※真選組動乱篇その後


 恋人同士の戯れのようだった。
 二人きりの個室。あぐらをかく美丈夫の傍らに、女が身を寄せてしゃがみ込んでいた。その明るい頬には、男の手の先がほんの弱い力で添えられている。互いを互いの至近距離に招き入れ、あまつさえ素肌が触れ合う距離感は、妙齢の二人にただならぬ雰囲気を纏わせていた。

「え?」
「あ?」

 しかしそれは、彼らにとっては突然の出来事だった。ぱちりぱちりと目をしばたたかせるのは朋子だけではない。事の発端となった土方すら、何が起こったか分からぬといった具合に鋭い両の目を瞬かせていた。
 数秒の合間を開け、それから土方は自分の行動に驚いたようにバッと身を引いた。その弾みで、文机に乗っていた筆記具が畳に転がり落ちる。朋子は彼のかさついた指先に、壊れ物のように撫でられた名残を頬に感じながら、訝しげに目を細めた。

「……ゴミでもついてました?」
「いや……あァ……そうだな」
「いや口で言えってんですよどこぞのしらん官僚だったらセクハラでブチ切れてますからね」
「おお、おお、悪い……」
「まあ土方さんだしいいけどさ〜」

 どこまでの意図があるのか、計り知れないような言い方はわざとだった。朋子はたまに彼に対して、そういう言い方を好む。それは親愛か、からかいか。いずれにせよ、彼女が自身のパーソナルスペースを侵されながらも良しとするのはその気質ではなく、相手によるものだった。
 決まり悪そうに顔を背けた土方に、朋子は短く息を吐いて、手元の書類をバサリと手渡す。

「……じゃコレ、今言った通りなんで。あと確認捺印お願いしますね」
「あァ」
「あと土方さんってさァ、案外気にしいですよね」
「……、」

 さらりと告げた言葉に、土方は書面に目を落としたまま押し黙った。
 彼が妖刀に飲まれたことは、まだ記憶に新しかった。朋子を跳ね除けようとして当たった刀の鍔が、意図せずして彼女の頬に傷をつけたことも。今はもう跡形もなく消えた怪我は、騒動のさなかに彼女を幾度も突き放したことを土方に思い出させ、その心にしこりを残しているのだろう。けれど、そんなものは朋子には不必要だった。

「もう痛くも痒くもないよ」
「……そうか、」

 あっけらかんと切り捨てる朋子に、小さく、零れるように返された三文字。その中で不器用に揺れる、幾重にも重なった感情。朋子はそれらを、口元に含ませた笑みで受け取って──至極嫌味ったらしいしたり顔で、ニタニタと土方に迫った。

「いやまァでもォ〜? せっかくだしィ〜? 落とし前はつけてもらおっかなァトッシーく〜ん?」
「………………」
「お〜っとピキピキしてますね〜自分に非があるからいつもみたいにシバけなくて歯痒いですね〜? あ〜っなんかちょっとまたほっぺ痛くなってきたな〜! こりゃハゲダ食べないと治んないな〜! あと有給消化したいな〜! あと土方さんの奢りで叙々苑行きたいな〜! あとSwitch2欲しいな〜!」
「……テメッ、ここぞとばかりに……」
「いやいや足りないくらいですよ乙女の顔を傷物にした詫びですからねェ〜?」
「…………?」
「いやその『おと……め……?』みたいな顔やめてくんない何だよアンタら揃いも揃って」

 やいのやいのとひとしきり騒ぎ立てた朋子は、「今月中に絶対焼肉ですからね〜!」と最後に強めにアピールして副長室を後にする。土方のため息を、襖を締める音で容赦なくぶった切った。
 ──朋子は結局、「悪かった」の一つももらっていなかった。それで一向に構わなかった。
 謝罪などいらない。欲しくもない。
 ただ、と一つまばたきを落とす。
 普段は恐ろしいほどに己を律する、鬼とすら例えられるあの無骨な男の。無意識に向けられたであろう、情と後悔がない交ぜになったような苦々しい表情。自分でひびを入れてしまった宝物を、今度こそ大切にしようとするような、慎重な指先。
 あんな珍しいものが拝めただけでも、お釣りが来るというものだ。