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「……ったく、何で俺がこんな乳くせークソガキのお守りしてやらなきゃなんねーんでィ」

 その道中、隣と言うにはあまりに離れ過ぎた位置を歩く羽月に、沖田はさも面倒くさそうな視線を向けた。

「ああ、どうして私がお子様思考回路の我儘三昧な方と、行動を共にしなければならないんでしょう……」

 そんな沖田に、羽月は同じだけうんざりとした視線を投げ返す。

「近藤さんの頼みじゃなけりゃ、こんな田舎娘なんざお仲間同士断崖絶壁にでも放置してるってェのに」
「局長さんのお気遣いでなければ、私一人でなんの問題もなく行ってきましたのに」
「それもこれもどっかの馬鹿が無自覚方向音痴でなけりゃなーあーあー」
「何故局長さんはよりにもよってこの人を……ああ、お仕事を当たり前のようにサボるこの人なら、いてもいなくてもお仕事に差し支えないと判断されたのでしょうか」
「近藤さんが俺を信頼してるから、に決まってんだろィ死ね」
「口癖のように死ねだなんてお馬鹿さんの証拠ですね。どうしてそんな人が一つの隊を指揮していられるんでしょう、今世紀最大の謎です」
「オメーが馬鹿」
「女性顔」
「チビ」
「貴方がチビ」

 淀みなく悪態を吐き合いながら、通常より早いペースですたすたと道を進む二人。お互いに「早く屯所へ戻ってこいつから離れたい」という心情が見て取れた。
 犬猿の仲である二人がこのような状況に陥ってしまったわけは、羽月が現在手に持つ風呂敷にあった。これには以前より陶器屋に依頼していた、来客用の湯飲みが包まれている。ちょうど女中の仕事が休みであった羽月が、率先して完成したこれを受け取りに行くと申し出たところまでは良かったが、彼女が筋金入りの無自覚方向音痴であることは最早周知の事実。彼女が地図を手に玄関へ向かうところをたまたま見掛けた近藤は、慌てて彼女を引き留めたのだ。そして、偶然にもちょうど巡回の報告を終えた沖田が通り掛かったことで、彼に案内役として白羽の矢が立ったわけである。

「あーあ、あのゴリラ女さっさとクビになんねーかなァ〜」
「は? 誰がゴリラですか、他人を馬鹿になさるのも大概に……」
「え? 誰もお前になんて言ってねェけど? え? 何? まな板なんか装備しちゃってどうしたの? 何かのパフォーマンス? あ、元々か(笑)」

 間髪を入れず繰り出された羽月の光速右ストレートを、沖田は上体をしなやかに反らせ紙一重で回避した。そこから二人の、激しくくだらない攻防戦が始まる。

「なんですその(笑)は? どれだけ人をおちょくれば気がお済みになるのでしょう、本当もう貴方転職してくださいな早急に」
「俺がいなくなったら真選組はゴリラストーカーにニコチンマヨにアホメガネ、もう終わりじゃねェかお先真っ暗でィ」
「そこに貴方というお子様暴言男が加わろうとも、何一つ事態は好転するとは思えませんが」
「あいっけね、妙にしゃしゃり出るのが好きなメスゴリラがもう一匹いたわ〜」
「あら、まさか私のことですか? 表現は的はずれですが、それなら事態は良い方向に向くでしょうね」
「その自信はどっから出てくるんでィ。うわー自信過剰〜」
「貴方も大概そうでは? まあ私の場合は実力が伴っているので大丈夫ですが」
「それが自信過剰だって言ってんでィ。ま、俺は俺ほど有能な奴を見たことないけどねィ」
「貴方自信過剰を辞書でお引きになったらいかがでしょう。必要なら付箋とマーカーペンもご用意して差し上げますが」

 殴る。避ける。蹴る。避ける。また殴る。そんな周りの迷惑も顧みない一連のやり取りは、羽月の華奢な腕を沖田が捕らえたことにより一時停止する。

「……ともかく、女中と隊士を比較するのもおかしな話ですが、貴方が隊に加える損害を考慮した上で総合判断しますと、私のほうが確実に有能です。というわけで早いところ求人雑誌でも購入してくださいな」
「なァにアホなことほざいてやがんだアホ。事実を見ろィ、言うまでもなく俺のが有能だろうが。というわけでお前がとっととハロワにでも通え」
「貴方が転職してください」
「お前が転職しろ」

