35

 重たい瞼を無理矢理押し開ける。まだ寝惚けている瞳に最初に映ったのは、艶のある髪の毛だった。

「……?」

 ぼやけた思考回路がまだ上手く動いてくれない。確か自分は、柳生との決闘で、序盤から離脱しかけた無様なチャイナ野郎に貸しを作って、それから……

「起きられたんですか。……もう少し呑気に寝ていて下されば良かったのに」

 耳朶を打つ、聞き慣れた女の声。それから、何やらいい匂いが鼻孔を擽った。
 徐々に視界が鮮明になる。前を向こうと顔を動かしたところで「動かないで下さいな」と、冷たい声とは裏腹に優しく、両手でふわりと頭を包まれた。

「……んあっ!?」

 その顔を漸く認識した彼、沖田は、あまりにも自分らしからぬ悲鳴を上げたことに血の気が引くのを感じた。状況は未だ掴めていないものの、やらかしたということだけははっきりと分かる。だが幸運にも、何かに夢中らしい目の前の人物はさして気にも留めていなかった。

「包帯がずれてしまうでしょう」
「包、帯……? 羽月、お前、何言って……、」

 今更にして気付く、額の鈍痛と頭の軽い圧迫感。ちらりと視線を動かすと、赤を拭った布やらガーゼの切れ端やらが小さな巾着の側に散らばっていた。そしてその巾着からは包帯等の救急道具が顔を出しており、彼女が自分の怪我の手当てをしてくれているということを、沖田はやっと理解できた。

「……まったく。情けないお方ですね」
「あァん? 喧嘩売ってんのか」
「朋子さんとはぐれ……いえ、屋敷を探索していた時、ここで倒れている貴方を見つけたんです。まだ開戦したばかりだというのに、もうやられてしまったのですか……いえ、相討ち、ですかね」

 そう言ってぱちんと包帯を固定した羽月は、視線を沖田から移した。その先を追えば、先程まで乱戦を繰り広げていた西野が壁にもたれ掛かるように気絶しているのが見えた。それから、彼の額にも丁寧に包帯が巻かれているのも。

「……オイ、あいつァ敵さんだぜ。それともまーたいい子ちゃんやってんのか」
「うるさいです。あの方だってもう皿を割られているのだから、何も問題はないでしょう。……手当て、終わりましたよ。これでこの間の『借り』は返しましたので」
「は?」

 沖田が聞き返す間もなく、羽月はさっと道具を纏めたあと、手当ての際に出たガーゼなどのごみを集め始めた。敵地とは言えそれらを放置しないあたりに、元来の丁寧さが窺えた。

「……つーかお前、一応味方側の俺より、敵のそいつの手当て優先したのかよ」
「あちらの方のほうが出血が酷かったんです。何か文句がおありですか」

 そっけなく返した羽月は、もう彼と目を合わせる気もないらしい。ごみを纏め切った彼女は、用は済んだと言わんばかりに立ち上がりその場を去ろうとする。その際、ほんのわずかに、彼女の足が沖田の投げ出した右足に当たった。

「………っ、」
「えっ?」

 思わず身じろいでしまい、本日二度目の失態に沖田は苦虫を噛み潰したように視線を落とした。慌ててしゃがみ込んだ羽月は「失礼します」と前置きを入れ、彼の足を丁重に調べた。

「ちょっと……折れてるじゃないですか!」
「るせ……至近距離で叫ぶんじゃねェよ」
「何故仰らなかったんですか、馬鹿なんですか」
「お前にだけは言われたくねーっつの」

 羽月はしまったばかりの道具をすぐさま取り出すと、折れた足の手当てを始めた。その手際の良さに、沖田は小さく感嘆する。

「……随分とまた、手慣れたモンだねィ」
「昔、おじいさまに教わったんです。私自身もよく怪我ばかり作っていたので……って、何故貴方にそんなこと教えなければならないのですか。うるさいです、気が散ります、黙っていてくださいな」

 そこまで聞いてねェのに、勝手にペラペラ喋ったのはそっちだろう。そう思いながらも、流石の沖田も口をつぐむ。本当に随分と嫌われたもんだと、真剣なその顔をぼんやりと眺めた。それにしては随分と優しく丁寧な手つきだけれど、それはきっと彼女のプライドにも掛かっているのだろう。

(さて……これからどうするかねィ)

 首はもう取られてしまい、勝負からは脱落している、足もろくに動かせやしない。どうするも何もないのだろう。だが、もとより参加すらしていない羽月も自らのできることをしているのだ。ここでただ雌雄を決する時を待つのも癪だった。というよりは、もどかしかった。このまま何もしないまま、もしも負けてしまったら──ゴリラを姐さんと呼び慕う未来は、近い。

(んだが……)

 とりあえず今は、羽月の手際良い手当てに身を委ねていよう。考えるのは、その後でも良いだろう。







(羽月ちゃんに持たせたアレ役立ってるかな〜)

