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 朋子と羽月に容赦なく置いていかれた真琴は、この途方もなく広い屋敷内をひたすら一人でうろついていた。
 皿も持っておらず、そもそも敵方の前で不参加表明しているわけだから、突然襲われるなんてことはないだろう。それでも生粋の「ヘタレチキン」である彼女は、こそこそと木の裏やらに隠れつつ地道に移動していた。ちなみに、屋根の上を飛び回るのは、マナーと隠密の心得がなっていない、と早々に選択肢から切り捨てていた。隠密、とは単なる名目で、つまりは下手に目立ち目をつけられたくないという鶏心によるものだが。

 そんな真琴が冷や汗を流しながら仲間の姿を捜していると、何か大きいものが地面に転がっているのが目に入った。あれは何だ……物? いや────

(人……?)

 そこに横たわっているのは、確か柳生四天王と名乗る男らの一人だった。
 真琴はその場から動かないまま、さらに目を凝らす。うつ伏せに倒れている彼の首もと……そこに散らばっている白い破片は、恐らく首級として使われていた皿だろう。なるほど、彼はやや伸ばした髪の毛でそれを隠していたのか。しかし、それを割られているわけだから、上手いなと称賛する気にもなれなかった。……元より、敵に対しそんなことしてやる義理など真琴にはないのだけれど。

 さて、どうするか。すでに戦線離脱している彼が不意をついて真琴に斬りかかるとは到底思えないが、かと言って易々と近付くのも気が引ける。……しかし、何も見なかったことにしてこの場をスルーするのは、真琴の元来のお人好し精神が許してくれなかった。

「……あ、あの〜……大丈夫ですか……?」

 結局、真琴は彼のそばに近寄ると、しゃがみ込んでその肩をそっと叩いてやった。ううん、と多少身じろぎはしたが、まだ意識は戻らない。
 真琴は首元の破片を丁寧に一つ一つ取り払ってやりつつ、一体誰にやられたのだろうかと思案する。どうにもあちこち怪我をしているらしいし、腰に木刀を差したままなところを見るに、誰かに不意打ちを食らいそのまま怒涛の攻撃を受け、皿を割られるに至ったのだろうか。余程彼が弱かったのか、相手が強かったのか。わからないが、どちらにせよ彼の憐れさには手を合わせる他なかった。

「……ううっ、」
「えっ? あ、あの、起きられました?」

 敵ながら同情心を抱いていると、男が明確に動くのが見えた。目が覚めたのだろうか。真琴は思わず地面に手をつき、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

「だ、大丈夫ですか……?」
「……が……?」
「え?」
「…………め……がみ……?」
「えっ……? や、やだそんな知っ……ってエッちょあの大丈夫ですか!? あの!? ちょっと!?」

 ぼやけた視界に自分を心配する女性の声。女好きの彼──南戸は、さぞかし良い夢を見ることだろう。彼は一言呟くと、それきり完全に地に伏せ、再び動かなくなってしまった。







 ところ変わって、定春の背に乗り堂々と柳生邸に正面突破した雪。タイミング良く、新八らが乗り込んだことにより見張り等もあちこちに散らばっていた為、彼女を妨害する者は誰一人とていなかった。
 そんな彼女が、定春の嗅覚に従ってのたりのたりとさ迷っていると、衝撃音とどこかで聞いた声が耳に届いた。この声は確か、例の税金泥棒の……

「……あり、ゴリさんご逝去なさってんじゃん」
「あっ!? その声お前雪か!?」

 ──地に伏した近藤の姿を見つけ、誰にともなく現状を呟けば、扉一枚隔てた向こうから名前を呼ばれた。

「雪だよな!? なんでお前ここにいんの!?」
「古来より御犬様の言うことは絶対って言われてんの」
「いや何だよそれ知らねェし意味わかんねェし! つーかここ男便所!」

 ──雪はぐるりと厠内を見回した。使用中の便器はすべて個室のみ。何も問題はないだろうと告げれば、そういう問題じゃねェェェ! とシャウトされた。が、意に介さないどころか、それがどうしたと言わんばかりに怪訝な顔で首をかしげる。

「まァいいや。じゃっ」
「アアア待って待って待ってください雪様ァァァ! 俺今マジヤバイのどれくらいヤバイかっていうとマジヤバイの」
「うるせーな世の中マジとヤバイだけで生きていけると思った大間違いだから。語彙探しの旅にでも出たら?」
「旅でもなんでも出るから! その前にこっから出たいんだってェェ! だからどうか紙を! 紙を恵んでくださァァい!」

 銀時の話を聞くに、どうやら個室の紙がすべて切れていたらしい。出たいけど出れないだの、紙ヤスリは勘弁だの。なるほど、そこのゴリラの死体のケツが血だるまなことに漸く合点がいった。まあ、そんなことは他人の鼻毛ほどにクソどうでも良いことだけれど。
 胸中ですら品の無い雪は、今度はそのゴリラから少し離れたところで倒れている長髪の男に視線を移した。近くに木刀が転がっており、よく見れば近藤のそばにも同じものがあった。なんだァ? かちこみか?

「待ちたまえ嬢ちゃんや。これは決闘じゃ」

 と、その時。雪の心を覗いたかのようなタイミングで老人の声が注釈をいれた。その発生源は、使用中の個室二つのうち、銀時ではない方だった。

「懇意にする者……あるいは恋人を庇いたい気持ちもわかるが、部外者のお主が片方にだけ手を貸すのはちィと不公平じゃと思わんか?」
「だァれが恋人だウンコジジイ余生断ち切ってやろか」
「柄悪っる!!」
「つーかオメーさん誰。勝負って何、ウンコ対決的な」
「だァァれがそんな下品な題目で勝負つけるかァァ!」
「じゃなして二人して厠籠ってんの? 馬鹿なの?」
「うるせーよ生理現象には人間逆らえねーだろ……も何でもいいから紙……紙恵んで雪……」
「何急に死にかけの声出してんの」

 いつもの平淡さにちょっとした呆れを加えたような、そんな声色で雪は扉を見つめる。この奥でいい年した大人がケツ丸出しで頭を抱えているのかと思うと、阿呆くさくて仕方がなかった。

「あれだろ……いくら女子らしさの欠片もねーお前でもティッシュくらい持ってんだろ……?」
「は、ナメんじゃねーよそんくらい持ち歩……」
「……」
「……」
「……ちょっと? 雪ちゃん? 急に静かになったけど!? 雪!? オイ!? あんだろ!? ティッシュくらい持ってんだよな!?」
「うっ急に腹が……」
「待て待て待てェェ!! つーか腹下されたって結局紙がねーんだって!!」

 誰も見ていないというのに、嘘臭く腹を抱える雪。それから、わざとらしく歪めた顔を元に戻しがてら、先ほどから薄々感じていたことを述べた。

「つーかさァ、紙に拘りすぎなんじゃねーの?」
「あァ? それどういう……」
「私だったら最悪着物ちぎって拭くわっつー話。じゃ、私ァもう行くんで」

 急に静かになった個室二つを気にも留めず、雪は髪をふわりと翻して颯爽と歩き出す。──間髪を入れずして、彼女が後にした厠から叩き壊すような破壊音が轟き、彼女の左右を二つの白髪頭が通りすぎていった。