26

 今まで生きてきた中で、これほどまでに大きな負の感情に出会ったことがあったか。
 誰かの嘆きに、これほどまで胸を抉られるような思いをしたことがあったか。

「……真琴殿、大丈夫か」
「…………」

 天人を薙ぎ払いながら真琴の手を引く桂。真琴は小さく頷いたが、大丈夫なんてことは決してなかった。

『俺達に生きる世界を与えてくれたのは紛れもねェ、松陽先生だ』

 "松陽先生"。恐らく彼の、高杉の恩師。

『なのにこの世界は俺達からあの人を奪った……だったら俺達は、この世界に喧嘩を売るしかあるめェ。あの人を奪ったこの世界をブッ潰すしかあるめーよ』

 彼はどうしたって、この世界を憎むことしかできないのだろう。でなければ、きっと立っていることさえ、息をすることすらままならない。圧迫されて、押し潰されそうになって。苦しくて苦しくて堪らなくて。その苦しみから逃れようと必死に足掻いている。真琴には、そう思えてならなかった。

『なァヅラ、お前はこの世界で何を思って生きる? 俺達から先生を奪ったこの世界をどうして享受しのうのうと生きていける? ……俺はそいつが腹立たしくてならねェ』

 この世界を許せないほどに、奪われたその人は大切な人で、心から慕っていたのだろう。
 その人を奪ったこの世界も、護り切れなかった自分自身も、もう会うことができないという事実も、何もかもが許せなくて。その衝動がやむまで暴れ狂って。それが今までずっと続いていて。もし、そうなのだとしたら。

『俺ァただ壊すだけだ、この腐った世界を』

 どうりで、あんな顔ばかり、しているはずだ。

(苦しいなあ、)

 鬼兵隊は桂と銀時の首を手土産に、犯罪シンジケートである宇宙海賊春雨と手を組む魂胆らしい。真琴と桂は高杉との話をやむを得ず打ち切って、襲いくる春雨の天人を切り抜けてきたのだった。
 紅桜は、桂がすでに殲滅させたという。つまり真琴がこの船にいる理由はもうなくなった。
 それなのに、後ろ髪を引かれるように感じている。元々真琴は鬼兵隊と関わりを持つはずなどなかったというのに。気にするものなど何もないはずなのに。息苦しさも胸に残ったわだかまりのようなものも、一向に無くならない。高杉の苦しそうな顔が、一向に頭から離れない。

「……真琴殿? どうした、どこか痛むのか?」
「え?」

 桂の手が頬に触れる。そこで真琴は、自分の目から涙が零れていることに気付いた。

「うわ、うわ……何これ、も、わけ、わかんな……」

 まさか自分は今、敵の為に涙を流しているのか? なんて馬鹿馬鹿しいんだ。我ながら呆れがこみ上げてきそうだった。だが実際にこみ上げているのは嗚咽だけ。とうとう可笑しくすら感じてきて、喉をくつくつ震わせながら真琴はぼろぼろと涙を零し続けた。

(おこがましいけど、でも、分かるんだよ)

 桂が何か言っているが、自分の嗚咽でほとんど何も聞こえなかった。ただ、心配そうに顔を覗きこまれたので、いい加減にしなければと真琴は着物の袖で涙を拭った。

「……大丈夫か?」

 大丈夫では、ない。ないけれど、自分ももっと強くならなければいけない。いつまでも誰かの背に隠れていたって、何も変わらない。それだけはよく知っている。
 袖に忍ばせていたクナイの存在を確認すると、真琴はまっすぐ桂を見据えた。

「大丈夫、です」

 ともすればそれは自己暗示のようだった。けれど、無理だと否定するよりはずっとマシだと思った。
 ……とは言え、一度出た液体はなかなか止まるものではない。大丈夫などと言った矢先、再びだばりと涙が溢れ出した。もはやこれは自分の感情など関係なく、ただ単に蛇口捻りっぱなしになってるだけではないか? もしくは壊れてるのではないだろうか? ぐずぐずと鼻まで鳴りだしたものだから、いよいよ桂は慌て出す。その様子に若干の申し訳なさが生まれてきた真琴は、流石にどうにかして泣きやもうと再び袖を目元に持って行った時だった。

「ああーっ!!」

 突然の悲鳴。それは真琴のものでも勿論桂のものでもなく、甲高い少女の声だった。付け加えるとすると、物凄く聞き覚えのある──

「ちょ、ちょっと! 貴方何をされているんですか!?」
「え、あ、羽月ちゃん……!?」
「何……羽月殿……!?」

 少女、もとい羽月は、何を勘違いしたか桂に詰め寄るとその胸倉を遠慮なく掴んだ。有り余る腕力に桂の足が床から離れ、思わず「ぐおっ!」と悲鳴が漏れる。あまりに突然のことに、真琴は声をかけることすらできなかった。

