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「おっ……おまわりさァァん! 変態です! ご婦人の敵が今まさにここに!」
「はっ倒すぞてめェ」
襖が開け放してあったその部屋を覗くや否や、羽月は絶叫した。その行動に沖田は仰々しく青筋を浮かび上がらせ、わめく彼女の頭に手刀を落とし込み強制的に黙らせる。
「いっ!」
「ギャーギャーうるせェや」
「女性の机の引き出しを漁るだなんて、変態以外の何者でもありません! 何を盗むつもりだったのですか、白状してください」
「盗んでねェしてめェに話す理由もねェ」
「なら、朋子さんにお話しする理由はあるということでしょうかね」
「……」
「朋子さんのお部屋で、一体何をしていらっしゃったのですか」
羽月の追及に、沖田は不愉快そうに顔をしかめた。しかし羽月程度では脅威にならないと判断したらしい、ガサゴソと怪しげな作業を再開させる。
「ちょっと、人の話を聞いてますか? それともその両の耳はお飾りなんですか」
「……」
「朋子さんへの嫌がらせですか?」
「……」
「朋子さんがお嫌いなんですか? それとも、お好きだからこそですか?」
「……」
「朋子さんを信用なさっているからですか? なさっていないからですか?」
「……」
淡々と問いを重ねていく羽月に、沖田は何も答えない。しかしその手は次第に、何かを探すわけではなく、ただ漁っている体を装った適当な動きに変わっていた。彼の耳が明らかに彼女の問いかけに傾けられていることに、羽月は気付いたのだろうか。
「……貴方と朋子さんを結ぶものを、何と呼べばいいのか、私には分かりかねます。貴方は……貴方は朋子さんの、何なのですか」
燻っていた疑問を、言葉にする。彼だけには戸惑いを、弱い部分を少したりとて見せないように、羽月は毅然と言い放った。だが折角繕ったその表情は、一瞬にして崩れ去ることになった。
沖田はようやく何か──ゴテゴテのアニメ柄のファイルを取り出すと、それを持ったまま振り返り羽月に歩み寄る。突然の行動に、羽月はほんの小さく肩を震わせた。迫る沖田の気迫に飲まれ、距離を取るように一歩二歩と後退する。しかし沖田はどんどん迫り、とうとう背中が壁にトンと当たった。
「っせェな……てめェが大嫌いな俺のことを知って、どうしようってんでィ」
頭の傍らにドン、と無遠慮に手が突かれる。頬で感じた風圧も自分を見下ろす瞳も地を這うような低い声も、酷く冷たい。まつ毛の僅かな震えや、吐息の音すら分かる距離感。片側に手を置かれただけなのに、まるで拘束されたかのように、間近から落とされた影の中で羽月は動くことができなかった。ああ、よりにもよってこの男に支配をされているみたいなのが、酷く悔しい。その上、やっとの思いで回った口は、自分ですら予想だにしていないことを小さく吐き出したのだ。
「……貴方は、誰に対してもこんなことをするんですね」
「は?」
それは聞き取れなかったことへの反応か、それとも羽月の不可解な返答に対しての疑問か。羽月には一向に判然としなかったが、後者であると断定できないことは唯一の救いでもあった。羽月は至近距離のその腹を手で押し返し沖田と距離をとると、嫌味か虚勢のように彼を睨んで口を動かす。
「……まるで女性の扱いを知らないようですね。朋子さんがお可哀想」
「あァ? 部下のものァ上司ものでもあるんでィ万国共通事項だろうが」
「騙そうとしたってそうはいきませんよ、そんな横暴があってたまりますか! まったく、これだから脳みそお子様男は……!」
わなわなと震える羽月の悪態を右耳から左耳へと流して、沖田は持っていたファイルから一つのホチキス止めされた資料を取り出した。その切り替わりに羽月は一瞬置いて行かれるが、すぐに調子を取り戻しそっと彼に近寄る。人の部屋を漁ってまで探したそれの正体を確認しようとして、背伸びをしながら覗き込もうとした。そんな羽月の頭を押さえつつ、沖田は高く持ち上げた紙面に素早く目を通していく。──その手には次第に力が籠り、視線が下まで通された頃にはくしゃりと握り潰されるように、紙にいびつに皺が寄った。
「沖田さん?」
「……クソが」
「く、クソ!? どなたがですが!? 私がですか!? なんて失敬な!」
「誰もてめェの話はしてねェ」
彼女の頭を押さえていた手を放し、沖田は小さく舌を打つ。──たった今、一瞬で沖田の神経すべてを支配した黒いものは、空気の読めない羽月によって即座に霧散してしまったようだった。馬鹿の威力とは恐ろしい。
