57
「まったく、ゴハン食べてすぐ運動なんて体に悪いアル」
「そんなこと言わないの。小さい子たちがすがる思いで頼ってきたんだから」
「クソガキでも客は客だ。つーか普段の暴食のほうがよっぽど体に悪いだろーが」
ほのかな月明かりが町に落ちる中、雪と銀時は万事屋にいた新八と神楽を引き連れて件の廃工場に訪れていた。
使われなくなってからどれほどの時間が経ったのか。錆びや劣化が酷い様相は、宵闇に包まれていることも相まっておどろおどろしい。中は使い方もわからぬ大型の
「死体どころか血痕の一つもねェな」
「ちょっと、不吉なこと言わないでくださいよ銀さん」
「ガキどもが言ってたシャッターも普通に開いてるアル。情報がまるで違うヨ。お、なんだコレ」
しゃがみ込んだ神楽が、爪痕のような傷が残る地べたを観察する。銀時と新八もめいめいに工場内を調べ始めていると、コッ、コッ、と何かを叩くような軽い音が反響し始めた。見れば、雪が妙な様子で工場内を歩き回っている。わざと軽く叩きつけたヒールの音が、静かな空間にやけに響いていた。銀時も新八も怪訝そうに雪の挙動を見つめたが、流石にこの期に及んでふざけているわけではないだろうと、口を挟むことはしなかった。
コッ、コッ。断片的にヒールの音が奏でられる中、万事屋の三人は足掛かりを探していく。しかしおおよそ違和感と呼べるものは見当たらず、三人は眉を顰める。その時だった。大きな機材を山越え谷越えたその奥にたどり着いた雪の、鳴らし続けていたヒールの音が変わった。
「……
「下だァ?」
彼女の様子が変わったことに、万事屋メンバーがぞろぞろと周囲に集まる。雪は靴底でざりざりと擦るようにその場の床を払った。汚れに覆われていたそこを雪が携帯電話のライトで照らすと、うっすらと四角形の線が浮かび上がった。
「むお、紋章アル!」
「いや違うでしょ。雪さん、これもしかして」
「ま、隠し通路か何かだろ」
「巧妙に隠しやがって……」
あちこち砂か塵埃かが積もっていると思っていたが、目を凝らすと故意に撒かれた石灰か何かにも見えてくる。随分と手の込んだことをしやがる。顔も知らぬ犯人に顔を歪めたのもつかの間、それ以上に「お前は何者なんだ」と問いたくなる人物が隣にいた。怪訝そうな銀時の瞳が、ちらりと雪に向いた。
「でもこれ、どこから開けるんでしょう」
「天パ、爆弾」
「あいよ……ってんなモン誰が常備してるかァァァ!」
「チッ、使えねェ毛玉だな。取手なんかも見当たんねェし……」
「お前ら、そこどくアル」
言うや否や、神楽は愛用の傘を大仰に振り上げた。瞬間、雪は速やかに後方に飛び、銀時は傍らの新八の後ろ襟を引っ掴んで慌てて避ける。それとほとんど同時に、力一杯振り下ろされた傘は床の一部、もとい出入口の扉を叩き割った。
派手な音と共に床が崩壊し、闇の中にぶわりと砂塵が立ち込める。それがゆっくり晴れていくと、そこには地下への入り口が見事に作られていた。
「ゲホッ……神楽てめっ、もちっとバレねェようにとかそういう配慮はねーのかよ!」
「つーか危うく僕らもろとも叩き落とされるところだったんだけど!?」
騒ぎ立てる男二人を無視して、神楽と雪は早速穴を見下ろす。中には梯子が取り付けられているのが確認できたが、元々灯りがないこともあり奥のほうは真っ暗だった。
「オラ、お前先行け」
「あァ!? なんで俺が」
「下に毒ガスでも溜まってたら困るし」
「俺は困るどころか死ぬんですけど!?」
「いいからはよ行けや」
「だァァわーったから押すな押すな!」
