53

 手前勝手だ、誰も彼も。
 姉の仇や、まだどこかで生きている残党だけではない。土方も、全部知っていて黙っていた朋子も、何も知らないくせして口を出す羽月も。全部全部気に食わなくて、嫌いで、大嫌いで。──一番嫌いなのは、自分自身で。
 けれど彼は自慢の姉の、自慢の弟になりたかった。自慢の弟でありたかった。どうすれば「そう」なれるかもわからなかったけれど、それでも。彼女が誇りに思える弟に、なりたかった。

 夏場も変わらぬ堅い制服の下で、じわりと汗が滲む。沖田は額の汗を拭いながらひたすら走った。一人で向かった阿呆のもとへ。一人でそれを追った馬鹿のもとへ。一人ではなく仲間とともに、隊服の裾を靡かせて彼は走る。
 あの日も二人は勝手に飛び出した。一人で片を付けようとした、一人でそれを助けに行った。
 どうして何も言わない。あまりにも馬鹿だ。何も変わっていないじゃないか。何もわかっていないじゃないか。言い様のない怒りをどうにか飲み込むように歯噛みする。
 ──本当は、わかっているのだ。二人が隠していたのは、沖田のため。残党の存在を聞かされれば、沖田が単独行動で無茶をするかもしれないから。そしてその行動の根底となるであろう感情を、もう二度と、沖田に抱かせないようにするため。
 朋子が一人で向かったのは、あの少女のため。
 土方が一人で追ったのは、朋子のため。
 いつも、いつもいつもいつもそうだ。他人のために。そんなのばかりで、自分のことは顧みない。腹立たしい。憤りが止まない。
 少なくとも、それは自分には要らない優しさだ。吐き気がする。いい加減にしろ。そんなもの、与えてくれと誰が頼んだ。

 走って、走って、息が切れ始めて、暑さで頬が上気して、そこに汗で張り付いた髪を手で拭って。
 沖田は徐々に速度を落とし、時間を掛けて足を止めた。
 監察からの情報をもとにたどり着いた地下都市の、その最奥地。朋子はそこで仰向けに倒れていた。髪は地面に広がり、あちこちに傷を負っているのが窺える。片腕で目元を覆っており、表情はわからない。もう片方の投げ出された手の近くには、彼女の刀が抜き身で転がっていた。
 一瞬心臓が止まる心地を覚えたが、その胸がしっかりと大きく上下しているのが見えて、沖田は呼吸を取り戻した。
 彼女の傍らに立っている男、土方もまた、肩が繰り返し上下している。きっと走って追い付いてから、間もないのだろうとわかった。
 足音に気がついた彼女が、少しだけ顔をこちらに向ける。それからゆっくりと、目元を隠していた腕をずらした。彼女は沖田を視認すると、そっと目を伏せて唇を食いしばる。

「……さーせん……総悟たいちょ……一人、取り逃がしちまいました……」

 朋子は絞り出すようにそう告げた。「お前……、」しかし沖田は、聞いたこともないほど弱々しい彼女の声に、妙に喉が詰まって、それ以降すべての言葉を失ってしまう。そんな彼の横を他の隊士がすり抜け、朋子の元に駆け寄った。沖田はしばし呆然と突っ立っていたが、朋子に再度「ごめん……総悟」と小さく吐かれて、唇を噛みしめた。それから、隊士たちの支えを受けて上体を起こした彼女に一歩二歩と近付いていく。

「総……っでェ!?」

 ごん、と重い拳が朋子の脳天に落ちた。手を握り込んだままの沖田は至って平然としており、「沖田隊長ォォ!?」「朋子さん怪我人ッスけど!?」と騒ぎ立てる隊士の言葉も意に介さない。沖田は朋子の表情が塗り替わったのを見ると、眉を歪めて吐き捨てる。

