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『あーきのゆーうーひいーにー』
幼い声がよく伸びる。
『てーるーやーまーもーみいじー』
楽しげな歌声に応えるように、頭上で赤く色づいた葉が枝先で揺れる。
『こーいもうーすーいーもー』
溢れんばかりの赤が、透き通った陽に煌めきながら、濃いも薄いも、思い思いに世界を染め上げる。
『かーずーあーるーなーかーにー』
美しい秋晴れの下、照り紅葉に囲まれた
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大江戸新宿かぶき町5-11-4。スナックお登勢の二階に位置する万事屋銀ちゃんは、文字通り万の事をこなしてくれるなんでも屋だ。しかしその胡散臭さや、たびたび騒動を起こすことから町での評判はあまり良くなく、常に飼っているとまではいかずとも定期的に閑古鳥が鳴く。
ゆえに彼らは、舞い込んだ依頼は基本的になんでも請け負う。それがどれだけくだらない内容であろうとも、どれだけ「そんなモン金ケチってないで専門業者に頼めや」と言いたくなる難しい内容であろうとも、だ。
そのため万事屋には、厄介極まりない依頼を持ち込まれることがしばしばあった。此度の依頼は、果たして珍依頼史に名を刻むことになるのか。
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「家出娘?」
思わず聞き返した店主、坂田銀時に、対座する中年の女はこくりと頷いた。一つに束ねられた長い髪が、肩口で控えめに動いた。
「あの子の行方がわからなくなってから、もうすぐ季節が一周しようとしています」
なにぶん、お転婆な娘だったもので……と、女は至極淡々と告げる。その顔は憔悴しきって覇気のない──といえばそれまでだが、娘が長らく行方知れずとなっているにも関わらず、妙な冷たさを感じさせた。肌が白く、血の気が感じられないことも起因しているのだろうか。とにかく、人間らしい情が見えにくかった。
銀時の左右に構えていた若い従業員、新八と神楽が、真ん中にそっと体を傾ける。
「(なーんかきな臭いアル)」
「(なんかアレ、ハム子さんの時を思い出すんですけど)」
「(ま、例え真っ白い粉が絡んでようが真っ黒い背景があろうが、久々の貴重な依頼人だ。ひとまずは逃さねェように深堀りしていくぞ)」
「あのう、万事屋さん」
「あァ、失礼。それで? 警察には相談したんスか?」
女は一瞬眉をひそめていたが、すぐに調子を取り戻して首を横に振る。その予想だにしない返事に、今度は万事屋側が怪訝そうに顔を歪める番だった。普通なら真っ先に頼るであろう警察に、相談をしていない? それは一体何故?
彼らから向けられた疑念も意に介さず、女は紅を引いた形の良い口をそっと開く。
「江戸よりずっと離れた山の麓の、小さな……まあ、いわゆる限界集落ですね。わたくしどもはそこに暮らしているんです。交通の便もなく、外界と繋ぐものはたまに村にやってくるトラックくらい。あの子が小さい頃は、勝手にそこに乗り込んで迷子騒ぎになったこともありました」
「あらあら、じゃあ今回もその方法で家出したっつーことスか」
「ええ……恐らくは」
「恐らくって……じゃあそのトラックの動きを辿ってりゃある程度検討がついたんじゃないんスか?」
「もちろんそうしました。けれど余程巧妙に潜んでいるのか、あるいは別の車か何かを何度も乗り継いだのか……ゆえに、かような遠方まで可能性を広げ、捜し続けているんです」
女は所持していた唐草模様の風呂敷を、静かに机の中央に置いた。結び目をほどいて、中から出てきた荷物の一つを手に取り、銀時に差し出す。
「こちらは内金になります」
「キャッホオオ! 何枚アルか! 何枚あるアルかコレ!」
「ちょっ神楽ちゃん騒がないの!」
