????大騒動 前

 その日土方は珍しく非番であったのだが、普段の習慣が簡単に抜けることはなく、いつも通りの時間に起床していた。そんな彼が身支度を整え、さて切らしていた煙草でも買ってくるかと部屋を出たところで、隊服に身を包んだ朋子に鉢合わせした。

「よォ、今日はえらく早起きだな朋子」
「……な、なんですか嫌味ですか……ええ、ええ、すみませんでしたね、どォーせあたしにはそんな爽やかで清々しい真面目な行動なんて似合いませんよう……」
「は?」

 彼女らしからぬ低い声色、たどたどしい口調に、土方は目を見開く。さらに、彼女の発言内容をよくよく反芻して、土方は暫し言葉を失った。
 今の──恐ろしく卑屈な返答は、本当にこのポジティブの権化のような人間から発せられたというのか?

「……おめェ、まさか熱でもあるんじゃ、」
「ひっ!? ちょっ触んないで……! そうやって期待持たせておいて、あとであの女ちょっと優しくしてやったらコロッと落ちやがったって陰で笑うんでしょ!? し、し、知ってるんですからねェ……!」
「待て!? 本っ当に、どうしたお前!?」
「ちょっ……や、やだやだむりむりむり! ほんとに、離してよォ! あたしなんかに構わないでってば……!」

 朋子の額を無理矢理触ろうとして、ばしりと手を弾かれる。それから此方をじっとりと睨みつける朋子に、土方はいよいよ困惑を極めた。
 一体、彼女はどうしてしまったというのだ。あのいつも豪胆で、うるさいくらいに元気で、自信に満ち溢れたドヤ顔がお得意の朋子が。うろたえ、怯え、土方の一挙一動に顔を赤くしたり青くしたりしながら冷や汗をかいている。

(なんだ……俺はからかわれてんのか? それとも夢でも見てんのか?)

 どこか痛みさえ感じてきた頭を押さえる土方。ともかく、一度落ち着いて近藤あたりに朋子の様子が可笑しいと相談してみよう。そう思い立って土方は彼女に背を向けた。

「……はァ……今日も土方さんの腰の曲線美たまらなァい……」
変態(そこ)はいつも通りかよ! つーか気持ち悪っ!!」







「あっ羽月ちゃん」
「はァ〜?」

 屯所内、廊下。通り掛かった隊士に呼び止められた羽月は、洗濯カゴを抱えたままぐなりと首だけ動かして振り返った。──その顔つきを見た隊士は、はてこれは見間違い聞き間違いか? と思わず細い目をしばたたかせる。そして今一度、落ち着いてゆっくりと彼女を呼んだ。

「え……羽月、ちゃん?」
「何ィ? ジロジロ見ないでくださいよおっさん。キモ」

 ぴしり、と空気が凍てついた。──羽月だ。今己の目の前にいるのは、間違いなく羽月だ。羽月で、あるはずなのに──

「だだだだ誰!?」
「誰ェ? 貴方頭可笑しくなったんじゃないですか? どっからどう見ても羽月ちゃんに決まってんでしょ」
「うううううっそだァ! だってこんなっ、不良ギャルみたいな人相悪い凄み顔、あの真選組の天使羽月ちゃんができるわけが……!」
「はァ〜〜〜? 天使とか貴方何言ってんですか? いい年した大人がァ? 本気でェ? ぶっはうける! 恥ずかしーっ!!」
「嘘だーーー! 誰か嘘だと言ってーーー!!」

 処理しきれぬ事態にとうとう頭を抱えて叫び出す隊士。その声につられたか、すぐそばの角からあくびを噛み殺す沖田が姿を現した。

「朝っぱらからうるせェな……よォ、何してんでィちんちくりん」
「は〜〜〜? ちんちくりんってあまりに失礼じゃないですかァ、セクハラって言うんですよそういうのキモ〜イ。あーあお巡りさん呼んじゃおっかな〜」
「ハイ残念、そのお巡りが俺で……はっ?」

 素っ頓狂な高音が喉から飛び出す。そして沖田は、まじまじと目の前の女を見た。──羽月だ。どこからどう見ても三百六十度、その女は羽月だった。髪も顔も背丈も、すべてが羽月という人間である証拠だった。

