56

 橙の照明に照らされた店内は、そう広くはない。カウンターの背面には所狭しと酒瓶が並ぶ。テーブル席には草臥れた親父どもの姿がちらほら見受けられる中、カウンター席に腰を下ろしたのは若い女だった。

「──ああ、丁度良いところに」
「げ……」

 さて何を頼むかなんて考えているうちに、店の奥から出てきた老齢の女将から声が掛かる。何かを察知した女は面倒くさそうに目を細めたが、女将は気にすることなくカウンター越しに対面した。

「真琴に使いを頼んだんだが、一向に帰ってこなくてねェ。キャサリンもたまも知らないときた。雪、アンタどっかで見かけてないかィ?」
「しらね」
「そうかィ……じゃ、悪いけど銀時でも連れて捜してきとくれ」
「えー……どっかで腹下して厠にでも籠ってんじゃねェの」
「捜、し、て、き、と、く、れ」

 有無を言わさぬ女将……お登勢の圧に、雪は暫し沈黙したが、結局しぶしぶといった様子で席から立ち上がった。来たばっかだってのに……そんな文句が今にも漏れてきそうな背中だったが、お登勢に下手に逆らっても己が損をするだけであると、雪はよく知っていた。
 年季の入った引き戸をガラリと開ける。夜の帳が下りた町は、あちこちの照明やネオンに照らされ決して暗くはならない。それでもこの辺りはそう眩しくはないほうで、雪にとっては比較的居心地の良いものだった。

「捜すったってどこを……ん?」

 お登勢に言われた通り銀時も巻き込んで、あわよくばこの任を押し付けてやろう。そんなことを目論みながら万事屋への階段を上がる雪の耳に、高い話し声が入り込む。階段の折り返し地点を過ぎ、後半を上っていくと、万事屋の玄関前に二人の少年の姿があるのが見えた。
(面倒くせェ……)
 雪は子どもが嫌いだった。騒がしくて、我が儘で、予想もしないことを始める。そんなふうに思う相手と、ものぐさで静かな場所を好む雪の相性は火と油だ。そして大抵の子どもたちも、雪に懐くようなことは一切なかった。子どもは時に大人より聡い。自分らに向けられた感情を敏感にキャッチしているのかもしれない。あるいは、雪を容易に近付いてはならない、怒らせてはならない畏怖の対象であることを、感じ取っているのだろうか。
 しかし通り道にいる以上、関わらずに進むこともできない。彼らも彼らで、雪の足音に気付いて身を寄せ合いながらそちらを見ていた。彼女のブーツが最後の段を越えると、少年らは大袈裟なほどに肩を震わせた。

「入んねェの」

 酷く怠そうな雪の声に、彼らは再度体を怯えさせる。その拍子に、片方の少年が手に持った風呂敷を落としそうになって、慌てて掴み直した。
 一体何なんだ? 流石に怯え方が過剰すぎる。血の気が失せたような幼い二つの顔には冷や汗が浮いていて、とにもかくにも彼らの挙動は明らかに可笑しかった。そんな中、少年の一人がぶるぶると震える口を無理やり動かす。

「ね、ね、ネーちゃんが『万事屋銀ちゃん』か!?」
「あ? どう見たってこの上玉フェイスは銀ちゃん面じゃねェだろが」
「もしかしたら銀子ちゃんかもしれねーだろーが!」
「な、なァ、早いとこピンポン鳴らしちまおうぜ!」
「だ、だってよォ! あいつがどっかで見張ってたらどーすんだよ!」
「だからケーサツじゃなくてココに来たんだろ! オレだって怖ェけどさ!」
「そら見ろ! そら見ろ! もうやっば駄目だオレは帰るあと任せた」
「ふざけんなよお前オレ一人置いてく気かよ!?」
「うるせェなさっさと押せや《ピンポーン》」
「「ア゛ーーーッ!!」」

