ご看病ご勘弁
バタバタと忙しなく二人分の足音が遠ざかっていき、ようやく静けさが取り戻された。隣の客間からは依然として子どもたちの声が響いてくるが、それはそれだ。
高熱にうなされる俺の代わりに、依頼をこなすことになった新八と神楽。だがどうにもこうにも心配が尽きず、布団に横たわったまま心置きなく寝入ることもできなかった。そもそも掛けてあった俺の着物を、神楽が意気揚々と奪い取っていった時点で良い予感などするはずもないのだ。お前本当にそれ着ちゃうの? ブカブカどころの騒ぎじゃなくない? せめてベルトはぎっちり締めろよ?
さて、あいつらは無事に依頼を済ませられるのか。神楽はともかくとして、新八はガキながらにまあまあ自立してる男だ。だが襖越しに聞こえたあいつの声は、何やら熱に浮かされたように滾ってやがった。本当に大丈夫なのか?
そんなことをしばらく悶々と考えていると、襖が静かに開けられた。俺はだるくて閉じたままの瞼の裏で、ごろりと音のした方に眼球を向ける。なんだ、あいつら忘れ物でもしたのか? それとも、依頼人の方になにか──
「よォ。死んでっか天パ」
いや、そこは生きてっかって聞けや。
しかし声に出すのもしんどくて、目をつむったままそう心の中だけでツッコミを入れる。入れて、それから五秒ほど経ったところで、ようやく事の違和感に気が付いた。
え、何、誰今の声。
いや。誰か、というのはわかりきっている。何故か音がこもっているように聞こえたが──普段から散々聞いている声音だ。だがしかし、今それが聞こえてきたことがにわかに信じがたく、実はすでに俺は寝落ちてて夢を見ているのではないか、とすら疑ってしまう。
「神楽に私の風邪が移っただなんだいちゃもんつけられてよォ。ったく、そっちが勝手に来て勝手に病原菌持ってったんだろって話だよ」
なんて理不尽極まりねェ奴なんだ。
またナチュラルに胸中ツッコミをし、それからいやいやまてまてと自分にさらにツッコミを入れる。だがいよいよこの事態に現実味が帯びてきた。確かに俺はこの間、風邪を引いたアイツの家に半ば無理やり押し掛けて、勝手に世話を焼くなどした。その時に移ったということなのかもしれない。
だがしかし、だ。そのアイツは酷くものぐさ且つ利己主義で、誰に何と言われようと自分のやりたくないことはやらない主義だ。だから神楽に、恐らく「自分たちの代わりに俺の面倒を見てやってくれ」といったようなことを言われたのであろうが、それに素直に従うとは到底思えない。ならば、何故──何故雪が、ここにいるんだ。
「これ万事屋からの逆依頼ってことで報酬もらっていい? ……ま、寝てんなら今訊いてもしゃーねェけど」
と、募った疑問は秒で解決した。なんだよお前結局金目当てかよ! まあ無償で何かしに来てくれたっつーほうが怖ェけど!
困惑のうちに狸寝入りを決め込む形になってしまった俺を、眠っていると見たらしい。雪はそれきり黙って、何やらガサゴソと作業を始めた。え、何、マジでお前が看病すんの? なんか怖いんだけど?
と思わず固唾を飲み込むうちに、容赦なく冷えピタシートをひっぺがされた。思わず小さく悲鳴が上がりそうになるのをなんとか堪える。オイオイ、なんだよ勘弁しろよ。神楽が無駄に消費したからもう冷えピタ残ってねーんだよ。
そんな俺の心の声に答えるように、再び額にひんやりと冷たい感覚。新しいシートを貼られたのだと気付いた直後に、その上から念入りに貼りつけるように手で撫で付けられているのがわかった。その手つきは普段の雪からはあまり考えられないくらいやさしく、しかし丁寧と言うにはどこか力加減が不器用なところもあり、思わず笑いそうになるのをまた何とか堪える。今さら狸寝入りがバレたら殺されかねねェ。
しかし雪のやつ、わざわざ冷えピタ買ってきたか、家から持ってきたってのか? あの面倒くさがりの守銭奴が? 俺のために?
その疑問が解決しないうちに、雪は俺の右頬にそっと手を押し当てた。ひんやりとしていて不覚にも気持ちが良いと感じる。
「あっつ……」
小さく聞こえた声から、体温を確かめているのだとわかった。それから、数秒あけて今度は頭に違和感──何を思ったか、俺の髪をわさわさと弄っているようだった。考えようによっては、俺の頭を撫でているように感じられ……なくも、ない。
いやでもなんで? 実は俺のこの、自分でも忌々しいとさえ感じている天パが気になってた? 坊主頭に一度は触れてみたい的なやつ?
どうしたどうした。普段気安く触られんのが嫌いなこいつが、やたらと抵抗なく俺に触れてきやがる。なんだ? お前こそ熱でもあるんじゃねェの? しかし、雪のこれらはすべて、俺の意識がないと思い込んでる上での行動だ。ここで口を開いて問えば、俺はもれなく八つ裂きにされてしまう。仕方なしに黙ってすべて受け入れることにした。
それからも雪は、あれやこれやと雑ながらに俺の世話を焼いていく。そうこうしているうちに、隣の部屋がまた一段と騒がしくなってきた。新八と神楽が戻ってきたのだろう。クソッ、煩さが頭に響いて痛い。勘弁しろよお前ら隣に病人がいること忘れてんのか?
