19

「おかしいねオイ……アンタ、もっと強くなかったかい?」
「……おかしいねオイ、アンタそれ──ホントに刀ですか? ……刀と言うより生き物みたいだったって……冗談じゃねーよ」

 ──ありゃ生き物ってより、化け物じゃねーか。
 その言葉は、もはや比喩にすら相当しないと雪は感じた。生き物。そんな表現すら通り越し、刀それ自体が化け物と化している。異様で異形でなそれに、銀時は確実に押されていた。

「……おいオメーら。余計な手出しはすんじゃねェよ。死ぬぞ」
「雪さっ……!?」

 新八の声を背に、雪は腰の仕込み杖に手を掛けながら走り出した。何か策があるわけではない。だが、このまま行けばただでさえ少ない勝算がゼロになる。迷っている暇などなかった。

 紅桜の帯びる淡い紫は、銀時と刀を交えれば交えるほどより一層強くなっているように見えた。ドクン、ドクンと脈打つそれは、まるで生き物の器官か何かだ。ああ、気色が悪い、そう顔を歪めた雪は、全身が殺気に覆われるのを感じながら鯉口を切った。
 微かなその音に、似蔵は口角を吊り上げるとすぐさま標的を変え、振り向きざまに刀を振り切る。雪は勢いよく抜刀し、強烈なその一太刀を受け止めた。予想を上回る圧倒的な威力に、腕の筋肉は強張り、痺れさえ感じた。

「何っで出てきてんだ雪テメーはよォ!」

 押し返される前に、今度は彼の背後にいた銀時が木刀を振りかぶる。似蔵は左足を重心に半身でそれをかわした。鍔迫り合いになっていた刀同士が離れる。その隙を、すかさず雪が突いた。白刃が似蔵の心臓に迫る。彼の口元には、猟奇的な笑みが浮かんでいた。

 先手の雪を上回る速さで、紅桜が足元に振り下ろされる。音と共に皹は瞬く間に広がり、戦いの場としていた橋は無惨にも崩壊した。突如足場を失った雪と銀時は、落下して浅い水面に叩きつけられる。
 橋にできた大穴から飛び降りた似蔵は、やはり銀時に狙いを定めた。砂塵と破片が舞う中、銀時は曇った視界を裂く紅桜をかろうじて防いだ。

「ぐっ……!」

 ぎりぎりと得物同士が不快な音を立てる。その均衡を破ったのは雪だ。水に濡れた髪を揺らし、後方から襲い掛かる。
 似蔵は刀を引くと共に上体を反らせ、銀時の木刀を紙一重でかわす。それから雪に反撃を加えようとするが、しかし彼女の方が僅かに速かった。剣先が、躊躇なく似蔵の首に突き刺さる──

「……っは?」

 飛沫が跳ねる。気付けば、雪の刀は水面に振り下ろされていた。そこから伝わるように、腕に痺れが走っている。
 一秒ほど呆然としたのち、しまった、と言いたげに顔を上げるが、すでに遅かった。眼前に迫る紫を帯びた切っ先。辛うじて顔面は避けたが、肩口に冷たさを感じ、それからすぐに熱さと痛みが込み上げ、赤が飛び散った。

 顔を歪めた雪は、思わずその場に片膝をついた。その様子に、似蔵の口元が弧を描く。ゆらり、彼女に止めを刺そうと、一歩近づいた時だった。銀時が似蔵の足に蹴りを入れ、バランスを奪った。背中から倒れた彼に馬乗りになり木刀を振りかぶる。

「喧嘩は剣だけでやるもんじゃねーんだよ!」

 木刀が振り下ろされる──その前に、紅桜から伸びた触手がそれを絡め取った。その隙をついて、似蔵の膝が銀時の脇腹に蹴り込まれる。銀時の体は軽々しく吹っ飛ばされ、今度は彼が地面に倒れることとなった。

