09

 真選組の食堂。その利用者数が増加してきたのは、羽月が女中としてやってきた頃からのことだった。
 若くて可愛い娘が配膳をしている。さらに心洗われるような、穏やで無垢な笑顔という特典つき。普段から男に囲まれて生活している男どもは、癒しを求める気持ちと人によっては下心も携えて此処を訪れるのだ。ちなみに朋子は少々女らしさに欠けるというか、その性格故、癒し足りえないらしい。某隊士談。

「おはよー羽月ちゃん」
「おはようございます。本日の日替わりメニューは、えーと、カルボナーラ? です」
「おお〜旨そ〜っ!」
「こちらに来て初めて知ったお料理なのですが、丁寧にご指導頂いたのでとても美味しくできたと思いますよ」
「お、知らなかったんだ? にしても流石だなァ〜」

 時折隊士たちと談笑しつつ、羽月は手際よく食事をよそっていく。元来朗らかでおしゃべりな羽月は、もうすっかり屯所に馴染んでいた。
 そんな折、奥の席からある隊士の怒鳴り声が聞こえ、一瞬だけ手が止まった。だがすぐに作業を再開し、皿を目の前のお盆へと乗せた。粗暴な男共が集う真選組では、こんなことはさして珍しくもない。そのことを羽月はもう充分に知っていた。
 その彼女が呆れ混じりの笑みを浮かべたその時だった。ガタン、と硬そうな物音に続けて何かが床に落ちる音。胸ぐらを掴み合うのは、短髪の隊士とオールバックの隊士。二人のそばには椅子が倒れていて、そのすぐ隣に、まだ湯気の立つ食事がぶちまけられていた。

「あーあー何やってんのお前ら! 食事がもったいないでしょ!! なァ羽月ちゃ……アレ?」

 丁度羽月の前でお盆をスタンバイしていた近藤は、顔を正面に戻すと目を丸くした。たった今までそこにいたはずの羽月がいない。否、カウンターを出て、騒いでいた隊士たちにゆっくりと近づいていた。

「お二人とも……」
「あァ!? あっ……、」
「羽月ちゃん……」

 隊士たちは争いの手をぴたりと止めた。少しばかり俯いていた羽月は、大きく鼻で息を吸い込み、絞り出すように吐き出す。重みを感じる、ともすれば震えるような呼吸を二度ほど繰り返したところで、持ち上げた顔にはいつもの穏やかな、それでいて困ったような笑顔が浮かんでいた。

「食べ物を粗末にしてはいけません」
「ああ〜っ、ワリ、次から気をつけらァ」
「いやホントごめんなァ。おいっ、さっさと掃除しろよ」
「いやオメーもだろうが!」

 可愛い女の子に諌められ、隊士らの勢いはすっかり萎れたようだった。反省の仕方は雑にも見えたが、汚した床の片付けをそそくさと始めたところを見届けて、羽月は細く息を吐き出した。

「ん? うわ、破けてら」

 不意に短髪の隊士が、己の肩口を掴みながら呟く。オールバックの男と「あ、多分それ俺が引っ張ったからだ」「ケロッと言ってんじゃねェェ!」などとやり取りを交わすと、まだ近くに立っていた羽月をきまり悪そうに見つめた。

「あーっと、羽月ちゃん。悪いんだが……」

 言葉を濁す隊士が言わんとすることが伝わったらしい。羽月は二三度静かに瞬きしたあと、「間に合うように縫い直しておきますね」と手を差し出した。

「さっすが羽月ちゃん! 助かるわ〜やっぱ女神だわ〜」
「あはは、笑わせないでくださいな」
「いや笑わせたつもりはないんだけどね。そんじゃ、悪いけどよろしく頼むわ!」

