03

 江戸の町を、夜目を利かせ駆ける女が一人。
常人とは思えぬスピードで民家の屋根を飛び回り、ギラギラと光らせた瞳は、標的を捉え外されることはない。
 ──彼女は忍であった。
 闇にその身を溶け込ませ、洗練された己の(わざ)を遺憾なく発揮させる。しかし其の事に快感を見出すことを知らない彼女は、生粋の忍ではなかった。「親がそうだったから」という至極単純な理由でそれを志したものの、その柔和な性格故に忍には向かなかったのだ。他人、仲間、そして自分。あらゆる"死"が常にすぐそばにある忍の世界に、とうとう嫌気が差したのはいつのことだったか。
 御庭番衆が解散し、忍であることをもやめた彼女は、しかし元忍と自認しながらも武器を、業を捨てることはしなかった。これは誰かを殺すためではなく、護るためにあるのだと。誰かを殺すことで護ることになるなど、誰かの犠牲の上に成り立つ正義など可笑しいと。そんな砂糖菓子に勝るとも劣らない甘ったるい、綺麗事のような彼女の考えは、同期の中でも一等浮いていた。
 ではそんな彼女は今、誰の依頼で、何を追っているのか。

「はァっ、はっ……い、いい加減捕まらんかコラァァ……!」

 前方三つ目の屋根まで迫った、黒く小さな物体。首もとの鈴が忙しなく鳴り響いている。
 一見猫のように見えるそれは、尾が二つあることが外来からやってきた生命体……所謂宇宙生物(えいりあん)であることを主張していた。それも、地球の猫と比べてただ尻尾が一本余計に生えているだけではない。忍のスピードに引けを取らない素早さと跳躍力で、彼女を苦戦させていた。

(ああもう本当にやだ、誰かに見られてたらどうしよ、早く帰ってシャワー浴びてゆっくりしながら録画したドラマ見たい……)

 彼女、真琴は友人関係にある銀時に協力を仰がれ、万事屋に来た迷子のペット捜しの依頼を手伝わされていた。
 百歩譲って、手伝わされることは良いとしよう。幸い今日は仕事は休暇だった。だが、何故よりにもよって、こんな時間に面倒を運んでくるのだ。恐らくペットを失い傷心中であろう依頼主の切なる頼み──邪推するなら、早ければ早いほど謝礼を上乗せするとか言われたに違いない──なのだろうが、新八は帰宅し神楽も寝静まっているのだから、諦めて明日にすれば良いだろうに。
 そんなことを思っても、元来お人好しである真琴が断ることなどできるはずもなかった。それでも、「どうせこの時間はホステス的にも忍的にもゴールデンタイムだろ?」などとまるで遠慮のない銀時の口ぶりに、苛立って拳を腹に入れてみたりはしたが。

 ともかく、どうにか銀時に現況を伝え、挟み撃ちにしたいと真琴は画策していた。しかし真琴と銀時は、それぞれ理由は違えど携帯電話を持っていない。天人によりテクノロジーが著しく発展した昨今、子どもでも携帯電話を持ち始めるような時代に、なかなか珍しいものだった。それはさておき、互いの所在の把握が不可能である以上、運良く鉢合わせでもしない限りは、真琴は単身で猫を捕まえる他ないのだ。
 幸い、猫よりも真琴のほうが速さは上回っていた。少しずつ縮んでいく双方の距離。チャンスは一度きり。せっかくの休日、こんなことで時間を浪費するわけにはいかない。また振り出しに戻るわけにはいかないのだ。
 呼吸を整える。精神を統一させ、猫にのみ集中する。ただ任務を遂行するため、余計な感情を捨て、仕事をこなすだけの機械となる。大丈夫、わたしならできる、やれる、お前は天才だ、やれるやれる──
 猫との距離、残り3メートル、2メートル、1メートル…………
 今だ!
 真琴は鋭く跳躍し、猫に向かい両手を伸ばす。不意をつかれた猫は、抵抗することも逃げることも出来ずに、見事着地した真琴の腕の中に収まった。

