20

 痛みで意識が浮上するなど、なんと最悪な目覚めだろうか。
 じくじくと鋭く痛む肩を押さえながら、雪はゆっくり時間を掛けて状態を起こす。寝返りを打った際、丁度傷口部分に負荷がかかったのだろう。恐らく大して深くもない傷がこうも痛むのは、きっとそれのせいに違いない。頭、首、肩、あちこちに大げさなほどに巻かれた包帯が、鬱陶しく感じてならなかった。

 昨夜の記憶を辿りつつ、辺りを見回す。畳、障子、センスに欠けた『いちごオレ』の掛け軸。ここは万事屋のようだった。また、自分の隣には包帯まみれの銀時が横になっており、その奥には新八の姉の志村妙が正座したまま目を伏せていた。

 体が鉛のように重く感じ、もう一眠りしても良さそうだとは思ったが、かといって何が悲しくてこれ以上他人──それもよりにもよってこの男の隣で寝なければならないんだ。
 銀時を一瞥した雪は、布団から這い出すと彼の横に行儀悪くしゃがみ込んだ。

 スヤスヤと聞こえないほどの寝息を立てている妙とは対照的に、銀時は心なしか魘されているように見えた。眉間には皺が刻まれ、顔が強張っている。
 あんな気の狂った浪人に加えて化け物染みた刀と対峙した──さらに言えば、どうやら過去にも剣を交えた事があるらしい──のだから、無理もないと言えばそうなのかもしれない。しかし彼のことだ、寝ながらとはいえそれを顔に出すなどするだろうか。それを考慮すると、もっと根深い、雪の予想の範囲外にある話なのかもしれない。それは本人か似蔵に訊かない限り、いくら頭を悩ませたって分かるはずもないのだけれど。

「………」

 痛々しく巻かれた包帯。あまり良くない顔色。この全身の倦怠感がなければ、寝ている彼に憎まれ口の代わりに額に糖とでも書いてやったかもしれない。
 そんなことを考えながら銀時を凝視していると、微かに彼の口が動いたことに気付いた。
 雪は少しだけ目を見張った後、サラリと垂れる髪の毛を押さえながら彼に耳を傾ける。そのまま耳を澄ませば、ほんの僅かな声量で言葉が紡がれた。

 ──それが意味するものを、雪は知らなかった。予測こそできるが、それが正しいかどうかなど分からない。本人に問い質す他ない。
 だが、別段気になりはしなかった。そもそも本人が「話さない」のだから、「聞く」必要など何処にもないのだ。
 ただ、一つ言うとすれば、

(……本っ当、)

 面倒な事ばかり抱えて引き寄せて、面倒くせェ奴だと。無意識にため息が出た。
 雪は顔を離すと、あるものを探すべく視線をあちこちへと向け始める。そこで妙のいる位置から少し離れた場所に、二枚の紙切れが落ちているのを見つけた。それを回収すべく、のそのそと移動する。

 拾い上げたそれを、雪は目線まで挙げた。薄っぺらい方の紙の上部には、領収書と手書きで記されている。厚紙の方は、自分が新八に預けた闇医者の名刺だ。こちらも手書きで、そのおかげか随分と胡散臭さが助長されていた。

「おー……さっすが、破格のお値段だねェ」

 ぽつりと独りごちると、それに鼓膜を揺すられたのか隣りから欠伸が聞こえてきた。妙が目を覚ましたらしい。

「あら……雪さん、目が覚めたんですね。良かったァ」
「あァ……そういや、ぱっつァんは?」
「新ちゃんは……用事で出掛けています」
「そ」

 自分らをここまで運んだであろう新八の姿が、先ほどからずっと見えないことを雪は問う。しかし返ってきたその抽象的な答えに、即座に嘘であると悟った。だがそれ以上詮索することは、相手が妙である以上無駄なことは分かっている。そもそも、彼が不在の理由など大方想像がついた。

 二枚の紙を懐にしまい、一度自宅に帰るべく雪は立ち上がる。妙のそばにある薙刀を見て、刀の手入れをしなければいけないことを思い出したのだ。大分放置してしまったが、一度川の中に落としたわけだから血液がこびりついていることもあるまい。不幸中の幸いだった。

 病室と化していたこの部屋を後にしようとする。しかし、凄まじい速さで雪の腕を掴んだ妙により、あえなく阻止された。彼女の表情は笑ってこそいるものの、どこか鬼気迫る……というか、鬼のような気迫が籠っていた。