 二人の間に、可視化できそうなほどの火花が散る。一触即発……まさにそんな綱渡り状態の時、二人にとって非常に耳慣れた声が、すぐそばの店先から聞こえてきた。

遊吉ゆきちさんが帰ってこない?」

 息ぴったり。二人の視線が同時にそちらへ向く。甘味処うぐいすの表の長椅子で、みたらし団子を頬張っていたのは、隊服を着たままの朋子だった。
 朋子は、復唱したそれについて店主──芳乃から詳しく話を聞いた。どうやら、遊吉という人物が今日で四日も帰って来ていないらしい。

「ちょっと芳乃さんソレ大丈夫なの?」
「今までも二日三日空けることはあったから、そんなに心配もしてないんだけどねェ。友人に頼まれごとしたっつってたけど……」
「頼まれごとねェ……」
「ま、あンの貧弱男のことだから、どっかでのたれ死んでんのかもしんねェんだけどさァ。いい加減自分で作るメシは飽きたんだよ。レパートリー三つしかないから」
「いやもちっと増やそうぜ! 一日しか回せないじゃん!」
「大丈夫、数日なら三食同じでもイケるから実質三日は持つ」
「そういう話!?」
「ま、つまり菓子作りしか能がないのさ私は。なァ頼めるかイ、おまわりさん」
「んー……つってもなァ、あたしら真選組は対テロ用の特殊部隊だから、人捜しとかはちょっと畑が違うんだよねェ……」
「そこをなんとか、パパーッと頼むって。作り疲れた私のメシが三食カップ麺になっちまったらどうしてくれんだ」
「責任転嫁! ていや、それにあたしらこれでも多忙なんですよ。奉行所に頼んだほうが早いんじゃないの?」
「そんだけ朋子ちゃんらを信頼してるってことさね。つーか、隊服それ着てウチ来るようなサボり魔がよくもまあいけしゃあしゃあと……」
「今は休憩中ですゥ〜あたしは総悟隊長と違ってやるべき事はちゃんとやってますゥ〜総悟隊長と違って!」

 突如、朋子が椅子ごと吹き飛んだ。沖田がどこからともなく取り出し発射したバズーカから、硝煙がもくもくと立ち上っている。タイミング良く店内でテーブルを拭いていた芳乃には被害は被らなかったが、店先での突然の爆発。彼女は目をまん丸にして固まった後、「はァァァ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

「ちょちょちょ、何!? テロ!? 朋子ちゃんちょっと! 敵襲! そんなとこで寝てないでホラホラホラ!」
「いだだだだいや寝てない寝てない! ゴルァ総悟隊長ォォ!!」
「だって、悪口言われた気がして、俺、俺……っ」
「んぬァにしおらしかわいこぶってんだァァァ!」

 煤に覆われたこめかみに青筋を浮かべた朋子は、沖田に掴みかかりたい衝動に駆られつつも、辛うじて破損は免れた長椅子をガタガタと定位置に戻す。「これでまた無駄に損害与えてたら始末書モンだかんね! 絶対手伝ってやんないからァ! つーかもう地面抉れてるし!」「なんでィ、お前と俺は上司と部下、魂で繋がったソウルメイトじゃねェか。つまり俺のものはお前のもの。俺の書類もお前のもの」「んな一見良心的なフェイントジャイアニズムあるかァァ!!」とシャウトしながら沖田を追いかけ始める朋子に、沖田は一切反省する様子も見せず飄々と逃げ回っていく。

「朋子ちゃんアンタんとこの隊士どーなってんの……やっぱ奉行所行こっかな」
「ええ、そうですそうです。やはりあの人はクビになって然るべきですよね」
「……いや、誰?」

 テーブル拭きを握りしめ顔をひきつらせていた芳乃の隣には、いつの間にか羽月が並びうんうんと真面目そうな顔つきで頷いていた。羽月は「真選組で女中をしております、秋宮羽月と申します」と丁寧に挨拶してから、本題を切り出した。

「あの、その遊吉さんというお方の捜索、私が──」
「え?」
「……いえ、かぶき町の万事屋さんにご依頼されては如何でしょう? 私がご案内致しますよ」
「万事屋か……本当はあんまり大事にしたくないから、良いっちゃ良いんだけど……」
「不都合がおありですか?」
「いンや、前に懲りてバイトは全く雇ってないんだよ。だから純粋に行く暇が無くてね」
「なるほど……」
「こないだ季節の変わり目で風邪引いちまって、臨時休業続いたからもう休むわけにもいかないもんでさ。自営業の辛いところさね」

