16
「しばらくここにいろ」
そんな言葉と共に真琴が押し込まれたのは、何の変哲もない小部屋だった。
高杉が去り、しんと静まった室内をぐるりと見回す。座卓と紫の座布団、それから女性には少し小さいかと思われる箪笥と棚。あとは隅に布団が畳まれていた。
誰かの部屋なのか、それともまさかわたしの為に用意されたものなのか。……とりあえず、この恐怖心を少しでも取っ払う為に、高杉がわたしの喜ぶ顔を想像しながら部下に用意させたとでも考えておこう。
そんな現実では到底あり得ない光景を脳内に浮かべると、予想以上に真琴の笑いのツボは刺激され、思わず一人真顔で吹き出した。
(……いかんいかん、こんなことしてる場合じゃない)
部屋には窓が付いており、扉の鍵も掛けられてないところを見るに監禁するつもりではないらしい。
先ほどしばらく待っていろとは指示されたが、このままここでじっとしているのは時間の無駄じゃないだろうか。そもそも、本当に彼が戻ってくる確証もない。真琴は高杉という男を何一つ信頼してはいなかった。
それに彼曰く、鬼兵隊が練っているという計画を止める機会を、真琴にくれたと言うではないか。
(つまり……わたしには勝手に出歩く自由がある、はず……)
正直なところ、できることならこの部屋から出たくはない。敵のいない守られた領域から踏み出すということは、また先ほど──高杉に追随し、この部屋まで連れられた時──のように、船内の人間の視線がこれでもかというほど突き刺さるということだ。しかも、隣に高杉がいない今、突然誰かに斬りかかられるかもわからない。
だがここで閉じ籠っていても何も始まらない。高杉らが何か江戸に仕掛けるというのなら、その前にそれを阻止しなければならなかった。それができるのは、この戦艦に唯一江戸の市民として乗り込んでいる真琴だけなのだから。知ってしまった以上、何もしないわけにはいかない。何もしなければ、わたしは、わたしを許せなくなってしまう。
無様なほどひきつる口元をどうにか抑え、滑稽なほどガタガタの足取りで真琴は扉に手を掛けた──
「………」
「………」
「……アギャアアァァァ!!?」
「ウオアァァァァァ!!?」
真琴が戸を開く前にガラリと音がして、視界が急遽切り替わる。彼女の眼前には、いかにも気も腕っぷしも強そうな金髪ヘソ出しの女性がいた。突然絶叫した真琴に、女性──来島また子も思わず声を上げ仰け反った。
「なっ……何スかアンタいきなり叫び出して! って言うか何勝手に出歩こうとしてんスか! 晋助様にここにいろって言われたッスよね!?」
「ヒァァァすみませんすみませんわたしごときが悲劇のヒロインぶって調子こいてましたわたしにはせいぜいコボちゃんのモブF程度がお似合いですよね一生日陰で最早雑草以下のチリとして慎ましくひっそりと生きていくべきですよねすみませェェェん!!!」
「だァァうるせェェェ! 誰もんなこと言ってねーじゃねーッスかァァァ!!」
「ヒイィィィごめんなさい殺さないでェェェ!!」
「面倒くせェェェ!! コイツ酷く面倒くせェェェ!!」
ややおかしな謝罪をし続けている真琴と、ひたすら怒鳴り散らすまた子。その不毛なやり取りに終止符を打ったのは、また子の方であった。
「ってこんなことしてる場合じゃねーんスよ! チッ、ちょっと様子見るだけのつもりだったのに、余計な時間食っちまったッス!」
「え? あ、あの、何かあったんですか……?」
「侵入者ッスよ侵入者! ……って何でアンタなんかに教えてやんなきゃならねーんスかァァ!!」
「エッアッ、すみま……ヒッ!?」
苛立った様子で腰の拳銃に手をかけたまた子は、それを荒々しく真琴の額に押しつけた。「晋助様が連れてきた女でさえなければ……!!」とブツクサ垂れている不満を聞けば、引き金を引く気はないとすぐにわかることなのだが、そんな余裕は真琴にはなかった。忍の風上にも置けない精神力である。
「だいったい何なんスかさっきからビクビクオドオド! 見てて腹立つんスよ!!」
「ごめんなさいごめんなさいィィ!!」
「だァーからそのオドオドをやめろって、」
「二人して何を騒いでいるでござるか」
「ヒィィィィィ!?」
「ギャアァァァ!?」
唐突に横からかけられた声に、またも奇声を上げた真琴とそれにつられたまた子。見ると、そこにはサングラスを掛けた長身の男がいた。
「ばっ……万斉先輩! 帰ってきてたんスか!」
「ああ、今しがたな」
言いつつ彼、河上万斉は真琴に突き付けられていた拳銃を素手で掴み、また子の腕ごと下ろさせた。それから二人の間に割って入り、また子から庇うようにして真琴に背を向ける。
