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「……オイオイ」

 港に停泊していた戦艦に目星をつけたは良いものの、雪がそれに辿り着いた直後、執拗に小型の戦艦に狙われ始めたのは運が無かったとしか言いようがない。
 だがこれで確信は持てた。真琴が無断で丸一日帰ってこないというのは、彼女の性格上あり得ないのだ。さらに、かぶき町周辺のどこを捜しても彼女は見当たらなかった。つまり、どうせまた何か面倒事に巻き込まれているのだろうと。そうして見つけた大きな「異変」の渦中に、真琴はいるに違いない。何せ彼女は、恐ろしいほどに巻き込まれ体質を極めているのだから。
 雪は差していた傘を傾け、顔を隠しながら船の見張りに堂々と近付いた。

「何者だ!」
「スンマッセ〜ン、ぼっち野球してたらおたくにボール飛ばしちゃいましてェ」
「雨の中一人野球する奴があるか! 怪しい奴め!」
「というか一人で野球ができるわけないだろう! この曲者が!」
「それが出来るんですってェ。ほれ、これ見てくださいよ」

 懐をまさぐった雪は、親指と人差し指で何かを摘まんだその手を、顔の前まで持ってきた。
 そのような動きをされれば、思わず顔を近付けてそれが何なのか確認したくなるのが人の性であろう。少なくとも、この浪人たちは雪の思惑通りに動いた。
 雪は指で摘まんでいた「ただの糸屑」を左手の傘と同時に手放すと、ロックオンした二つの頭をそれぞれ鷲掴みにし、互いを力一杯思いきりにぶつけさせた。
 ごいん! と痛々しい音が響き、浪人たちは白目を剥いて地面へと倒れていく。この二人以外に、何かを感じ取った人物が再び額へのダメージを思い出したことなど露知らず、雪は落ちた傘を拾い上げ、

「お邪魔しまァす」

 誰にともなく定型文を言い放つと、何食わぬ顔で戦艦内に侵入したのだった。







 羞恥で熱い頬を風を切って誤魔化しながら、真琴は高杉を捜していた。

(……今、何か、)

 何故か再び痛みだしたような気がする額を擦りながら、船内を駆け回る。しかしこの船、なかなかに広い。この状況においては嫌がらせとしか思えない。どこへ行っても高杉の姿は見当たらなかった。

 それにしても、「鼠」とは一体何なのだろうか。思い当たるとすれば、また子が言っていた侵入者のことだが、何となく、それとはまた別のもののように感じる。
 そんなことを考えていたら、今度はその侵入者のことまで気になってきた。どうにも引っ掛かるのだ。このタイミングだと、まるで高杉らの企てを察知し、それに合わせて敵地に乗り込んだとしか……

「!」

 真琴は地面を蹴る足に急ブレーキをかけた。前方、約三メートル先。
 よく目を凝らさなければ気付けないような、透明な糸──恐らくワイヤーが、まるで人の足を引っ掛けて転ばせようとしているような高さに、張られていたのだ。
 罠と言うほどでもない仕掛け。それじゃあ、悪戯か? ……そんなの、誰が?

「……お? おォ、」

 不審に思っていると、どこからか感嘆の声が聞こえてくる。声の発生源は、数メートル先の角。

「まっさか避けられるとは思わんかったわァ」

 そこから独特な喋りとともにひょいと姿を現したのは、長身痩躯の男だった。へらり、と口角をつり上げ、閉じた猫目も一緒につり上げ、おっとり……と言えば聞こえは良いが、その笑みはどうにも胡散臭く見える。前後で色と長さが違う、風変わりな髪型もその要因の一つだろう。
 真琴は近付いてくるその男に、自分自身も一歩ずつ後退していった。

「まま、逃げんでもええやろ」
「(来んな! ストップ! タンマ!!)」

 じりじりと滲み寄る男に、真琴のすでに残り僅かの余裕もじりじりと削られていく。
 この男は一体、何なんだ。
 先ほどの口振りからして、悪戯を仕掛けたのは十中八九彼で間違いではないのだろう。しかし、その理由が分からない。避けられるとは思わなかった、とは、つまり恐らく誰かが引っ掛かるまで見張っていたということじゃないか。何て暇な奴なんだ。しかも、外では何か騒ぎが起きているにも関わらずだ。
 どうにもこの男は、この船において浮いているように思えた。

(……まさか、)

 彼が、似蔵の言っていた鼠?
 と、すると、自分のこの状況は非常にまずいのではないか?

(ああ……ああァァ最悪だ……!!)