 遠い目をして切実に溢す芳乃に、羽月は上手く返すことができない。うんうんと考えていると、羽月の頭にパッと一つの案が舞い降りた。

「あ! では私が代わりにご依頼して参りましょうか?」
「え? いいのかイ?」
「はい、お任せください」

 風呂敷を持っていないほうの手で、ぽんと己の胸元を叩く羽月。「それで、そのお方のお写真などはございますか?」と続けると、芳乃は一つ頷いて店の奥に写真を取りに行った。彼女から一枚の写真を受け取った羽月は、無くさないようにとすぐにそれを懐にしまい込む。

「万事屋さんには私もお世話になったことがあるので、きっとすぐに見つかります! 安心してくださいね」
「ありがとね。羽月ちゃんだっけ、あんたいい子だねェ。今度うち来たらサービスするよ」
「わァ! ありがとうございます!」

 それから羽月は芳乃と一言二言交わすと、早速万事屋に向かって歩き出した。──その後ようやく戻ってきた朋子と沖田は、羽月の姿が無くなってることに首をかしげる。芳乃が先ほどのことを説明すると、朋子は「羽月ちゃんらしいなァ〜」と呑気に笑い、沖田は「まーたいい子ちゃんか」と吐き気を覚えたような顔を見せた。しかしそれも一瞬で、二人はふと沈黙したのち、互いに顔を見合わせる。

「……アリ、総悟隊長。羽月ちゃんって一人でかぶき町まで行けるっけ」
「……あ」







「ここは……」

 どこ?
 脳内を埋め尽くすハテナは次第に増えていき、ついには飽和状態となった。見慣れぬ道、見慣れぬ店──見慣れぬ街。羽月は万事屋銀ちゃんへと向かう道中、完全に迷子となっていた。

(困ったな……道が分からない……このままでは迷子になってしまいます……)

 ──羽月は本当は、「自分が捜す手伝いをしようか」と提案するつもりだった。だが不意に沖田に「妙にしゃしゃり出る」と貶されたことが頭を過り、彼に「ほら見ろ」などと指摘されるのは心外であると思い、咄嗟に思い出した万事屋のことを勧めることにしたのだ。
 しかしこうなると、無闇に人探しを引き受けたりしなくてよかったのかもしれないと、悔しくもそう思った。羽月が芳乃に声を掛けたのは役に立ちたかったからであって、決して迷惑をかけるためではないのだから。
 それにしても、どうするか。万事屋に少し寄ってからすぐ屯所に帰るつもりだったから、頼まれた品が包まれた風呂敷すらまだ手元にある状態だ。とにかく、早くどちらもこなさなければ。
 ならばと、羽月は周囲の人間に万事屋の所在を訊ねることにした。ついでに万事屋に依頼して、真選組まで送って貰えばいいのだ。そうだ、名案だ! さすが私、優秀だ! と自画自賛しつつ、彼女はあたりを見回す。すると進行方向先から、寺子屋世代ほどの男の子が二人、駆けてくるのが見えた。羽月は彼らに声を掛けようとするが──

「ヤベェよヤベェって!」
「おいこれホントヤベェよどうすんだよ!」
「しらねーよだってこれマジでガチめにヤベェんだもん!」

 当の二人の様子は、妙におかしかった。どこか青ざめており、切羽詰まっているように見える。羽月が呼び止めると二人は大袈裟に肩を揺らしたが、無害そうな彼女の顔に安心しきったのか、へなへなと地面にへたりこんだ。

「あらあら……大丈夫ですか?」
「ど、ど……どうしようネーちゃん!」
「えっ?」
「たっちゃんがさァ、消えちまったんだよ!」
「……消えた?」

 不可解な言葉に、羽月はその柳眉をひそめる。たっちゃん、とは恐らく彼らの友人であろうが、人が消えるなど──そして子どもがこれほど怯えているなど、明らかに尋常ではない。
 羽月は彼らに事情を訊ねた。二人の子どもの話をまとめるとこうだ──『たっちゃん』を合わせた彼ら三人組は、『バケモノが出る』と寺子屋で噂になっていた廃工場で、度胸試しをしようとしていたらしい。一見ただの古びた小さな工場であり、しばらく中を回ってもその『バケモノ』とやらが姿を現すこともなかった。拍子抜けした彼らは、興味が尽きたように帰ろうとしたが、そこで友人の内の一人がいつのまにか姿を消していたことに気が付いたらしい。
 無論あたり一帯もくまなく捜し回ったが、『たっちゃん』がついぞ見つかることはなかったという。さらに彼らは、そこでその噂の続きを思い出したのだ。