 言い合いを始めた二人に痺れを切らした雪が、問答無用で万事屋のインターホンを押した。まもなくして、戸の奥からドンドンと重そうな足取りが聞こえてくる。

「はーいはいはいどちら様……って、何、どういう状況?」

 引き戸を開いて出てきたのは万事屋店主の銀時だった。玄関先に居た、見慣れた隣人と見慣れぬ子どもたちの組み合わせに、彼は視線を落として訝しげに眉をしかめる。

「バーさんからの無償依頼。真琴を捜してこいってよ」
「あ? ますますわけわかんねェんだけど……」
「買いモンに出掛けたっきり帰ってこねんだと」
「はァ? ったく……ガキじゃねーんだから一々心配しすぎなんじゃねェの……」

 目を伏せて、癖のある頭髪を至極面倒くさそうにガシガシと掻く。文句を言いながらも適当にあしらう気は無いようだ。彼も彼で、お登勢にはどうやっても敵わないということを身を以て知っていた。

「……で、そっちのガキどもは何?」
「しらね。玄関先にいた」
「に、兄ちゃんが『銀ちゃん』か!?」
「あ? なんだ馴れ馴れしいなコノヤロー」
「そういう店名だろーが! じゃなくて、たた助けてくれよォ!!」
「あァ? 門限破って怒ってる母ちゃんを宥める方法なら他あたりな」
「バッキャローそんなクソザコ依頼でわざわざ金使うか!」
「こちとらそういうテンションじゃねーの一目瞭然だろーが節穴め!」
「オウオウ、言うじゃねーかハナタレ小僧ども」

 今にも食い掛らんとする二人を適当に諫めつつ、銀時は「で? 何の依頼だって?」としゃがみ込み視線を合わせてから訊ねた。子どもたちは再び迷いを見せたが、彼の所作や声色に安堵を覚えたのか、意を決したように話し出した。

「オレたち、たっちゃんを探してくれって真選組のサド王子に頼んだんだよォ!」
「あァ? ああ……あのドS野郎か」
「でもサド王子、先に声掛けてくれためちゃくちゃキレーなネーちゃんと一緒に工場ン中閉じ込められちまったんだ!」
「あ? なんて?」

 やはり気が動転しているのか、なかなか要領を得ない話しぶりに銀時は眉根を寄せた。落ち着いて、彼らにいくつか質問を投げて話を掘り下げていく。──曰く、友人の『たっちゃん』が、化け物が出ると噂されていた廃工場の中で姿を消したという。そこで偶然出会った女と真選組の沖田に助けを求めたが、彼らは共に工場に閉じ込められてしまったらしい。

「めちゃくちゃキレーなネーちゃんねェ……」

 思い当たる女はいないこともない。が、特に確信が持てるわけでもない。どちらにせよ、分かったところで何かが解決するわけでもなかった。

「そんで、オレたち工場の前で待ってたんだけど……あの後いきなり変な男が出てきたんだよ! それでケーサツにチクったらどうなるか分かってるだろうなって言われたんだよォ……! どうなるんだよォ……! オレたちもバケモノの餌にするつもりかよォ……!!」
「おー、じゃあサド王子とキレーなネーちゃんはもうバケモノの腹ン中で栄養素に」
「ヒイッ!」
「より若ェほうが栄養素が高いって設定は鉄板だからなァ」
「ヒエエッ!」
「縁起でもねェこと言ってんじゃねーよ」

 子どもを怯えさせるような雪の物言いを宥めつつ、銀時はしばし考えるような素振りを見せた。それから「ちなみによォ」と再び口を開く。

「まさかとは思うが、こんくらいのタッパで幸の薄そうな、黄色い着物の女は見てねェよな?」

 真琴の頭のてっぺんが来るあたりに手をかざして問う銀時に、少年らは首を捻った。と、そのうちの一人が「あ!」と思い出したように声を上げた。

「見た目は全然覚えてねェけど、でもそのキレーなネーちゃんとは別の大人のネーちゃんなら見たよ!」
「お、ちなみにそいつの……」
「でもそのネーちゃんまで、吸い込まれるようにあの工場のほうに消えてったんだよ! もうコエーよチビりそうだよ!」
「……あァ?」
「いやいや……」
「まさかなァ」
「まさかだろ」

