深夜の甘酒

「───眠れません」

 ぱちり。羽月の涼やかな目元が、仰々しいほど、あるいはおどろおどろしいほどに丸く開かれた。

「毛ほども眠れません……全然まったくまんじりとも眠くありません」

 掛け布団を手と足で縦半分に折り畳むように剥がし、上体を起こす。それから困り果てたように、手でシワの寄った目元を覆った。

「どうしましょう……明日も朝早いのに」

 そう独り言ちて、考える。普段なら布団に入ったらそこそこの時間で眠りにつくことができるのだが、今日ばかりは何故かそうもいかなかった。一日中ゆっくりとして体を動かさなかったのであれば、納得できないこともないけれど、しかし今日も朝から女中として仕事をこなしていた。しっかり体力を使っているはずなのに、何故。

(……このまま睡眠時間が削られれば、明日起きられないかもしれない。そうなったら、私の勤務態度への信頼にヒビが……ああ、どうしましょう)

 だがしかし、このままでは到底寝られる気もしなかった。まるで睡魔が襲ってこないのだ。眠気が皆無だった。目も頭もシャッキリと冴え渡っている。清々しい晴天のように一点の曇りもない。

(……そうだ、昔おじいさまが、眠れないときに……温かい牛乳を出してくれて……)

 不意によぎったのは過去の記憶だ。
 子どもの頃、周りがみんな寝静まってしまった夜が酷く恐ろしくて、そこに独りだけ起きていることが、暗い闇に独り取り残されるような恐怖を煽った。早く寝なければと思えば思うほど、非情にも頭は冴えていく。あの日も、羽月はどうしても寝付くことができなくて、グウグウいびきをかいていた彼を、泣きつくように起こした。老爺はこくりこくりと半分眠りながらも、幼い羽月にホットミルクを用意してくれた。それを飲んだ羽月は、不思議なほどに体が温まり、早く寝なければという強迫観念も解きほぐれ、それからすぐに寝付くことができたのだ。

(でも、食堂はもう閉まってるし……ああ、でも給湯室になら、なにかあるかもしれない……)

 そうとなれば行動あるのみ。どうせこのまま「早く寝なければ……」の呪縛に囚われていても眠れやしないのだから、何かしていた方がよっぽど賢い選択だろう。
 髪を軽く手ぐしで整えながら、ゆっくり立ち上がる。それから寝間着の上に、普段はあまり使わない羽織を着て、羽月は廊下に出た。

「あ」
「げ……」

 途端、心底不愉快そうにくしゃりと歪む顔。対峙した相手も、厭そうに目元に皺を寄せていた。続く沈黙。羽月は後ろ手に襖を閉めて、何事もなかったかのように歩き出す。──それと同時に沖田も動き始めたが、以心伝心と言わんばかりにしっかりと足並みが揃い、そのまま隣を歩く形となった。二人のこめかみに、うっすらと血管が浮かび上がる。

「……何故ついてくるんですか」
「は? そりゃお前だろ。ついてくんじゃねーや」
「誰が貴方なんかに。私はただ給湯室に用事があるだけです」
「やっぱりついて来てんじゃねーか。何でィお前俺のこと大好きかよ。勘弁しろ」
「は? 自惚れもここまでくると憐れですね、ああお可哀想に……というか、貴方まで給湯室ですか? どうしてこうも私の行く先々を追いかけるんですか」
「よくもまァそこまで自惚れといて無自覚でいられるねィ。ハズカシー」
「あら、貴方のことでしょうか」
「は?」
「は?」
「は?」

 二人の間に見えない火花が飛び散る。何が悲しくて、こんな夜更けにこいつと仲良く横並びでお喋りしなければならないんだ。そんな感情が駄々漏れだ。
 その均衡を打ち破ろうとして、沖田が歩幅を広げた。必然的に羽月と距離が開く。それを見て羽月は、何を負けるものかと歩くスピードを速め、今度は沖田が追い抜かされる。沖田もまたまた無言のまま、さらにスピードを上げた。次第に早歩きはダッシュになり、こうなると最早どちらが早く目的地に着くかの勝負だった。
 夜遅くである自覚は一応あるらしく、かろうじてドタバタと騒ぎ立てないように給湯室へ向かう二人。ようやくたどり着いた頃には、音を立てないように走ったおかげか、普段あまり使わない筋肉が強張っていた。意地を貫くため、声を出さないように息を整える。

「ハァ……あら? 人の声が……」
「あ……? つーか電気もついて……」

 不審そうに、入り口からこっそり奥を覗く二人。そこには、この屯所内では最もと言って良いほど見慣れた二人の大人が談笑していた。







「ほっほーう、つまり二人とも眠れなくてなんかつまみに来たわけか」
「こっちのお子ちゃまと一緒にすんじゃねーや。俺ァただ小腹が減ったからなんかつまみに来ただけでィ」
「ほぼ同じだろ」

