02









「すみません」
「あ?」

 天気の良い昼下がり。こちらの声に振り返ったのは、あどけなさの残る大きな丸い目の少年だった。自身とそう年が離れているようにも見えず、羽月はどこかに安心感を覚えながら言葉を続ける。

「道が分からなくなってしまって……真選組の屯所に伺いたいんですが」
「……テメーが? 何しに?」
「実は、向こうにあったお仕事募集の貼り紙を見掛けまして。ぜひ、お話を伺いたいと思って」

 丁寧に経緯を述べるが、返事がない。彼はじっとこちらを見ていた。声が届いてはいるはずだが、妙に感触が悪いように思う。
 この黒い制服は、まさしく真選組の制服であるのを、往来の人たちの会話で偶然知っていた。おそらく人違いではないはずだが……もしかして、実は彼は服装が似ているだけの一般市民だったのだろうか? そんな心配が込み上げてくる中、彼はくるりと踵を返した。

「ついてきなせェ」
「あ……案内してくださるんですか? ありがとうございます。とても助かります」

 返事はない。羽月は先行して歩き始めた少年に小走りで追いつく。

「あの、おまわりさんは」
「沖田総悟」
「沖田さん、ですね。私は秋宮羽月と申します。沖田さんは見廻り中でしたでしょうか。すみません、お忙しい時に」
「……」
「女中さんを募集されてるんですよね。私お料理は慣れているので、ぜひこちらで働けたら嬉しいと思って」
「……はァ」
「食堂運営諸々と書いてありましたね。沖田さんは食堂はよく使われるんですか?」
「はァ」
「……あの、すみません、少し歩くのが速くて……」
「はァ」

 いや、スピードを下げてほしいのだが。
 さっきから沖田と目が合わなかった。大した返事もない。あまつさえ、着物の羽月へ対する嫌がらせのような早歩き。何だ、一体。嫌な違和感。しかし時間を割いて案内してくれる相手にあまり強く出ることもできず、羽月は裾の下で必死に小走りする。
 しばらくして、大きな塀に囲まれた敷地が見えてきた。険しい顔つきの門番にじろじろと見られながら門を抜け、中の建物に案内される。これほど大きな屋敷の敷居を跨いだことは初めてで、羽月はどこか胸を弾ませながら沖田の後をついていく。

「テメーみてェな小娘じゃ埒が明かねェだろうからな」
「え?」

 前置きなく貶されたようで、羽月は上手く返事ができなかった。沖田の意図がまるで汲めないでいるうちに、彼は感情の見えないポーカーフェイスで振り返った。

「協力してやらァ」











 真選組に新たな女中、羽月が来てから早いもので一週間が経った。
 ここに元々勤めている女中はみな最低でも四十代は越えている女性であり、最初はまだ十代の羽月に「そんな若い()に女中が勤まるのだろうか」という心配も僅かながらにあった。さらに彼女は、住み込み勤務という要望を出したのだ。例外として一人女性隊士の朋子が在籍しているものの、基本的に真選組屯所は男所帯。本来なら局長と副長が首を縦に振るはずもなかったのだが、いかんせん真選組の女中は只今人手不足でもあった。
 掃除などはもともと隊士たちも役割分担して行っているが、洗濯や食堂回りはすべて女中に任せている。そこに手が回らないとなると、必然的に隊士たちの生活がままならなくなる。しかもどれだけ募集チラシを貼ろうとも、むさ苦しく、危険も付きまとう真選組、さらに人手不足故に仕事量も多いとなれば、希望者はそう簡単には集まらない。つまりそこに現れた羽月は一筋の希望の光であり、決して逃すわけにはいかなかったのだ。
 そうして結果的には、朋子の隣の部屋が羽月用として空けられたわけである。──ちなみに、朋子は幹部ではないが大部屋ではなく一人部屋を宛がわれており、その部屋も他の隊士らのものとは違う並びに位置している。唯一の女性であることへの最低限の配慮だった。

 と、これまでの経緯をざっと脳内で整理していた真選組監察山崎退は、事の異様さに改めて首を傾げた。
 何故こんな年端もいかない少女が、わざわざ対テロ用特殊部隊である真選組の女中という道を選んだのか。それも、住み込み。考えれば考えるほど、理解に苦しんだ。なにか特別縁が合ったわけでもなさそうだし、人手不足の影響で女中の給金を上げはしたが、目を見張るほど高いわけでもない。生活費を浮かせるためとしても、あえて男ばかりのむさ苦しい此処で、うら若き少女が妥協するだろうか?
 様々なことにおいて前代未聞な羽月。当然のように、隊士たちの間では初日から彼女の話題で持ち切りであった。もちろん、若くて可憐な女の子だから、というのもあるだろうが。

