04
「雪ーーーー!!」
とある昼下がり。自宅のベッドで睡眠を取っていた雪は、少女特有の高く、加えて大ボリュームの叫び声に容赦なく叩き起こされた。
重たい瞼を無理矢理こじ開け、怠さの残る体を起こす。本来なら無視したいところだったが、それが不可能であることを彼女はよく知っていた。つまり、相手は無視を決め込んでも諦めるような性格ではなく、さらに今自分がいるこの部屋と相手がいる場所は、非常に近いのだった。──距離にして、僅か三メートル以下といったところである。
頭の痛みに耐え、数秒間ぼんやりと脳の覚醒を待った後、ベッドの上で体を引きずるように動かし始める。シーツにかなりの皺が寄ったが、彼女は別段気にしていないようだった。そうしてすぐそばのカーテンに手を伸ばし、右半分だけ開く。射し込む日光に、雪は少し目を細めた。
狭い視界に映ったのは、案の定隣に住む神楽であった。雪の機嫌を知ってか知らずか、天真爛漫な笑みでベランダからこちらに手を振っている。シニヨンカバーについたタッセルが楽しげに揺れていた。
雪は気だるそうな手つきでゆっくり窓を開き、ついでに嫌そうに口も開いた。
「……っせーなご近所迷惑だろが……つか私に迷惑だ」
「銀ちゃんが雪呼んでるアル」
「死ねって伝えて」
「銀ちゃーん! 死ねだってヨ!」
「ちょっと待てェェェ!」
ベランダの奥からドタドタと足音が近付いて来るが、雪は聞こえないふりして窓を閉める。それからカーテンにも手を掛けるが、再び日光を遮断する前に神楽と入れ替わりで銀時が姿を現した。苛立った表情で強く手招きをしている。
どうやら雪に用事があるのは本当だったらしい。しかし彼の態度が気に食わなかったようで、雪は再び窓を開けると、流れるような手つきで逆さに立てた親指を上から下へと下ろした。銀時の苛立ち任せのシャウトが響いた。
「うっせーな人を呼びつけんじゃねェよ毛玉野郎……用あんならオメーが来いゴミカス」
「俺そこまでボロクソ言われるようなことしたか!? つーかお前家に他人入れねーじゃん!」
「たりめーだオメーごときが私のテリトリーに足踏み入れられると思ってんのか。思い上がんな天パ」
「んだコラァァァ! テメーに天パの苦しみが分かるかァァァ!」
「るせ死ね……んで何の用。十字以内で答えろ」
「少な! 無理無理!」
「じゃ」
「待て待て待て! いっこうに話進まねーじゃねーか! 本題に入るまでにどんだけ時間かけるつもりだァ!」
銀時の言う事ももっともである。このまま不毛なやり取りを続けていたって、何のメリットもないことは明白だ。雪は小さくため息を吐くと、窓を全開にし桟に足を掛けた。
「じゃそこどけ」
「は? ──てオイ、ちょ、待っ……!」
そして雪は、万事屋のベランダ……もっと正確に言えば、銀時に向かって、何の脈絡もなく唐突に跳躍した。
あまりに突然の事態に、銀時は動くことが出来なかった。雪が自分の元へ跳んでくるのがやけにスローモーションのように見え──
「ぐふゥっ!!」
「しょ、っと……だァからそこどけっつったろ」
「無理に決まってんだろ唐突すぎるわァァ!」
「無理無理言ってんじゃねーよ。諦めなけりゃ未来は切り開ける」
「何その少年漫画みてーな台詞! 無表情で言われたって一ミクロンも心に響かねーよ! つーか早くそこどけや!」
「触んじゃねーよセクハラポップコーン。給料未払い家賃滞納と纏めて訴えんぞ」
「その妙にリアルな脅しやめろ!」