「どうせ大したことも知らされてねェ下っ端の一人だ」
「総、悟……」
「だから──」

 朋子は頭をさすりながら、呆然と沖田を見つめた。少し俯いた彼の顔に前髪の影が落ちる。そして──

「──だから、んな雑魚取り逃がすようじゃ、ソレ治った暁にゃ鍛え直しだな。今のうちに精々余生楽しんどけィ」

 ニタァ。下目蓋をつり上げ、至極妖しく口元を緩ませた沖田の、そのサディスティックな笑みに、朋子は全身の血の気がどこかに失せていくのを感じた。

「……いや何それ死ぬ前提ィ!?」
「もうそんだけ元気なら死へのカウントダウンも短ェな」
「イヤ〜〜〜きっとこれ全治80年だからなーっ!? どうだろなーっ!?」

 冷や汗まみれで叫ぶ朋子の頭をもう一度殴って、背を向ける。後ろからギャアギャアと文句が聞こえたが、沖田は全て無視した。ただ、その耳慣れた声だけはしっかり受け止める。
 この場所までの経路で、倒されていた浪士を他の隊士らが捕縛しているはずだ。彼は幹部服の裾をはためかせながら、そこへ向かって歩き出した。

 朋子は年下の上司の背が遠ざかっていくのを眺めて、それからゆっくりとした動作でそばに落ちていた何かを拾う。開かれて伏せられていたのは彼女の手帳で、ちょうどその部分のページが一枚、破られていた。

「……よい子たちの笑顔護りたかっただけなんだけどなァ」

 誰にも聞こえないくらい、密やかに呟く。「難しいなァ……」そう続けた朋子は、もう一度小さくなった沖田の背をそっと見やり、それから脳裏にも一人の少女を思い浮かべた。そんな彼女の頭に、広い手のひらがぽんと乗せられる。──土方だ。彼は丁寧とは言い難い手つきだが、暖かさを分け与えるようにその頭をニ、三度撫でつける。そして──

「帰ったら当分は書類三昧だな」

 無慈悲に告げられた言葉に、口元をひきつらせた朋子の顔は、いつかの青空より深い深い青に染め上げられた。







 朝日の眩しい、晩夏の早朝だった。
 青々と澄みきった空に、白い陽が昇る。生き生きと伸びた蔓に、生命がみなぎる緑。それに包まれて咲き誇るはすべて青色の花弁を持ち、雲ひとつない天を写しているかのような鮮やかさを誇っていた。
 破られたページのメモを片手に、男はその時間、その場所に辿り着いた。地図はなくとも、彼はそこに行き着くことができた。そこは毎年欠かさず、二人で来ていた場所だった。
 何年経っても変わることのない、美しい朝顔畑の中で、少女は立っていた。

「……おとーさん?」

 少女は振り返る。丸い大きな瞳は、男の姿を捉えてさらに大きく見張られた。

「──青子」

 男は小さく、それでいてはっきりした声で彼女の名を呼んだ。自分がつけた、愛しい娘の名前を。
 青子の目に、たゆたゆと涙の膜が出来上がっていく。それが膨らんで膨らんで、ぽろりと頬を伝った瞬間、彼女は弾けるように駆け出した。

「おとーさん!!」

 大きな歩幅で跳ぶように走り、青子は勢いよく父親に抱きついた。それを力強く受け止めて、奥峯も娘の背に腕を回し、放すまいと抱き締める。夏の気温に冷えた体に、熱が籠る。

「バァァァカ! わたしずーっと待ってたんだよ!」
「青子……」
「待っても待ってもっ、帰ってこないから……! わた、わだじ、捜しに行ったのに、会えなぐて、」

 ずっと気丈だった青子の目から、堰を切ったように溢れ出して止まらない涙。奥峯の肩口に、ぽたぽたと落ちて染みていく。

「わたじ、わだしね、おとーさんと、今年も見に来たくて。でも、おとーさん、ちっとも会えなかったがら、だからわだじ、大好きなおねーさんと約束しだの……ひとりじゃなくて、誰かと、一緒に見たかった」
「ああ」
「でも、でもね、やっぱり、誰でも良くなんでなぐて、わだじ、おとーさんと見だくて、おとーさんが良くて、」
「ああ……」

 青子はたどたどしく、必死に自身の想いを紡いでいく。
 自分のために必死に動いてくれた、一緒にいて手を繋いでくれた朋子のことを、青子は大好きになっていた。けれども、彼女は決して父親の代わりにはならなかった。どちらも唯一無二の存在で、どちらにも代わりはいない。青子の父親は、奥峯清弐ただ一人であった。

「あのな、青子」
「……おとーさん? 泣いてるの?」

 青子を抱き締めたまま、奥峯はそっと話し出す。互いの顔は見えていないが、震えた声が青子に父の表情を教えていた。

「お父さんは……悪い人間なんだ。世界で一番大事なお前を、護りたくて、そうするしかなかった。だけど、どんなに言い訳をしても、悪いと知っていることをやってきた。お父さんと一緒にいると、青子は危険なんだ……だから、」
「うん、いーよ」

