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「……おかけになった電話は現在使われていねーので、永遠にサヨウナラ。死ね」
『だァァ待て待て待て!!』

 ドスの利いた声で言い放った雪を、電話の向こうの銀時は慌てて引き留めた。寝巻き姿ですっかり就寝モードの雪は、人でも殺せそうな形相で再び受話器を耳に当てる。

「テメーの目ん玉は時計見ることすらできねェのか死ね。何度も何度も何度も何度も……挙句にゃ家電にまで掛けてきやがって、今何時だと思ってんだ死ね」
『オイィィィ! 死ねが語尾になってんじゃねーか! つーかまだ十時じゃん!』
「っせーな鼻クソ詰まらせて呼吸困難で死ね」
『いや口でも呼吸はでき』

 銀時の言葉が不自然に切れた。置いた受話器から手を離した雪は、皺の刻まれた眉間を摘まみながらベッドへ戻ろうと踵を返す。しかし再び鳴り響くコール音に、盛大に舌打ち。静まり返った部屋にはやけに響き渡った。

「……っつけんだよ……ホントマジなんなのオメー頼むから死んで3円あげるから」
『少なっ! ……いや〜、じ、実は俺今居酒屋いるんだけどさァ。ホラあのバーコード親父の所の』
「はァ?」
『いやそれであのアレ、あのな? 今から帰ろうと思うんだけどォ、雪ちゃんがいてくれたら帰り道楽しいかなーみたいなァ?』
「キモ」
『お前その二文字は結構心を抉るんだかんな!?』

 銀時のギャーギャー喚く声が、いちいち耳に響く。しかしまた通話を強制終了させたところで、再びコールは鳴り響くだろう。受話器を置いてしまいたい衝動に耐えながら、返事を待っているであろう銀時に質問を投げ掛けた。

「……でェ、その心は」
『は!? いやっべべ別に本心だしィ?』
「嘘こけ……どーせ店のテレビでも見てたらそれがホラー特集だったとか、なんかそゆんだろ」
『ちちちちち違ェーし!! 全然まったく合ってねェーし!! 見当違いにもほどがあるしィ!!』
「……あっ、オメーの後ろに」
『ぎゃふアァァァァ!?』
「電話越しにオメーの後ろが見えるか。馬鹿だろ」
『ちょ、おま、ホントに、やめろよ、マジで!!』

 息も絶え絶えな銀時が、すでに涙目になっていること想像にかたくない。雪は顔にこそ出していないが、確実に怖がりな銀時で遊んでいた。

『頼むってホント、この通り! 300円あげるからァァ!』
「ゼロが少ない。断る」
『お前に言われたくねェェ! わかった、じゃあそれとは別に何かやるから!!』
「オメーからしぼりとれるクソみてーなモンが、私にとって利益あると思ってんの?」
『じ、じゃあアレだ! 一回だけ何でも言うこと聞くから!! あっ金以外で!!』
「────……言ったなァ?」

 銀時が叫んだ直後、雪の口元がゆっくりと、さぞかし楽しそうにつり上がった。それはその声色と語調から、電話越しの銀時にも伝わる。
 しまった。なんて馬鹿なことを口走ってしまったんだ数秒前の自分。しかし撤回を雪が認めるとも思えないし、そもそもこれ以上機嫌を損ねて電話の線でも切られたらたまったもんじゃない。

「じゃ今からそっち行ってやる。今度楽しみにしてるよ、万事屋サン」

 急激に生き生きしだした雪に、銀時は先ほどまでとは別の理由で顔を青に染めていた。







 いつもの服装に身を包んだ雪は、ヒールを鳴らしながら町を進む。
 夜十時。まだまだかぶき町は眠らない。人通りも昼間ほどではないが多く、空は真っ黒だが立ち並ぶ店の人工光で眩しかった。先程まで眠っていたためだろう、目が少しチカチカする。
 通りすがった店のガラスに、自身の姿が浮かび上がる。寝ていたところを起こされた為、すっぴんの上髪もボサボサではねていた。
 いつだったか真琴に、せっかく素材が良いのだからお洒落してみたらどうだと言われたことがあった。むしろ自分にいじらせてくれ、絶対モデル顔負けになるから! などと必死に話していたことは、なんとなく頭の片隅に残っている。しかし雪はそれでも、お洒落というものにはとんと興味がなかった。綺麗な柄物の着物も、カラフルな爪紅も、流行の髪飾りにも、記憶のある限り、欲しいと思ったことはない。

 居酒屋を目指して前方の角を曲がると、ぴたりとざわめきが止んだ。先程まで雪の周囲にあった音がすべて消え、無音の世界に入り込んだようにも感じられた。
 目的地までの近道となるこの小道は、昼夜を問わず人通りがない。若い女性はとくに不気味がって避けそうなそこを、雪は臆することなく闊歩していた。
 さて、銀時には一体何をさせよう。雲で覆われた暗い空を、ぼーっと見上げながら考える。女装させてかまっ娘倶楽部にでも売るか。縛ってさっちゃんに売るか。腎臓もぎ取って売るか。それとも……

(……んァ?)