「喧嘩じゃない……殺し合いだろうよ」

 慌てて体勢を立て直した銀時が、似蔵の追撃を受け止めようとする。だが、所詮木刀は木刀。真剣──それも得体の知れない力を有したそれに、そう何度も太刀打ちできるはずもなかったのだ。
 紅色の光が一際大きく弾ける。浮いた銀時の体は石垣に勢いよく打ち付けられ、無惨にも砕けた木刀の破片が水面を叩いた。新八の叫び声に重ねて、ばしゃんと、やけに大きい水音が響く。銀時の胸から、一拍遅れて真一文字に大量の鮮血が飛び散った。

「──おい」

 雑音に合わせて跳躍の音をかき消していた雪は、強い鉄のにおいに顔をゆがませながら、月光を背に受け似蔵の頭上で刀を振りかぶった。銀時にとどめを刺そうと踏み込んでいた似蔵は、僅かに反応が遅れる。しかし寸でのところでやはり彼女の刀は防がれ、鋭い衝撃音が耳をつんざいた。
 ──だが、雪の狙いはそれではない。
 元々、紅桜の速さに彼自身が付いていけず、腕を置いてけぼりに刀が動いているようには見えていた。それに賭け、雪は空中で無理やり体を捻る。彼女の頑丈なブーツのヒールが、全体重をかけ彼の肩に叩き込まれた。

「グウッ……!」

 当たりだ。どうやら予想以上に、その刀は人体に負担を掛けているらしい。今ので、すでに弱っているであろう骨に皹でも入ってくれていれば良いのだが。
 似蔵は顔を歪めながら、雪を力技で押し返す。その力に乗って彼女は軽やかに地面へ着地した。

 手負いであることを感じさせない、まるで余裕そうな表情で、雪はよろける似蔵を見据えた。同時に、その背後に踞っている銀時を似蔵に悟られないように窺う。顔は青白く、出血も酷い。早々に決着をつけなければいけないと、雪は仕込み刀を握る手に力を込めた。似蔵も再び紅桜を構え、戦闘体制に入る。

 先に動いたのは雪だった。駆け出すと同時にベルトに残っていた鞘を似蔵に向かってぶん投げる。それはいとも容易く跳ねのけられたが、この程度で隙を作れるなど毛頭思ってはいない。ただほんの僅かでも、雪の攻撃に対する反応を遅くすれば良かった。
 鞘を払った手がまだ下にも落ちていない間に、似蔵の左胸目掛けて刀を突く。しかし、ほとんど切っ先が掠ったであろうという所で、目の前を淡い紅色が横切った。

「なっ──」

 雪は即座に膝を曲げ体を仰け反らせると、自分の喉元を狙った紅桜を紙一重で交わす。ぴり、とほんの僅かに皮膚が裂ける感覚がした。
 雪は刀を逆手に持ち替えると似蔵の腹をかっ捌くかのように薙ぐ。だがそれすらも、先程まで全く別の位置にあったはずの紅桜に防がれた。

 やはり、だ。先ほども感じていたものがどんどん明確な形となっていく。
 異常だと思った。攻撃に対する似蔵の反応速度は、銀時と最初に刀を交えた時より遥かに早くなっているのだ。それこそ、人間とは思えぬほどのスピードに。たった数分間で、確実に似蔵の動きは洗練されていた。
 しかし、その短い戦闘の中で似蔵の戦闘力が向上したとは考え難い。となると……変わったのは似蔵ではなく紅桜の方か。
 雪の頭に、ある二つの可能性が浮かんだ。内一つ──紅桜自体が天人であるという仮説は、彼らが攘夷派であることによる可能性の低さからたち消える。
 そうすると、残るはもう一方。

「人工知能か」
「おやおや……随分と聡いお嬢ちゃんだねェ。だが、それを分かったところでどうするつもりだィ?」
「さァ? ただ、情報は多いに越したこたァ、ねーよっ」