「そのバケモノが、人を攫って食べるって噂があったんだよォ……!」
「食べるだなんて、そんな……! 人肉よりよっぽど魅力的なお肉はこの世にごまんとありますよ!」
「いやそこじゃねーよ!」
「ですが、それは心配ですね……わかりました、私が様子を見てきます」

 にっこりと、男の子たちを安心させるような笑みを見せた羽月だったが、彼らは「いやいやいやそれはヤベェってネーちゃんも食べられちまうって!」「いやたっちゃんがもう食べられたみてーに言うんじゃねーよ!」と首を横に振るばかりだ。

「大丈夫です、美味しい豚肉をしっかりプレゼンしてきますので!」
「いやだからそこじゃなくて!」
「──おい」

 くだらない問答を打ち切るように、不意に背後から声がした。それが誰のものだったか思い出すより早く、羽月は反射的に振り返り、そして表情を大きく歪める。

「あ! サド王子!」
「サド王子じゃん! 新聞に載ってた兄ちゃん!」
「何頼まれ事ほっぽってガキ逆ナンしてんだ羽月。どうせお前、万事屋の旦那の所にもまだ行けてねェんだろ」
「うぐ……」

 逆ナン? と聞き返す前に沖田に痛いところを突かれて、羽月は一瞬押し黙った。しかしすぐにキリっと眉を吊り上げて、「いえ、それでもこの方たちを放っておくことはできません」と言い放つ。

「あ? 何のことでィ」
「この方たちのお友達が消えてしまったらしいんです……私、先にそちらに行きます。沖田さんはどうぞお帰りになられてください……というか、何故貴方がここにいらっしゃるんですか?」
「迷子のてめー放置して帰ったら、俺が近藤さんに怒られんだろうが」
「迷子ではありません、道がわからなくなっただけです」
「これ以上ないくらい正真正銘の迷子だろ。純度100%だろ」
「な、なァ! 兄ちゃん警察だろ!」
「そうだよ! 助けてくれよォ!」
「ああ?」

 すがるように叫んだ男子たちに、沖田は面倒くさそうに視線を落とした。それからその顔色の悪さを見ると、小さく舌打ちして二人の話に耳を傾けた。
 一通り話を聞いた沖田は、何かを考えるように顎に手を当てる。それからわずかにため息を吐くと、「案内しろィ」と二人に告げる。男の子たちは少し安心したように、羽月でも引き出せなかった笑顔をようやく見せた。羽月はその様子に目を丸くしていたが、彼だって曲がりなりにも警察……市民を護るヒーローなのだと再認識したのだった。







「……で」

 その道中、やはり隣と言うには離れ過ぎた位置を歩く羽月に、沖田はげんなりとした視線を向けた。

「なんでお前までついてくるんでィ」
「最初に助けを求められたのは私です。その責任を放棄したくありません」
「嘘こけおめーどうせまたいい子ちゃんぶってるか単なる好奇心だろ」
「なんと失敬な。沖田さんこそいつもは不真面目濃度が飽和してますのに、一体どうされたんですか。ようやく心を入れ換えられたんですか?」
「ガキの訴え無視しろってかィ。はァ〜とんでもねェや。その小せェ脳みそにゃ最低限の倫理も常識も備わってねェみてーで」
「あら、身の回りのお世話を任せている女中にことごとく礼儀を欠かれる貴方よりは、充分まともに頭を使えてると思いますけれど」
「馬鹿の極みが良く言ったもんでィ。自画自賛もここまで来ると可哀想になってくるねィ」

 バチバチと静かに火花を散らす沖田と羽月に、先を行く子ども二人は先ほどとは違う理由で顔を青くさせていた。「なァ、この兄ちゃんたちに頼んだらヤベェんじゃね?」「ヤベェけどこれ以上時間経つのもヤベェって、マジでたっちゃん食べられちまうって……」ひそひそ、肩を寄せ合いながら話す二人にお構いなく、沖田と羽月は子ども染みた言い争いを繰り返していた。
 ほどなくして、彼らは「ここだよ!」と声を上げた。彼らが案内したそこは、町のはずれにひっそりと息づく廃工場だった。敷地も小さければ建物も小さい。実際に使われていたのは何年も前なのだろう。壁はボロボロで錆も酷く、あちこち崩れているところもある。台風でも来れば一瞬で崩壊してしまいそうで、中に入ることすら躊躇われるような様相を呈していた。

「この中でたっちゃんが消えちまったんだ!」
「なるほどねィ……」

 すっかり日も傾いて、空から注がれる橙色が施設の不気味さを助長させている。羽月が怯むことはなかったが、「人が消えた」という不可解さは彼女の胸の内にずっと疑念を植え付けたままだ。