「雪さん? どこへ行かれるんですか?」
「家」
「駄目ですよ、あまり動かないでください。傷口が開いたらどうするんですか」
「それァ私よりそっちの馬鹿に言っとけ。この程度大した傷じゃねェよ」
「いけません。肩の傷もそうですし、額の傷がもし悪化したりしたらどうするんです。女性は顔を大切にするものですよ」
「だァから平気だっつの。暴れてくる訳でもねーんだから」
「駄目です。横になっていてください」
「しつけェな……別にあの眼鏡捜しに行くわけじゃねーから手離せ」

 雪の腕を掴む力が、一瞬弱くなる。そこを無理やり振り切り、雪は立ちあがった。

「……分かりました。でもちゃんとすぐに戻ってきて下さいね? あんまり遅かったら私迎えに行っちゃいますよ」
「わァったからその薙刀下ろせって」

 穏やかな笑みを浮かべ得物を構えた妙に、雪は宥める気があるのかないのか「どうどう」と両手の平を向けた。







「ぬゥああァァァ離すネェェ! 私にこんなことしてただで済むと思ってるアルかァァァ!」
「ぐほォ! なんだこのガキ!」
「皆銀ちゃんにボコボコにされても知らないかんなァァァ!!」
「……もうボロボロなんスけど」

 鬼兵隊の戦艦内、神楽は拘束されていない両足で、話を聞き出そうとする浪士たちを撃退していた。
 彼らの体たらくを目の当たりにしたまた子は、「だからさっさと始末しようって言ったんスよ」と神楽に近付いていく。それを制したのは、武市だった。

「なんの情報も掴んでないのに殺してどうするんですか。それにね、この年頃の娘はあと二、三年したら一番輝く……」
「ロリコンも大概にして下さいよ先輩」
「ロリコンじゃありませんフェミニストです。見て下さい、一夜にして貴方に撃たれた傷が塞がっているし、それにあの尋常ならざる剛力そしてあの白い肌」
「先輩いい加減にして下さい」
「だからおめ、違うって。私が言っているのは、これは宇宙最強と謳われる戦闘種族…夜兎の特徴と一致しているということです……死ね」
「お前が死ね。……夜兎って、じゃあ」

 また子は、あからさまにツンと顔を背けている神楽から、その隣で磔にされている──しかも未だ気持ち良さそうに爆睡している羽月へと視線をずらした。

「なんスか、まさかこっちの着物のガキも夜兎っつーんじゃないッスよね」

 羽月の寝顔を視界に捉えた途端、今現在部下が修復に励んでいるであろう甲板のことが思い浮かんだ。
 一人得物を構えた羽月は、まるでリミッターが外れたように、負傷した神楽の分までさんざん暴れ回った。彼女の戦闘ぶりは、死地を経験したことのない者のそれだと一目でわかったが、しかしリーチの長い薙刀にその腕力を乗せて四方に振り回し続けたとあれば、こちらも迂闊に手を出せなかったのだ。その妙な剛腕ぶりと、命すら惜しくないと見える大胆な立ち回りは、ただの一般市民とは言い難い。──無論、そんな風に暴れていれば体力の消耗も著しく、僅か五分にも満たない短期戦ではあったが。
 しかしその短い中で甲板は滅茶苦茶にされ、部下たちもさんざん薙ぎ倒され、鬼兵隊にとっては大きな痛手であった。

(……なのに、こっちに一人も死人が出てないってのはどういうことッスか!! いや好都合っちゃそうだけども!!)

 ただ、戦力を削がれはしたが、羽月の戦い方は「倒すため」のものであり、決して「殺すため」ではなかった。恐らく彼女は「それ」しか知らないのだろう。だが、その事がまた子の癇に障らないわけがなかった。

 あの時、弾切れさえ起こしていなければ……!!

 そもそも、普段敵を目の前に弾切れを起こすなどしないというのに、何故よりにもよって、羽月が出てきた時に限ってそんなことが起きたのか。ここまで偶然が重なるなど、誰が予想できただろう。これではまるで、羽月が世界に生かされてるかのようではないか。そんな荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい考えまで浮かんできた。
 また子が表情を歪めていると、隣から「ほほう」と感嘆の声が聞こえてきた。

「そうですね、確かに、夜兎に並ぶ肌の白さそしてこの美しい顔立ち」
「だからキモいんスって死ね」
「お前が死ね。しかし戦闘力は夜兎の足元にも及びませんでしたからね。それに、そちらのお嬢さんとは違って傷も癒えていない。あちこちのかすり傷なんかもそのままです。恐らく夜兎とは何ら関係のない少女でしょう」
「あァ……まー確かに腕力でごり押ししてる感は否めなかったッスね。つまりあれッスか、どっちかっつーと山奥で育った野生児」
「そんな雑な纏め方を……若い女性への嫉妬ですか、醜いですよまた子さん」
「誰がだァァァ! 殺したろかテメェェェ!」