 先客であった朋子と土方は、どこか普段よりも楽しげな雰囲気であった。いや、朋子の方は平常通りとも言えるが、土方を包む空気は普段の尖ったそれより明らかにほぐれている。手に持っている『それ』のおかげか、それとも語り合っていた相手によるものか。

「いいもん飲んでんじゃねーか」
「あっ、コラ総悟たいちょソレあたしの」
「ケチケチすんじゃねーやい」

 土方同様、朋子も手にしていたもの──甘酒に目をつけた沖田が、颯爽と奪って躊躇なく口を付ける。その様子に羽月は、先程からする匂いの正体がそれであるとようやく気付いた。

「ったくもー……あっ羽月ちゃんも酒盛りデビューする? つってもまァ、レトルトの甘酒だけどね」
「あまざけ?」
「甘くて美味しいよ〜体もあったまるし」

 羽月の視線に気がついた朋子は、コンロにかけていた鍋を指差す。そこで羽月はふと気がついた。

「甘くて……って、それもしかして、甘いお酒ってことですか? わ、私は遠慮します」
「大丈夫大丈夫! お酒っつっても苦くないし、とくにこれ酒粕じゃなくて米麹だからそもそもノンアルだし」
「で、ですが……」

 羽月は正直なところ、酒の味が好きではなかった。というのは嘘であり、かなり嫌いだった。だが朋子の言うとおり、本当に甘くて美味しいのなら、しかも体も温まるのであれば、本来ホットミルクのようなものを求めてきた羽月にはうってつけだ。しかし……

「まどろっこしーんだよ。オラのめ」
「むっ!?」

 突然、羽月の唇に衝撃が加えられる。湯飲みを強く当てられたのだと理解した時には、薄く開いた両唇の間からどろりと熱い飲み物が注ぎ込まれた。

「んん!」
「総悟ォォ! コラ! 絵面! 絵面がアカンてお前さん!!」

 朋子の制止もむなしく、沖田に強制的に甘酒を飲まされた羽月の喉がごくりと動く。それから沖田はぱっと湯飲みを放したが、羽月は口元を押さえて俯いてしまった。

「もー! 羽月ちゃん大丈夫? 嫌だったら吐き出していいんだかんね?」
「……お」

 朋子が心配そうに覗きこむと、伏せられた顔が、少しずつ上がっていく。しかしその瞳は、朋子の予想とは裏腹にキラキラと輝きを放っていた。

「お……い、しい……」

 驚きのあまり片言になる羽月に、沖田が「心を覚えた機械(からくり)かテメーは」と鋭く突っ込む。その様子を見て、朋子はしばし呆然としたのち満足そうに笑った。

「お、おかわりください」
「なァに言ってんでィ。テメーは遠慮するんだろ」
「そんなことは申しておりません」
「残りは全部俺のモンでィ」
「どうしてそう傲慢なんですか。まるでお子さまの我儘ですね」
「あ?」
「は?」
「はいはい二人とも喧嘩しないの! 新しいのあるから! ホレッ仲良く作りなされ!」

 ぽい、と投げられたレトルトの甘酒を奪い合うようにキャッチする二人。裏に返して必要な水量などを確認しながら、沖田と羽月はコンロへと向き合った。その後ろ姿は、なんだかんだで息が合っているように見えなくもない。

「はァ……ったく、ちったァ静かにできねーのかアイツらは」
「まーま、そこがあの二人のいいところでもあるでしょ」
「時間を考えろってんだ」
「元気でいいんじゃないですか? はー若いって羨ましいな〜」
「ババアみてーな台詞だな」
「その論法でいくと土方さんはジジイですよ」
「だァれがジジイだ」
「あいたっ」

 軽く小突かれ、小さな悲鳴を上げる。しかしそれから顔を見合わせると、双方ふっと空気が抜けるような笑いを見せた。そして火に掛けた鍋を仲良く覗き込む沖田と羽月に視線を向け、また小さく笑みを深めたり、やれやれと仕方なさげに首を振る。それはまるで、子どもを見守る両親のような構図だった。

「もーらいっ」
「あっおいコラ。なに人の勝手に飲んでんだ」
「あたしの総悟にとられちゃったんでェ」
「ったく……」

 隙を見て、土方の湯飲みを奪い取る朋子。土方は呆れながらも、それ以上咎めることはしなかった。

「あれ? そういえば、お二人はどうしてここに?」
「ああ、差し迫った案件が漸く終わってな」
「あたしは偉いからその補佐〜」
「勝手に首突っ込んだだけだろ」
「素直に助かったって言ってくださいよォ」

 羽月の素朴な質問に答えていく二人。──穏やかな空間だった。朋子と羽月だけならいざ知らず、このメンバーでこんな風に肩の力を抜いて話したことが今までにあっただろうか? 羽月はひどく心地よかった。何か飲んだらすぐに寝るつもりであったが、今はもう少しだけ長くここに居たいと思った。明日の朝は、頑張って気合いで起きよう。気合いがあれば人間なんだってできるのだ。根拠のない自信とともに、羽月は再び鍋に向き合った。



三周年企画/真選組サイドの話