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真琴がミツバと出会い、巻き込まれたあの日。あれから真琴のおすすめの店をいくつか回ったところで、あとはお役御免といわんばかりに彼らと別れることとなった。あまり大所帯で動いてもミツバの体に障るとのことだった。どうやら、どこかを患っていたらしい。しかし、弟が病気とはかけ離れた健康体であることや、病気の影を感じさせないほど、朗らかに笑い、歩き回っていたミツバを見て、そこまで重篤なものだとは思っていなかった。
だから、その晩に倒れ、急遽入院することになったと銀時からの一報が入った時、真琴は思わず叫んでしまったのだ。
「……ミツバさん、そんなに病状悪かったんだ……」
「そーだな」
「……で銀さんそれ何?」
「依頼」
ガサリとコンビニの袋いっぱいに入ったそれは、真っ赤なパッケージの煎餅だった。その、見るからに辛そうなそれを、依頼とは、いったいどういうことなのだろう。自分らの行き先を考えれば何となく予想はついたが、それにしたってその二つを容易に結び付けるには、真琴はまだミツバのことを知らな過ぎた。
沖田から伝えられた病院を訪ね、受け付けを通って病室へと向かう。空調は整っているにも関わらず、どこか重い空気がねっとりと纏わりついてくる気がして、真琴は居心地の悪さを憶えた。息苦しい。病院は、慣れない。
(いや……慣れていいものではないか)
ぶるりと頭を振るっていると、ようやく目当ての病室が見えてきた。しかし、先客がいたらしい。扉がゆっくりと開き、人のよさそうな笑みを浮かべた男が、別れの挨拶を告げながら出てきた。旦那……だろうか。銀時ならば知っているかもしれないと、彼のいる方を振り返るがそこには誰の姿もない。真琴は数歩戻って曲がり角を覗き込む。いた。
「……何してんの?」
「依頼は完璧にこなさねェとな」
彼はガサリと手もとの袋を揺らして見せた。そういえば、先ほどの男が「辛いものは体に障るから云々」と言っていたような……なるほど。恐らく辛党のミツバに、こっそり買い出しを頼まれていた。そういうことだろう。
男の姿が完全に見えなくなってから、二人はようやく病室へ赴いた。ニヤリと煎餅を掲げて見せる銀時に、ベッド上のミツバはクスクスと笑みを漏らす。
「すごい。本当に、頼めばなんでもやってくれるのね」
「オラ、あんま食べ過ぎんなよ。痔に障るぞ」
「アナタ私が痔で昏倒したと思っているの?」
二人がそんなやりとりをしている中、真琴ははたと動きを止めた。──いる。自分たち以外の誰かが、この部屋にもう一人。気配、衣擦れの音。それらはほんの僅かで、真琴が元忍でなければ気付かなかっただろう。あるいは、となりでミツバに軽口を叩いている銀時も、気付いているのかもしれない。
「真琴さんも、来てくれてありがとう」
「えっ!? あっいえ、そんな……」
しどろもどろになりながらも、なんとか返事する。しかしそれ以降会話を膨らませることはできなかった。元々、親しい人間以外と話すのはあまり得意でないこともあるのだが、それよりも、その気配の正体に意識を絡め取られていた。
真琴は片足だけ半歩下がり、そのままベッドわきにしゃがみ込む。危険人物にしては、殺気を感じない。それどころか、前にもどこかで感じ取ったことのある──
「……あの、何やってんですか貴方。何そのソーセージ」
「あ、これは隠密中は常に携帯している真選組ソー……」
「あら? 山崎さんどうしてここに」
「しまったァ!!」
ベッド下に潜んでいた──何故か頭に立派なアフロを携えた──真選組監察・山崎退は、真琴の声がかかるや否や弾けるように立ち上がった。否、立ち上がろうとしてそのアフロ頭をベッドの裏にしたたかに打ち付けた。
痛みに身悶えていた山崎は、銀時からの蹴りというさらなる追い打ちを食らう。やはり彼も気付いていたらしい。しかし、恐らくたった今彼の存在に気付いたのであろうミツバでさえ、さして驚く様子を見せないあたり、相当に肝が据わっているに違いない。あの粗暴な沖田とは似ても似つかぬと思っていたが、その豪胆っぷりはやはり血の繋がりを感じさせた。
それから何やら一言二言話すと、銀時は山崎を半ば無理やり引き連れ席を外してしまった。真琴は、同じく部屋に残されたミツバに視線を寄越す。にこり。心が洗われるほどの美しい笑みを見せた彼女。慌てて笑い返したものの、その笑みはミツバとはまるで対照的で強張っていた。
「真琴さん、朋子ちゃんとお友達だそうね」
「え? あっ、はい。あ、もう朋子お見舞い来たんですね」