「エッ、ちょっと何でそんな女庇ってんスか!? まさか万斉先輩こんなウジウジした卑屈女が好みなんスか!?」
「それより、侵入者が出たのでござろう。こんなところで道草食っていて良いのか」
「ああああしまったァァ! アンタのせいッスよウジウジ女ァ!」
「ヒエエスミマセンンン!!!」
理不尽に怒鳴られ、真琴は涙目のまま平謝りする。また子はまだ何かギャアギャア騒ぎながらも、バタバタと忙しなくその場を後にした。
去っていく背中に胸を撫で下ろすが、それも束の間。どういう訳か自分を庇った河上が、顔だけこちらに向け真琴を見下ろしていた。サングラスに隠れてその表情は読めないはずだが、何故だか睨まれている気がしてならない。ならば何か言われる前に謝るないし逃げるしかない。徹底した卑屈精神負け犬根性を振りかざし、真琴は二秒ほど迷ったのちに両方とも実行することに決めた。
「すみませんでしたァァァ!!」
「まあ待て」
「アアアア!!」
結果を言うと、失敗した。背を向けて駆け出すもあっさり腕を掴まれてしまった真琴は、いよいよ八方ふさがり。なんとか思考のショートだけは阻止しようと気を張っていると、河上は「ふむ……」と顎に手を当て真琴に顔を近づけた。あまりの脈絡の無さに、思わず喉から小さく悲鳴が上がりそうなのをどうにか抑える。
なんだ、どいつもこいつも、鬼兵隊には揃いも揃って顔を近づける奴ばかりか。何なんだ、わたしの顔の粗でも探そうとしているのか。残念わたしはごく薄いメイクしかしてないし元々かなり可愛いんだよバーカバーカ! なんて虚勢を張るも、河上の品定めをするかのような視線には耐えきれず早々に俯いた。
「勿体ないでござるな」
「えっ……?」
「まァそれは良い。お主、名はなんといったか」
「ヘイッあっ、真琴、です、が……」
「そうか。では真琴殿、しばらく拙者が話し相手になってやろう」
「…………ハイ?」
──嫌な予感しかしない、というのはこのことだろうか。
*
確かに、最初は少し浮わついた気持ちだったかもしれない。だが何事もやるからには全力でという教えは、幼少の頃から今に至るまでずっと羽月に根付いていた。
しかし自分と、花見の際にあの沖田と対等に張り合っていた神楽がいれば何とかなるだろうと甘く考えていたのも、否めなかった。
「銃を下ろせェェェ!! この来島また子の早撃ちに勝てると思ってんスか!?」
銃口を突き付けられた神楽は、体勢を大きく崩しており、背中が床に付いている。戦闘経験などないに等しい羽月は、その光景をただじっと物陰から眺める他ない。
──行方を暗ました桂を捜し回り、辿り着いた先は港に停泊している戦艦だった。すっかり日も暮れてしまったがしかし、やると決めたからにはやる。そうして神楽と二人乗り込んだは良いが、甲板に佇んでいた船員に神楽が傘を突き付けた途端、銃弾が飛んできたのだ。それから神楽に向かい数回に渡って放たれ、すべて避け切るも今度は狙撃手自体が姿を現し神楽を追いつめた。
素人の目からでも分かる。その狙撃手は、確実に殺しのプロであると。そんな彼女に、神楽が追いつめられている。
しかし羽月は微動だにできなかった。怖かったのだ。神楽と違って、自分は銃弾を避けるなどという人間離れした技など披露できない。怪我を負う──打ち所が悪ければ、最悪の場合、死ぬことだってあるだろう。その危険性がある場所へ踏み入ることなど、羽月には到底無理な話だった。
羽月がその光景を眺めていると、神楽が狙撃手──また子を煽り出した。また子の方は随分短気であるらしく、挑発と分かっていながらも確実に神楽にペースを乱されている。
「ちょ、黙れクソガキィィ!! 晋助様、違うんス! 本当に毎日取り替えてるんスって!! ちょっとこれ確認してくだ、」
また子が甲板に立っていた男──高杉晋助の方を向いた瞬間、神楽は寝転がった状態から両足でまた子を突き飛ばした。余裕綽々な笑みを見せる神楽に、羽月はほっと胸を撫で下ろす。
だが、不意に背後から足音が聞こえ、羽月は慌てて振り返った。羽月の背中を狙っていたその男は、腰の刀を鞘から引き抜く。それを見た羽月は腹の底から悲鳴を上げると、半分無意識に男の胸倉を掴みがむしゃらに投げ飛ばした。
「ウオオオオアアアア!?」
「ギャアアアアアアア!?」
自分の悲鳴に重ねて、男と神楽の悲鳴が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、自分が今さっき投げた男が神楽の元へ落ち、更に神楽の傘によって屋根の上にいた別の人物の元へ殴り飛ばされていた。