「どこのどなたかは存じませんが、この方は私のお友達なんです! 泣かさないでくださいな!!」
「ちょ、羽月殿、俺俺!! 久しぶり!! よく見て!」
「なっ……! そんな安易な手で騙そうったってそうはいきませんよ! オレオレ詐欺なら間に合っています!」
「違う! かつっ、桂! マイネームイズ桂小太郎!」
「他人の名まで勝手に借りて……! 騙されませんよ、そもそも桂さんとはどなたですか!」
「何ィ!?」
「……ん? かつら? ……ヅラ?」
「ヅラじゃない桂だ!」
「え? ……あ! そういえばヅラさんはヅラさんではなく桂さんじゃないですか! そう! いえ、どちらにせよ桂さんの名を勝手に借りるなど無礼だとは思わないのですか!? それにあのお方はもっと長く伸びた艶のある髪の毛をしてらっしゃいました!」
「まさか髪型だけで判断してたんじゃあるまいな!?」
「そっ……あら? 本人?」

 羽月が桂から恐る恐る手を離した時には、彼の顔色はすでに蒼白に近かった。




「──も、申し訳ありませんでした……真琴さんが桂さんに話しかけられ、泣き出しておられたものですから……」

 ようやく勘違いに気がついた羽月は、心なしか青ざめながら深々と桂に頭を下げた。縮こまったその姿は、元々小柄なことも相まってとても小さく見えた。

「いや……もう良いが……何故お主までここにいるのだ?」
「ああ、でも良かったです!」
「アレ? 無視?」

 反省しているのか大してしていないのか、顔を上げた羽月は先程とは打って変わって無邪気な笑みを浮かべていた。それから唐突に、何でもないように桂の両手を取る。

「桂さん、ご無事だったんですね!」
「え、あ、ああ……」
「本当に良かったです! これで心置きなく朋子さんが捕まえられます!」
「いや心配所が可笑しい!!」

 桂を一瞬翻弄しておいて、やはり、羽月はどこまでも羽月であった。

「あ、あのさ羽月ちゃん……何で羽月ちゃんまでここに?」
「え? あ、実は雪さんとはぐれてしまいまして……」
「何、雪ちゃんまで来てるの!? どうなってんのこの戦艦!? ここで同窓会かなんかやってる!?」

 桂が華麗にスルーされた質問を今度は真琴が訊ねると、思いもよらぬ答えが返ってきた。銀時、桂、羽月に続いて雪までここに来ているとは一体どういうことだ。
 詰め寄ろうと真琴が羽月に一歩近付いた時だった。

「いたぞ、桂だァ!」
「え?」

 武器を片手に駆けてきたのは春雨の天人だった。真琴は慌てて羽月の前に出るとクナイを、桂は刀を構える。

「え? 天人……?」
「き、気を付けて。宇宙海賊の……春巻き? だったかな……」
「春巻きじゃない春雨だ」
「はるさめ……?」

 羽月が復唱すると、天人の巨大な瞳がぎょろりと彼女の方を向いた。羽月はびくりと大きく肩を揺らし、視線を向けられたわけではない真琴までその気味の悪さに喉から小さく悲鳴を漏らす。羽月は俊敏な動きで真琴の背に身を隠し、二秒後により背の高い桂の背後に隠れ直した。

「か、隠してください!」
「お、おち、落ち着こう羽月ちゃ、ヒエェェェ来たァァ!!」

 迫り来る天人に、それでも真琴は手にしていた得物を投擲する。あまりの慌てぶりに急所は外したが、そこに桂が斬りかかり天人たちは地に伏した。

「……どけ、俺は今虫の居所が悪いんだ」
「(アレ怒ってる!? 桂さん怒ってる!? わたしのせい!? 違うよね大方高杉のせいだよね!?)」
「お、怒ってます!? 桂さん怒ってますか!? もしかして私のせいで怒っているんですか!?」

 真琴と羽月は、珍しく憤っている桂に慌てふためく。すると遠くから「おーーう! 邪魔だ邪魔だァ!」とやけに威勢の良い声が響いてきた。

「万事屋銀ちゃんがお通りでェェェェ!!」
「いででで、元気いいなおめーらよォ……」
「うるっせーなオメーら頭に響くだろが」
「雪お前ホント素直な」

 真琴たちとは逆方向から姿を現したのは万事屋一行と雪だった。真琴は目を見開きつつも、彼らの元へ歩を進める桂に続く。そのあとに真琴の袖を掴んだ羽月も続いた。そこへ桂の仲間たちも合流し、一同は背中合わせに円を作り各々得物を構える。