 ──バキリ。

「……え?」

 そして足元から響いた不吉な破壊音。まもなくして、足から頭へ、全身を突き抜ける浮遊感。
 もともと木材自体が傷むなり腐るなりしていたのだろう。そこに勢いよく着地したせいで、負荷がかかってしまったに違いない。
 そう、決して自分が重かったわけではないのだと、真琴は全力で祈りながら、屋根を突き破り建物への侵入を果たしてしまった。







「えーと、その……ま、迷子のペットを捜索してましたら、ですね……た、たまたま、こちらの屋根に上がっていってしまい、思わず追い掛けるも、踏み抜いてしまって……あの、その……ま、誠に申し訳ございませんでした……」
「あのねェお姉さァん。世の中そんなに甘くないわけよ。ごめんで済んだらあたしたち警察はいらないんだよねェ〜」
「そ、その、屋根は後日必ず、必ず弁償致しますので、あの……逮捕だけは……逮捕だけはご勘弁を……どうにか示談に……」
「あ〜駄目駄目。申し訳ないと思ってんなら誠意を見せなきゃ誠意を」
「せ、誠意?」
「ズバリ、この衣装を着て写真を撮ッフォオ!!!」

 涙目で平謝りする真琴に珍妙な絡み方をしていた女隊士──朋子が、何処からともなく現れた土方に飛び蹴りを食らわされ顔面から床へ突っ込んだ。手に持っていたメイド服が弾け飛んだ。

「オイ、真選組には変態しかいねーのか」
「痛ったいですね何すんですか土方さァん!」
「テメーが何してんだァァァ! 自分に任せて侵入者と二人きりにしろっつったのはそういう魂胆かテメー!」
「そーですよ!」
「そーですよ! じゃねェェェ! 何開き直ってんだ!」
「イヤまずは緊張を解きほぐすところから始まりますからねこういうのは」

 堂々と胸を張る朋子と、彼女の胸ぐらを掴み上げる土方を眺めながら、真琴はどうしてこうなってしまったんだと泣き出したくなった。腕に抱えた猫がいなければ本当にそうしていたかもしれない。
 真琴が屋根を破壊し意図せず侵入してしまった邸内は、江戸の治安を護る武装警察真選組であった。チンピラ警察などと揶揄されている彼らは、その通り粗暴で荒々しい光景をたった二人で作り上げている。ああ、なんと恐ろしいことか。身震いさえした。
 しかしどうしたものか。知らない地──それも、人生初の取調室という最悪の状況。向けられた疑いの目。さらに知らない人間の中に自分ただ一人。少々コミュニケーション能力に乏しく、ある友人らからは揃いも揃って「ヘタレチキン」との蔑称を頂いた真琴に、頼れるのは己のみというこの状況は耐え難いものであった。

「……で、オメーは一体何者だ。とっとと吐け」
「エッ? い、いやあの、だからその本当に、故意に屋根を壊したわけではなくて、この猫を追いかけてて、そしたらたまたま偶然屋根を踏み抜いてしまって……」
「だァから聞き飽きたっつってんだ。ただの民間人が真選組の敷地に侵入して屋根登って猫捕まえて屋根破壊するわけねーだろ」
「うーんまァ確かに、攘夷党の密偵が真選組の動向を探りに来ておもくそミスったって考えるのが妥当なんだよねェ〜」
「いっ……やいやいや! 違います違います! いや確かにそう考えるとめっちゃ怪しいけど本当にマジで違うんですゥゥ!」

 どうやら話は、真琴の曲者説へと突き進んでいるようだ。慌てて弁解するも自分への不信感は募るばかり。真琴は己の運の無さに、年甲斐もなく本気で泣きたくなった。今度お祓いでもしてもらうべきか。
 そんなことを考えながらいよいよだんまりを決め込む真琴に痺れを切らした土方は、一時的に取調室を出ていった。その際煙草の箱を取り出していたが、もしかすると自分に配慮して今までニコチンの摂取を我慢していたのだろうか。この人、もしや気遣いのできる優しい……いや待て、それは流石にちょろすぎる。頭をぶるりと振るい、単純すぎる自分の思考を外に追いやった。
 土方に続いて「あたしも一旦出ますわ」と朋子が腰を上げる。一人の時間を得られるのは思わぬラッキーだった。今のうちに心を落ち着け、なんとか打開策を練ろう。ニャゴニャゴと暴れる猫を逃さないよう抱きしめながら目を瞑るも、すぐに部屋の向こうから怒号が聞こえてきて、真琴は肩を震わせた。

