バレンタイン Side万事屋

「お願いします!」
「断ります。じゃっ」
「ちょ待って待って!!!!」

 大江戸かぶき町に存在する、スナックお登勢の隣の民家。その玄関先で、羽織の裾を翻し華麗にUターンした雪に必死に食らいついているのは真琴だった。
 平生より愛想がなくそっけない雪を、真琴がなにかと構うのは日常茶飯事であったが、今日の真琴はやけにしつこく食い下がる。雪は掴まれた腕を振りほどくのも面倒になったのか、あからさまなため息をついた。

 話はこうだ。本日二月十四日……すなわち、バレンタインデー。真琴は普段から縁のあるお二階さん、万事屋の三人に義理チョコレートを渡そうと考えていたらしい。しかし子どもの新八や神楽はさておき、大人の男──銀時に対して、妙な渡しにくさが湧いてきたという。他意があるわけではないが、年齢の近い異性だからか、とにかく新八や神楽とセットだとしても渡しづらくなってしまったらしい。
 しかし、銀時にチョコを渡す人間が他にもいれば、彼の興味関心の的は分散し、渡しにくさは軽減されるはず。つまり真琴は、雪にも銀時にチョコを渡すのに参加してもらおうと画策していたのだ。

「いたのだ。じゃねーよなんで私があの天パなんざに施してやらなきゃなんねんだっつの」
「わかった、じゃあわたしがチョコも用意するから! 雪ちゃんは自分からですって体で渡すだけでいいから!」
「なんの工作だよ。私がわざわざ天パに、バレンタインに、チョコやるっつー構図自体が胸くそ悪い気色悪い反吐が出る」
「そんなに!? え〜雪ちゃんたまにはこういうイベントごと乗ろうよ〜!」
「しらねーよ。もう帰っていい?」

 雪は死んだ瞳で問うが、真琴が雪の腕を離す気配はない。無理に振り切って家に籠ることも簡単だったが、家の前で喚き散らされたり、のちのちくどくどと文句を言われる面倒と秤に掛けると、雪は真琴を納得させずに去ることはできなかった。真琴は時に強情で、面倒くさい女であることを雪は重々承知していた。

「……つーか、渡しにくいなら渡さなければいいじゃん」
「いやだってせっかく作ったわけだし? ホラ見てこれ、ラッピングまで天才的に可愛い。誰かに見せたい。あげたい。オッこいつなかなか女子力高いないい女じゃんって仄かに思われたい。誰でもいいから」
「ならさっさと叩きつけてこいや鬱陶しい」
「それができたら苦労してないんだって!」
「じゃ別の奴にやれば? さっちゃんとか」
「もう用意してあるよォ、全蔵さんの分も」
「……じゃ店の客とか」
「えーだって来た人全員にあげる量ないし、それにちょっと、気が乗らないっていうか〜……」
「じゃオメー自分で食べればいいじゃん」
「むなしさ1000%じゃん! っていうかヤバイんだって最近色々試しに作って味見しまくってたから肌の調子も体重ももう本当クソでこれ以上食べたらヤバイ。絶対。わたしはもう食べない。我慢する」
「どんだけ食ってんだよ」
「だからもうこれは渡すしかないんだって」
「あ、じゃ全部私に渡せば? 万事解決じゃん」
「いやもうあげたよねさっき。しかもお返しなんざやらねーぞとか言っといてまだねだるか」
「捨てるよかいいだろ」
「だから捨てないし! 渡してくるんだって!」
「そーだな。ハイいってら」
「ンンンン……!」
「だいたいなんで渡しにくいんだか。ただの義理じゃん」
「いや、そうだけどさ〜……そう単純じゃないじゃん!」

 強く言い切った真琴に、雪はますます嫌そうに眉をしかめる。

「イヤ義理とはいえさァ? きっと銀さんこれあげたら喜ぶわけで。甘党だし? なのにわざわざ敢えてあげるなんて、気を引こうとしてるとか思われたらどうしようとか? コイツ俺のこと喜ばそうとしてんのかーとか? なんかそういうこう、変な邪推みたいな? なんかあるじゃん。男女間だし? 他意がないとはいえ? そういうのされたら気まずいなーみたいなそういうアレソレからの妙な渡しにくさがあるわけよ。っていうかそもそも、わざわざ用意するってことは一定以上の好感度があるわけで、それを自ら本人に示すのってハードル高いじゃん! 雪ちゃんにはわからない!?」
「わっかんね。理解はしたけど共感はない」
「嘘だァ! だってこんなんっ、絶対誰だって緊張するでしょ! しない女の子いる!? 雪ちゃんだってやってみたらわかるって!」
「いやわかんね。ごちゃごちゃ考えすぎなんだよオメーは」
「じゃあ渡してみてよ、雪ちゃん絶対言葉詰まるから。言い淀むから。わたしにはわかる」
「淀まねーよ。上等だおらチョコ貸せ」