 一方朋子は、一人屋敷内を探索していた。心なしか軽快な足取りだ。沖田たちの苦しみなど露知らず、この状況を楽しんでいるに違いない。何しろ、彼女は面白そうだからとの至極不純な理由でついてきたのだから。

(っていうか羽月ちゃん結局はぐれちゃったけど大丈夫かな〜まあ順応性高い子だし平気か! たぶん)

 などと無責任なことを考えつつ、今度はけんけんぱ、などと昔懐かしい遊びを交えながら敷地内をうろつき回る。

(いや〜それにしてもこの屋敷の広いこと広いこと……かくれんぼか逃走中したら盛り上がりそ〜! いいねェたまには童心を取り戻すような遊びがしたいもんだねェ〜)

 お前はつねに童心丸出しだろうが、と心の中で突っ込むマヨネーズをサラダにかけつつ、朋子はきょろきょろとあたりを見回す。これだけ広いせいか、全然人に出会わない。いや、屋敷の中に侵入すればきっと大勢いるに違いないが、あまり変なことをして話を拗らせるのは気が引けた。流石の朋子も、そこら辺は最低限考えていた。

「……おっ!」

 と、その時。前方の曲がり角から何やら物音──というには些か激しい──が聞こえてきた。それをしっかり耳で拾った朋子は、意気揚々と駆け出す。

「誰か見ーっけェェェァァアアアイヤアアァァァマヨ方さんがケチャップ塗れにィィィ!?」
「うるっせェェェェェェ!!!」





「──も〜朋子ちゃんびっくらこいたわ! にしても柳生七福神もなかなか手強いみたいだねェ!」
「四天王です朋子さん」
「これァアイツにやられたんじゃねーっつってんだろ。三石デパートの自動ドアに挟まった」
「土方さんさっきと違うデパート行ってます」

 顔面血塗れの土方について、彼と同行していた新八や近藤から事の説明を受けた朋子。ケラケラと笑い飛ばしながら、彼女は羽月に渡した分からいくらか引き抜いてきた治療道具で土方の手当てをしていた。

「つーかその馬鹿でかい皿なに? 柳生ともなると皿ですら経験値上げるごとに進化するの? いやセレブはやっぱ住む世界が違うね!」
「年中脳内宇宙なお前に言われたくはねーだろうよ」

 冷ややかな視線を投げながら、土方は懐を漁り煙草の箱を取り出す。しかし間髪を入れずそれを取り上げられ、思わずあっと声が出た。

「オイ何すんだ」
「そりゃこっちの台詞ですよ。煙草は傷の治り悪くするって何べん言ったらわかるのこの子ったらもー!」
「いやなんでお母さん口調?」
「つーかちったァ未成年への配慮を見せてくださいよ。ねっ眼鏡くん」
「えっ僕ですか」
「あァん? 男はなァテメーでテメーの眼鏡手入れできるようになった時からもう大人も同然なんだよ。むしろそうやって餓鬼扱いするほうが失礼だろうが。なっ眼鏡くん」
「いや眼鏡の手入れとかまったく関係ないですよね適当にこじつけないでください」

 妙に間に挟まれた新八は、冷めた目で二人を見やる。「あらっ美男美女に絡まれて照れてるのォ〜?」「あれ、目に続いて耳まで悪くなったかな……」「戯れ言ほざいてねーで手動かせやアホ」などとさらにくだらないやり取りを連ねていると、先程まで黙っていた近藤がふはっと楽しげな声を漏らした。

「?」

 不思議そうな顔の三人に、声を上げた張本人は、すまんすまんと笑みを深める。

「いや、懐かしいと思ってな。あの時もぎゃあぎゃあふざけながら、朋子ちゃんがトシを、総悟が俺を手当てしてたなァ」
「あの時ィ? ……ああ!」

 記憶を手繰り寄せた朋子は、ぴこんと脳天で電球を発光させる。土方も覚えているようだったが、ふいと目を逸らした。そんな彼の包帯を留め、手当てを終えた朋子は、そーですねェと柔らかく微笑む。

 目を瞑れば、今だって鮮明に思い出せる。突き抜けるような空の群青も、草木の瑞々しさも、あの頃の若かりし想いも。すべてが青々としていて、本当に、綺麗だったのだ。
そして、そんな中で、やわらかな笑みをこぼす────

「元気かなァ……」
「え?」

 ぽつりと呟いたそれを聞き取ったのは新八のみで、それに気づいた朋子はえ? え? と聞き返すことで適当にはぐらかした。腑に落ちなそうに眉をしかめる新八をよそに、屋敷の縁側に腰かけていた朋子はすくっと立ち上がった。

「さァて、じゃああたしは行くから。ここまできて負けるなんてことがあったら、あとで笑い飛ばしてやんよ!」
「わーってらァ」

 その返事に満足そうに口角を上げた朋子は、迷いなく歩き出す。その途中くるりと振り返ると、雲間から射し込む光を背に受けながら、軽快に敬礼のポーズをとった。

「そんじゃ、御武運を!」

 そんな朋子の眩しいほどの笑顔も、ずっと変わらない、あの頃と同じものなのだ。