 詰まる喉を必死に動かし吐露していた奥峯は、濡れた瞳を大きく見張った。彼女の声は、まっすぐで力強かった。幼く、しっかりしているが少しだけ甘えん坊だった青子の、奥峯が知らない声だった。

「……もう、ここには、いられない。ずっと遠くの場所に行かなきゃならなくなるから、この場所にも来年は……いいや、もう二度と、来られないかもしれない」
「うん。いい」

 意思の強い声だ。決して揺るがぬ、まっすぐな声だ。雲ひとつないこの空のような、一点の迷いもない声だ。

「それでもいい。わたしは、おとーさんと一緒がいい」

 青子ははっきりと言い放つ。それは青子の、一人になりたくないという願いであり、一人にさせたくないという祈りであり、共にいたいという想いだった。
 奥峯は青子を抱き締める腕に力を込めた。もう二度と一人になどさせない。手放したりしない。その誓いを込め、奥峯は嗚咽で痙攣する喉を動かした。

「──誕生日おめでとう、青子」

 父から受け取った、生まれてきたことへの祝福に、青子は涙に濡れた目を細めて幸せそうに笑った。






 真選組の屯所に花壇が増えたのは、羽月がやって来てからだった。それまで飾り気のなかった敷地は、所々で色とりどりの花たちが咲き誇っている。種類に疎くてほとんど名前はわからなかったが、羽月が好き好んで世話をしているため、どの花も生き生きとして見えた。
 その花壇の傍らで、彼女は一人植木鉢をいじっている。土方は呆れたように息を吐き出してから、声を掛けた。

「何してんだ、怪我人」

 ぱっと振り返った朋子は、少しだけ驚いたあとに「何だ土方さんか、良かった」と小さく笑った。しゃがみ込んでいるその身体は包帯が増えていて、見つけたのが別の奴だったら強引に室内に戻されていただろうと土方は考える。

「見りゃわかるでしょ。種を植えてんです」

 彼女と違い、土方はさしたる怪我をしていなかった。それも、予定外にあそこに居た二人──銀時と雪が、道を開けてくれたからに他ならないが、素直に感謝するには癪だと思わせるしたり顔を食らったせいで、妙に煮え切らない。
 朋子が植えているという種は、小さな小さなたまねぎの皮のようなものに包まれていた。それを破って、中から出てくるのは黒くて少し角張っている。それは花の知識が深くない自分でも名前を知るポピュラーな花の種で、この屯所にはまだないものだ。

「お礼にね、貰ったんです。いいでしょ」
「いやしらねェよ。つーか昼間にやれよ」
「さっき思い出したんですよ。本当はもう時期が遅いから、来年植えたほうがいいって言われたんですけどね。でも、一年後のことなんてわからないし」

 薄く笑う朋子に、土方は口を閉ざした後、小さくため息を吐いて縁側に腰を下ろした。朋子は意外そうに目を丸めるが、すぐに笑って作業を再開した。
 いつ死ぬかも、わからない。
 今日まで自分達が生き延びてこられたのは単なる偶然で、もしかしたら明日、いや、明日を迎えることすらなく突然散ってしまうかもしれない。その覚悟は、刀を手にした時からずっとあった。だから土方は、遠すぎる未来に想いは馳せない。朋子も同じなのだろう。彼らはいつでも、刹那の「今」を生きようとしている。

「……総悟に悪いことしたなァ」
「そりゃ俺への当て付けか?」
「やだ土方さん卑屈〜。あれは土方さんの指示じゃなくて『お願い』でしょ。それに、あたしだってあたしの意思でそうしたんだから」

 種を押し込み、土を被せて固める朋子。土方の鼻を泥の臭いがくすぐった。武州にいた頃によく嗅いだ、懐かしい匂いだと思った。

「きっとあたしたちが思ってるほど、総悟はもう子どもじゃないんだよ」
「……そうかもな」

 縁側からそっと声を落とす。屯所の奥からは僅かに隊士らの声が聞こえたが、夜は静まり返っていて、土方の返事はよく通った。
 朋子は鉢の上で軽く手の泥を払った。それから親指の爪で、他の爪と指の間の泥を弾き落としていく。それが土方には妙にまどろっこしく見えて、わけもなく時間を稼いでいるようにも思えた。
 しばらくして、納得したのか諦めたのか、朋子はようやく立ち上がる。……つもりだったが、新たに作った包帯の下の傷が、彼女に鋭い痛みを与えた。

