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「……あの、何やってんですか? 山崎さん」
「………」
真琴の怪訝な瞳と目が合った瞬間、床下に腹這いになっていた山崎の表情は凍りついた。
*
そもそも事の発端は、港で勃発した攘夷派の抗争だった。
過激攘夷浪士の高杉晋助率いる鬼兵隊と、池田屋での一件以来穏健派に鞍替えした桂一派がとうとう表面的に戦闘を交えた。両陣営とも被害は甚大とのことだが、そこで、一つの疑問が生じた。
鬼兵隊に対し、目立った手駒を持っていない桂はどう応戦したのか?
山崎自らの調査によると、桂側に妙な一行が助太刀していたという。それが、彼が今ここにいる理由だった。
そうして、副長に命を下された山崎は、忍装束を身に纏い志村邸に侵入し、彼ら──正確には、坂田銀時の様子を窺っていたのだった。攘夷浪士として、桂との関わりがあるのではないかという疑いが掛けられた、彼を。
「……ど、泥棒……?」
「いっ!? ち、違う違う違う! 違います! 断じて!」
それがどうしたことか。まさか自他共に認める影の薄さを放つ自分が、こうも易々と見付かるとは思わなんだ。
正直なところ、山崎は真琴の忍としての能力を甘く見ていた。御庭番衆について松平から話を聞いたことがあるとは言えど、真琴という人物が特に優れていたなどは一度も耳にしていない。それに、屋根を突き破るというヘマをやらかしたり、疑われてボロ泣きするような人間だ。むしろ、その能力は平均を下回るものだと思っていた。
だからこそ、真琴の目が床下をひょっこり覗いた時は、心肺が停止するかと思ったのだ。
「真琴さ〜ん? どうされたんですか?」
「えっあっお妙ちゃ、いや、なんかネズミ、あの、物音したんだけどネズミだったみたい!」
うっわ! 嘘下手! 忍ってのはもっとこう、息をするかの如く相手を騙すんじゃないの!?
何から何まで忍に向いていない彼女に、山崎は思わず憐れみの目を向けた。しかし、この状況においては明らかに不審者の自分を庇ってくれたというのも事実。……いや、それも彼女がますます忍に向かないことの証拠でしかないのだろう。
はからずもため息をついた山崎は、次の瞬間耳に入った声に再び身を固まらせた。
「ネズミ? 真琴さん、ネズミがいらっしゃるのですか!?」
「あっいやっ、も、もうどこかいっちゃったよ羽月ちゃん」
何故。何故だ。何故羽月ちゃんまでここにいる!?
真琴についてはこの志村邸で療養中だという銀時の見舞いで間違いないだろうが、はて、羽月はそれほどまで銀時と親しかっただろうか? ともあれ、立て続けに起こる想定外の出来事に、山崎はだらだら冷や汗を流すしかなかった。
羽月がこの場にいることが、山崎にとって非常に不利……というわけではないが、何しろ自分たちは今、羽月と攘夷派との関係をも疑っているのだ。──羽月の人柄と性格を鑑みるに、恐らく彼女は潔白だと信じたい。だがそんな甘いことを言っている場合でもなかった。
「あら、そうですか……クロゲワギュウが私を追って村から来てくれたのかと思ったのですが……」
「いや遠路遥々すぎない? っていうかなんて名前付けてるの? 食用? まさか食用?」
羽月の天然ボケに困惑しながらも、真琴は羽月との談笑を交えながら先程よりずっと楽しそうに笑っている。その笑顔は随分と無邪気で、年齢より幼く見えた。羽月という真選組の清涼剤のような人間を目の前にした効果だろうか、山崎のことをすっかり忘れてしまったような屈託のない笑みだ。
(……へぇ〜……笑った顔はなかなか可愛……いやいやいやいや何考えてんの俺、死ねばか)
狭い空間でぶるぶる頭を振る。自分の歳が歳なだけあって、こういう考えは例え脳内だけのことだとしても軽蔑の視線を頂く気がしてならなかった。
いや、だが仕方ないだろう。何せ、今まで怯え顔か泣き顔か、酔っ払った姿くらいしか拝んでいなかったものだからそれらとの差が……ここまで考えて、自分が真琴と碌な関わり方をしていなかったことを再確認し、思わず顔が引きつった。これは酷いな。薄々彼女が自分をどう思ってるかに気付いてはいたが、これは苦手意識を持たれていても仕方がない、と山崎は乾いた笑いを零した。