 雪は刀を押しきると、その反動を利用して後退した。
 ──それにしても、一体どうしろと言うのだ。あの銀時に化け物と言わしめた似蔵……紅桜に、どう太刀打ちしろというのか。先ほど攻撃が決まったのだって、銀時を瀕死に追いやったことでできた大きな隙のおかげだ。それにこの時点で自分がこれだけの傷しか負っていないのも、似蔵が雪を甘く見ているか、手を抜いて遊ばれているのかもしれない。まずこの状態では、万が一にでも勝てるなどあり得ないだろう。

 雪は小さく舌を鳴らした。勝つ見込みがないのであれば、一先ずは手負いの銀時をどうにか回収し撤退するべきだ。だが、どうやって? 自分が似蔵を引き付けている間に新八に銀時を託すか? いや、そもそも似蔵が銀時を見逃すこと自体考えにくい。そうなるとやはり、この場で自分が仕留めるしかないのだろう。だが、極めて冷静に分析しても、彼との一騎討ちで勝つなど到底無理だった。ならば、どうする。どうすれば──

 打開策を生み出そうと思考を回していると、血が滲んでいる肩が先程より痛んできた。僅かに目をすがめ、そちらに注意が向く。
 ──時間にして一秒も満たなかっただろう。細めた視界が、一瞬にして黒に染まる。すぐさま刀を構えようとするが、その前に夥しい量の触手が雪の首元を捕らえた。

「うぐっ……!」
「クク……甘いねェお嬢ちゃん」

 足が地面から離れる。そのまま石垣に背中から叩きつけられ、首を絞められていることも相まって雪は呻き声を上げた。
 失念していた。似蔵が雪と対峙してから今までに、触手を使わず刀のみで戦っていたのはわざとだったのだろう。

 雪の手から刀が滑り落ち、水面を揺らす。もがいていた両手両足も力を失い下に垂れた。ゆっくり瞼が閉じられると、似蔵はニヤリとほくそ笑み雪を離す。盛大に水が跳ね、彼女の体は半分ほど水に沈んだ。

「雪!」
「……所詮、こんなものかね」

 似蔵は踵を返し、ゆらりと銀時に向き合う。銀時は傷口を手で押さえながら、刀身の折れた柄のみの木刀を掴み立ち上がった。彼の鬼気迫る表情に、似蔵はただ笑みを深くするばかりだ。
 丁度その時だった。

「……!」

 刀を掴んだ雪が、似蔵の背後から襲いかかる。

「おや……狸寝入りとは、しぶといねェ」

 似蔵が、雪に向かって紅桜を突く。
 雪は踏み込んだ左足を軸にし、大きく右腕を引いた。紅桜の刃が、避けようとしなかった雪の額を掠る。皮膚が切り裂け血が飛んだ。鮮血が顔面を覆っていく中、雪は勢いよく心臓目掛けて刀を突き刺した。
 攻撃は直前でかわされ、致命傷には至らなかった。しかし雪の刀は、似蔵の脇腹を僅かながら確かに抉った。刀に付着した血を振り落とすと、吐き出しそうなほどの苦しさを無理やり押し込め、似蔵を挑発するように鼻で笑った。

「ハッ……甘いねェオッさん」
「ククク……面白いお嬢ちゃんだねェ。白夜叉に続いて、今度はお嬢ちゃんの血を欲しているようだ」

 なァ、紅桜と刀に話し掛ける似蔵を痛々しい奴だとドン引きしつつ、雪は次の一手を考えようとする。だが、いよいよ頭がクラクラしてきた。ぬるりと額を伝う血が気持ち悪い。切り裂かれた肩が痛みを訴え、絞められた首も鈍痛を与えた。呼吸だって苦しくて苦しくて、たまらない。

 酷く楽しげな笑みを浮かべた似蔵が、再度雪に斬りかかる。かろうじて防ぐが、そこに追い討ちを掛けるように触手が伸びてきて、雪の腹に巻き付いた。彼女の体を持ち上げると、がらくたを扱うかのように放り投げた。