 銀時と雪は顔を見合わせた。







「……んゥ、」

 喉の奥の方から、随分と寝ぼけた声が出た。それが耳に入り、彼は己が先刻まで眠っていたことを自覚する。
 周囲に自分を狙う気配や殺気はない。鉛のように重い体を、時間を掛けてゆっくりと起こした。頭が痛む。肺を満たす空気は、なんだか重さを含んでいて気分が悪い。あちこちの不快感に気分を害されつつも、沖田は少しずつ冴えてきた目で辺りを見回した。
 暗い室内。冷たい床。分厚そうな壁に、堅固な鉄格子。ここは牢屋のようだ。窓もなく、薄ぼんやりとした小さな照明だけがあたりを照らしている。
 到底壊せそうにもない鉄格子は左側と、それから前方にそびえ立っていた。念のため手でゆするなどしてみるが、まるでびくともしない。沖田は小さく息をついて、自分の荷物を確認する。携帯電話、無い。警察手帳、無い。財布、無い。刀、無い。当たり前だった。捕らえた人間の武器や通信機器を取り上げない馬鹿がどこの世界にいる。口の中で呟いた。
 沖田は目を凝らし、今度は唯一人の気配がしていた隣の牢に視線を向けた。そこに転がっているのは、ボサボサの金髪を一つに括った人物。後ろ姿で顔は見えないが、体格からして恐らく男だろう。ここからすぐに動けない以上、まずは手近な彼から情報収集するのが得策だ。

「オイ、あんた。起きなせェ」
「……」
「……オイ、聞いてんのかコラ。狸寝入りしてんじゃねーよ」
「……」
「………あっ、あっちの牢屋に身ぐるみ剥がされた美女が」
「えっどこどこ!?」

 見え透いた嘘に見事に食い付いてきた男に、虫を見るような目を沖田は向ける。しかし男は図太いのか鈍感なのか、彼の視線を気にすることなく「うーん見えない……」と目を細めながら周囲を見回していた。妙に人の良さそうな顔。年の頃は、土方と同じくらいだろうか。しかし挙動には若干の幼さが窺えた。

「お前さん、なんでこんな所に閉じ込められてんでィ」
「ええ? あはは、それはお互い様じゃない」
「俺と同じ経緯いきさつとは思えないんでね」
「いやァそれがちょっとね。友人に頼み事をされてここまで来たらなんやかんやあってさ、それで目が覚めたら……体が牢屋に入れられていた!」
「中途半端なパロしてんじゃねェよ」

 ヘラヘラと笑みを浮かべる男に、少々猜疑心が涌いてくる。読めない人間だ。こんなところに幽閉されたら、普通はこうも笑ってはいられないだろう。

「それできみ……きみはなんでこんな所に?」

 男は再度目を細めて沖田を見つめた。その顔は平時の呑気そうなそれと比べても、睨んでいるとも感じられる人相の悪さだ。牢屋は薄暗いが、夜目が利かずともまったく見えないほどではない。とすれば、もしかすると彼は視力が低いのだろうか。

「あっわかったその配色、真選組か! 何処かで見たことあると思ったんだよ〜! もしかしておまわりさんたち、ここを嗅ぎつけて来てくれた感じ?」
「……ああ。んだが色々事情があってね、他の奴らもすぐにゃ動けない状況なんでさァ。今様子を窺ってる」
「いや〜それでも頼もしいよ! 僕たち以外にも囚われた人はいるみたいだしね」
「ほォ……ちなみにお前さん、その中に色白のチビ女は見てねェか」
「ん〜? いや……僕もしばらくここに囚われてるんだけど、そんな子は見てないね。別の場所に捕まってるのかも」

 「まあでもどこにいても、おまわりさんがいるから大丈夫だね!」民間人を安心させるための必要嘘を信じた彼は、ますます肩の力を抜いたようだった。その様子を横目に、沖田は人知れず眉を歪める。こんな面倒な事態になるなんて想定外だった。何処へとも向けがたい苛立ちをひとまず全く関係ない土方に向けつつ、沖田は続けて訊ねた。

