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 昔、一度だけ、迷子になったことがあった。
 どこかの荷台に乗り込み、埋もれた荷物の隙から、動く景色を楽しんでいた。その途中、うっかり眠りこけてしまい、気付けば知らない土地にいたのだ。
 暮れてゆく真っ赤な夕日が妙に怖く感じて、自身が赤に照らされていることも、世界が赤々と燃えていることも全てが怖くて仕方がなかった。

「えーん、えーん……」

 幼き日の自分の泣き声が、何度も何度もこだまする。知らない地で、ただただひとりぼっちでいることの怖さが、身を刺した。あの時ほど、ひとりがこわいと感じたことは、きっと後にも先にも無いだろう。歩いて、歩いて、疲れ果てて。周りには誰もいない。ただただ赤と静けさだけが世界を支配していた。世界が怖かった。自分の世界を出るんじゃあなかった。ずっと閉じこもっていればよかったのだと、泣きながら、怯えながら、とうとうその場にうずくまってしまった。

「なあ」

 そんな自分を、いつのまにか大きな瞳が見下ろしていた。彼は夕日を背負って真っ赤に染まっていた。
 顔を上げた自分の、涙で濡れた目元が乱暴に袖口で拭われる。それから、不器用な手つきで腕を掴まれ、引っ張られた。その手のあたたかさは、自分の「こわい」をやさしく溶かしてくれた。「こわい」はずの赤を、あたたかい赤にしてくれた。

「……大丈夫」

 こわくて、かなしくて、どうしようもなかったあの日。
 真っ赤なヒーローが、自分を助けに来てくれたのだ。









「ちょっとちょっと野郎だけでデートぉ? 華がないねェ」

 ──屋敷から出てきた土方と山崎が、乗ってきたパトカーのヘッドライトがひとりでに光ったのを目撃したところで、声が聞こえた。開いたサイドウィンドウから、見慣れた顔が現れる。

「は……? てめっなんでいやがんだ」
「巡回帰りに真選組(ウチ)のパトカー見つけたから」
「ここルートじゃねェだろ」
「いいじゃん別に。意欲的なんだよ今日の朋子ちゃんは」

 ホラ、とりあえず乗った乗ったと促せば、二人は顔を見合わせたのちそれぞれの扉から車に乗り込んだ。助手席をあえて避けたのか、位置取りからしてたまたまだったのかは朋子にはわからなかった。

「も〜今日は総悟の分まで勤勉に働いちゃって、朋子ちゃんもうクタクタよ」
「悪いね朋子ちゃん、そんな中わざわざ自ら運転を……」
「別にィ。こんな日にまでお仕事に勤しんでるお二人と比べたら、こんな疲れ大したことないしィ」
「……何が言いてェ」
「じゃあ言うけど、なんでミツバさんに会わなかったのさ」

 やはりそれか、と山崎は気まずそうに目線を下げた。一応、さっき屋敷の前で会って……会っちゃってはいるんだけどね。というか、そういうのはできれば俺のいないところで二人だけで話してほしいもんだ……。山崎の切な願いが、朋子に届くことはない。

「不審船調査だったっけ? そんなのそこのアフロ一人に任せれば良かったじゃん。つーかなんでアフロなんだよザキお前」
「なりゆきです」
「どんななりゆき? まあお前のアフロはどうでもいいんだけども。あんな屋敷に出向いてた理由もわかんないしさァ」

 赤信号に引っ掛かると、朋子はミラーで後部座席の様子を盗み見る。鏡越しにもわかる、重い空気だった。それを作った原因は自分であるのだが。
 沈黙が続く。土方に向けたはずの無言の圧力が、狭い車内で回り回って自分にものしかかってきた。息苦しい。そう思っていたのは朋子だけではなかったようで、山崎は苦し紛れに窓を半分ほど開けた。無論、そんな程度で換気できる淀みではないのだけれど。

「……どうでもいい。しったこっちゃねーんだよ」

 唐突に、冷たく重い声によって沈黙が破られた。それを発した土方はというと、それきり黙り込んでしまう。

「……わかんないなァ」

 昔から、そうだった。わからないことだらけだった。そして、今も。もちろん、わかろうとする努力はした。それでもやっぱり、朋子にはわからなかったのだ。

「……わかんないよ、あたしは。貴方も、あの人も」

 胸の息苦しさは、それから屯所に着いて彼らと別れるまで、朋子を苦しめ続けた。