(……いやいやロリコンとかじゃないから。違うから)

 誰にともなく言い訳を浮かべて首を振る。隊士たちが羽月への興味を欠かないのは、そんな浮ついたことが理由ではないのだ。山崎はこの一週間、仕事の合間に羽月を観察し続け、そこで彼女の持ちうる多くの特徴に気が付いた。

 まず一つ、羽月の家事スキルは非常に高かった。
 勿論女中志願である以上、ある程度こなせるであろうことは推測していた。しかし羽月の仕事ぶりといえば非常に手際がよく、丁寧で、それでいて完璧な仕上がりだったのだ。掃除を任せれば細かな箇所の埃まで徹底的にぴかぴか。洗濯を任せればシワひとつない仕上がり。調理を任せれば頬が落ちるほどの絶品。おかげで女中業務は滞りなく回り始め、元々数名募集の予定だったところ、打ち止めになったらしい。

 次に、淑やかな素行や見た目とは裏腹に、羽月は非常によく食べよく動いた。
 その片鱗は、初日に行われた歓迎会でも身を持って経験していた。正直、こんな可愛い女の子がこんなむさ苦しいところにいるなんてライオンの檻に一匹の子兎だ、夜な夜な襲われてしまうのでは……なんて心配もあったが木っ端微塵に吹き飛んだ。一匹のライオンと無数の子兎の間違いだった。
 一度羽月が他の女中たちと昼食を取っているのを目撃したが、真選組食堂の名物、超ジャンボラーメンしょうゆ味を、彼女は一人でぺろりと平らげていた。常日頃から鍛練や仕事に励んでいる隊士でも、早々完食できないようなそれを。暫く思考回路が停止したのを山崎はよく覚えている。
 そして摂取したエネルギーをすべて燃やしつくす勢いで彼女は働く。労働が嫌いではないのだろう。隊士らが割り当てられた道場掃除に向かったら、彼女がすでにたった一人でピカピカに掃除し終えていたという伝説を聞いたのは記憶に新しい。
 買い物帰りの羽月に玄関で会ったこともあったが、手伝うよと右手の袋をすべて受け取れば、山崎はあろうことか地面へズシンと落としてしまった。「女の子が片手で持っていたものだし」と完全になめていた。一度深呼吸をして再びトライしたが、手のひらに食い込むビニールも痛いし何より猛烈に腰に来る。そうこうしているうちに羽月は「重いからいいですよ、お気持ちだけ受け取りますね」と岩のようなそれを、軽々(とは言ってもちゃんと重そうにはしていたが)と持ち上げた。もしかしすると彼女は隊士でもやっていけるのではないか、と思うと同時に、山崎は男をやめたくなった。

 最後に一つ。

「……あの、副長さん」
「何だ」

 土方の部屋に茶を淹れに来た羽月は、用件を済ませたあと立ち去るのかと思いきや土方を呼んだ。──ちなみに山崎がこの場にいるのは、先日の某調査に関する報告書を提出に来たからである。
 羽月のぴっと伸ばした人差し指が、土方が手に持つ煙草へと向けられた。

「以前から気になっていたのですが……それは何ですか?」

 そう──羽月はたまに、驚くほどに物を知らなかった。頭が悪い、とはまた違う、本当の無知。浮世離れした世間知らずさ。
 羽月に問いを投げられた土方は、面白いほどに目を白黒させて、ぎこちなく口を開いた。

「……おま、煙草見たことねーのか?」
「私、今まで故郷の村から出たことがなかったもので。たばこと言うんですね。何のためにくわえているんですか? かなり匂いの強い煙が出ていらっしゃいますが……」

 良く言えば箱入り娘、悪く言えば田舎者。そんな彼女の無垢で汚れを知らぬ瞳を向けられ、土方は口ごもる。

「何のためって……そりゃ、アレだ、煙をだな……」
「……ああ、つまり、その煙を吸う事によって体に良い効果がもたらされるという、言わば健康食みたいなものですか?」
「いやっ違っ……そ、その、アレだ。何だ。その……オイ山崎ィ! お前あのアレ説明とか得意だろ!」
「へえェ!? あ、あのアレだよ、えっと、その……そう、風味! 風味を楽しむものなんだ!」
「なるほど、美味しいものなんですね。ぜひ私も吸ってみたいです」
「だ、駄目だよ! 未成年は煙草吸っちゃいけないんだ!」
「え? どうしてですか?」
「いやっどうしてもこうしてもそういう決まりが……」
「何故ですか? 大人の方だけの特権だなんて……美味しい健康食なのに、何故未成年は吸ってはならないんですか? 何故大人になったら良しとされるのですか?」
「え゙っ……えーっとォ……、」
「山崎さん? どうされたんですか? お顔色が……山崎さん?」
「ううう……!」