「い゛っでェ!」
「馬鹿かてめェは」
「心配はァ!?」
「じっとしてねェてめェの自業自得だろ」

 心底面倒くさそうに息を吐く土方。それから彼は、足元に放られていた誰かの草履を突っ掛けて、重そうに腰を上げる。

「オラ、」

 差し出される手。照らしてくれる日光はもう隠れているが、朋子にはそれがとてもあたたかいものに見えた。込み上げた懐かしさと僅かな寂寥感に、何故だか鼻の奥が痛む。
 朋子が隠し事をしても、彼女だけにはいつも見抜かれた。出し抜けたことが今までにあっただろうか。それすらも自信がない。
 そんな、なんでもお見通しだった彼女はもういない。けれど、朋子が安心して隠し事をするにはまだ、見過ごしちゃくれない人がいる。自分を見つけ出してくれる人がいる。
 朋子は少しだけ笑って、自分を引き上げようとする目の前の手を、少しの迷いもなく、強い安心感とそのやさしさへの愛おしさを持って掴んだ。

「サンクストッシー」
「誰がトッシーだ。妙なあだ名つけんじゃねェ」

 あたたかな手はすぐに離れていくが、彼女の手にもその熱は残る。朋子はそれを無くさないようにきゅっと握り込めた。ふと、自分の手が粗方落としたとはいえ泥まみれであったことを思い出した。しかし土方はさして気にしていないようで、また小さく笑いが込み上げる。
 朋子が縁側に腰掛けると、その隣、一人分ほど空けた位置に土方もまた腰を下ろした。この距離でも、ほんの少しだけ、彼の煙草の匂いがした。
 今日は朝からずっと雲ひとつ見当たらない晴天で、濃紺の空にはいっぱいに星が瞬いている。空気の澄んだ武州と比べて、夜中でもネオンや街灯など色んな人工光が目立つ江戸では、見える星も少なかったけれど。それでも、美しい夜空だと朋子は感じた。

「あっ、土方さん見てホラ」

 不意に視界の端でなにかの光がちらついて、その正体を確認した朋子は、幼い少女のような軽く弾んだ声色で土方を呼んだ。朋子の視線の先を、土方も追う。

「蛍だ」

 そこでは、ほのかでやわらかい黄色が、小さく夜を照らしていた。その光は、暑い空気は、自然の匂いは、記憶の中の光景を想起させる。

「武州にいた頃を思い出しますね」
「……忘れたな、そんな昔のこたァ」
「ハハッ、だろうなァ〜。ヤニマヨに染まり切った土方さんにゃ風情なんて到底解せないですよね。しってたしってた」
「だとコラ」

 その煽り口調に思わず喧嘩腰になるが、朋子があまりに楽しそうに目を細めていて、土方は調子を狂わされたように舌打ちした。それから目を泳がせて、またため息。

「お疲れですねェ」
「どっかのアホのせいでな」

 それは単なる朋子への嫌味にも思われたが、また多くの含みもあるような気がした。土方はいつからか、ますます疲労の色が濃くなったように朋子には見えていた。真選組きっての常識人、実力者、頭の切れる戦略家。そしてさまざまなものがのし掛かる、副長という立場。

「……土方さん。あたし一番隊が好きですよ」
「んだよ、藪から棒に」
「まあ隊士なんて入れ替わりあるし、それでも毎度うるせー奴らばっかで振り回されまくりですけどね」
「お前がぶっちぎりでうるせー奴だけどな」
「総悟は何だかんだ頼りになるけどさ、不祥事起こすしサドだし色々押し付けて来やがるし。神山さんも悪い奴じゃないけど声でけーし暑苦しいし。清蔵さんとかも声でけーし暑苦しいし」

