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「おかえりなさい……あら、その子は?」
「……一人でぴーぴー泣いてやがったんで、連れてきちまいました」
「あらあら……貴女、大丈夫? どこから来たの? お名前は言える?」
声がする。
「遊ぼうだァ? 誰がおまえなんかと……って、おい! 引っ張んなよ! わかったから!」
遠い昔の、なつかしい声がする。
「は? 迎えが来たから帰る? ……ふざけんなよてめー、まだ今日の勝負は、決着ついてねーだろ!」
「こら、わがまま言わないの。……ほんの少しの間だったけど、この子と仲良くしてくれて、本当にありがとうね」
赤く赤く空が暮れ、わかれを呼ぶ黄昏時が訪れる。
「……おい! 次会ったときゃ、引っ張ってでも決着つけるからな! 忘れんなよ!」
────未来への縁を結んだ約束が、叫ばれる。
「うん、約束ですよ! そーちゃん!」
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「どゥあーかーらァー……」
苛立ちを募らせたその男、銀時は、大きく息を吸い込み目の前の男に怒鳴った。
「おたくンところの女中のネーちゃん出してくれって言ってんの! 俺難しいこと言ってなくない!?」
「だァーからお前みてーな胡散臭い野郎に羽月ちゃん会わせるわきゃねーだろっつってんだろうが! 何する気だ! 誘拐か!?」
「白昼堂々するわけねーだろ! いや夜中でもやんねーし! 依頼だっつーの依頼!」
真選組屯所前。そこで見張り番をしている隊士と押し問答をしていた銀時は、これじゃあ埒が明かない、とふわふわの頭をがしがし乱暴に掻いた。
──銀さん、もうひとつだけ依頼してもいいかしら。
病室で、ミツバからされた二つ目の依頼。銀時は懐に忍ばせていたそれの存在を指先で確かめてから、本日何度目かのため息を吐いた。
「とにかく、羽月ちゃんには──」
「私がどうかしましたか?」
「フォゥアァァ!?」
隊士が奇声と共に飛び上がる。声をかけた張本人、羽月は、箒を持って所内からこちらを窺っていた。その姿を認めた銀時は、隊士を軽く押しのけると面倒そうな顔で羽月の前に立った。
「あら? 万事屋さんではありませんか、こんにちは」
「はいはいこんにちは。にしても過保護すぎんじゃねェのォ? お前の周り。……はいコレ」
「え?」
「まだ渡さないでくれ、って言われて預かったが、もういいだろと思ってな」
羽月が銀時から受け取ったそれは、一通の手紙だった。裏に返しても、封筒に差出人の名前はない。一体誰から、そう訊ねる前に、配達人は踵を返してしまう。
「そんじゃ、依頼も片付けたことだし俺ァもう行くわ。こんな所に留まってたらどっかの誰かのマヨ菌が移っちまうからなー」
「あっオイ待てコラ!」
隊士の制止も空しく、銀時はスクーターにまたがると颯爽と去って行ってしまった。羽月は小さくなっていく背中と手もとの手紙を交互に見やる。それから、ほんの少し戸惑いつつも、封を切って中身を取り出した。二つ折りに畳まれた便箋を開けば、どこか優しさが伝わるような、綺麗な文字。それだけでどうしてか、名前も見ていないというのに差出人が分かってしまったのは、何故だろうか。
「秋宮羽月、様……拝啓……、」
あの日聞いた柔らかい声が、ゆっくりと頭の中で再生される。それはとても鮮明で、もう二度と聞くことができないと、今はまだ実感することができない。
彼女のやさしい文字を、一つ一つ目で追っていく。辿るごとに、掻き立てられる心。脈打つ心臓。いつの間にか手は震え、紙にくしゃりと皺が寄っていく。
「ったく、あの白髪天パ野郎が……羽月ちゃん?」