目も口も閉じたままじっと耐えていると、雪の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。それから襖を開け閉めする音。
しばらくして、やかましい隣の部屋が急激に静かになるのがわかった。恐らく雪が何か注意してくれたに違いない。何を言ったかは知らねェが、助かったことは確かだった。ありがとう、雪。なんかもう気持ち悪ィくらい気を回してくれて身震いさえ覚えるが、感謝してるぞ。
「──銀さん、銀さん! 大丈夫なの!?」
ものの二秒で前言撤回だ。オイコラ誰だこいつ家にあげたのは! なんでこいつがここにいやがんだ!?
「オイうるせーよさっちゃん私の耳に響くだろが」
「あらやだ、ごめんなさい。取り乱しちゃって……」
「ああ、銀さん、銀さん!」今度は小声で、さっちゃんは恐らく俺の隣に座り込んだ。それから丁寧な手つきで、俺の皮膚に触れて体温を確認してくる。そのしなやかな動作に、雪の手つきがどれほど不器用だったのかがわかる。
「銀さん、薬は飲んだのかしら。ごはんは?」
「さァ。台所に粥はあったけど。あとゴミ箱に薬の箱あったから、食って飲んで寝たんじゃねェの」
「そう、それならいいんだけど……ああ、可哀想な銀さん。一体誰から移されたのかしら、私が仕留めてやりたいわ」
「そーですね」
「あら、この布団電気毛布も敷いてないのね。病人は温かくしたほうがいいんじゃなくて?」
うるせー余計なお世話だチクショー。こちとら猛暑の中ですらエアコンどころか扇風機買うので精一杯なんだっつーの! しかしそう訴える手立てもなく、文句とともに唾をごくりと飲み込みながら、布団の中で拳を握るばかりだ。
「でも安心して銀さん。私が温めてあげるわ」
は、何が。そう訊ねることもできずに、さっちゃんは俺の布団に潜り込んでくる、ってやめろォォォ! オメーは病人に対する配慮ってモンがねーのか!! オイ!! 冷たい足を絡めてくんな!! やめろ!! 鬱陶しい!!
「……さっちゃん、ちょっくらアクエリ買ってきて」
「え? なん、」
「私が行くより
「待っててね銀さん貴方のさっちゃんがすぐに買ってくるわ!!」
オイオイオイ何無責任な大法螺ぶっこいてやがんだテメーはよォォォ! 今銀さんが元気だったら窓から放り投げてんぞ!!
立て続けの事態に、マスクの下の口元がいよいよ引きつる。しかしこれで不躾に絡まってくるやつからは解放され、そっと肩の力を抜いた。──そこで、もしかしたら雪は気を利かせてくれたのか、とようやく思い至った。なんだよお前今日本当に気遣いが怖ェよ。あとで何が待ってるんだ。何をせびられるというんだ。いやしかし、ともかく一先ずは助かったから、一応ありが──
「オイ、いつまで狸寝入り決め込んでんだ」
……は? 今なんて?
ドキリと大きく心臓が跳ねる。聞き間違い……なんてことには、流石にできないくらい、その声は鮮明に俺の耳に入ってきた。そう、つまり、実は起きていたことがバレていた。いったい、どうして。そしていつから。
どうする。このまま無反応でいれば、自分の勘違いだと思ってくれるだろうか。いや、この女に限ってそれはないだろう。しかし、あるいは。一抹の希望にかけて、俺は寝たフリを続行した。
「寝入ってる人間はンな盛大に唾飲み込まねんだよ」
駄目だもう根拠と確信持ってやがる。つーか怖ェよほんと何なんだよこの女。探偵にでも転向しろよ。
「……や、別に俺だって騙そうとしてたわけじゃなくてな? ただタイミングが……」
絶対零度の眼差しがこちらを見下ろしているのだろう、と覚悟を決めながら、観念してゆっくりと瞼を開いた。──そこには、見知らぬ人間がいた。
「……スンマセンどちら様ですか」
ゴツいガスマスクを装着した不審者に、余計な力の入っていた体が弛緩する。酷い脱力感に、目が据わるのを感じた。
「ウイルス持ちに装備ゼロで近寄るなァ馬鹿のするこったろ」
「いやだからってガスマスク? そのレベル? バイオハザード?」
どうりで声がこもって聞こえたわけだ。呆れと半笑いが混ざって口から漏れた。
雪はよっこらせ、と怠そうに立ち上がると、こちらに背を向けた。
「じゃ」
「え、何帰んの?」
「私も暇じゃねんだよ」
「え、暇じゃないのに来てくれたわけ?」
「自惚れんなボンバーヘッド」
「今何つったァァァ!! げっほうえっほ!」
「馬鹿だろ」
反射的に叫んでしまい、思わず咳き込む。オエ、死ぬ。
なんとか咳を収めてから、ようやく頭を上げる。そうこうしているうちに、いつの間にか雪は部屋から姿を消していた。
「……あれ、そういやアイツ報酬の話しなかったな」
人のいなくなった部屋に残ったのは、近所のスーパーのテープが貼られた冷えピタシートの箱がひとつ。
三周年企画/銀時と緑主の話