 土方は突然何なんだと言いたげな、怪訝そうな瞳をしていた。それを気にすることなく、朋子は語り続ける。

「皆バカばっかりだけど、でも、良い奴らで。だからあたしはいいんです。……ただ、土方さんがさ、昔より無理するようになったから。だから──」

 土方が薄い唇を閉じた。ぬるい風が両者の間を吹き抜ける。共に視線は前に真っ直ぐ向けられており、交わることは決してない。

「あたしが、土方さんの補佐に戻りましょうか」

 夜の静けさに馴染む、小さな声だった。土方はそっと瞳を閉じる。彼女の言葉が夜に融けて消えた頃、土方は暗闇の中ゆっくり自分の足元に顔を落として、再び瞼を開いた。

「……何度もしつけェんだよ。オメーみてーなサボり魔はいらねーよ」
「知ってますよ、言ってみただけ」

 朋子の声は間も開けず返ってきて、そこには重さも弱々しさもない。まるで土方の返答がわかっているようだった。そして、自分の返事もわかっていたようだった。

「あたし以外に、総悟のお守りできる奴なんていないからなァ〜」
「そォだな」
「……なーんて嘘嘘。総悟ダシに使ったって、結局寂しいのはあたしの方だ」

 眉を下げて小さく笑う朋子に、土方の眉間に皺が寄る。
 朋子は、自分がずるい人間だとわかっていた。何度も土方に話を持ち掛けて反応を窺うくせに、肝心の異動希望はついぞ出したことがなかった。結局は口先だけだ。
 彼を隣で支えられるのは嬉しかった。誇りだった。
 けれど一番隊も、朋子にとって居心地の良い、手放しがたい大事なものだった。
 そしてまた、世間の大きな壁に阻まれた、変えることのできないそれを突きつけられた悲しさを、朋子は今でも覚えていた。
 幹部服に袖を通せば、投げられるであろう視線や声を、受け止めることをどこかで嫌がっている自分がいた。
 土方が、朋子のことを、彼女の幸せを考えて朋子を突き放していることも、わかっていた。

 すべてわかっていて、悟って、何もかもを呑み込んで。
 それでも。胸の内をちりちりと焦がすほんの小さな蛍火は、消せやしないけど。
 それでいい。無闇に消そうとする必要なんてなかったのだ。抱え続けていくことも、自然と消えるのを待つことも、あるいはそれを火種にして強く大きく燃やしていくことも。すべては朋子の自由だ。朋子の意志によって、どうすることだってできる。無限性を秘めている。──決めるのは唯一、あたし自身だ。

 ようやく、朋子は土方の目を見た。
 彼は難しい顔をしている。まるで人生なんて楽しめていないような顔だ。でもこの顔をさせているのは自分なのだと、朋子は知っている。……いや、違う。正確に言えば、土方の中に存在する、土方にとっての、土方の考える朋子の像が、彼にそうさせていた。
 それは、本当の朋子ではない。

「土方さん」

 朋子は縁側からゆっくり腰を上げると、土方の前に立った。夜の太陽が逆光となって、彼女の背を照らす。土方がその行動に呆気に取られていると、朋子の手がそっと彼の顔に寄せられた。そして──

「……っで!?」
「見くびんなよ」

 指で強く弾かれた額を擦りながら、土方は朋子を睨みつけようとする。けれど、昼間よりいくらか涼しくなった夜風にさらわれた髪が。力強い、真夏のような天下無敵の笑みが。土方の視線を、思考を、心を奪う。

「テメーの幸せは、テメーで決めるから」

 ────ざくっ。

 それは土方の脳裏に、鮮明に思い出された。
 長く伸ばされた──自分が綺麗だと褒めた、その一言で切るのをやめた髪が、小刀によって短く切られたのを見た。はらはらと、その手から綺麗な長い髪の毛が滑り落ちていくのを、見ていた。

『テメーの幸せは、テメーで決める』

 朋子は疾うに知っていたのだ。土方たちが彼女から、武士として生きる道を絶とうとしていたその理由を。
 そして朋子は疾うに覚悟していたのだ。彼らとともに、いつか来るその時まで生き切ることを。
 彼女は疾うに、掴み取っていた。他者に与えられたのではない。自分で決めた、自分だけの幸せを。

「……あァ」

 眉を下げてクッと小さく笑うその姿には、含みも何もない。憑き物が落ちたように晴れやかで、清々しい。それに呼応するように、朋子もまた目を細める。
 楽しげな声につられたように、先程の蛍が二人に向かってゆるやかに飛んできた。蛍の放つ光は小さな篝火となり、二つの笑みを青い夜に照らした。



カラフル 蛍火篇(了)