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 使い古したエコバッグをがさりと揺らしながら、雪は気まぐれにも恒道館道場を訪ねていた。
 それは本当にただの気分だった。特にやることもなく、見たいテレビもなく、やる気もなく、しかし寝るにはあまりに早過ぎる。暇を持て余していたのだ。
 あちこちに掘られていた竹槍仕様の落とし穴は完全にスルーし、蛍光灯の明かりが漏れている方へ歩を進める。すると、聞きなれた女性の声──恐らく妙で間違いないだろう──が耳へ届いた。

「そういえば、雪さんはお見舞いに来ませんねェ」
「あ? あのものぐさ女がわざわざここまで来るわけねーだろ。ったく、本当薄情な野郎だねェ」
「ほー、んじゃオメーはこれいらねんだな」
「……え?」

 聞こえるはずのない声に、銀時はぎこちなく首を回す。銀時を見下ろす雪の目は普段と変わらず淡白で、しかし心なしか怒気を孕んでいるようだった。
 思わず絶叫しながら起き上がる銀時を、すかさず妙が薙刀で強引に制する。二つの衝撃で心臓が擦り切れそうになりながらも、再び雪に視線を向けた。

「エ……? アリ……?なんっ…………え?」
「じゃっこれは定春にやることにするわ」
「アアアア待った待った待った!! ありがとうございます雪様とっても嬉しいですゥゥ!!」

 エコバッグから取り出したプッチンプリンをちらつかせると、銀時はすがるように声を張り上げる。余程プリンが欲しかったのか、それとも妙の監視の目を少しでも自分から背けさせるため、雪を引き止めたかったのか。どちらにせよ、勝手に動けば刃が飛んでくるこの状況において、銀時はただただ叫ぶしか手立てがなかった。

「チッ……でけェ声出すんじゃねーよ死に損ない」
「何お前俺の見舞いに来たんじゃないの!?」

 憎まれ口を叩きつつもプリンはしっかり手渡ししてくれるあたり、見舞う気持ちがないわけではないのだろう。

「……ていうか、まさか雪お前、わざわざ俺の為に買って……」
「手ぶらも不作法だと思ったんでなァ。オメーんとこの冷蔵庫物色したらあったから持ってきた」
「ただの泥棒じゃねーかァァァァ!!」

 悪びれる様子もなく言ってのけた雪に、銀時は掴み掛かりたい衝動に駆られた。勿論そんなことをすれば薙刀を手にした妙によっていよいよ息の根を止められるに違いないが。そう思いちらりと妙に視線を向けると、何を勘違いしたか「じゃあ私は奥に戻ってますので、雪さんはごゆっくりしていって下さい」と腰を上げた。釈然としない気持ちになったが、このまま居座られるよりはずっとマシである。銀時は胸中雪に感謝した。

「つーかなんかオメー包帯増えてね?」
「聞くな……」

 顔を暗くし遠くに目線を飛ばした銀時。その様子に雪はなんとなく事情を察した。大方、看病のための行きすぎた自由の制限に耐えかね脱走でも図ったのだろうと。だが療養中に怪我を増やすとは。救いようのない馬鹿である。

「お前は包帯取れたんだな」
「いや?」
「は?」
「邪魔くさいんで取った」
「いやお前何してんの!?」

 別に大した傷でもねェし、と雪は少しだけ前髪を分けて見せた。額の傷は幸いにもそれほど深くなかったのか、すでに治りかけの状態だった。もしくは、雪の治癒力が他人より凄まじいだけかもしれないが。
 それを見た銀時は、恐らく他の傷も同様に治りつつあるのだろうと納得した。

「……ま、とにかくお前よォ、曲がりなりにも女なんだからもうちっと体気遣えや。捨て身の攻撃とか相討ち覚悟とか、まァ時には必要だろうけど常にそういうスタイルなの銀さんは良くないと思うよォ? うん」
「は、キモ」
「何でだァァ!」
「んなこと言ってんじゃ、傷一つ負わせらんねーだろ。あるいは死ぬか」

 銀時は今度は押し黙った。確かに彼女の言う通り、死ぬ気で挑まなければ本当に殺されるような相手だった。それに女だからこそ、筋力等にだって限界がある。雪の戦い方は危ういところがあるが、間違ってはいないのだろう。

「そゆもんだろ」

 ただ、銀時の本心は、雪にあまり無茶な戦いをしてほしくない──というよりは、自分の後ろにいてほしかった。この自分よりいくらか年下の、他人と深く関わろうとしない少女を、なるべく平和で楽しい時間の中に置いてやりたかった。神楽や新八らに対する庇護欲のようなものとはまた少し違う、けれど何かそれに類する気持ちが根底にはあった。やましい気持ちなどといった邪心ではない。放っておけない、とでもいうのか。あるいは──

「……胸糞悪い。帰る」
「は、え、ちょ、待っ、」
「触んな腐れド変態、鬱陶しい」

 罵詈雑言と共に、清々しいほど綺麗に払い除けられた手が行き場を失う。先程から今までずっと無表情を貫いているものだから、それほどまで彼女の癇に障る何かを言ったとは気付かなかった。もしくは、自分の考えを推測でもされたのか。だとしたら、どれほど鋭いのだろうか、この女は。

 銀時が困惑する間もなく、雪は立ち上がった。だが、このまま彼女を帰してしまえば、確実に銀時だけが心にわだかまりを残すことになる。そのことだけは、よく分かっていた。次会った時には面倒くさいからという理由で、脳内からすっかりその出来事が抜け落ちているのだ、彼女は。
 こちらに意識させるだけさせておいて、自分は我関せずと真顔を突き通す。いや、お前バリバリ関係あるからむしろ当事者だから。そう意義を申し立てたかったことが今までに何度あったことか。
 ともかく、それだけは阻止したかった。どうにかして、銀時が雪の地雷を踏み抜いた、ということで終止符を打ちたくなかった。無論理由は、癪だからである。

「……そ、そういやお前どうやってここ入ってきたの?今この道場色々やべェ仕掛けあるみてーだけど」
「あー、そういやなんか鉄格子みてーなのとか地味に手の込んだトラップまみれだったな」

 ほら、もうどうでも良くなってる。そういう顔をしていた。元来ものぐさらしく、あまり根に持つタイプではないのだろう。「何故腹立つ顔を記憶し、思い出しながら日々を過ごさなければいけない。だったらすぐ忘れるわ」という考えの人間だ。
 だが、今の発言は普通に聞き捨てならなかった。

「……え、何? 雪お前本当どうやって入ってきたの?」
「ここまで来てやったってのに門前払いなんざアホらしいと思ってなァ、壁よじ登ってきた」
「何なのお前!? 不法侵入のプロ!?」