「よォヅラ。どーしたその頭、失恋でもしたか?」
「黙れイメチェンだ。貴様こそどうしたそのナリは。爆撃でもされたか?」
「黙っとけやイメチェンだ」
「どんなイメチェンだ」
「オイ真琴。オメーのせいでこちとら散々面倒事に巻き込まれたんだ、あとでハゲダ100個な」
「え!? 何やっぱりわたしのせいなの!? ……ってことは、雪ちゃん、まさかわたしの為にここまで……」
「バーさんに頼まれたんだよ。あ、ローストビーフ100パック追加で」
「いだだだだ!! ごめんごめんごめん調子乗りましたァ!!」

 普段とさして変わりない、他愛ない話を交わした真琴たち。それが終わったタイミングを見計らって、桂の部下は彼に指示を仰いだ。

「──退くぞ。紅桜は殲滅した。もうこの船に用は無い。後方に船が来ている、急げ」
「させるかァァ!! 全員残らず狩りとれェェ!!」

 無数の天人達が武器を取り出し一斉に襲いかかる。銀時と桂は、一層目付きを細めると同時に力強く踏み込んだ。
 桂と対峙した天人は、得物を振り下ろす前に桂によって急所を仕留められ、仰向けに倒れていく。銀時は迫ってきた薙刀を軽く往なすと、その奥の天人からいとも容易く刀を奪い取り二人同時に斬り伏せた。

「退路は俺達が護る」
「行け」

「……四方八方完全に囲まれてるっつーのによく言うわ」

 眉間に皺を寄せた雪は、面倒くさそうに頭を掻く。その直後、脈絡なく真琴の後ろ襟首をつかんだ。

「え、」
「オラ、オメーら真琴に続け〜モタクサしてっと置いてくぞ」
「いっ……ギャアァァァァ!!!」

 非情にもそのまま天人のいる方へと押し飛ばされた真琴。絶叫し涙を浮かべながら、懐のクナイを限界ギリギリまで手に取り一斉に放った。それを追うように雪は駆け出し、仕留め切れなかった天人たちを抜刀して斬り捨てる。
 桂の示した船までの道のりが、一瞬で切り開かれた。

「で、でも!」
「銀ちゃっ……うわあっ!? 離すネエリー!!」

 渋る新八と神楽を、エリザベスが両腕に抱えた。それからきぐるみとは思えぬスピードで退路を走り抜けていく。

「さァて、そんじゃ私らは殿でも務めるかァ? 羽月」
「しんがり? しんがりってなんですか?」
「雪お前それ面倒くせーだけだろ。つーか早く行けよ何遍言わせんだ」

 未だ場を離れようとしない雪と羽月を銀時は急かす。すると羽月が何か思い出したように「あ!」と声を上げた。

「そうだ、桂さん。貴方は朋子さんが捕まえるんですからね。ちゃんとまた私たちの前に現れてくださいな」
「フッ、心配はいらぬ。狂乱の貴公子と謳われた俺がこんなところでくたばると思うか?」
「きこうし? きこうしって何ですか?」
「……」
「天パぁ、もしオメーがくたばったらホラー映画のDVDでも供えてやるよ」
「それは御免こうむらァ」

 羽月は満足そうに笑い、雪は銀時の背を一瞥すると目的地へ向き直す。それから同時に走り出すと、もうほとんど見えなくなった真琴たちの背中を追いかけた。

 ──二人が乗り込むと、船は一刻を争うように急発進した。
 興味津々な様子で船内を歩き回る羽月とは違って、雪は大分疲れているようだった。蓄積された疲労とともに溜め息を吐き出すと、心底気だるそうに壁にもたれ掛かった。

「あ、あの〜……雪ちゃん」
「あ? なんだよ」

 そんな彼女に恐る恐る声をかけた真琴は、視線をふよふよと泳がせている。何か言いたいことがあるのだろうが、上手く言葉にならないらしい。あ、だの、う、だの一言二言漏らして結局口を閉じた。

「……っだァ!?」

 かと思えば突然の額への衝撃に悲鳴を上げた。その威力はもはやでこピンの域を越えており、額に穴でも空いたんじゃないかと心配するほどのものだった。

「うじうじしてんなよ、うぜェ」
「酷い! 痛い! 物凄く!」

 なんでこんなに額ばっか集中砲火!? と騒ぎ立てる真琴を無視し、雪は手も当てずあくびを漏らす。真琴は額を労るように擦りながら、恨めしそうに雪を睨み付けた。若干涙目になっているだけに威力など皆無だが。

「…………」

 真琴は視線を雪から窓へと移すと、どんどん離れていく鬼兵隊の船を窓越しに見つめた。
 もう二度と会わないような気もするし、また当たり前のように会う時が来るような気もする。結局は、よく分からなかった。
 だが、分からなくて良いのだろう。なんとなくそう思った真琴は、そっと目を伏せると窓から視線を外し、雪と同じように壁に背を預けた。自分も大分疲れが溜まっていたらしい、すぐに訪れた睡魔に身を任せ、ゆっくりと重たい目蓋を閉じた。



カラフル 紅桜篇(了)