幼心
「まえがみ」
「えーもう伸びたの?」
突然部屋にやってきたと思えば、ぶっきらぼうにハサミを付き出してきた沖田に、朋子は呆れまじりの息を吐き出した。けれど、見るのも嫌な書類から久しぶりに手を離す理由ができたのは、少しだけありがたい。
仕方ないなァと立ち上がり、文机の引き出しに入れている櫛を取り出す。それから机の傍らに置いてあるゴミ箱を片手で持ち上げた。その間に沖田は勝手に座布団を寄せて、その上にちょこんと座ってあぐらをかく。
「はい、ちゃんとゴミ箱持っててね」
「ん」
ハサミと交換したゴミ箱を、沖田は座ったまま両手で抱えた。彼の色素の薄い前髪をサラサラと指先で撫でれば、大きくまんまるな瞳がぱちっと閉じられる。普段は横暴鬼畜ドSな男が、こうも従順なことは滅多になく、目の前の頭を撫で回してやりたくなる気持ちをなんとか飲み込んだ。
櫛を利き手に持ち、するすると前髪を梳かしていく。それにしても、最後に切れと命令、もといせがまれてからそう日にちは立っていないような気がする。現に、伏せた瞳に掛かりそうなほども伸びていない。まあでも、数ミリだけ切ったら納得するだろう。
散髪用のハサミに持ち替え、反対の手で少しずつ毛束を掬い取りながら、刃を入れていく。ショキ、ショキと軽い音が鳴り、短い毛がぱらぱらとゴミ箱の中に当たって落ちた。
昔はよく、彼の姉のミツバにやってもらっていたのを知っている。この度、近藤を先頭に武州を飛び出してからは、代わりに自分のところにハサミを持ってくることが増えたように思う。
何かと器用なこの少年のことだ、実はそこそこ昔から、前髪くらい自分で切れたのではないかという気がするが、そうなると彼の「甘え」とも取れるその行動を、たとえどんなに忙しい時に来られたって突っぱねる気にもなれず。なんなら、少し嬉しい、なんてことを言ったらあれこれこき使われそうなので、口が裂けても言わないが。
(それにしても、綺麗な顔だよなァ)
心の中で独り言ちた。髪と同色の長い睫毛や、まろい頬の輪郭、通った鼻筋。その美しい造形やすっきりとした体格は、彼を女の子からの手紙が送られるほどの美少年たらしめる。そんな彼の、印象を一気に変えかねない前髪を切るのが自分でいいのだろうか。まあ、おかげでこちらもそこそこ腕前が鍛えられたが。
ショキ、ショキ。ぱらぱらぱら。そんな音を何度か繰り返して、朋子はハサミを置いた。「少し下向いて」彼女の言う通りに、沖田は目を閉じたまま俯く。その素直な様子は可愛い弟のようで、いつも黙っていればいいのに……などと考えながら、軽く指先で前髪をゆすって、引っかかった短い毛をゴミ箱に落としていく。仕上げに櫛を二、三度通して、長さを確認した。
「あいよ、いっちょあがり」
「ん」
ぱちりと開かれた双眸が、一瞬こちらを映した。何を考えているかいまいち掴めないのはいつものことなので、とくにまごつくこともなく見つめ返す。彼はそれからすぐに視線を外し、持ってきたハサミを回収すると、抱えていたゴミ箱も座っていた座布団もそのままに、立ち上がって部屋を出て行った。お礼の一言もないが、まあそれもいつものことなので気にしない。
ただ、毎度鏡の確認もせずに去っていくあたり、信頼されているんだろうなァと少しだけ得意げになった。
*
「まえがみ」
「え?」
突然部屋にやってきたと思えば、ぶっきらぼうにハサミを付き出してきた沖田に、朋子は思わず聞き返した。
「なんでィ、隊長様の言うことが聞けねーってのか」
「ああ、ハイハイハイわかりましたよっと」
眼球にデコピンなんかを頂戴する前に慌てて返事をする。引き出しから櫛を取り出している間に、沖田は部屋の座布団を勝手にセッティングして、のしっと座り込んだ。
こうして直接せがまれるのは随分と久しぶりだ。江戸に来てすぐの頃はしょっちゅうだったが、いつの間にか、彼がハサミを持ってくることはめっきりなくなった。自分で切ったり、散髪に行ったりしているものだと思っていたが、今回はなにか都合でも悪くなったのだろうか。首をかしげつつ、彼にゴミ箱を抱えさせてハサミを握る。
「目ェつむって」
「ん」
相変わらずそっけない返事だが、自分の言う通りに目蓋を閉じるところはやはり素直で可愛らしい。
隙だらけの顔にそっと手を伸ばして、目元まで伸びた前髪に触れる。そのまま指先で毛束を挟んで、ショキショキとハサミを入れていった。
今年で確か十八になる彼は、あの頃よりうんと大人びた顔立ちになった。しかし、自分から見ればまだまだ幼い子どもだ。すぐにサボるし、自分の可愛さを武器にしようとするし、土方には悪戯をする。
けれど、沖田が他者に弱みを見せることはない。それは元来の性分か、一つの隊の長としてか。
そんな彼が、こうやって「甘え」を見せる場所に、まだ自分は選ばれていたんだな。隙だらけのあどけない顔を見ながら、朋子はひそかに眉を下げて笑った。