「あ、ちょ、羽月ちゃんちょっと!?」
──と、山崎が遠い目をどこにともなく向けていた時、唐突に真琴が慌てた声を上げた。どうしたかと目を丸くしていると、視界にサラリと綺麗な髪の毛が垂れてくる。
「でも床下と言えば、ネズミでなくとも何か住んでいらっしゃいそうですよね。例えばとなりの……あら?」
好奇心に身を任せた羽月は、真琴の制止もむなしくちらりと床下を覗き込んだ。そこに潜んでいるのは、勿論ネズミでも某となりのアレでもなく。
「…………」
「…………」
「……ヤア! トトロダヨ!」
「山崎さんではないですか、こんばんは!」
「…………こんばんは」
無理に上擦った声で誤魔化そうと試みた山崎は、羽月に眩しい笑みを返され、茹でタコか何かのように顔を赤く染め上げた。自分が馬鹿すぎて、もはや死にたい。唯一の救いと言えば、羽月がさして気にした様子もないことだった。……案の定、その後ろの真琴は口元を押さえていたが。
「そんなところで何をされているんですか? ネズミ狩りですか?」
「違うけど!? あー、えと、副長に言われてゴ……局長を捜してたんだ」
「え、床下で?」
真琴の至極真っ当な質問を咳払いでかき消し、山崎は反対に二人に問う。
「そ、それで二人はどうし」
「それより山崎さん、ずっとそんなところにいては風邪を引かれますよ。今、お茶をお出しするのでどうぞ上がってください」
「えっ、い、いや俺は別に……って早っ、痛っ!!」
山崎の返事も聞かず、俊敏な動きで室内へ戻った羽月に山崎は思わず叫び立ち上がろうとし、ぶつけた頭を抱えた。何をやっているんだ自分は。今日はやたらペースを崩されてばかりだ。
おまけに、羽月のおかげで自分がここにいることが恐らく志村邸の人間に割れてしまっただろう。こうなってくると、いよいよ任務だなんだ言っている場合ではない。──山崎がこの場において最も危惧しているのは、あろうことに、例の花見の時近藤をピコピコハンマーひとつで戦闘不能に陥れた妙の存在であった。
(………あれ?)
撤退撤退、と床下から這い出ようとして、山崎はふとあることに気がついた。──気がついた、というよりもそれは、感覚的に何か引っかかった感じだった。
先程見た柔らかい笑顔の真琴と、羽月が最後に見せたその淑やかな笑顔を脳内で隣に並べる。単体では気付けなかったであろう、その些細な違和感。
何か、何かが………、
「……山崎さん?」
山崎の浮遊していた思考は、遠慮がちな真琴の呼びかけにより引き戻された。山崎はハッと我に返ると同時に、その頭の動きで再度床板に頭をぶつけた。
「っつう……あの、お、俺羽月ちゃんには悪いけどそろそろお暇させてもらうね……」
「そ、そうですか……じ、じゃあ羽月ちゃんにはそれとなく伝えておきまガフッ!!」
真琴の笑い混じりの台詞が突然呻きに変わる。と同時に、真琴に向かって白い何かが飛び込んだ。
「真琴さんんんん!?」
「いってて……アリ?」
慌てて匍匐前進で床下から脱出し、彼女に近寄る。そこで山崎は、その白い何かの正体を把握した。
「げっ、万事屋の旦那……!」
「おいジミーなんでそんなところから出てきてん……ってそんな場合じゃねェェ!!」
「ゴフッ……」
「アアアアア真琴さんんんん!!!」
真琴を下敷きにしていた銀時が、思い出したように体勢を立て直し立ち上がる。その反動で真琴は再び低い呻きを上げ、気絶寸前のような青い顔を晒した。
「だだだ大丈夫真琴さん!?」
「や、やまざ…………ヒッ、」
「え……?」
喉からか細い悲鳴を上げ、真琴は山崎を盾にするかのようにその背後に身を隠した。彼女の震えが、掴まれた肩から伝わる。その意味がわからず呆然としていた山崎は、部屋の奥からの鬼のようなオーラを感じ取り、真琴同様掠れた悲鳴を上げた。
「────この私から逃げられると思うてか」
突如地響きが起こり、敷地内に仕込まれていたもの──幾重にも張り巡らされた罠が姿を現し始める。山崎がすべてを悟った時には、すでに手遅れだった。
志村邸が鼠一匹逃げられぬ鋼の要塞に変わり果てたと同時に、薙刀を構えた妙が、二人の前に君臨する。
それから、二人が脱走した銀時のとばっちりを受けたことは言うまでもない。