「雪っ────」

 銀時の呼ぶ声がする。雪は、逆さまになった視界の中その銀髪を探すと、そこに向かって闇雲に刀を投げ付けた。それを彼が受け止めるのを確認することなく、彼女は石垣に叩きつけられてしまった。
 視界がぶれ、水面に身体を打ち付ける。それから聞こえてくる、衝撃音と銀時の呻き声、そして似蔵の下卑た笑い声。

「……は、」

 掠れた声が喉からした。何故、刀を使わなかった。あの男なら、完全に防ぐことはできなくとも確実に間に合ったはずなのに。とどめを刺そうとする彼から、少しでも身を守ることができただろうに。
 雪は力の入らない手足を無理に動かし立ち上がろうとして、やめた。彼が捨て身で作った"隙"を一時の感情で台無しにするほど、彼女は愚かにもなれなかった。

「後悔しているかィ? 以前俺とやり合った時、何故殺しておかなかったと。俺を殺しておけば桂もこのお嬢ちゃんもアンタも、こんな目には遭わなかった。全てはアンタの甘さが招いた結果だ、白夜叉」

 紅桜が突き刺さった銀時の脇腹から、じわじわと血が溢れ出す。

「あの人もさぞやがっかりしてるだろうよ。かつて共に戦った盟友達が揃いも揃ってこの様だ。士道だ節義だ、くだらんものは侍には必要ない。侍に必要なのは剣のみさね」

 似蔵が一つ一つ、坂田銀時という存在を、侍という存在を踏みにじっていく。

「剣の折れたアンタ達はもう侍じゃないよ。惰弱な侍はこの国から消えるがいい……」
「……剣が折れたって?」
「!」

 自身に刺さった紅桜を、銀時は素手で掴んだ。皮膚に刃が食い込む。それを気にもせず、まるで固定するように力を込めた。

「剣ならまだあるぜ。とっておきのがもう一本」

 ──似蔵が背後の気配に気付いた。叫びか怒号か分からぬそれと共に、エリザベスから奪った刀を手にした新八が落ちてくる。彼はその勢いに乗って、似蔵の右腕を斬り落とした。
 勢いよく噴き出す鮮血、人体を切断した生々しい感覚が、重々しく新八の腕にのしかかる。

「アララ……腕が取れちまったよ。酷いことするね、僕」
「それ以上来てみろォォ!! 次は左手を貰う!!」

 新八が二人を庇うように間に入り、血のついた刀を構えた時だ。上方から男の呼び掛けが聞こえた。奉行所の役人が駆け付けてきたらしい。似蔵は一つ舌打ちすると「また機会があったらやり合おうや」と言い残し、紅桜を拾って逃走した。その後を複数の役人が追う。これでもう戻ってくることはないだろう。なんとか難を逃れ息をついた新八だが、すぐさま重症を負った銀時に駆け寄った。

「銀さん! しっかりしてください!」
「へへ……新八、おめーはやれば出来る子だと思ってたよ……」
「銀さん!」

 銀時の瞼が伏せられ、新八は必死に彼を呼んだ。その痛ましい光景に、しかし、オメーはそいつの心配しかしねーのかと雪は胸中不平をぼやく。子供のように拗ねているわけではないが、自分の意識が途切れないうちに彼に渡したいものがあった。

「……オイ、」
「! 雪さん、大丈夫ですか!?」

 息も絶え絶えな雪が、言葉を絞り出す。新八は慌てて彼女に駆け寄り、血に濡れた顔に背筋を凍らせつつ耳を傾けた。雪は何か紙のようなものを懐から取り出すと、新八に差し出した。

「これ、」
「…………」
「…………は違ェわ、これは知人から貰ったヤツだわ」

 間違えて取り出した猫カフェの無料券をしまい、再び懐を探る。

「……あァ、あったあった、あいよコレ……んじゃあと、頼まァ」
「雪さん!」

 泣き出しそうな新八に、思わず笑いがこみ上げてくる。そうしてとうとう銀時に続け、雪もかろうじて繋いでいた意識を手放した。