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 地に倒れた"彼女"が、それを小さく吐露したのを聞いた時。朋子は、まるで当たり前のように、必然的に、それを思い出したのだった。







 男だ女だなんて問題は、やっぱりこの御時世じゃどうでもいいなんて言えるもんじゃなくて。切り離したくても、割り切りたくても、そう上手くできるもんじゃなくて。
 あの子はきっと今までたくさん苦労してきたのだろう。他人にはそう簡単に理解できないほど、たくさん大変なことがあったのだろう。多くの苦しみの中で、もがきながらも必死に生きてきたのだろう。
 同じ経験をした人にしか、あの子の気持ちは計り知れない。

 ────でも。

『真選組っつー帯刀した警察組織、最近できたがよォ。どうにも女が一人混じってやがるらしいぜ』
『んな浮わついた奴ら信用できねーだろ。どうせ大したこともねーチンピラ集団か』

 女でいてはいけないのだという、憂き目にあう気持ちは知っている。

『朋子ちゃん、本当にすまなんだ。だがこればっかりは、どうしようもない。世間の声は、俺達ごときのちっぽけな力だけで変えられるものではないんだ』

 どうして自分は男に生まれてこなかったのだろうと、どうしようもないことに後悔したことだってある。

『なァ聞いたか? あの人最近外回りどころか、隊服着ての出動全部禁止されてるらしいぜ』
『マジでか。あんな立派なモン貰ってるっつーのに、なっさけねェっつーかなんつーか……やっぱり女はよォ、刀佩くよか箒で掃いてる方がよっぽど向いてるってことさね』
『違ェねーや!』

 聞きたくない笑い声に、耳を塞いだこともある。

『…………おめェはよォ、やっぱり────』

 忘れたくても、忘れられない。何度笑い飛ばして、馬鹿みたいに騒いで上塗りしても、こびり付いて沈着して取れないものが、今でもどこかに身を潜めていて。怖いのではない。ただひたすらに、悲しいのだ。悲しくて悲しくて、溺れてしまいそうに、苦しい。青々とした海の底は、綺麗だなんてこれっぽっちも感じられなくて。腐るほど水があるせいで、よく見ないとわからないだけで、汚れがいっぱいに雑ざって混濁していたそこを。住めば都だと、それなりに居心地も悪くないと享受することなんてできるわけもなかったのだ。

 けれど。
 苦しんでいるのは、自分だけじゃない。彼女だってそうだし、悩みなんてなさそうに笑うあの人だって、呑気で自由気ままなあの子だって、皆人知れず苦しみを抱えて、海の中を必死にもがきながら生きている。
 そんな中で、きっと人間なんて皆自分のことで精一杯な中で、あたしは一体どれだけの人に助けられてきたのだろう? どれだけの人に守られてきたのだろう?

 あたしも、そうなりたい。人に手を差し伸べられるような優しい人に、引っ張りあげられるような強い人になりたい。見返りなんて求めない、ただそこに困っている人が、悲しんでる人がいれば、助けたいと、駆け付けられるような、そんな正義の味方に。

(────……だけど、まあ)

 ここはあたしの出る幕ではないことくらい、わかる程度には空気は読めるつもりだ。
 昔日の約束なんて関係ない。今、大切だと、愛おしいと想って、抱き合い涙を流す二人の女の子の姿が、戦いの終わりを告げていた。







「……でェどーすんのこの書類の山……」
「どーするもこーするもやるしかねーだろ……ゴリラが姐さんにならなかっただけマシだろうが……」
「ウウッ……皆すまねェ」

 ──憔悴しきった相貌で白く四角い山を見下ろす朋子と土方。青白い顔の隊士たちに、げっそりした近藤。唯一顔色の変わらない沖田は、現実逃避のためかイヤホンで落語を聞いていた。
 あれから。
 戦いは恒道館陣営の勝利に終わることとなった。一見するとめでたしめでたし、で締め括られるところだが、紆余曲折あって近藤とバブルス王女の式が挙げられることになり、借りを返しに来た志村妙の乱入により滅茶苦茶にされ、ゲストのゴリラどもが暴れ出し、呼ばれていた万事屋とともに彼ら真選組も逃走を図った。と、ここまでざっとあらましを纏めたが、その拭い去れぬ阿呆っぷりと残念さは凄まじい。
 そして今、王女の負った怪我や、半壊した式場の弁償、その他諸々の責任がすべて真選組に皺寄せされたわけである。

「じゃあ、あとは頼んだぞ皆……俺ととっつァんはお上に呼ばれてるから……」
「せーぜー野ゴリラのようにしぶとくあがいてきてくだせェ」
「えっなんでそんな不安煽るの?」

 頬がこけてすら見える近藤は、ふらふらと頼り無げな足取りで部屋を出ていった。それを皮切りに、他の隊士たちも次々仕事に取り掛かっていく。そんな中、朋子はどこか物憂げな顔つきで所在ない手を首に当てていた。

「結婚ねェ……」
「なんでィ、結婚願望でもあんのか朋子。その顔で」
「だとゴルァァァ顔は関係ないでしょ顔は! って誰が不細工だァァ!」
「俺ァ一言もそんなこと言ってねェけどな。つーかどのみちこんなギャーギャーうるせェアホに付き合ってられる男なんざそういねェでさァ」
「は〜総悟隊長はわかってないねェ大人の魅力ってやつが! 朋子ちゃんのこの美貌と魅惑のスタイルと空のごとく広大な御心があれば大概の男はイチコロだかんね!」
「……大丈夫か? その、頭……」
「ねえなんでそんな心配そうな顔で言いづらそうにすんの?」
「やーっぱお前はそこらへんの男とじゃ結婚できる気がしねェな」
「なにおうあたしが本気出せばそこらへんの男はイチコロ」
「しつけェェうるせェェ!!」
「「あだァっ!!」」

 お前らの結婚談義はいいから早く仕事に取り掛かれや。そんな空気が渦巻いてきた頃、案の定土方の拳が二人の脳天に振り落とされた。
 あ、愛の鉄槌……! などとほざきつつ頭を抱える朋子に、一番うるさいのは土方さんじゃねーですかィなどと揚げ足をとる沖田。そんな二人にもう突っ込む気力もないのか、それとも眼前の仕事のため温存しておきたいのか、土方は聞こえなかった振りで背中を向けた。その姿を見て、ようやくふざけ倒していた二人も書類に手を伸ばす。

「……ま、あたしは生涯独身貫き通すけどねェ。なんてったってあたしの旦那いや嫁は残念ながら液晶の奥にしかいな」
「さァーてさっさと終わらせちまうか。土方を」
「ってちょ最後まで言わせて!」
「いやそれより突っ込むところあんだろーがなんで俺だァァ!! 仕事を終わらせろォォォ!!」



カラフル 柳生篇(了)