そんな人間版ピタゴラスイッチを引き起こした当の羽月は、屋根から二人の男が落ちていくのを気にも留めず、こうなったらヤケだと近くにあった巨大なタルを抱え出した。羽月は殊に単純な
見た目より重いらしいそれを、しかし羽月は軽々と持ち上げると神楽の所へ駆けていく。それから、神楽の背後に迫っていた敵に向かって投げ飛ばした。だがコントロールが下手なのか、それは確実に神楽の元へと向かっていく。神楽は再度絶叫しながらしゃがみ込み、タルは彼女の頭上ぎりぎりを通過してその奥の男へと突っ込んだ。
「神楽さん、加勢に参りましたよ!」
「いや可笑しいだろォォォ!! 何アルかその剛腕どう考えても私の役目ヨ!? って言うかコレ、加勢どころか敵が増えたのと全然変わんなかったアルよコレェェェェ!!!」
「薙刀なら扱えるのですが……今はこうして周囲のもので応戦する他、手立てが見つからなかったもので。と言いますか、こうなったらなりふり構っていられません。まあすでに飛び道具として使ってしまったので丸腰ですけれどね!」
「私でもそこまで考え無しに突っ込んだことはないアルよ! どうするアルかこのクソガキィィ!」
「クソガキではありません、ガキです」
いつの間にか、羽月と神楽は大勢の船員に囲まれていた。ざっと数十人はいるだろうか。神楽は思わず下手くそな舌打ちをした。
そんな中、ある男が羽月の目に止まった。どうしたものかと柄にもなく頭を捻っている神楽に、羽月は何かを耳打ちする。神楽は少し驚いた後、ニヤリと笑ったかと思うと、羽月が捉えていた男の手元に向かって発砲した。男は間一髪でそれを避けたが、代わりにその手から得物──薙刀が離れる。それを素早く駆け出した神楽が奪取し、羽月に向かって投げつけた。
「ありがとうございます。これで少しはお役に立てるかと」
「フンッ、私のそば離れんじゃねーぞ!」
男顔負けな台詞を言い放った神楽に、羽月はにっこり頷く。それを合図とするように、敵が一斉に斬りかかってきた。
神楽は的確に顔面や手元に蹴りを繰り出し、羽月はしなやかに、かつ豪快に薙刀を振り回す。だが二人とも……とくに羽月は駆け引きがまったく出来ておらず、どの攻撃も正面切って受け止めていた。しかし尋常ならざるその怪力により、力押しされた相手は次々吹っ飛ばされていく。その光景は、一見こちら側が優勢かに見えた。
「ヅラぁぁ!! どこアルかァァ!? ここにいるんでしょォォ!!」
「ヅラさァァん!! いらっしゃるのなら返事をなさってください!!」
二人の声が響き渡る。刀を振るう浪士たちが、次々と倒されていく。たった二人の少女にかき乱されたその場は、騒然としていた。
──その空間を切り裂くかのように、鋭い銃声が走る。同時に神楽の動きが止まり、その華奢な肩と足からから鮮血が吹き出した。
「!? 神楽さっ……」
「今だっ、取り押さえ」
「どいてくださいな!!」
「グボオッ!!」
「神楽さんっ、大丈夫ですか!?」
「……ふんっごォォォォ!! 私をナメんじゃねーアルぅぅぅ!!」
少女とは思えぬそのすさまじい形相と共に、床に手をつきながら立ち上がる神楽。「なんだこのガキ!?」「化け物か!?」動揺が一瞬で辺りに広がっていく。しかし、さすがに銃弾を二発も食らえば動きは鈍る。まだ戦えはしそうなものの、明らかに無理をしている様子だった。
「……神楽さん、私があの方たちを引きつけておきますので、神楽さんはどこかに隠れてくださいな」
「はァ!? 何言ってるアルか羽月、お前なんかが敵うはずが」
「やってみなければ分かりません」
「いやコレ一目瞭然アルよ! 何アルかお前さっきから! なんでそんなに、」
「いいから早く!!」
羽月は神楽の言葉を遮り、敵のいない場所へと彼女を突き飛ばした。よろけた神楽が、後ろ髪を引かれつつも暗がりの方へ向かったのを視界の隅に捉えながら、薙刀を構える。
「……理由は忘れましたが、おじいさま曰く刀よりも薙刀の方がずっと有利らしいですよ……さァ、かかって来なさいな」
それは半分虚勢であり、半分は別の何かだった。それは羽月の持ち合わせる言葉では形容出来なかったが、沸々と湧き上がる熱のような、闘志のようなものが確かに体の奥底に存在していた。
人数差も圧倒的で、自分には戦闘経験もない。それなのに、勝てる気こそしていないが、同様に負ける気もしないのは、何故だろうか。その理由すらもわからない。わからないことだらけの中、羽月の口は、好戦的に弧を描いていた。