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「(やってしまった……死にたい……いやむしろ死のう……絶対死んだほうが楽だからこれ)」
──最初に高杉に押し込まれたあの部屋で目を覚ましてから、真琴はずっとこの調子で沈んでいた。
最早面白いくらいキリキリ痛む胃に、まさかとうとう胃痛持ちになってしまったのか……? と眉をしかめる。その顔から色が抜けていることなど、鏡を見ずとも予想できた。
だって、まさか、あろうことか、犯罪組織の首領に頭突きをかますような度胸が自分にあるとは思わないじゃないか。……度胸、というよりは、身に迫った危機に反射的に体が動いてしまった、という形ではあるが。
だが自分にはやるべきことがある。ここに籠って延々とうじうじしているわけにもいかないのだ。そんな思いから、真琴は自身を奮い立たせ再度部屋を出ることを決意した。
……したはいいが、そういえば自分は何故この部屋にいて、ご丁寧に敷かれた布団の上で今の今まで眠りこけていたのだろうか。高杉に渾身の一撃を食らわせ、自身も気絶してから目を覚ますまでの間に、誰がここまで世話を焼いてくれというのか。そもそも、あのナントカという刀が大量に陳列していたあの部屋。あそこに頻繁に人が出入りくるとも考えにくい。
となると、にわかに信じがたいが、まさか高杉が頭突きを以てして目一杯拒否された相手を運んでくれたとでもいうのか。そんなまさか。
「…………いや、本当まさかね」
ないないと脳裏に浮かんだ隻眼を振り払い、真琴は己の奮い立たせて部屋を出た。
──そういえば、結局高杉たちが何を企んでいるのか聞き損ねてしまった。
真琴は時間差でそのことに気がついた。しかし、今考えてみれば、元々そんな必要もなかったのだろう。──だって、あれ確実に兵器じゃん! あの大量生産された刀を利用して、幕府だか江戸だかを相手取る気満々じゃん!
つまり、それの存在を知った時点で、真琴のやるべきことは決まっていた。無論それは、
しかし、己の力量のみでそんなことが可能だろうか?
コンディションが最悪どころか死滅しているのはこの際置いておくとしよう。得物はいつも通り隠し持っている。標的も明瞭だ。しかし、真琴の得物と言えばクナイ等の忍具。とてもじゃないが、使い物にはなりそうにない。──あれ、そういえば、クナイで何かを思い出したような……まあ、いいか。
例えば何か、あの部屋だけを吹き飛ばせるような、小規模な爆発物でも用意できないだろうか。だが煙幕ならいざしらず、爆薬の作り方など流石に習っていないし、そもそも材料の調達だって難しい。やはり無い物ねだりしても仕方がない、あるので勝負するしかないのだ。
それにしたってどうしたものか。ひたすら歩きながら逡巡した。だが考えても考えても解決策は見当たらない。いよいよお手上げか──
「────!?」
突如大きく揺れた船内。鼓膜を揺さぶる衝撃音。傾く足場。内臓が体の中で揺蕩うような浮遊感。
何が起こったのか理解できないままに、真琴はバランスを崩しそばの開いていた部屋に身を転がすこととなった。
「んギャッ!!!」
到底女とは思えぬ無様な呻き声を上げた真琴は、勢いよく床に打ち付けた額に苦しみ悶える。一日の内に二度も同じ場所へ大打撃を食らい、精神へのダメージも大だった。
「……おや、随分とダイナミックな入室じゃないかい、お嬢さん」
「ヒッ!?」
──まさか人がいるとは思わなんだ。
空き部屋か倉庫か何かだと思っていた部屋の奥には、不気味なシルエットが暗がりの中蠢いていた。真琴は後方に飛び退きつつ目を凝らす。それの正体は、極めて異質で、奇妙で、思わず喉から小さな悲鳴が漏れた。
人体から──正確に言えば、上腕部が無い右肩から無機物が生えていた。無数の細長い、機械的な……それでいて、生物のように蠢いている触手。それは少しずつ本数を増やし、失った腕の代わりになろうとでもしているようだった。
青ざめた真琴は、その場から逃げ出そうとして立ち上がろうとする。しかし、腰が抜けたのか上手く力が入らない。それならばと、虚勢を張るように懐からクナイを取り出した。もし攻撃を仕掛けてこようものなら返り討ちにしてやると、気持ちだけ強く持って。
しかし男は戦闘体勢に入るどころか、急に苦しみ出した。同時に触手も活性化したかのようにめきめきと唸り始める。
「……う、ぐゥっ……!!」
「ギャアアアえ何大丈夫ですか!? もしかしてわたしのせい!? わたしがこんなん構えたから!? だ、大丈夫ですか!? ちょっと!?」
敵であるにも関わらず、真琴は怯えながらも男の安否を伺う。……勿論、近付いて手を差しのべるほどの度胸などはないが。
男は呻き声を上げるばかりで、まともな返答がない。真琴はわけが分からないまま視線をあちこちへ飛ばした。この場合どうすれば良いのか。敵ではあるが、助けるべきなのか。そして助けるとしたら、何をすれば良いのか。
妥当なのは、あの無機物の束を根元から断ち切ってしまうことだろうか。しかし痛覚を共有していないとも限らないし、迂闊なことはできない。
(……というか本当、敵なんだしわたしが気にすることなくない!?)
