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(──お洗濯物は全部取り込んだし、あとはお夕飯までは何も……)
やるべき仕事が一段落した羽月は、近くの縁側に腰を掛け一息ついた。動き回って浮いた額の汗を冷ますように、団扇の要領で手をぱたぱたと仰ぐ。冷房の効いた部屋で休憩すれば良かったが、なんとなくそういう気にもなれず、またここに居座り続ける「理由」も存在したため、彼女はひたすら生ぬるい空気に包まれていた。
(もうじき、黄昏時だ)
ふと空を見上げれば、すっかり日が暮れていた。赤々と、世界が照らされる。赤い実をしぼり、落ちたその雫で染め上げたような。そんな景色だった。
「ん……」
もそ、と衣擦れの音がした。──羽月から1メートルほど離れたそこに、寝転がされている影が一つ。ご丁寧に、頭には畳まれたタオルが枕代わりに敷かれていた。
羽月は下駄を脱ぎ縁側に上がると、四つ足でその影に近づき顔を覗き込む。おもむろに開かれたその目と、かち合った。
「……気付かれましたか」
「──!」
それは羽月にとっても、彼──沖田にとっても、圧倒的既視感だった。ぱっと離れていく羽月を確認したところで、沖田はゆっくりと上半身を起こす。体のあちこちが、ずきりと痛んだ。
「……なんでェ、人の寝込みを襲う気かィ」
「私が少食になるくらいあり得ないですね」
「そりゃあり得ねェわ」
言いつつ、ずきずきと痛む頬を指先で触れる。ガーゼによる手当てが施されていた。ちらりと横目で羽月を見やれば、フン、と視線を逸らされる。
「……おめーは、っとに良い子ちゃんやるのが好きだなァ」
「手当てして差し上げたのに、何ですかその物言いは。……怪我している人がいたら、手を差し伸べるのがそんなにいけませんか」
「嫌いな奴に親切心見せたところで、見返りなんぞ期待できねェっつってんだよ。使いどころを考えろィ馬鹿」
「あら、これは随分と『ご親切』に、どうも」
口を開けば厭味が飛び交う。ミツバに「仲良く」だなんて嘘を吐いてしまったことを思い出し、少しだけ罪悪感に見舞われた。しかし、身内に赤裸々に仲が悪いだなんて誰が言えるだろう。建前だ、最低限のマナーだと、自分に言い聞かせた。
「……それはそうと、貴方、道場の前で倒れていたんですよ。珍しいですねェ貴方ともあろうお方が。一体、どこのどなたにやられたのか」
「………」
「貴方、真選組の中ではダントツの朋子さんに次ぐ剣の腕前だと、朋子さんから聞いておりましたのに」
「ってあのアホなァに話盛ってやがんでェ」
あとで殴る、そう沖田が心に決めた時、一人の隊士が慌ただしく駆けつけてきた。どうされたんですかと羽月が訊ねるより早く、隊士が苦々しく告げたのは──ミツバの容態が急変したとの知らせだった。
伝えに来た隊士は、あちこちに伝達すべく、すぐに唖然とする羽月たちを置いて走り去っていく。その背中が見えなくなって、ようやく二人の止まった時間が動き出した。
「は、ちょっ、沖田さん!?」
羽月は思わず声を上げた。何の前触れもなく腕を掴まれたと思えば、そのまま沖田は駆け出したのだ。半ば無理やり引っ張られる形になりながらも、何とか転ばないよう足を動かしつつ、問う。
「ちょっと、何を……!」
「お前もこい」
「でもっ、私一度会ったきりで……初対面も同然の人間が行っても、気を遣わせてしま、」
「いいからこい!」
語気と共に腕を掴む力が強まって、気が付いた。震えているのだ。小さく、だが確実に。あの、沖田が。いつも顔さえ合わせれば厭味ばかり、喧嘩ばかりの。いつも片意地を張っているような、素直じゃなくて、怖いもの知らずの彼が。
掴まれた腕から、緊張が伝わる。じわりと、暑さによるものとは別の嫌な汗が浮いた。振り乱した頭から、仕事の際にはいつも着用している三角巾がほどけ落ちる。それを拾う余裕もなく、羽月は彼に続いて走った。心臓が嫌に跳ねるのを感じながら、ただただ黙って、腕を引かれていた。
*
『──そーちゃんには、会わせねーって、言われちゃった』
『まったく……本当に総悟は子どもだなぁ。そんでもって、重度のシスコンだ』
『ふふっ』
『……あたしが、あの人引きずってきましょーか』
『ううん、いいのよ。……いいの』
『……うん。そう言うと、思ってた』
『朋子ちゃんは本当に優しいわ。朋子ちゃんがいるから、私も凄く安心できるの。優しいみんなに、優しい朋子ちゃんがいて……本当に良かった』
「──まーったく。どいつもこいつも勝手ばっかり。嫌んなっちゃうよ」
ピ、ピ、と小気味よい電子音と共に、携帯電話の画面が切り替わっていく。通話履歴を見れば、本日の日付が二つ、並んでいた。一つは真琴。そしてもう一つは、病院からだった。
「ねェ、ミツバさん」
自分に向けられたあたたかな笑みが、何度も繰り返し頭をよぎった。本当に、優しくて、あたたかくて、素敵な人。強い人。幸せになるべき人。幸せにしてあげたかった人。
あの人は、とうとう彼女に会わないつもりなのだろう。
わかってた。わかってたんだ。それでも。
朋子は一歩一歩、確かな足取りで歩みを進める。汗でべたつく首元が煩わしい。空はすっかり赤から青へと様変わりし、蒸し暑い夏の夜が訪れていた。
「ごめんね。ミツバさん」
勝手なんて、人のことを言えた義理じゃないのだ。自分だって、随分と勝手をやらかしてきた。今だって。あたしは貴女のもとではない、別の場所へ赴いている。そして、恐らくあたしよりも早く、あの人も。
「馬鹿だから、馬鹿を放っておけないんだよ」
ぐ、と唇をかみしめる。昂る感情を押さえつけるように、眉間に力をこめた。
どうでもいいだの、しったこっちゃないだの、その冷たい声は吐き捨てた。でも、だけど、それは違うのだ。
しったこっちゃなければ、とっくに会いに行けてるのだ。どうでも良いなんて、ほんの少しだって思っていないから、会えないのだ。大切に大切に想っているからこそ。
痛いくらいに、辛いくらいに、朋子はわかっていたのだ。
コンテナや倉庫が立ち並ぶその港は、夜にも関わらず無数の人間が集っていた。彼らの手には、民間人には到底手に入れることのできない様々な武器。真琴から受けた一報の通り、そこでは大量の密輸武器の取引が行われていた。
──その刹那、ここから少し離れた、港の中心から爆音が轟いた。浪士共が一斉に騒ぎ出す。
彼だ。
「おっ始めたか」
朋子は身を隠していたコンテナから、仕込んでいた煙玉を投げ飛ばす。あたりがにわかに白煙に包まれた。剣を抜き、朋子は迷いなくその一歩を踏み出した。凛とした表情。しゃんとしたその背筋。朋子はたった一人、強い意志のもと口を開く。
「──御用改めである。真選組だ、神妙にお縄につけ」