「山崎ィ! てめっなんで連れてきやがった!」
「いやそもそも別室で騒ぎに勘付かないのは無理ありますから!」

 一体何だ何だ。猫を抱える腕に力が籠もる。扉の方を見つめながら身構えていると、ノックもなしにがらりと戸が開かれた。

「よォ〜うやっぱり真琴ちゃんか。久しぶりィ」
「まっ……松平公!?」

 姿を現した圧の強い男の姿に、「ごっ、ご無沙汰しております!」と真琴は慌てて立ち上がって頭を下げる。──彼は御庭番衆時代に世話になり、今は警察庁長官として真選組を管轄下に置いている松平だった。曰く、今日はたまたま所用があり屯所に寄っていたらしい。

「で、何? 真琴ちゃん隊士になるって? いいねェここのむさっ苦しさを払拭するのに朋子ちゃん一人じゃ荷が重いと思ってたのよオジさんも」
「え、なんかあたし貶されてね? てか別に隊士候補じゃないんスけど」
「オジさん元々ねェ、御庭番衆と真選組の提携なんかも考えてたことあるのよォ。色々あってパーになっちまったけどな」
「そうなの!? まるまる初耳なんですけど!?」

 松平と朋子のやりとりをよそ目に、真琴は先程の松平の言葉が引っ掛かっていた。(『やっぱり』って……)誰かが、自分のことを伝えでもしていたのだろうか? でもそれにしては妙な違和感が──

「いやね、名前に聞き覚えがあるような気はしてたんだ」
「──っ!?」

 不意に掛けられた声に思わず飛び退きかける。見れば、いつの間にか先程の土方とも違う男がすぐそばに立っていた。気疲れで気配に疎くなっていたとはいえ、いつの間に……そこまで考えて、彼が屋根を突き破った際に下敷きにしてしまった隊士であることに気がついた。先程土方に呼ばれていた「山崎」が彼の名だろうか。

「だから取り調べの間に、以前そこのとっつァんから渡された資料なんかを確認してたんだよね。そしたらやっぱりきみ、御庭番衆の関係者だったみたいだから」
「え、えっと、あの……」
「まあ、忍なら屋根伝いに走っててもおかしくねェや。とっつァんの関係者ってんだし、多分すぐ帰れると思うよ。災難だったね」
「そ、それは……良かったです……」

 恐る恐る返答しながら、真琴は隣の彼に対して怯えを感じていた。見た目こそ凡庸、まさに人畜無害な好青年だが、いつの間にか傍らに歩み寄っていた気配の絶ち方。真琴の胸中を覗いたかのような的確な声掛け。さらに、御庭番衆として活躍した忍は少なくないはずなのに、そのうちのたった一人の名前を憶えていた彼の記憶力や推察力。真琴は猫を抱き締める手を再び強めた。

「そんじゃ真琴ちゃァん。今度さっちゃんも巻き込んで飲みにでも行こうじゃないの」
「は、はい。楽しみにしてます」

 松平は多忙の隙を縫って来ていたらしく、土方らにいくらか話をしてから怠そうな足取りで去っていった。──それから間もなくして、真琴も釈放され、山崎に誘導されるがままに屯所を後にすることになった。

(や……やっと帰れる……)

 心の中でどっと息を吐いた。身も心も削られまくって、真琴はフラフラだった。
 ふと、少し前を歩く山崎の足元に視線を向ける。猫を抱え、のそのそと歩いているはずなのに距離が開くことはない。こちらに歩調を合わせてくれているようだった。

(結構やさしい人なのかな……)

 いやしかし、恐らくは職業柄の癖であり無自覚なのだろうが、端々から感じる侮れなさに、気構えを緩めることは最後までできなかった。







「おっようやく見つけた……! てめ、散々捜したんだぞ。てか猫も見つかってんじゃん、さすが忍だな」
「ぎ……銀さァん……!」
「え何、なんでそんなちょっと泣きそうなの?」