しかし、消えたと思っていたその感情は、また一瞬にして引き戻されることとなる。
「いた! 沖田隊長ォ!」
ドタドタと忙しなく駆けてきたのは、一番隊に所属する隊士だった。息を切らした彼は、明らかに焦りを滲ませている。
「オウどうした。ついに土方が死んだか」
「ちげェェよ! じゃなくて!」
隊士が発した次の言葉に、沖田の双眸から光が消え失せた。
「朋子さんが青子ちゃんの見送りに行ったきり帰ってこなくて……沖田隊長のほうに何か連絡は来てませんか?」
*
袴の裾を翻して、ゆっくりと歩く。腰に差した刀は、久しく戦闘のため抜かれておらず、鞘の下で今か今かと出番を待ち構えていた。
彼女は昼間、監察方の山崎が持ち帰った目撃情報を盗み聞いていた。土方が仕事に復帰していれば、明日を待たず今夜改めていたことだろう。だから、この機会はきっと今夜限りだ。今しかない。逃すわけにはいかなかった。
彼らが見つければ即粛清に違いない。──ならば、自分が見つけ出して、彼と話ができれば。
甘い考えだとわかっていた。それでも、まだ幼いあの子にも選択肢をと。大人たちに理不尽に与えられるものではなく、彼女自身が自分の信じた幸せを掴めるようにと。その一心が、朋子の完治していない足を動かしていた。
日はすっかり落ち、濃紺の空が町を包んでいる。ねっとりと纏わりつくような暑い空気は、朋子にかの日を思い出させた。それを振り払うように頭を振るい、彼女は目的の場所に向かう。
先程からうるさいくらいに携帯電話が震えていた。恐らく彼らに違いない。出るつもりは毛頭無かったが、あまりにも煩わしくて途中で電源を落とした。
細い路地裏に入り込む。ごちゃごちゃとゴミらしきものが散乱しており、酷く歩きにくかった。そこを通り抜けると、ぽつんと立っている汚らしい街灯に蛾が
優秀な監察殿の話が正しければ、おそらくこの辺りだ。足を止め、辺りを見回す。すると街灯の光が届かない奥のほうに、何かが見えた────人影だ。笠を被っているのと、暗闇の中であることからあまり判然としないが、随分華奢な後ろ姿に見える。しかし場所からしても十中八九、彼は転海屋の残党に違いない。それによく見れば、腰に得物を差しているのが見えた。
朋子は己の愛刀に手を掛けながら、一歩二歩と音を消して彼に近付く。間合いに入る手前で立ち止まり、口を開いた。
「ちょいとそこの人、話を──」
掛けられた声は、最後まで紡がれることはなかった。
キィン、とつんざくような音が耳の奥まで細かく暴れまわる。──振り向きざまに一歩強く踏み出し、間髪を入れず振りかざされた相手の得物。朋子は一分の冷静さも欠くことなく、それを己の刀で受け止めた。暗い空間で、無機質に交わった白刃が厭に光る。
鍔迫り合いが続く中、朋子は敵の顔に視線を向けた。やはり目線が近い。こちらの刀身を押す力は申し分ない強さだが、まさか彼は子供だとでも──
「……あ? オメー……」
「あり? 雪ちゃん?」
顔を上げ、笠の下から素顔が現れる。その気だるそうな瞳は、その女の声は、紛うことなき湖峰雪のものだった。
切迫した空気が弛緩する。二人は互いに弾かれたように後退し、役目を全うできなかった刀身は空を切った。
「んでオメーがこんな所にいんだよ」
「そりゃーこっちの台詞かなァ。一体なんだって雪ちゃんが……それよりも、」
朋子の、普段はまるで圧を与えない朗らかな瞳が、雪の持つ"それ"を鋭く睨みつける。しかしその表情は、どこか面白可笑しげに歪んでもいた。
「廃刀令のこと知らないわけじゃないよねェ、それ」
「……チッ」
どうやら誤魔化す気は毛頭ないらしい。雪は小さく舌を鳴らすと、緩慢な手つきで納刀した。普段の杖の形に戻るが、それで朋子に植え付いた仕込み杖という認識がなくなるわけもなく。よりにもよって
「なーる、仕込み刀ね。どォーりで、池田屋で初めて会った時にあたしと刀交えなかったわけだよ。剣撃の重さでバレかねないもんねェ」
「違ェな、オメーと関わる気がゼロだったからだよ」
「や〜ん雪ちゃんのいけず〜!」
「気色悪」
「ガチトーンやめて!」
いくらか言葉を交わせば、二人は簡単にいつもの調子に戻った。朋子はその延長でニヤニヤとからかうような表情を浮かべながら、刀を握っていないほうの手を自身の顎にやった。
「あそういや、雪ちゃんが帰ってこないって旦那が心配してましたぞ〜?」
「あ? 誰が誰の旦那だオメーぶち殺すぞ」
「えっいや"万事屋の旦那"って意味だったんだけど……」
「……」
「……」
「……」
「……いや痛い痛い痛い痛いストップタンマ今のはあたしにゃ毛ほども非はないでしょォォがイィィィン禿げるゥゥゥ!!」