 苛立った雪が手のひらを差し出す。しかし険しい表情から一転、いい笑顔を見せた真琴はその手を掴むと、「じゃあ買いに行こう! わたしのと同じじゃ魂胆バレちゃうし」と普段からは考えられない力で腕を引っ張り歩き出した。振りほどこうとしても、微動だにしない。──オイ、ゴリラかコイツ。







 そんなわけで、雪はなぜか銀時宛のチョコレートを買いに行く羽目になった。その上、真琴が店についた後で「財布忘れた……」などと抜かすので自腹を切ることに。雪は近い内に、真琴に高い店のローストビーフ丼を奢らせると心に決めていた。
 今日はバレンタイン当日ともあり、ブランド品でもない限り値引きが始まっている所もあった。その中でもさらに格段に安かった小さな箱を片手に、雪は現在万事屋の前に来ていた。

「ったく、んで私がこんなアホみてーなこと……」
「いいじゃんいいじゃん、たまにはさ」
「クソどうでもいー……じゃインターホン押っ……」
「……」
「……いや何してんの?」

 玄関脇の壁と同色の布で身を隠している真琴に、雪が蔑むような辛辣な瞳で呟いた。

「わたしここから見守ってるから。雪ちゃんがしゃべってる間にそっと足元に置いていくからわたしのことは気にしないで」
「いや気になるだろなんで私が単身であのバカにチョコ渡さねーとなんないわけ? こちとらお前のおまけ的な感じで来てんだよ。親機がねーと子機は機能しねーの」
「いやいや本当気にしないで私はただの壁だから。俺が壁で壁が俺で」
「どんだけ照れてんだよ面倒くせェな」
「アッちょっと腕引っ張らな」
「《ピンポーン》」
「ア゛ーーーッ!!」

 真琴の巧妙な隠れ身の術を崩すと同時に、雪の指によって無慈悲にも押されるインターフォン。絶叫する真琴をよそに、店の奥からのしのしと大儀そうな足音が聞こえてくる。そしてその扉が開かれる直前、腕を掴まれていた真琴の動揺と混乱はピークに達した。

「はーいどちら様……なんだ雪か。何してんの? 何ソレ?」
「あ? 何って…………、」

 雪は違和感に気づいた。右手には小さな箱を、左手には真琴の腕を──掴んでいる、はずだった。ならば今、雪の左手に掴まれているこの、布をまとった着せ替え人形のような丸太はなんだ?

「……」
「雪ちゃん? ちょっと? 何してんの? 何そのマッチどこから取り出したの?」
「……」
「ちょっと待ってお前アアアアア何ひとんちの玄関先で焚火してんのお前ェェェ!?」
「冬は寒ィからな」
「言ってる場合かァァ!!」

 メラメラと燃え滾る真琴の変わり身は、銀時が慌てて汲んできた水でどうにか鎮火された。ゼエゼエと肩で息をする銀時に、雪は不機嫌そうな顔で持っていた小箱をようやく突き出した。

「ん」
「あ? ……何コレ」
「あ? バレンタインつったらチョコに決まってんだろ。だからオメーは天パなんだよ死ねば」
「だとコラァァァ! えっ、つーか……えっ? チョコ? つった? 俺に? お前が?」
「そう言ってんだろが」
「えっいやっえっなっ、はっ……!? あの守銭奴ものぐさ愛想ゼロのお前が!? 何ヤダ怖いんだけど!? 天変地異!? 槍が降る!? それとも何俺殺されるの!? お礼はお前の首で的な!?」
「オメーの軽い首なんざ毛ほどの価値も興味もねーよ」

 真琴にさんざん振り回された挙句とんずらされて、雪の怒りのゲージは沸々と上がってきている。そこに加え銀時の無意識な煽りと、自分は何をやっているんだという苛立ちがますますそれをヒートアップさせた。しかし般若もかくやと言わんばかりの彼女の形相に気づいていないのか、銀時は青い顔でひたすら動揺を示す。

「エッ……イヤイヤイヤ、アレだよな。誰かに渡してくれって頼まれたんだよな。ウン」
「私の金に決まってんだろ。お礼は300倍返しでヨロ」
「イヤァァァ何なにナニ怖い怖い怖いんだけどォォ!? なんで!? 急にどういう風の吹き回し!?」
「うるせーないらねェなら持って帰んぞ。本来ならオメーにくれてやるウン百円すらもったいねんだから」
「嘘嘘嘘くださァァい!! ……っつーか、え、ホントに、お前が俺に? これ? 買ったの? バレンタインに?」
「うし、回収」
「アアアアありがたくいただきます雪様ァァ!」