見えなくなっていく銀時の背中を恨めしそうに睨んでいた隊士は、羽月の様子に気が付き思わず声を掛ける。──彼に返事することなく、羽月は唐突に、屯所内へ向かって駆け出した。
「羽月ちゃん!?」
羽月の突然の行動に驚愕する隊士には見向きもせず、彼女は走りづらい着物の下でひたすら足を動かした。走って、走って、玄関を通り過ぎ、廊下を駆け抜ける。
──思い出した。
「はあっ、はあっ……」
──今朝見た夢を、思い出した。
漸く自室にたどり着いた羽月は、机の小さな引き出しを開き、久しく使っていなかった筆と紙を取り出す。そして、動かすのが苦手な頭を必死に回し、その場で考えながら文字を綴り始めた。ミスをしては白で消し、どんどんぐちゃぐちゃになっていく便箋。それでも、今胸の中にあるこの気持ちを、溢れるほどの想いをすべて込めようと、羽月は手を動かし続けた。
記憶に残る優しい笑顔と、悲しい顔と、今にも消えてしまいそうなその姿が、何度も頭をよぎる。
「……大丈夫、大丈夫です。どんと任せてください。何も心配はいりませんよ」
その顔の全てを、嬉しそうな、幸せな笑みにしたくて、羽月は『魔法の言葉』をかける。
「大丈夫」
ぽたり。透き通った雫がこぼれ落ち、書いたばかりの文字を歪ませていった。
「あれ……?」
お登勢に頼まれ、遠方まで使いに出ていた真琴が目撃したのは、白い何かを持って道端で立ち止まっている羽月の姿だった。
「羽月ちゃん?」
「え? あっ、真琴さん……」
どこかいつもと様子が違うように見え、思わず声をかけてしまう。正直、前に会った時の──やけに淡々とした彼女と、その時の気まずい空気を覚えていたために、本当は迂回して行きたかったのだが失敗に終わってしまった。どうしたの……? 遠慮がちに真琴が問えば、羽月はしばしまごついた後、口を開いた。
「ミツバさんに、お手紙を出しに行くんです」
真琴は目を見開いた。──ミツバの訃報は、銀時から聞いてはいた。真琴は彼女とは、時間にしてたった数時間しか共に過ごしていなかったが、それでも深く胸を抉られたような心地であったことに変わりはなかった。
それよりも、だ。あの日の羽月は、ミツバに良い印象を持っているようには見えなかった。しかし、羽月はミツバに手紙を書いたという。……仲良くなれた、のだろうか。
「そっか……きっと、ミツバさんも喜ぶね」
「……喜んで、もらえるでしょうか……」
当たり障りのない常套句を呟いたつもりだったが、予想外にも羽月は表情を沈ませ、真琴はしまった、と自分を殴りたくなった。
「だって、私、こんな、今更……」
──いつも気丈で、明るく、ニコニコとしている羽月のこんな顔を見るのは初めてだった。悲しそうな、不安そうな、歯がゆい、悔しい、それでいて恐怖すら感じているような、表情。手もとの手紙が、くしゃりと歪んでいく。真琴はそんな彼女を見て、震えるその手に伸ばした自分の手をそっと重ねた。
「……喜んでくれるよ」
今度は羽月が目を見開く番だった。
根拠はない。真琴はほとんどミツバのことを知らない。羽月たちの事情も、何も知らない。けれど、きっとミツバは喜んでくれると、そう感じた。
跳ねた墨以外に、雫によって随分よれてしまっている手紙も、白や黒で汚れたままの手も、よく見ると赤く充血しているその目も。紛れもなく、羽月の、ミツバへの想いだ。
真琴は羽月の手をそっと握る。そのままやわらかく笑いかければ、羽月も「……はい!」と心から嬉しそうに笑った。
笑顔を取り戻した羽月は、真琴にわかれの言葉を告げ、早く手紙を届けようと息巻く。しかし、しばらく歩き進めたところで、再び呼び止められる──代わりに、首が絞められるような衝撃に見舞われた。
「ぐえっ!!」
「よォ、おめェの目的地はそっちじゃねーぞ方向音痴」