軽く青ざめる銀時の胴体の上で、雪はようやく動き出す。素足を地面につけないよう、室内に直接跳び込んだ反動で、銀時の口から二度目の呻き声が漏れた。しかし雪はまったく悪びれる様子もなく、盛大に欠伸などしている始末だ。ブツクサと文句をたれながら、銀時も部屋へ戻り窓を閉めた。
「んでェ、何の用。わざわざ私がここまで来てやったんだ、くだんねェことだったらその粗末なモンもぎ取んぞ」
「女の子がそんなこと言っちゃいけませんんん! 別にお前にとっても悪い話じゃねェよ。とりあえず着いて来、」
「触んな」
雪の腕を掴もうとした銀時だったがするりと避けられる。銀時は所在を失ったその手を仕方なしに己の首に当て、ため息をついた。
「……つーか何、雪ちゃんもしかしてさっきまで寝てた? 寝癖尋常じゃないんだけど。鳥の巣状態なんだけど」
「あァそうだよオメーらは人様の眠りを不躾にも妨げたの……そうまでするほど大事な用なんだろーな」
「エッ…………とそうそうそう大事! 超大事だから超重要性高いからその目をやめろ! ていうか何、こんな時間まで寝てたの!? 逆にすごくねェ!?」
「明け方まで仕事あったんだよ、何が悪い……あ〜ねみ……」
愚痴をこぼしながら心底怠そうに目を擦る雪。そんな彼女を見て、銀時は少し考える素振りを見せてから、猛獣に手を伸ばすように慎重に雪の頭に触れた。
「あ……? オイ触んなっつってんだろ」
「依頼人来てっから。んなボサボサ頭じゃ失礼だろーが」
確かにそれは一理あった。いくら傍若無人な雪と言えど常識は持ち合わせている。さらに言うと、もうまともに抵抗する気も起きない。つまり面倒くさくて眠かった。
されるがままに、手ぐしで雑に髪をとかされていく。指先が頭皮を掻き、形容しがたい感覚を生み出した。雪は鬱陶しそうに、きゅっと眉間にしわを寄せ──その手をパシンと払った。
「つか……自分でやるっつの」
「……えェ〜なァにィ? もしかして雪ちゃん照れてるゥ〜?」
「は」
全存在を否定するかのような氷の眼差しと声色に、銀時は即座に口をつぐんだ。
「寝言は寝て言えマダオ。で、結局何なんだよ。オメーらの依頼主が関係して私に利益あるってどんな内容だっつの」
淡々と述べる雪は、しかしやはり苛立っているように見える。普段は元来のものぐさっぷりから、機嫌の悪さが持続することすら珍しいというのに。そこまで叩き起こされたことが気に食わなかったのか。
やはり適材適所などと雪に頼る楽な道を選ばず、自分たちで悪戦苦闘しながら解決すべきだっただろうか。銀時は今更そんなことを考えた。
*
「実はのォ〜、余のペットがいなくなってしまったのじゃ」
「そうですか、じゃ」
「待てェェ!」
薄紫のちょうちんあんこう、もとい皇国星のハタ皇子を前にし、雪は即座にUターンした。が、瞬間右手を銀時、左手を新八に掴まれる。ちなみにこの二人、何故だかこの部屋にいる時のみ変顔を崩さない。残された神楽は、しけてるアルなどと文句を漏らしながら、客に出したお茶請けのせんべいを貪っていた。
「(待ってください雪さん! 貴方だけが頼りなんです!)」
「(オメーら宛の依頼なんだからオメーらだけでなんとかしろや)」
「(待て待て! ペットだぜ!? 動物だぜ!? お前動物好きじゃん! 超好きじゃん!)」
「(あのちょうちんあんこう、皇国星の皇子様だろ。私は知ってんだよあのバカ皇子ロクなペット飼ってねェの)」
「(お前ホントなんでそんな何でも知ってんだよ!)」
「(墓穴掘ってます銀さんんん!)」
「(しまったァァァァ!)」