 奪われそうになった箱を死守した銀時は、息を整えながら手元のそれと雪の顔を何度も見比べた。え、本当に本当にお前が俺に? といった疑惑と困惑が顔に浮かんでいるのがありありと伝わる。何か裏があるのでは……といった怪訝そうな色まで見て取れたが、彼はしばし眉間にしわを寄せたのち、箱の蓋をそうっと開いた。

「……ふ、普通のチョコだ」
「何、爆発物でも入れてほしかったわけ」
「いやいやいやいや滅相もございませんよ雪様ァ! ……え、これ食べていいの? ホントに?」
「うるせェしつけェ。好きにしろや」
「い……いただきま〜す」

 箱の中には形の違うチョコレートが四つ、上品に鎮座していた。銀時はそのうちの色の薄い──おそらくミルクチョコレートであろう、四角いチョコを指先でつまむと、恐る恐る口の中に放り込む。それをしばらくもごもごと溶かし、喉を嚥下させ、普段は生気のないその瞳にかすかな光を宿した。

「……う、」
「どォだ人の金で食うチョコは美味いか?」
「素直に感想も言わせねーのかお前は!」

 被せてきたのは偶然かわざとか。相も変わらず仏頂面の雪の表情は読み取りがたく、銀時は短くため息を吐く。それから名残惜しそうに箱を閉じて、「あー」とか「ううん」ごまかすような声を発した。その口元には明らかな緩みが見え、ニヤつきを誤魔化せていない銀時の姿に雪は死んだ目を向ける。

「まーその、何? こんなわざわざ用意してくれて? いや〜すみませんねなんか」
「素直に礼も言えねェわけ? とんだ人間性だな。さっさとくたばればいいのにカス」
「お前にだきゃ言われたくねーんだけど!? まー、そのー……ハイ、嬉しいです。ありがとうございます」
「言っとくけど、真琴のバカの戯れにやさしい雪ちゃんが付き合ってやっただけだから。調子乗ったら刺すぞ」
「あ、やっぱりそういうこと? ……で、その真琴はどこにいんの?」
「オメーら三人にチョコ作ったっつってたけど、それごと雲隠れ」
「なんで!?」







「は〜やってしまった……」

 町中をとぼとぼと歩く女が一人。こじゃれた紙袋に三人分のチョコを携えた真琴だった。万事屋の前で思わず遁走してしまった彼女は、その勢いでかぶき町の外まで駆け抜けてきていた。常人であれば考え難いことであるが、元忍の彼女にとってこの程度は大した距離でもない。

(雪ちゃん絶対怒ってるだろうなァ……ただ銀さんたちにチョコ渡したかっただけなのに……あわよくば雪ちゃんとバレンタイン楽しんだりしたいな〜って思ってただけなのに……)

 ぐるぐると自己嫌悪が渦巻く。しかし、仕方なかったのだ。今までバレンタインにチョコレート──本命ではなく義理チョコや友チョコと呼ばれる類だが──を渡したことのある人間は、あやめや全蔵など幼い頃から懇意にしている身近な面々しかいなかった。今年になって初めて、いつもお世話になっているしと、真っ先に思い浮かべた万事屋の面々の顔。これまでのノリで渡せたらよかったが、銀時という年上の男の存在がそれを邪魔した。いや、悪いのは銀時ではない。変に考えすぎて緊張した自分のせいだ。
 まあまた来年があるし、どうせわたしからもらえなくても、特に銀さんなんかはあやめさんや神楽ちゃんからも貰えるだろうし。っていうか今さっき雪ちゃんからも貰えただろうし。ウン。そうだよ。そう考えつつも、手元に残る綺麗にラッピングされたチョコレートを見るとむなしい気持ちになってくる。

「はあ〜〜〜……」
「あれ、真琴さん?」
「ゲッ!? じゃなくてアッ、や、山崎さんこんにちは」
「いや何一つ誤魔化せてないからね。さすがに傷つくんですけど」

 あてもなくフラフラとしていた真琴に突然声を掛けてきたのは、真選組隊士の山崎退だった。そうか、ここは彼らの管轄内だったらしい。ものの見事に失言した真琴は、慌てて取り繕うようにぎこちない笑顔を浮かべた。

「お、お疲れ様です。今日は非番ですか?」
「ああ、はい」

 普段の墨を垂らしたような隊服ではなく、私服に身を包んだ山崎はそう頷いた。真琴は「そうですか、それじゃあまた」と適当に会話を切り上げようとしたが、彼が妙にソワソワとし始めたことに気が付いた。