「お前らはそこで待ってろ。いいか、ぜってー入ってくんじゃねェぞ」
「わ、わかってるよ!」
「フリじゃねェのわかってるからな!」
「羽月、見張っとけ」
「……わかりました」

 沖田の言いなりになるのは釈然としなかったが、彼らをここで放置するのも躊躇われる。羽月は大人しく沖田の指示通りにし、その黒い背中を見送った。

「たっちゃん、大丈夫かなァ……」
「てかサド王子も大丈夫かな、食べられたりしねーかな……」
「……問題はありませんよ。あの方は素晴らしい剣の使い手であると、朋子さんも局長さんも仰っていたので」

 腰の刀を揺らし、工場内に吸い込まれていく沖田を心配そうに見つめる子どもたちに、羽月は事実として知っていることを静かに言い放つ。けれど子どもたちの不安は拭われず、ちらちらと顔を見合わせて落ち着かない様子だった。友人の一人が消えた地に来たのだから、そうなるのも無理はないだろうが……どうにか安心させようとして、羽月は最近覚えた演歌を披露しようか尋ねたが真顔で首を振られた。
 それから会話もなく、三人は沖田を待ち続けた。しばらくして、ガタガタと大きな物音が断続的に聞こえてくる。中を探し回っているのだろうか……──男の子の内の片方が声を上げたのは、それから少し経った時だった。

「な、なあアレ……閉まってねェ?」

 彼が指さしたのは、先ほど沖田が入って行った出入口だった。その錆が目立つシャッターケースからは──薄汚れたシャッターが一定速度で下りてきていた。

「え? な、なんで? ヤベェんじゃねェのあれ?」
「いやぜってーヤベェってだってあの兄ちゃんがシャッター閉める理由とかねーもん! ヤベェよバケモノが兄ちゃん閉じ込めようとしてんだって!」
「……すみません、これ持っていてください」
「え!?」

 羽月は手に持っていた風呂敷を男の子に押し付け、着物のまま豪快に駆け出した。「絶対にこっちに来ちゃ駄目ですよ!」大声を張り上げながら、彼女が向かうのは刻一刻と狭まっている工場の出入り口。子どもたちが何かを叫んでいたが、それを聞き取る余裕もないままに、手前までたどり着いた羽月は勢いを殺さずにスライディングする。土煙を上げながら、ほとんど下りていたシャッターの下をギリギリで潜り抜けた。

「あァ!?」

 沖田の驚く声と共に、ガシャンと大きな音を立てて、背後でシャッターが完全に閉まった。羽月はすぐに体勢を立て直して、それから、電灯の一つも点いていない薄暗い室内でそれを目の当たりにした。

「……え?」

 鉄屑や破片、到底使えそうにない錆びきった部品などのガラクタが散乱している工場内。周りには壊れた巨大な機械からくりが立ち並んでいるものの、なんとか原型を留めているものもあれば大きく潰れたり損傷しているものもある。
 そこで抜身の刀を構えていた沖田が、対峙していたソレ。──彼らの言っていた噂の中の『バケモノ』が、恐らくそれを指しているのだろうと羽月は一目見て分かった。
 それは人間のような姿かたちをしていた。裾も袖も見窄らしくほつれた着流しが、前面で乱雑に縫い付けられてマントのような形になっている。そこから生える手足の関節には、奇妙な線が走っていた。首は汚れた包帯でぐるぐる巻きにされていて、口角の下には左右一本ずつ、縦に線が入っている。本来瞳があるであろう場所には、首と同じように包帯が巻かれていた。頭髪はそのおぞましさを増長させるように汚らしくボサボサで、手入れなど一切されていないように見えた。

「な……に、あれ……」
「……ガキども見張ってろっつっただろーが、もう忘れたか鳥頭」

 憎まれ口を叩きながらも、沖田は羽月を護るようにして力強く立ちはだかる。けれど羽月は凍り付いた背筋をどうすることもできずに、その場で立ちすくんでしまった。

「とっとと出てけっつっても、四方八方塞がれちまったからな……死にたくなきゃ、せいぜい邪魔にならねェよう引っ込んでな」

 沖田の言葉を合図に、止まっていたソレは再び動き出す。肌が粟立つほどに奇妙なそれは、長い爪をカチリ、カチリと音立てながら四つん這いで床を這っていた。カタカタと無意味に動く口に、羽月の顔からますます血の気が引く。そんな彼女とはまるで対照的に、沖田の瞳は飢えた獣が獲物を捉えたかのように、薄暗い空間でギラギラと鋭く光っていた。