「ええ。来てくれたわ。今日の朝、面会時間が始まったと同時にね」
ミツバの視線の先には、朋子が持って来たと思われる見舞い品があった。フルーツのバスケットと、最近よく本屋で売り出されている綺麗な絵の少女漫画だ。朋子らしい品ぞろえに、思わずふき出した。ようやく緊張もほぐれてきたらしい。その様子に、ミツバも嬉しそうに微笑んだ。
「相変わらず賑やかで、やさしい子だったわ」
「はは、そうですね。朋子は、周りを元気にするのが上手いっていうか……やっぱり昔からそうなんですか?」
「ええ。あの子は昔から人を笑顔にさせてくれる、明るくて素敵な子よ。ひねくれっ子のそーちゃんも、昔からずっと懐いてて……あの人も……」
「え?」
聞き返した真琴に、ミツバはなんでもないわ、と笑ってごまかした。少々訝しく思ったが、誰にだって言いたくないことはあるだろうとそれ以上は追及しなかった。
「そういえば真琴さん、羽月ちゃんとはお友達?」
「えっ羽月ちゃんですか?」
と、思わず聞き返してしまった。先ほど同様、はいそうですよ〜と返せば良かったものを。先日の羽月の煮え切らない態度を思い出してしまい、動揺してしまったのだ。
「そ、そうですね〜羽月ちゃんとも友達ですよ」
「あら、そう……羽月ちゃん、あの子もとても素敵な子よね。純粋で、素直で、穢れを知らない。……見習わなくちゃね」
「そ、うですね……」
「そーちゃんとも、仲良くしてくれているようだし。とても安心したわ」
「エッあっ? それはどー、いや、はは、そうですね」
いやそれはないんじゃないだろうか。どう捻くれた見方をしても、あの二人は「仲良し」とは正反対の関係性だ。一体ミツバは何を見たのか、あるいは見せられたのか……。謎は深まるばかりだ。
会話が一段落し、凝り固まった首をほぐすように回す。視界に開け放したままの扉が入り、思わず動きを止めてしまった。
「気になる?」
「ンッ!? あ、あー……そ、そうですねー本当もう男だけでコソコソしちゃって感じ悪いったら……」
「フフ、そうよねェ。男の子っていくつになってもそうなのよね。……真琴さん、私のことは気にしなくていいのよ」
「えっ……」
「ほら、いってらっしゃいな」
「で、でも……」
「私も、あの人たちが何を悪だくみしてるのか、気になってるのよ。良かったら真琴さん、こっそり盗み聞きしてきて? あとで私に教えてちょうだいな」
ね? と儚い笑みを見せるミツバ。力の入らない口角を無理やり押し上げたような、そんな表情だった。肌も白く、首も細く、入院服越しにもその肩の細さが分かる。あまりに脆くて、壊してしまいそうで。触れるどころか手を伸ばすことさえままならない。
そんなミツバは、まごつく真琴におもむろに手を伸ばすと、その肩をそっと押した。
「いってらっしゃい」
ミツバは優しい。本当に、優しい人だ。痛いくらい、苦しいくらい、人に優しさを分け与える。そのうちのいくらかでも、自分のために使ってくれているのだろうか。
熱くなる目頭。それを誤魔化すように、「それじゃあ、ちょっと行ってきますね」と真琴は退室した。どうしてだか、この人を一人にしてはいけない、置いていってはいけないと、心のどこかで叫ぶ声は、聞こえないふりをして。
「ミツバ殿の旦那は、俺たち真選組の敵なんです」
そんなこったろうとは、思っていたのだ。
屋上は夏にもかかわらず風が冷たく、汗で濡れた首を冷やしていく。底冷えするような冷たさだった。
どうして山崎がミツバの病室で隠密活動なんぞしていたのか。それを紐解くだけで、全てが見えてしまった。
闇商人。密輸武器の取引。それを知っているのは、隊内で山崎と土方だけ。
もし、これを知ってしまったら。あの優しい人が、どれだけ傷つき、悲しみ、絶望することだろう。けれど、そのことを知らないまま彼と共に人生を歩むことも、それはまた違う悲劇だ。そんな偽の幸せを掴んだところで、ミツバは本当に幸せになることはできない。
そして、土方が山崎を口止めしている、内密に事を進めようとしているということは。
(教えないと)
自分の心音が次第に騒がしくなり、銀時と山崎の声が、だんだんと聞こえなくなる。真琴は物陰で人知れず立ち上がった。いや、もしかしたら二人は、自分が盗み聞きしていることに気付いているかもしれない。だけど、そんなことはもうどうだっていい。
(あの人に、)
ごめんなさい、ミツバさん。貴方には、教えられない。わたしが勝手に話して良いことじゃない。それを決めるのは、わたしじゃあない。
(朋子に、教えないと)
逸る気持ちをおさえながら、真琴は屋上を後にした。