「……なにィ? さっきから突っ掛かってきたり見つめ出したり……私のこと好きなんですか? あー無理無理、私貴方みたいな小学生より低レベルの男ってほんっと駄目なんですよねェ〜ハイ母胎から出直してきてくださ〜い」

 まるで淀みなく滑る口に、沖田も隊士もいよいよ絶句が止まらない。確かに羽月は、彼女が嫌いとする沖田に対しては常日頃から悪口を投げ合っていた。しかし元来の気質は、上品で丁寧だったはずなのだ。だが今の彼女はそれを取っ払ったように、気だるく品もなくやけに俗っぽい。まるで別人だったのだ。

 沖田のぱっちりとした瞳は、羽月をじいっと見つめたまま動かない。若い男女が見つめ合うなど、本来ならば少女漫画のようなシチュエーションであるが、誰一人としてそんな感情を抱けるわけもなく。
 食い入るように凝視された羽月は、とうとう居心地が悪くなったらしい。「わけわかんな〜い」と吐き捨てて、二人に背を向けると仕事に戻っていった。

「……うっお腹すいた。ご飯足りない」
「そこはいつも通りかよ」

 沖田の硬直が解けたきっかけであった。







 銀時は朝から近所の友人と遊びに行った神楽に代わって、定春の散歩をしていた。ブツクサと文句を垂れながら、時折話しかけられる町の顔見知りと挨拶を交わしていく。

「あ、おはよう銀時さん」
「あー、おはよーさ……ん………………はっ?」

 まるで流れ作業のように挨拶を返していた銀時だったが、ある女に声を掛けられたところで、その足を急停止させた。ギギ、とぎこちなく、口元を引きつらせながら振り返り、その人物を確認したところで、銀時はざわりと鳥肌を感じた。

「……い、いやいやいやいや、ナイナイナイナイ。それは流石にないって」
「銀時さん、どうしたの? 凄い冷や汗だよ……大丈夫?」
「ナイナイナーーーイ! これはアレだ! 夢だ! だってこんなんぜってーあり得ねーもん! 世界中の海水が全部砂糖水になるくらいあり得ねーもォォォォん!」

 ブンブンと青ざめた顔を左右に振る。ゾクゾク、ザワザワ、鳥肌と震えと冷や汗が止まらない。一歩違えれば重病人にも見えた。
 なんだ、これは。一体どうなってやがる? 俺の目と耳はとうとうイカれたのか? 自問しながら、改めて目の前の女を窺い見る。──そこにはやはり、紛れもない、万事屋の隣人、雪の姿が依然として存在した。

「あり得ねーーーーーって! だってアイツがこんな普っ通〜〜〜のおしとやかでカワイイ女なワケねーーーーーもん!! ナイナイナイ!!」
「かわっ……や、やだなァもう恥ずかしい、お世辞でも照れちゃうじゃん」
「ナァーーーーーーーーーーイ!!!!」

 残像を生むほどに頭を左右に振る銀時。しかし何度視界を揺らしても、目の前の光景が変わることはない。一体なんなんだ、急にどうしたんだ。俺をからかってんのか? だが眉を下げ、口元に手を当てて恥じらう雪の姿は、どこからどう見ても普通で、可愛らしい、うら若き乙女の反応だ。その反応に、せめてドキッとでも感じられたら良かったが、銀時を襲うのは圧倒的なまでの混乱と悪寒。
 そんな彼をよそに、雪はリードに繋がれていた定春に嬉々として近寄っていく。

「ふふ、定春くんもおはよう。今日も顔まで真っ白だね世界一可愛いね〜」

 そして伸ばされた手ごと、定春は雪の頭に容赦なく食らいついた。

「あはは今日もやんちゃだなァ〜」
「そこはいつも通りかよ!! 血吹き出してんぞ!!」







 その日真選組監察方の山崎退は、ある調査のため密かに奔走していた。グレーを黒と断定する決定的証拠を掴むため、山崎は一人、民衆に溶け込み町を歩く。──そのすれ違いざま、通行人の女性と肩がぶつかってしまった。