「お前さん、ここが一体なんなのか知ってそうだねィ。あの廃工場の中か? どこにこんな場所がある」
「うーん、僕も細かいことは知らないんだけどね。ここは阿見原あみはら釵臣さおみくんが取り仕切る傀儡の製造所みたいな? 感じ? らしいんだ」
「傀儡……やっぱアレそうか」
「あ、きみアレと戦ったのかい? それで無傷なんてすごいねェ。さすが真選組」
「厭味かクソ天パ……いや……クソ」
「それは酷くない?」

 妙に白髪の侍の死んだ顔がちらついたので呼び改めた。同じような癖毛は真選組の三番隊にもいたが、彼は天パというよりもはやアフロだった。

「で、その阿見原ってなァ誰でィ」
「彼は頭も良くて腕も立つ男でね。浪人や攘夷浪士なんかを引きこんで、色んな傀儡を作ってるらしいよ」
「色んな、ねェ」
「傀儡ってのは本来、糸で操るものだろ? でも彼の作るそれは少し違う……ま、これ以上詳しいことは知らないんだけどね〜!」
「それにしたって、随分と内情を知ってるじゃねェか」
「うーん……いやァ〜実はさ、その友人にはここの調査の手伝いを頼まれたんだ」
「調査だァ?」
「そ、調査」

 訝しげに視線を投げるが、彼は人のいい笑みを浮かべるだけでそれ以上話そうとはしない。見るからに何かがあったが、これ以上無駄話に時間を割いている場合でもなかった。彼への取り調べは事態が落ち着いてからするとして、沖田は再び鉄格子に目を向け思案した。
 まずはこの牢の脱出。それから何らかの手段で真選組なかまに連絡をすること。そして、恐らくは別の場所に拉致されているであろう羽月を捜し出すこと。
 ──最後に見た、こちらを見つめる彼女の絶望に染まった顔が、こちらにすがるように伸ばされたか細い腕が、網膜に焼き付いて消えない。
 殺すつもりなら端からそうしているはずだ、故にすぐに手を下されるようなことはないだろうが、それでも彼には、彼女を護り切れなかったことの自責があった。戦う術をほとんど持たない彼女を、易々と敵の手に渡らせてしまったことの責任が。
 言い表しようもない気分の悪さが喉元で停滞している。名をつけるには混沌としすぎていて、彼女の顔を、一度頭から切り離すことでしか整理をつけられない。
 息を吸って、吐き出す。黴臭いような空気が気分を害するが、沖田の瞳からは揺らぎが消えていた。
 さて、しかしどうしたものか。牢には到底壊せそうにもない頑丈な錠がついているし、対してこちらは完全な丸腰。見張り番でも来れば、上手く隙をついて得物か鍵を奪えるかもしれないが、ここには自分たち以外の気配すらない。

「ねえきみはさ、えっと……あれ、名前なんだっけ。っていうか聞いたっけ?」
「……沖田でさァ」
「そうそう、沖田くん。例えばこのまま牢屋ここを脱出したとして、足手まといの僕を護ったまま進めそう?」
「あァ? ……ま、どっかで得物が拾えねェとなァ」
「それならアテがあるから、そこまでに敵と鉢合わせなければ大丈夫」
「アテだァ?」
「言っただろ? "調査"してたって」

 依然として軽い語調だ。彼は終始呑気で穏やかな雰囲気を纏っている。しかし、それ故か、彼にはまるで恐怖心も、迷いも、惑いも見えなかった。あるいは自分よりも、大胆不敵にさえ見えてくる。──奇妙だった。もはや彼は、確実にただの民間人ではない。

「……何にせよ、ここから抜け出す手立てがねェだろうが。ここにゃ見張りすら……」
「僕のことしっかり護ってね、おまわりさん」
「あ? ……オイ、何してんでィお前」

 彼はボリュームのある天然パーマを一つ括りにした、その結び目近くに己の指先を差し込んだ。「あ、そうだ」そこからなにか黒いものを取り出しながら、思い出したように振り返る。細めた目が生むのは人相の悪さではなく、朗らかな笑みだった。

「僕は煤賀すすが遊吉ゆきち。よろしくね、沖田くん」