 煙草を健康食と勘違いしている彼女に、いったいどう説明すればいい。「体に悪いから」と正論を述べれば、「それはいけません!」と副長から煙草を取り上げそうな勢いだ。それは困る。俺が副長にどやされる。どうしよう、どうしよう。そうやって山崎が必死に頭を働かせていると、思わぬ救世主が出現した。

「あーっ羽月ちゃん見っけ!」
「あら、朋子さん、こんにちは」

 平生気楽そうな朋子が、普段以上に楽しそうな笑顔で部屋に乱入してきた。同性同士というのもあるのだろう、羽月が真選組の女中として働くようになってから、朋子はすっかり上機嫌だった。しばらくはこのままに違いない。
 彼女は正座している羽月に視線を合わせるようにしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。

「ね〜え羽月ちゃんこれから暇? お出掛けしな〜い? 羽月ちゃん最近江戸に来たばっかだしさァあたし案内するよ」
「いや朋子テメー仕事はどうしたァァァ!」
「うわひじっかたさん! 何でそこに」
「誰だひじっかたさんって! つーか此処俺の部屋!」
「アリ、ほんとだ」
「なァにコイツを口実にサボろうとしてんだァァ!」

 嵐のように訪れた朋子は、ものの数秒で土方の逆鱗に触れ、「げえっ」と血相を変えて退室する。そのあとを追う土方の般若のような顔を見て、あ、リアル鬼ごっこの幕開けだと山崎は悟った。

「山崎さん。私この一週間で分かったのですが……朋子さん、いわゆるサボり魔というやつですね」
「……うん、そだね」

 ハハと笑えば、バズーカの爆音とともに土方の悲鳴が聞こえてくる。屯所内でそんな非常識なことをやってのけるのは朋子かもう一人しかいない。しかし朋子は走ることに必死だったろうから、恐らく途中で彼に遭遇したのだろう。
 煙が部屋の中から分かるほど廊下に充満してくると、羽月がおもちゃを目の前にした幼子の如く爛々と目を輝かせた。

「……まあ、たばこというのはこんなにも煙が出るものなんですか! すごいですね」
「いやァこれはバズーカかな〜……」
「ばず……? ああ、あの大きなちくわのような! 使用されてるところを見るの初めてです!」

 言いながら、羽月はうきうきと廊下に出た。全身煙たくなるだろうしやめたほうがいいと思ったが、きっと言うだけ無駄だろうと山崎は諦める。──しかし羽月の輝いた表情は一転、何か嫌なものでも見たように、くしゃりと歪められた。
 そういえば女中採用の件について、どういうわけかある人物の口添えがあったと聞く。そのため二人は元々知り合いであったのだろうと思っていたが、羽月の反応を見るにどうやら違うらしい。一体どんな事情を経てあの男が羽月に手を貸すまでに至ったのかはわからないが、普段は至極穏やかな羽月が、今のような表情を向けるのはただ一人だった。

「よォ羽月。今日も虚しくなるほどのちんちくりんだねィ」
「……沖田さんこそ、今日も周囲を顧みる能力のなさを遺憾なく発揮してらっしゃいますね」

 羽月と沖田の仲は、どういうわけか初日からすこぶる険悪なのである。







(ああもう腹が立つ!)

 羽月は目の前の枕に拳を沈めた。当たり前だが手応えなどほとんどなく、つまりその行為によって羽月の怒りが緩和されることはない。
 羽月は座鏡台──羽月を可愛がってくれている女中の先輩の一人が、「お古だけれどよかったら」と譲ってくれたものだ──に飾られていた写真立てを手に取る。羽月が持ち込んだ、数少ない手荷物のひとつだ。木枠の中には、皺を刻んだ厳粛そうな老爺が写っていた。

 ──聞いてください、おじいさま。新しい職場で、どうしてか私を嫌う人がいるんです。あの人私を散々馬鹿にして。私の事が気に食わないのなら、構わなければ良いではないですか。あの人は何故わざわざ自ら突っかかってきて嫌な思いをしにくるのですか? 馬鹿だからでしょうか? 馬鹿だからなんでしょうね。純度100%の大馬鹿者ですよ!