小声で己の失態を嘆く銀時。彼は確かに、無数のバイトを転々としたことによる雪の広いコネクションとそれによる情報量を求めていた。しかし、こう自分たちに不都合な情報まで持っていられると非常に困るのだ。無論、予想していなかったわけでもないが。
片腕を解放された雪は、新八に掴まれた方も振りほどき小声で続けた。
「(私ァな大抵のことは知ってんだよ。そういう凄い奴なの私は。前にかぶき町で大暴れした巨大タコもアレ、オメーら二人で刺身にしたんだろ。ついでに言やァあれ、そこのバカのペットだったんだろ)」
「皇子を付けてください! 確かにバカだけど!」
「聞こえとるぞ、お主」
新八は目を極限まで薄め、すぼめた口で「え、何がですか?」とすっとぼけて見せる。どうやら変顔は、自分たちが以前出会っていることを気付かせないためのものだったらしい。
「(つーかペット捜しなら真琴に頼んでパパッと江戸一周でもさせりゃ良いだろが)」
「(できることならそうしてるっつーの。なんか前に猫捜索手伝わせた時に何かあったらしくてェ? 『ペット捜しなんて誰が手伝うかボケェ!』だとよ)」
「(チッ使えねェなあのヘタレチキン)」
「(相手が相手なだけに断れねェしよォ、俺らだけじゃ多分どうにもなんねーんだって! 経験上!)」
「(……じゃ、報酬六割貰うから)」
「(多くね!?)」
銀時の懇願にようやく折れた雪は、身勝手すぎる条件を一方的に叩き付けると、ソファに深く腰掛けてハタ皇子に向き合った。
「……でェ、どんなペットなんすか」
「これじゃ。三十分以内に見つけてたもれ」
皇子が一枚の写真を取り出す。雪と万事屋三人は、仲良く一緒に覗きこんだ。そこに写っていたのは、顔面が緑色に染まった眼鏡の──ちょうちんあんこうだった。
「……あー、これァまた限りなく人っぽいフォルムのペットさんですねェ」
「いや違うでしょ! どうみてもこれ貴方と同じ種族じゃないですか!」
「いや違う。それはお付きのじいではない、ペットじゃ」
「そこは認めましょうよ! 普通に人捜しで良いじゃないっすか!」
「これでペットとか、完全に共食いの域アル」
「とにかく頼んだぞ。……まったくじいめ、余がちいとペットショップに貼り付いてるうちに迷子になりおって」
ボソリと呟かれた言葉は、しかし全員に聞こえていた。結局事実を隠す気はないのだろうか、それともバカなのか。
雪はがしがしと頭を掻くと、そのずぼらさ故寝てなお懐に突っ込んだままだった携帯電話を取り出し、カメラを起動させた。
「お? 余を撮るとはなかなか見る目があるのう」
「テメーじゃねーですよバカ皇子」
「今バカって言った?」
「言ってねっす」
銀時と新八がヒヤヒヤと肝を冷やす中、雪は捜し人の写真を携帯に収めた。そしてそれを「情報求む」の文字とともにTwitterへ。プライバシーもクソもあったものではなかった。
「じゃ見つけ次第捕らえて連れてきますわ。その間この三人が貴方のお暇を潰してくれるみたいっすよ」
「ちょっと待てェェェ! 何勝手言ってんだテメェェェ! つーかTwitter!? 雑じゃね!? しかもテメーは動く気ゼロかァァ!」
「んじゃ失礼しゃーす」
「ちょっ雪ちゃんタンマ! ストップ! 面倒事と俺らを置いてかないでェェェ!」
「触んなや腐れニート」
羽交い絞めしようとした銀時を器用に躱すと、精神へのとどめを容赦なく刺して雪は颯爽とベランダから帰っていった。余談だが、このたった十分後に捜し人を見事連れてきた雪がかっさらっていった報酬金は八割に増していた。