狼狽していた真琴が、少しずつ冷静さを取り戻し始めた時だった。
ふいに、その触手の先に絡み付いているものが見えたのだ。
(あれって……)
淡い紅色を纏う、引き込まれるほどに美しいそれは、真琴の脳裏によく焼き付いていて、
「………紅しょうが……」
──真琴がボソリと呟くと、男の呻き声はぴたりと止み、それに伴い触手の動きも一時停止した。
男がゆっくり振り返る。サングラスの奥の瞳は盲目なのか閉じられていたが、妙に馬鹿にされているというか、阿呆を見る目を向けられているような気がした。
何故だかいたたまれなくなり、真琴はそっと部屋を後しにようと立ち上がる。今度は、ふらつきすらしなかった。
「し……失礼しました〜……」
まるで熊と対峙した時かのように、男から目を離さないまま少しずつ後ずさる。
しかし、あと少しで部屋の敷居を越えると行ったところで、真琴は、今度は背後から迫る気配に気が付いた。
跳ね立つ心臓を押さえながら、慌てて振り返る。徐々に鮮明になってくる静かな足音。
速さには自信があるとはいえ、今更逃げることなどできるはずもなく。
「よ、」
「アッ……」
彼がその姿を現した時、真琴はいよいよ死すべき時が来たか……と一周回って悟りを開いた。
「………」
「………」
「………」
「……こっ……こんにちは〜……」
「………」
「────よォ、お苦しみのところ失礼するぜ。お前のお客さんだ」
容赦なく拳を叩きこまれた額を抑え、プルプルとしゃがみ込む真琴をよそに、高杉は男、岡田似蔵へと視線を向けた。
高杉の話によれば、似蔵が派手にやらかしたおかげで曰く「面倒な連中」とやり合わなくてはならなくなったらしい。先ほどの大きな衝撃は、恐らくそれのことなのだろう。
敵の敵が味方とは限らないが、もしかするとこのまま流れに身を任せれば上手く事が運ぶのではないか……? 無論、そのためにはまず真琴が上手く流れに乗ることが重要となってくるが。
「桂、殺ったらしいな」
──何?
「おまけに銀時ともやり合ったとか……わざわざ村田まで使って」
──この人は、今、何と言った?
続けて高杉は何かを話していたが、真琴の耳には入らなかった。──桂さんを、殺した? 銀さんも無事じゃ、ない?
(い、や……いやいや……うそだ、)
そんな訳がない。そんな簡単にやられる人達ではないのだ、彼らは。二人の強さはよく知っている。だから、そんなのは、あり得るはずがない。
「……アンタはどうなんだい。昔の同志が簡単にやられちまって、哀しんでいるのか。それとも……」
(……は、)
──真琴の意識を引き戻したのは、似蔵の口から出たそんな言葉と、その直後の鼓膜を突き破るような鉄と鉄の交わる音だった。
「ほォ……随分と立派な腕が生えたじゃねーか。仲良くやってるようで安心したよ。文字通り一心同体ってやつか」
高杉の刀を、それとは対照的に怪しい光を纏う似蔵の刀が受け止めている。だが彼らのその雰囲気と、真琴が感じた身を刺すような殺気。高杉は仲間にも関わらず、きっと、似蔵を本気で殺そうとしていたに違いない。
似蔵に「外の連中」を片付けてくるよう指図した高杉は、納刀しながら真琴の横を通りすぎていく。敷居を跨いだところで「それから、」と振り返った。
「二度と俺達を同志なんて呼び方するんじゃねェ。そんな甘っちょろいモンじゃねーんだよ、俺達は」
(……なんで、)
強く言い放った高杉が部屋から立ち去る。遠ざかっていくその背から、真琴は視線を動かすことができなかった。
(なんで、そんなに、)
何故そんな怖い声で、怖い顔で、そんな哀しい事を言うのか。高杉の言葉が、何度も何度も頭を巡り、真琴をじわじわと蝕んでいく。
高杉の顔が誰も寄せ付けようとしないほどに冷たかったのが、真琴は、とてつもなく苦しかった。
高杉がそんな顔をしていることに、この上ないほど胸が痛んだ。
(苦しい、)
高杉の瞳が、真琴には苦しんでいるように見えた。
「…………っ、」
胃から何かがせり上がってくるような感覚がする。それに耐えながら、真琴は高杉を追い掛けようと立ち上がった。追い掛けて、何をするのか。何を言うのか。それを考える余裕も、今はなかった。
「お嬢ちゃん」
だから、すぐに走り出すのが叶わなかったのは、似蔵のせいと言うよりは反射的に振り返った自分のせいなのだろう。
真琴はしばし迷ったあとに、なんですか、と頼りない声で続きを促した。
「……どうもこの船に鼠が紛れ込んでいるようでねェ。一応、用心はしたほうが良いだろう」
「ねずみ……?」
真琴は顔をしかめる。含みある言葉に対して、というよりも、何故自分にそれを教えてくれたのかという疑念からだった。
だが似蔵は応答しない。それどころか、何を思ったのか唐突に横に構えた刀を真琴に突きつけた。
肩を震わせた真琴が袖口からクナイを取り出すより早く、似蔵が口を開く。
「それと……紅ショウガじゃあない、紅桜だから」
「………………」