 心の中で語りかける……というより、滔々と愚痴り連ねる。握力を掛けられた木枠から妙な音がし、羽月は慌てて力を緩めた。
 沖田総悟。真選組一番隊をまとめ上げる隊長を担う男。確かに出会ったその時から、彼の態度はお世辞にも良いとは言えなかった。さらにこの一週間で、元々性格がねじ曲がっていることは把握したのだが、それにしたって沖田の羽月に対する仕打ちはよろしくない。口は悪いわ、事あるごとにからかってくるわ、その上、どうしてか羽月の女中採用に関して希望が通るように口添えをしてくれたりと、真意の読めない妙な態度。羽月が混乱するのも無理はなかった。

 ──ああ、ごめんなさいおじいさま。いつもおじいさまのことを想う時は、寂しくて悲しくてやりきれなくて、それでいて懐かしくて愛おしい気持ちだったのに。こんな……こんな! こんな苛々を抱えたまま! 涙も出ません! あの人のせいで! こんな気持ち初めてです! だいたいどうして私だけこんなに苛立って、あの人ばかり飄々として! それも腹立たしい! ずるい! 一体何なの!

 羽月は写真をそっと置くと、今度は枕を掴んで布団にバンバン叩きつけた。沖田とは同じ土俵でいがみ合っているようで、実際のところ彼は涼しげな顔ばかりしているのである。一向に腹の虫がおさまらず、敷いた布団の上でバタバタ暴れていると、部屋の襖が開く音がした。そこに立っていたのは、隊服のジャケットを脱いでワイシャツ姿の朋子だった。

「おうおう荒れてるねェ」
「あっ……! うるさくしてすみません朋子さん!」
「いーっていーって。それより今羽月ちゃんが何思ってるか当ててあげようか……総悟隊長のことでしょ」
「えっ、どうして分かったんですか?」
「羽月ちゃんを苛つかせられるなんて総悟隊長くらいのもんでしょうよォ。にしてもやっぱアレだわ〜、美少女ってどんな表情でも絵になるね! ヒューッ!」
「……」

 夜のせいだろうか、それとも業務過多で疲れているのか。謎のテンションの高さで絡んでくる朋子に、羽月はすっかり脱力してしまった。その間に部屋に入り込んできていた朋子は、布団の傍らに勝手に腰を下ろすと腕を組んだ。

「でもアレよ、どうも総悟隊長の態度を見てると、好きな子ほどいじめたくなっちゃう的なアレを思い出すんだよね〜」
「……あの人が私を好いていると? そんなわけがありません、まるで面白くない冗談です」
「いやホラ好きよ好きよも嫌の内って言うじゃん!」
「逆です朋子さん」
「ありゃ絶対気があるって。だっていつも向こうから絡んでくるしねェ」

 なるほど、朋子は案外よく周りを見るタイプらしい。羽月は自分から沖田に構いに行ったことはないと自覚している分、彼女の言う事には頷くところがあった。しかし、好意があるというところは解せない。好きな人には優しくしたいに決まっている。つまり相手に優しくしないということは、好きじゃないはずだ。嫌よ嫌よも〜なんて言葉は、羽月には全く共感ができなかった。

「ま、総悟隊長みたいな性悪に羽月ちゃんみたいないいこは勿体ないけどねー!」

 まったくその通りだ。羽月はうんうんと頷いた。

「朋子さんはあの人と同じ隊なんですよね。私に妙に突っかからないようにと、朋子さんから言って頂けませんか」
「ん〜言うには言えるんだけど……アイツ別にあたしの言う事なんてまったく聞きゃしないからね。てか誰の言う事もまるで聞かないからね。近藤さんだけワンチャンくらいの」
「な、なんて聞かん坊な……まるでお子様じゃないですか」
「そう! 総悟ってお子様なのよ! これだから男子ってやーよねー!」

 ケタケタ笑い出した朋子は、何故だか心底楽しそうだ。反面、羽月は不愉快そうに顔を歪め朋子から視線を外している。
 朋子はほどなくして、「今度それとなく注意はしておくよ」と笑うと、今度は真面目そうに顔を引き締めた。こんな風に静かな朋子は珍しくて、羽月は少しだけ戸惑いを見せる。

「……ね、総悟は確かにお子様だし、わがままだし、捻くれてるしいじっぱりだしドSだし傍若無人クソ口悪サボり魔野郎だけどさ」
「サボりについては朋子さんに言われたくないと思いますけど……」
「本当は悪い奴じゃないし、なんだかんだやさしい子なんだよね。だからさァ、ほんの少しだけ、長い目で見てやってくれたらいいなって」
「すみません無理です」
「早ェ! そこは『朋子さんがそう言うなら……』って言うとこじゃない!?」

 妙に甲高い声で台詞を言ってのける朋子に、まさかそれは私の声真似じゃないだろうな……と訝しげな目線を向ける。当の本人はそんなもの意にも介さず「まっそういうわけだから〜じゃあたしはそろそろ行くね! おやすみ!」と退室した。本当に嵐のような人だな、と羽月は心の底で思う。

(……あんな人に、嫌い以外の感情なんて持てません)

 脳裏に過る木蘭色を振り払い、部屋の電気を落とした羽月は、未だ慣れない匂いのする布団にもぐり瞼を閉じた。