「おっと、すみませ……真琴さん?」
「…………」

 山崎は何かと口の軽い欠点があり、それは今まさに遺憾なく発揮された。任務中であるにも関わらず、知人とおぼしき姿に思わず声を掛けてしまう。──偶然にも、ぶつかった相手は何かと縁のある真琴であったのだ。
 しかし、いつもの彼女ならば「あっ、や、山崎さん……奇遇ですね」くらいにはぎこちなく返してくれそうなものだが、今日の彼女にはフイと顔を背けられた。まあ、確かに今まで友好的に話し返してもらえるようなことをした試しなどないが……なんだか今日はやけに表情も固いような? 自分に対して、万事屋の旦那たちに向けるような朗らかな笑みを見せてくれると期待するほど思い上がっちゃあいないが、それにしてもいつもならいびつながらも愛想笑いの一つや二つ──

「……は、何ジロジロ見てるの地味顔。気色悪い」
「ン゛ッ!?」

 グサリ、鋭利な刃物で心臓を突き刺した挙句、さらにゴリゴリ抉ってくるような罵詈雑言。それはあまりに真琴らしからぬ発言で、山崎の脳天から足先にかけて、とてつもない衝撃が走った。

「な、なな、なん……真琴、さん……!?」
「何」
「いィいいやっ、えっ!? な、ん!? 真琴さん……ですよね……?」
「当たり前でしょう。頭、可笑しいんじゃないの」
「いや可笑しいのは俺じゃなくて……!!」

 一体これはどういうことなんだ。発言内容だけではない。冷たく抑揚の無い低い声、温度の感じられない瞳、人を突き放すような表情。いつもの、いかにも人の良さそうで幸の薄そうなオーラは何処へいったというのだ?
 大いに混乱状態である山崎をよそに、真琴は進行方向へ向かって再び歩き出す。──かと思えば、突然、彼女はばっと振り返った。

「……!」
「えっ!?」

 何かを鋭く射抜くような瞳。刃物のような鋭利さを帯びるそれは、真っ直ぐ山崎へと向けられていた。その眉間には深く皺が刻まれ、唇には力が強く籠められているようにも見える。彼女の纏う空気が、一気にピリピリと研ぎ澄まされていく。
 今までの一連の流れで、山崎が間を置いて真琴に睨まれる道理などなかった。かとすれば、山崎を通り越したその向こうに──何かがあったに違いない。それが少なくとも、良いものではないことだけは確かだった。彼女の目は、今までに見たこともない……何か、酷く憎んだ相手を見るような……そんな顔だと、山崎は感じていた。
 時間にして恐らく僅か数秒、しかし体感にしてたっぷり数分ほど、山崎は極限の緊張感に包まれていた。しばらくするとその糸は緩み、硬直していた空気は次第に解けていった。

「あの……真琴さん。大丈夫……ですか?」
「……ええ、別に」

 本当に、彼女の身に何があったというのだろうか。ちょっとした気まぐれ、情緒が乱れている、などといった説明では到底納得できぬ変貌ぶりであった。真琴は誤魔化すように、肩に掛かった髪を手で払うと、今度こそ山崎に背を向けてその場を去ろうとする。
 ……しかし、これは男の(さが)として見逃して頂きたいことであるが、先ほどのしなやかな手つきやら、どこか憂いを帯びたような表情。艶のある声色。普段の真琴からは感じない『それ』に、山崎は思わず小さな小さな声で独り言ちた。

「……なんか、色気さえ感じるよーな……」
「は? 当たり前でしょう」
「アッそこはいつも通りなんだ……」

 聞き逃すことなく、律儀に振り返り反応した真琴に一言。







「なァ、朋子お前本っ当に、どうした……?」
「馬鹿は風邪引かねェっつーが、流石に熱でもあるんじゃねーかィ」
「それか雪お前、まさかとうとうヤクでもやって頭可笑しくなったんじゃねェの!?」
「もしくは、何か、変なものでも食べたりしませんでした……?」

 ともかくこれは、明らかに尋常ではない。彼らは皆共通して思っていた。思いつく限りの原因、可能性を彼女たちに一つ一つ訊ねていく。すると、何か思い当たったように、四人は一様にハッと顔を上げた。

「……ああ、そういえば昨日、貰い物のお菓子を羽月ちゃんと食べて……」
「色ヤバかったけど味があまりに美味しかったもんだから〜……」
「おすそ分けって言って羽月ちゃんから……」
「貰ったのを雪と一緒に……」


「……それだろ!!!」

 テンションに差はあれど、各地で四人の声が重なった。