一瞬で距離を詰めてきた雪に、頭頂部一帯の毛髪をぐっしゃりと鷲掴みにされ、朋子の絶叫が響き渡る。その声は奥まで届き、第三者の登場を誘発した。
「オイ! 用心棒、何があった」
「げ……クソ間の悪ィ時に」
雪の後方の地面から、突然男が姿を現した。あれは──暗がりで不明瞭だったが、どうやらそこには地下に続く階段があるらしかった。男の足音がいくらか反響して聞こえたのもその証だ。随分辺鄙な場所であるとは思っていたが、まさかこんなところに地下都市かそれに準ずる何かがあろうとは。残党らはそこに、一時身を隠していたらしい。
一人の男に続いて数人、地下から姿を現す。その様子に雪はあからさまに顔を歪め、朋子の頭部から手を放した。ようやく解放された朋子は頭を労りながら、彼女に細めた目を向ける。
「用心棒ねェ……」
「おっと、私ァ騙されて利用されただけの善良な一般市民だよ。
朋子の冷たく侮蔑するような視線を受けると、雪はあっさりと依頼主を切り捨てた。──報酬金は後払いであるため、ここ数日の労力がすべてパアになるのは誠に腹立たしいが、背に腹はかえられない。
「手のひら返し華麗過ぎでしょ。……ま、今日は本当は非番だし、おまわりさん掻い潜って帯刀してる奴なんてごまんといるわけだし……今日だけは知り合いのよしみで見逃し──」
朋子の台詞が不自然に途切れた。雪はそんな彼女の様子を窺おうとするが、それより前に朋子は雪の横をするりと通り抜ける。
「……そこのアンタ」
ゆら、ゆらり。どこか不安定で、しかし押されても決して倒れぬであろう足取りで、朋子は残党に近付いていく。しかし彼女の目に映っているのは、最早たったひとりの男のみであった。
奇妙な空間だった。敵が近付いているにも関わらず、残党らは何かに支配されたように動くことができない。朋子の指す「アンタ」が誰のことであるのかも、残党も、雪も、誰も知らない。一同は朋子の次の言葉を待つ他なかった。
「あの子は……青子ちゃんは、アンタの帰りをずっと待ってる」
朋子の言葉に、残党のうちの一人が大きく反応した。
彼は肩を大袈裟なほどに震わせ、驚愕に満ち満ちた目をいっぱいに見開いている。それは「自分の娘の名を知っていること」以外に理由などなかった。──男の顔は、資料の上で見たそれと、青子に見せられた写真の顔と、完全に一致していたのだった。
一歩、二歩。朋子が近付く度に男も後退していく。彼は複数の残党の間に挟まれるようにいたはずだったが、その彼らはいつの間にか、迫る朋子と彼女の標的である男を避けるようにその場を離れていた。
朋子が近づき、男が退く。しかし着実に距離は詰められ、いよいよ間合いの手前まで来たとき、朋子は抜き身だった刀の切っ先を男の首に当てた。
「ひっ……」
男の喉が震え、掠れた音が漏れる。朋子は何も喋らないが、その瞳は命の危険を感じさせるほどの狂気を孕んでいた。男の顔や背中を伝う多量の汗は、夏の暑さだけが理由ではない。思考回路が悲鳴を上げ、上手く回らない。息が激しくて苦しい。心臓が痛い。足が震える。暑いはずなのに冷たいほど寒い。何か、何か喋らなければ、このまま殺されるかもしれない。その焦りと恐怖から、男はとうとう、よりにもよって「それ」を、なりふり構わず吐き出した。
「あの子はっ……あの子のことは置いて行ったんだ!! もう俺の子じゃない!!」
──その瞬間、空気が変わった。
全身を地べたに叩きつけられるような、重々しい威圧感。棘のように肌に尽き刺さる殺気。一歩間合いに入れば、瞬き一つ許されることなく斬り刻まれそうだった。空間それ自体すら敵になったかのように錯覚する。泰然自若な雪をして、その場を動くことができなかった。
「……おい、」
それでも雪は、どうにか喉から声を絞り出す。しかし朋子は呼び掛けに応じることもなく、雪に背を向けたまま小さく口を開いた。
「……豚箱にぶち込まれたくなけりゃ、今すぐ立ち去れ」
それは紛れもなく雪に向けられた言葉であった。ただでさえ相手のほうが、数が多ければ手数も多い。未知の武器などを隠し持っているかもわからない。それでも朋子は、この場において唯一味方と成りうる雪を遠ざけた。
「……今、まともに人様と話せる心境じゃあないんだよねェ」
それは猟奇的にも思えた。計り知れないほどの怒りに飲まれているであろうにも関わらず、朋子は薄くせせら笑う。男の首に当てたままの銀の刀身が、何かを反射して青く不気味に光った。
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