分厚く膨らんだ茶封筒の甘美な重みに、神楽が騒ぎ立てて新八が諌める。銀時は慣れたことのように、神楽からひょいと封筒を回収した。両端を押して中身を覗きながら、平生と変わらぬ気の抜けた顔つきで尋ねる。
「いやァ……こちらとしては有り難いんですけど、こういうのはやっぱ警察に相談したほうがいいんじゃないですかね」
「少々事情がありまして……できる限り内密に事を済ませたいのです。だから万事屋さんにも、なるべくこの子の名前や顔なんかは広めずにお願いしたく……」
「オイオイ、無茶言いますねェ。人捜しにツラや名前使わないわけにゃいかないでしょう」
「無理を承知でお願いしているんです。……これでも足りないようでしたら、倍にしますが」
「いくらアルか! いくらになるアルか! 酢昆布何百個買えるアルか!」
依頼人に迫ろうとする神楽を新八が制す中、女は荷物の中からさらに一つ取り出した。留めていた麻紐をほどくと、丸められていた紙が開かれる。女は端の反り返ったそれを手で押さえつつ、万事屋三人のほうに向けた。
「これがあの子の顔と名前です」
「オイオイ人相書って、随分とまたアナログ──」
紙を覗いた銀時がそこで言葉を切った。左右の新八と神楽も、同様に釘付けになっている。硬直する三人の様子を気に留めることもなく、女は続けて一枚のメモを差し出した。
「こちらはわたくしの連絡先です。何か進展がございましたら、随時ご連絡をいただければと思います。では、何卒お願いいたします」
腰を上げた女は最後に深々と頭を下げた。そして万事屋の反応も窺えないうちに……あるいは、有無を言わせる暇を作らないように、案内を待つこともなく颯爽と部屋を出ていってしまう。新八が見送りのため慌てて廊下を追いかけたが、すぐにピシャリと戸が閉じられる音がした。
戻ってきた新八は、先ほどまで女の座っていた辺りの隣に腰を掛け、改めて困ったように銀時に向き合う。
「……銀さん、どうするんですか。娘さんがそんなに長いこと行方不明だっていうのに、終始冷たい顔だし、警察にも相談できないなんて、なんかちょっと妙に怪しいっていうか……」
「金にイトメつけないくらい可愛がってるなら、普通サツにでもなんでも頼んでとっくに見つけ出してるアルよ」
「話を聞いた限り、家柄とか世間体を気にしているとも思いにくいような……正直、
日が傾き、窓から赤い光が差し込む。秋も深まりつつある時期だが、それにしてもやけに冷えた空気が部屋に充満している気がした。
「さーて、どうしたもんかねェ……」
銀時は机上の人相書をぺらりと手で弄ぶ。その和紙の上には、大人しそうな少女の澄まし顔が墨で描かれており、その傍らには『秋宮羽月』とよく知った名が綴られていた。
*
同刻。少女は走っていた。
雲一つない──夕景の光すら届かない、黒い天の下。彼女は髪を靡かせ、涼しい秋風の吹く季節に汗をかいて、きつい着物の下で必死に足を走らせていた。
「ハアッ、ハアッ……!」
息が弾む。草履が鳴る。
前後に振る腕の片方には、なにか小物が握られていた。
周囲の大人たちは、なんだなんだとチラチラ視線を向けている。声を掛ける者はない。ただただ、その光景の物珍しさに目を丸めたり、興味深げに好奇に満ちた表情を浮かべていた。
「ちょっ……待ってください!!」
少女が張り上げた声はかすれ気味で、すでに長いこと走り続けていることが窺えた。誰かを引き留めようとするその言葉は、少し前方を駆ける、彼女よりもさらに小柄で幼い少年へ。彼は手入れの行き届いていない、傷んだ髪の毛を振り乱して、追ってくる彼女から必死に逃げているようだ。
少女の足は決して遅くはなかった。しかし、通行人を避けながら着物で駆ける彼女は、身軽さを存分に利用してすばしっこく遁走する彼に、なかなか追いつくことができない。とはいえリーチの差もある上、少年のほうも随分と前から息が切れていた。二人の距離は縮んだり開いたりを繰り返し、さらに町の奥へ。
光の届かぬ逢魔が時。好奇の目に晒されながら、少年少女のおいかけっこは、続いていく。