「い、いや〜それにしても最近はどこに行っても甘い匂いばかりですね」
「え? あ、そうですね、バレンタインですから……」
「いや〜ホンット、チョコチョコチョコチョコうんざりしますね」
「そ、そうですね」
「いや別にチョコ嫌いってわけじゃねーしなんならむしろ好きだけどただちょっと目に入りすぎっていうかいや別にだからと言って食べたくないわけじゃないしなんならこないだまでちょっと諸事情で一か月あんぱん生活してたから最近別のものが恋しいていうか〜……」
「……」

 真琴は山崎が「真琴からのバレンタインチョコが欲しい」と暗に言っていることに、途中から気がついていた。否、ここまで露骨にアピールされて、気づかない人間はそういないだろう。
 しかし彼女は鈍感そうな笑みを作ったまま、ひたすら気づかないフリをしていた。何故なら彼女は、まさかこうして今日偶然会うとも思っていなかった山崎の分のチョコなど、用意しているわけもなかったのだから。いくら銀時たちに渡せなかったとは言え、匿名でポストに突っ込むといった手立てもないことはない。真琴の心のどこかには、まだ万事屋の彼らにチョコレートを渡したい気持ちがしっかりと残っていたのだ。
 しかし、彼女の胸の内を占める「良心」の割合は極めて大きく、また誰かに期待されておいて易々と裏切ることもしがたいヘタレ鳥を飼っているのも事実。ここまでソワソワと浮かれている彼の顔を立てないという選択も、最終的に真琴の心のダメージとなり得た。

「…………」

 そうして真琴はしばらく逡巡していたが、結局持っていた紙袋の中をガサゴソと漁ると、そのうちの一つ──ちなみに差をつけると文句が出るだろうと見越して、銀時、新八、神楽全員分同量同ラッピングであった──を取り出して、おずおずと山崎に差し出した。

「……あの〜、これ余りものですけど……いります?」
「えっ」

 不意の出来事に、山崎はその細い瞳をきょとんと丸めた。その仕草は彼の姿をどこか幼くさせる。固まった山崎に、(アレ……わたしの勘違い!? チョコ欲しいんじゃないの!? もしくはわたしのがいらないってこと!?)と真琴は内心焦っていたが、

「……エエェェェ!? いいいいいいんですか!?」

 と、驚愕と喜色に満ちた彼の反応がワンテンポ遅れてやってきたことに、ほっと胸をなでおろした。

「は、はい。ホント、余りものだけど……」
「いやいやいや嬉しい! 嬉しいよありがとうございます! やっやったァァ!」

 まさか、本当にもらえるとは思っていなかったらしい。山崎は反発する磁石のように大げさにのけぞり、それから引き付けあう磁石のように瞬時に真琴──の手元のチョコレートに迫った。震える両手で袋を受け取る姿は、一歩間違えると変質者のようであったが、その割に真琴は胸中ドキドキとしていた。無論、それはそんな姿の山崎に心をときめかせていたわけではなく、自分で作ったものがこれほど喜ばれたことに、思いがけず喜びを感じているのだった。
 顔を赤くした山崎は、可愛らしいラッピングをいろんな角度から爛々と見つめる。

「も、もしかしてこれって手作り……!?」
「あ、はい、一応……」
「おっ……女の子の手作り……! えっ、今ちょっと食べてもいいですか!?」
「え!? あ、ど、どうぞ……」

 嬉々としてリボンをほどく山崎を眺めながら、真琴はなるほど、と思った。全蔵は幼い頃から常に飄々としており、表情も読みづらいために、バレンタインのチョコを渡してもこんな風にわかりやすく喜ばれたことなど一度もなかったから。──あ、そっか、男の人って、こんなに喜んじゃうんだ。なんて単純な生き物なんだろうか──そんなことを考えつつも、自信作のチョコレートに、自分からのプレゼントという付加価値をつけたものがそんなに喜ばれるのは、決して悪い気はしなかった。

「め、めちゃくちゃうまい……! 真琴さん菓子作りも得意なんですね! すげェや!」
「えっ!? あ、アハハ、ありがとうございます……」
「あのっ、ホワイトデー、絶対お返しするんで!」
「え、あ、た、楽しみにしてますね……」

 あまりの勢いについたじろぎながら、真琴はこっそり口の端を緩ませていた。──こんなに誰かを喜ばせられたなら、行き先を間違ったこのチョコレートもきっと浮かばれただろうな。
 やっぱり、頑張って銀さんたちにもあげようかな。玄関に置いておくだけでもいいし。確か部屋にもう一つだけ余りがあったはずだから──幸せに満ちた山崎の笑顔を見ながら、真琴はそう決意した。