 隊服の黒い外套を預かった羽月は、厨房奥の他の女中に声を掛けてから、早足で食堂を後にした。──そんな一部始終を目撃していた朋子は、隣の沖田にぼやく。

「いや〜マジでいい子だよね羽月ちゃん。マジ女神かもしれん。あたしだったら食堂から放り投げてるからねアイツら……アリ? 総悟隊長?」

 先程まで隣で食事を取っていたはずの沖田は、忽然と姿を消していた。







「……あの」
「なんでィ」
「何故着いてくるんですか」
「俺がどこ行こうが俺の勝手だろィ。テメーにとやかく言われる筋合いねーや」
「……ああそうですか」

 ポケットに手を突っ込みながら、どういうわけか後ろを着いてくる沖田に羽月は眉根を寄せた。
 自分のことが気に食わないはずの沖田は、どうして自分に構うのか。羽月はまったくもって見当がつかなかった。
 先日羽月が言っていた『好きな子ほどいじめたくなる』という心情など、沖田が自分に対して持っている訳がないし、『単なる暇つぶし』というのもわざわざ嫌いな人間に構う理由にはなりえない。じゃあ、本当に一体何なんだ。そうやって考えても、答えは依然として出てこなかった。
 自室へ辿り着いた羽月は、箪笥から裁縫道具を取り出して早速準備を始める。その様子を、部屋の入口から沖田は見下ろしていた。

「相変わらずいい子ちゃんやってんねィ」
「何の話でしょう」
「ホントはまだアイツらに腹立ててんのに、いけしゃあしゃあと仕事増やしてきてますます苛ついてんだろ」
「関係ありませんね。これは私のお仕事のひとつなので」

 針穴に糸を通した羽月は、端の方に玉結びを作り、破れた箇所を縫い始めた。沖田には視線を寄越すことは一切ない。

「本当ならブチ切れて薙刀でもブン回してたところのくせに」
「……何故私が薙刀を扱えることをご存知なのですか」
「朋子は屯所随一のおしゃべり野郎だからねィ。全部筒抜けだと思え」
「フン……」
下手(したて)に出てニコニコニコニコ、よくもまあ飽きねェもんだ。猫かぶり検定でも目指してんのか?」

 人を小馬鹿にしたような物言いに、羽月は心の中で何度も唱える。──心頭滅却だ。こんな人の言葉など聞いているだけ時間の無駄だ。無視しろ、意識から除外するんだ……。

「目蓋ピキりっぱなしで、そこまで耐えて手に入れたモンは穴開き隊服……八方美人の末路は憐れだねィ。どいつに対しても気色悪いくらいヘラヘラいい子ちゃんぶって……テメーは、」
「あああもううるさいですねェ!」

 ……などというのは、元来負けず嫌いな羽月には無理な話であった。しつこく野次る沖田に、怒りに顔を歪めた羽月がぐりんと振り返る。その時、不幸にも右手に持つ針の先が、左の人差し指に突き刺さった。

「い゛っ……たァァ!?」
「ほーれみろイライラピキピキ顔ひきつらせてっからでィ」

 痺れるような痛みが走り、針も布も手から滑り落ちる。目に涙を浮かべた羽月は、小学生のように囃し立てる沖田をキッと睨み付けた。

「……こんなのっ、舐めておいたら治りますので!」
「腕白坊主みてーな台詞だねィ」
「うるさいですね! ……え、ちょっと、何をっ……」

 沖田は何を思ったか、するりと部屋に入ると羽月の目の前にしゃがみ込んで、その白い左手を手に取った。ぷくりと浮き出る赤い雫が、指を流れていく。こともあろうに沖田は、その指を己の口へと引き寄せた。温かい吐息が、羽月の指先を覆う。

「……!?!?」

 羽月は勢いよく手を引き抜いた。その手を右手で庇いながら、沖田から距離を取るように後ずさっていく。湯気でも出そうなほどに顔を真っ赤に染めた羽月は言葉が出ないようで、口を何度もぱくぱくさせていた。
 そんな姿を、いつ用意したのか携帯電話のカメラに収めた沖田に、羽月はやっと正気に戻る。

「かっ……らかうのも、いい加減にしてください!」
「おー怖えー」

 手ェ洗って来ます! と腹の底から叫んだ羽月に、沖田はさぞかし楽しそうにニンマリと口角をつり上げた。一体どこまでが本気の行動なのか、真顔や腹黒そうな笑みしか見せない沖田の心情など、羽月は知る由もない。