背後から衣紋に指を引っかけられ、しかしそれに気付かず前進したために襟が首を押し上げたようだった。そんなことをやってのけた張本人──沖田に、羽月は襟を直しながら憎々しげな目を向けた。
「……何のご用ですか。エスコートをして下さるほど、貴方は紳士的な殿方だったでしょうか」
「お望みならドエスコートでも何でもしてやろうかィ。ただしプレイ料金はキッチリ頂くがな」
「何を仰ってるのかわかりかねますが、寝言であれば寝てどうぞ。それとも、遠回しな逢引きのお誘いですか? 願い下げです」
「寝言はおねんねしながら言いやがれ。俺ァ俺で行く用があるだけでィ。予定被せてくんじゃねーや」
「誰が好き好んで貴方と予定を合わせるものですか。自意識過剰も大概にしてくださいな」
「どっちがでィ。ま、どうしてもって言うなら、お間抜けな方向音痴くんのために先歩いてやってもいいけどねィ」
ああ言えばこう言う、相変わらず口の減らない二人。だが、下手に大人しくされるよりは互いにずっとマシだった。
互いの顔は、やはりちっとも笑ってはいなくて、それどころか不機嫌丸出しだ。間違えても親愛の気持ちなど持てるわけもないし、友情が芽生えるなどといったこともあり得ない。だが、それで良いのだろう。それが、自分たちなのだ。
「……ええ、そうですね。では、先を歩いてくださいな」
「……あ?」
「お墓までの道は、局長さんに教えて頂きましたが……初めての道は、多少時間が掛かってしまいます。日が落ちてしまっては、ミツバさんも眠ってしまうでしょうし」
「いやおめェの場合多少どころじゃねーだろ。下手したら一日あってもつかねーよ姉上も寝て起きるわ」
そう悪態をつくが、羽月は今度は何も返さなかった。ただただ、こちらを見つめている。しばらくして沖田がついた長い溜息は、了承の相図だった。
立ち止まったままの羽月の前に出ようと、歩き出す。しかし、ふと意識を取られ、沖田は空を見上げた。
──空が赤い。
自分も、羽月も、町も、すべてが赤く美しく染まっている。その赤はどこか郷愁を引き起こし、沖田はそっと目を伏せた。聞こえてくるのは、自然の音と、大好きな姉の声と──
「────そーちゃん」
閉じた瞼を、ゆっくりと時間をかけて開く。夏の生ぬるい風が吹き、髪の毛を攫っていった。沖田はゆるりと首を動かす。後方にいたはずの羽月が、いつの間にか自分の隣を、通り過ぎていた。
「何をモタモタしているんですか。行きますよ、沖田さん」
「……おめェが俺の後ろついてくんだろーが」
そっけなく言い放った羽月に、眉間にしわを刻んだ沖田は追い越そうと歩みを速める。しかし、追い抜かれたら追い越したくなるのが負けず嫌いの性だ。それも、相手が彼ならなおさら。そうして二人、追い越し追い越され、交互に速度を上げている内にどんどん駆け足へと発展していく。しまいには全力疾走となった二人の背中は、赤い夕日の中に溶けていった。
***
突然のお手紙ごめんなさい。びっくりしたでしょう? あんな昔のこと、覚えてないものね。
でも、私はあなたよりずっと年上のおばさんだから、一目見てすぐにわかりました。本当に、大きくなったのね。
羽月ちゃん。これからもそーちゃんをよろしくね。あの子、わがままばかりだけど、根はやさしい子なの……だからどうか、見守っていてあげて。
それから、朋子ちゃん。あの子もとても頑張りやさんで、隠し事が上手だった。だから、素直でやさしいあなたに、そばにいてほしいの。
なんだか一方的にお願いばかりしてしまって、ごめんなさい。でも、もうひとつだけ良いかしら?
羽月ちゃん、幸せになってね。自分の信じる道を、貫いてくださいね。
あなたにはきっと、その力があるから。
敬具
沖田ミツバ
カラフル ミツバ篇(了)