまさにその通りで、これは好機だと器をおずおず差し出した。

「あのー、作りすぎちゃって、もし、よかったら……」
「え、何、ホントにお裾分け? いいの?」
「あ、えっと、嫌いじゃなければ……かぼちゃのサラダなんですけど……」
「いやいやいやありがたくもらうわ。いやー今食費もカツカツでよォ、もやし以外のモンに飢えてたんだわ。いやーやさしいじゃん徳川田さん、マジありがとう」
「いや徳川田じゃないんですけど」

 あれ、お二階さんだしってことで、わたし前にも名乗ったよね? 忘れられてる? っていうかもやし以外もどうにか食べようよ。そんなにお金ないの? この人大丈夫? そういえばお登勢さんも「家賃もロクに払わんパチンカス」とか吐き捨ててたような……万事屋はあまり儲かっていないのだろうか。
 彼はどろりとした瞳を心なしか輝かせたようにして、私が両手で持っていたサラダを大きな片手で受け取った。一瞬手と手が掠めて、びっくりして変に心臓が跳ねた。幸い彼はわたしの様子に気が付いていないようで、ラップ越しに中身をまじまじと見つめている。少ししてから、色の薄い唇を再び開いた。

「レーズン?」
「ああ、レーズンと、あとリンゴとか入ってて、わりかし甘口方面の……」

 あ、しまった、と思った。よくわからないけど、大人の男の人って甘いものはそんなに好きじゃないのではないだろうか。むしろおつまみみたいに、しょっぱくてお酒に合うものとか、肉肉しいボリュームのあるもののほうが好きのではないだろうか。

「す、みません、甘いもの嫌いでした?」

 どうしよう、今さら突き返されたりするかな。そんなこと考えてもなかったから、わりとショックが大きい。だけど結局それは杞憂で、「いやスゲー好き」と淡々と返してくれた。スゲー、って言ってるあたり、多分気を遣ったのではなく本心なのだろう。ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、彼はサラダに落としたままだった視線をぱっとわたしに向けて、

「スゲー大好きだから、今後ともどうぞよろしく」
「ぐ、え、はい、」

 変なこと言うから、咳き込みかけた。
 いや、そんななんか、告白みたいに言うのやめてもらえませんか。分かってるけど、今後も余ったらぜひお裾分けしてくださいって言ってるのは分かってるけど。っていうか遠慮なし? いや、別にお裾分けに関しては本当にいいんだけども。作りすぎてもまたお登勢さんに「こんなに誰が食べるってんだい」って言われちゃうし。
 彼はまた一言お礼を溢すと、そのまま踵を返して店の中に戻っていった。完全に戸が閉められ、足音が遠のいていくのを聞いて、ようやく深く息を吐き出した。

(き……緊張したァ……)

 坂田銀時さん。わたしがスナックお登勢にお世話になるよりずっと前から、その二階でなんでも屋を営んでいるという、侍の人。どこか不思議な男の人。
 彼のことはまだほとんど何も知らないけれど、新たに知った甘党という情報に、少しだけ彼の存在が鮮明になった気がした。







「あま……うっめ」

 さくり。小さく台形に切られたリンゴが、口の中で瑞々しく鳴る。散りばめられた甘酸っぱいレーズンは、マヨネーズだなんだで練られた濃い黄色の中で、味としても見た目的にもいいアクセントとなっていた。爽やかな後味を堪能しながら、一人暮らしの部屋の中で、銀時はぽつりとつぶやく。

「めっちゃイイヒトじゃん……徳川田さん」

 だから徳川田じゃないんですけど、と空耳が聞こえた。