 あのいかにも強者そうな似蔵に、用心しろと言わしめるような相手だ。よりにもよってそんな敵と出くわすとは、どういうことだ。運の無さが限界突破している。

「だァからそないに警戒せんでもええやろ? アンタはもうこの鬼兵隊の一員、アンタに危害加える奴なんてだァれもおらんで?」
「(よくもそんないけしゃあしゃあと!!)」
「険しい顔してんなァ、別嬪が勿体ないで。あ、もしかしてあのグラサンのこと気掛かりなん?」
「べ、別嬪なんてそんな……は?」
「いやー、もだーいぶ紅……ぷっ、紅ショウガに、ブフッ、侵されとったもんなァ?」
「なっ……ん……!?」
「しかも何でかアンタの心配までして……でェ俺がその鼠なんやないかってェ疑っとんのやろ?」

 自分と似蔵しか知らないはずのことを、何故この男は知っている。そして、自分が怪しいという自覚はあったのか。あと、それから、

「何で知っとるんやって顔やなァ。ま、盗み見御免ってとこやな!」

 出来れば、今すぐにでも忘れてくれ。と、そんなことを願いながら、真琴はなるべく落ち着きを取り繕った声色で、心底楽しそうな彼に問う。

「……じ、じゃあ鼠って、貴方のことなわけ?」
「んー? さァ? どやろなァ? 推理してみィ?」

 男はわざとらしく小首を傾げてみせる。言動のひとつひとつが、相手をおちょくるために作られているようだった。

「にしてもけったいなことしよるなァ、あのグラサンのおっちゃんも。アンタみたいなびっみょ〜なトコに立っとる奴にィ? わざわざ用心せェなんてェ忠告したるなんてなァ?」
「……そ、そんなの、わたしが聞きたいし」
「はァ? いやいや理由なんて明白やろ」
「え?」

 思わず素で聞き返した。いくら考えてもわからなかった答えを、この男は持っているというのか?

「ま、気になんなら自分で訊きィや。……とォ言いたいとこやけど、多分んなチャンスはもう無いやろなァ」
「え? な、なん、」
「ま、一つはアンタに心配されるなんて思わんかったんやろなァ」

 距離を詰められ、額にトン、と人差し指を当てられた。男にしては長く手入れされた爪が、僅かに皮膚に刺さる。

「あないにバケモンに近づいといて、存外人間らしい心も残っとったんやなァ。身ィ案じられて嬉しかったんやろ」
「ま、さか……そんなわけ、」
「あとはァあの包帯厨二……あ、こっちは名前知っとるんやったっけなァ。高杉さんが殺す気ィ無しに、しかも刀やのうて拳を振るうなんて、おっちゃん初めて見たんとちゃうか? あの人そんな意味あらへん戯れなんて、他の奴相手じゃ絶対せえへんやろーしなァ」

 ──その答えは、すとん、と真琴の胸に落ちてきた。
 よもや自分が普段の高杉ではなくて、もっと深く、内側に隠れていた彼を引き出していたとでも言いたいのだろうか。そんなわけがない。あの男は、恐らく心に幾重にも鍵をかけているような人間だ。出会ったばかりの自分が、そんなことをできるわけがない。
 でも、もしも、本当に彼の言う通りなのだとしたら。
 認めてはいけない。こんなこと、決して認めてはならない。わかっていた。それでも、この時真琴は確かに、初めて、高杉に対して負ではない感情を覚えたのだ。

「それはそォとアンタ、高杉さん捜しとるんやろ?」
「えっ、な、なん、」
「あの人なら外におんで。ホレ、あっちあっち」

 単なる気紛れか、理由は分からないが親切心なのか。訝しげに思いつつも、真琴は小さく、ぎこちなくどうもと呟く。それから少し躊躇しながら、男が指差した方向へ歩き出した。

「あ、ちょい待ちィや」

 と、真琴の両肩に後ろからぽすっと手が乗り、そのまま強制的にぐるりと後ろを向かされ、

「はっ……!?」

 思いきり顔と顔を近付けられたあと、

「ちょっ─────……だっ!!」

 勢いよく額を指で弾かれた。

「プッ……なんや期待したん?」
「なんっ、なっ……! ひ、人をおちょくるのも、いい加減に……!!」
阿見原釵臣(あみはらさおみ)。覚えといてェな? 真琴ちゃん」
「誰がっ……ん? ……はい!? ちょっ何でわたしの名前知っ……ちょっ待っ、ちょっとォォ!?」

 流れるように名乗った男は、猫のようにニィッと笑うと悪戯をした子どものようにその場を走り去っていく。残された真琴は赤く染めた顔に怒りを滲ませ、その背中を睨んでいた。
 しばらくして我に返り、一つ大きく呼吸をしてから真琴も彼とは反対方向に駆け出す。自分の名前を知っていたのは、恐らく高杉などの人物から聞いたのだろう。そう自身を納得させるが、ならば彼はやはり鬼兵隊の一員なのだろうか。

 だとすれば、結局、似蔵の言っていた鼠とは何を指していたのだろうか。





 無人になった通路に、しかしどこからか声が響く。

「……はてさて、あの子はあの人を通して何を見とんのやろなァ?」