 青筋を浮かべたまた子が武市のこめかみに銃口をぐりぐり押し付ける。そんな彼女の様子を見て、神楽は煽るように腹立たしい事この上ない顔で吹き出した。

「ププッ醜いだってヨ」
「テメー自分の状況分かってんのかァァ! 馬鹿にすんのも大概にしろォォ! ホンットお前のせいで晋助様に誤解されてたらどう責任取ってくれんスか!!」
「気にすることはありませんよまた子さん、貴方の染み付きパンツなどどこにも需要はな」
「何の話をしてんだァァァ!」

 ズガン、と勢いに任せて引き金が引かれる。間一髪で避けた武市は、焼け焦げた髷を押さえながら再び羽月を見た。

「まァ冗談はさておき、確かに力だけなら夜兎にも引けをとらない剛力っぷりでしたね」
「暴れるだけ暴れて、急にばったりッスからね……自分の体力の限界にすら気付かない馬鹿にあこそまでめちゃくちゃにされたのかと思うと……ああもう今すぐブッ殺してェェェ!!」
「落ち着きなさいってまた子さん、私の見立てによるとこの子五年後くらいには」
「しつけェよ武市変態ィィィ!!」
「だから先輩だってば」







 刀の手入れを終えた雪が自宅を出ると、万事屋の階段下に見知った顔を見付けた。
 こんな胡散臭い店──特に今は、従業員全員が仕事をこなせる状態ですらない──に、依頼を持ってくるだけ無駄だ。その事を教えてやろうと気まぐれに思い立ち、雪は彼女に声をかけた。

「よ」
「え……あ、雪さん……?」
「久しいねェ鉄子ちゃん」
「そうですね……雪さん、この辺に住んでたんですか」
「あァ……まァね」

 先程から万事屋の看板しか視界に入っていなかったようで、雪が家から出てきたところは見ていなかったらしい。雪は適当に頷くと、普段より覇気の無い鉄子を眺めながら腕を組んだ。

「そういえば、それ、どうしたんですか?」
「んァ?」
「その、包帯……」
「あーこれね……ま、ちょっとな」

 また言葉を濁す。鉄子は「そうですか、」と心配を含んだような、しかし別段いつもと変りも無いような声色で返事をした。雪の面倒くさがりな性格は、久々の再会であっても覚えていたらしい。でなければ、碌に質問にも答えない雪に少なくとも良い気はしなかったであろう。

「で、オメーは万事屋に依頼?」
「え? あ……えと……銀さん、を……」
「残念ながら、今天パどころか全員仕事受けられそうな状態じゃねェぞ」

 雪の言葉に、鉄子は肩を揺らすと決まり悪そうに俯いた。雨傘によって、顔が完全に隠れる。
 ──彼女のその様子を見て、雪の頭にいくつも転がっていた部分的な情報が、急速に繋がり始めた。

 銀時は、依頼と言って妖刀──紅桜を指していたのだろう──を捜していた。それから、現時点での紅桜の保持者である似蔵は、恐らく紅桜の経験値を積むためにより多くの強者とその刀を交えようとしていた。
 互いが互いを探し求めているその状況が、もし偶然ではなかったら。
 雪はさらに脳内に検索を掛ける。紅桜のような代物を作り出せる刀鍛冶は、江戸には恐らく鉄子の兄、村田鉄矢くらいしかいない。もし、銀時に依頼をしたのが紅桜の生みの親……暫定、鉄矢であるとしたら。その理由が、銀時と似蔵を引き合わせる為だとしたら。
 そのことに、今階段下で俯いている、銀時に用事があるらしい彼女が、負い目を感じているのだとしたら。

「……オメーもつくづく難儀なこって」

 鉄子は目を見開いて、勢いよく顔を上げた。対する雪は「天パならいんぞ。起きてっかは分かんねェけど」と伝えると、用は済んだとでも言うように歩き出す。自分の横を通り過ぎる雪に、鉄子は慌ててその羽織りの袖を掴み引き止めた。

「何?」
「えっ、あ……あの……どこへ行かれるんですか?」
「ちィと野暮用」
「いや、でも、怪我、してるじゃないですか……」
「そうは言っても、うるせーババアから直々に命が下されてんだよねェ。あー面倒くせ」
「……そう、ですか」

 そのふざけた物言いに、訊きたいことは多々あったが食い下がることはしなかった。鉄子がぱっと手を離すと、雪は袖を翻し再び歩き出す。
 しかし、数歩進んだところで、雪は思い出したように足を止め振り返った。

「あァ、そうそう」
「?」
「もし一つ縛りの女から私の事聞かれたら、腹下して厠籠ってるとでも言っといて」
「……は?」

 事情は分からずとも、その女らしからぬ発言に流石の鉄子も素っ頓狂な声が出た。