 ふと、背後から気配を感じた。
 よく耳を澄ませると、自分ではない誰かの足音。単に自分以外にもこの道を歩いてる人がいるだけと考えれば、それがもっとも平和的であるのだが、恐らくそういうわけではないと、雪の直感は訴えた。
 雪はぴたりと足を止めた。後方の足音が続けて止む。数秒後再び歩き出せば、同じように後ろから足音が聞こえてきた。
 チッと小さく鳴った舌打ちは、一定の距離を保ちながら、しかし確実に後ろをつけている誰かに向けて。目的の居酒屋はもうすぐそこだったが、雪は足をぴたりと止めると緩慢な動作で振り返った。

「オイ」

 数メートル後方にいたのは、雪に負けず劣らずボサボサの頭をした男だった。着ている服もよれよれで薄汚れている。有り体に言えば奇妙で不審。ぼんやりとこちらを見つめるその男を、雪は臆することなく睨み返した。

「私の自意識過剰じゃあねェよな。ちょこちょこ後ろ着いて来やがって……ストーカーか? あ?」
「…………」
「オイ、聞いて……」

 雪の言葉が途切れた。
 突然こちらに向かって駆け出した男に、舌打ちを漏らした雪は身構える。そして伸びてきた腕を掴んで自分の左側に引き寄せると、男の腹に鋭く膝を打ち込んだ。男は低い呻き声を上げると、よろめき地面に崩れる。雪は彼を鼻で笑うと──表情は笑っていないが──何事もなかったようにスタスタと歩き始めた。

「……てン、めェェ!」
「……!」

 男が初めて発した声は、怒号だった。
 振り向いた瞬間、勢いよく伸びてきた腕を雪は凄まじい反射神経で往なす。しかし男も諦めることなく、今度は反対の腕を雪の首に向かって伸ばした。彼の顔は狂気染みていて、雪の表情が微かに強張る。

「……しつけェんだよ」

 眠気と苛立ちのせいだろうか、先程の一撃は男を気絶させるに至らなかったらしい。そのことがさらに雪の苛立ちに拍車を掛けていた。雪は男の追撃を屈んで交わすと、腰の仕込み杖に手をかけ、そして──
 男は右から左へと吹き飛んだ。

「は……?」  

 男は二度目の呻き声を上げながら、盛大な音を立てて地面を擦り転がっていく。「……オメー、」その男を蹴り飛ばした張本人に、雪は体勢を直しながらゆっくり視線を向けた。

「オイ腐れ野郎……テメー誰に手ェ出してんだ。(こいつ)はなァ、俺の大事な──ボディーガーいだだだだ禿げる禿げる禿げるって雪ちゃんん!!」
「んでいんだよテメーはよォ」
「助けてやったのにそれはないんじゃないの!?」

 突然現れた銀時の頭をむしるように掴みながら、雪は少し離れた地面に伏せている男に視線を向けた。今度こそ完全にのびている。雪は苛立ちと脱力感の混ざったため息を小さく吐いて、銀時の頭から手を離した。

「で、なんでオメーここにいるわけ? 私は何の為に来たっつんだよ」
「そらアレだよ、お前がこの道通ってくる気ィしてな。危ねーだろーが、こんな物騒な時間にこんな物騒な道女一人で通って。ったく、俺が来てなかったらどーなってたことやら」
「切り刻んでやってたよ」
「大事件じゃねーか! それはそれで安心できねーっつーの!」
「つーか元はと言やァオメーが呼んだんだろーが。痴呆か? 死ねば?」
「流石に辛辣じゃね? ……ま、そうだな。こんな時間に一人で歩かせた俺も悪かったわ。お前何もされてねーよな?」
「そんなんされる前に刺してんよ。おらさっさとあっちの道から帰んぞ。この道はしばらく見たくねェ。あの変態の残り香がする気がする」
「いやしねェだろ……てオイ引っ張んなよ」

 銀時の着物の袖を乱暴に引っ張り、雪はすたすたと歩き出す。銀時が慌てて彼女の隣へ並ぶと、ようやくその手は離された。

「ま、安心しろや。ロリコンだのポリゴンだの色々流行ってるが、この俺が一緒にいりゃ不審者に絡まれることもねェだろうからな」
「あ? 何言ってんだこの不審者」
「喧嘩売ってんのか。お前が怖がってるから銀さんが安心させてやろうと……」
「寝言は寝て言え。じゃ」
「あ゙あ゙あ゙あ゙置いてかないでェェェェ!!」