雪に命令されるまま、しぶしぶと先頭を務める銀時に、新八、神楽と続かせる。最後に残った雪はぐるりと辺りを見回し、なんの気配もないことを改めて確認してから、ゆっくりと梯子を降りた。
*
「こんな広い地下があったなんて……」
梯子を降りた先には、遥か遠くまで細長く続く通路が待っていた。むき出しの岩壁に、点々と頼りない灯りがつけられた道は薄暗く、天井のほうはほとんど見えない。ひやりとした空気が肌を刺し、つい最近まで夏の盛りであったことも忘れさせた。
「門番もいねェのか。無用心だねェ」
「いや隠し扉破壊してくる人なんて早々いませんからね」
「つかこんな所に本当にあのヘタレチキンが来てんの?」
「自分から行ったっつーのも怪しいんだよな。あの骨なしチキンにそんな度胸ねェだろうし」
「でもあのレッドホットチキンがお使いサボってどっか行くのも考えにくいアル」
「やっぱりなにかに巻き込まれてるんじゃないですか? つーかさっきから何なんですかそのチキンシリーズ」
「まっ、一先ず先に進むぞ。どうせ入口破壊してんだ、遅かれ早かれ敵さんにもバレ──」
一足先に歩を進めた銀時の心臓に、時が止まったような嫌な心地が降りた。内臓が奇妙に浮遊するような、ぞわりとした感覚。
突然視界を遮ったソレは、天井から吊られるように落ちてきていた。縮れた剛毛を頭部に携え、薄汚いボロ雑巾のような、みすぼらしいお化けのような、おぞましささえ覚えるほどの、人型の何か。継ぎ接ぎだらけの着物に身を包んだソレは、関節の折れた腕──先のほうに何かを持っているように見える──を振りかぶっていたが、それより先にぎょろりとこちらを見つめる瞳と、無機質で凹凸の無い唇が、前進し続ける銀時の顔に容赦なく迫る──
「ウオワァァァァァァ!?」
間一髪、銀時は音速で木刀を振り上げてソレを弾き飛ばした。天井に持ち上げられたソレは、薄暗く梁の見えない天井で跳ね返って、今度は彼の後ろの神楽に迫る。
「ギャアアアアア!?」
神楽はそれをさらに愛用の傘で後方に殴り飛ばした。二度の衝撃を受けたそれが地面で沈黙するのを見届けた一同は、一斉に進行方向に向かって駆け出した。
「オイィィィィなんっだアレなんっだアレ!?」
「きききき気持ち悪ゥゥゥ! あれがあの子たちが言ってた人食いの化け物ですか!?」
「ボサボサのデロデロだったヨ! 夜眠れなくなったらどうしてくれるアルか銀ちゃんんん!」
「俺が召喚したみたいに言うんじゃねェェ! なんなんだよアレ呪われてるってアレ俺の木刀も神楽の傘も呪われたんじゃねェのコレ!」
辛うじて得体の知れぬモノとの接吻は免れたが、全身を駆け巡る悪寒と鳥肌は止むことを知らない。普段の健康的な顔色を青くさせる銀時の横で、涼しい顔をした雪が走りながら軽く後ろを確認した。
「カタカタいってんな。まだ動くんじゃねーのアレ」
「不吉なこと言わないでください雪さん!」
「あ、志村後ろ」
「え……ギャアアアアア!!」
至極冷静な雪の声に従って、新八は振り返った瞬間に絶叫した。浮遊しながらこちらに爆速で迫ってくるのは、先ほど叩きのめしたと思っていた謎の物体。その奇怪さとおぞましさに咄嗟に動くこともできず、頭を抱え込むようにして身を護ろうとする新八の上を何かが通り過ぎた。
気が付けば抜き身の刀身が、その物体の首を飛ばし腕を落とし胴を二つにわけていた。複数のパーツに切りわけられたそれはゴロゴロと地面に転がって、今度こそ完全に沈黙する。一同が足を止め、新八が思わず尻餅をつく中、雪は抜刀していた仕込み杖を鞘に納めた。
「バ……ババババッキャロォォォ! お前の得物まで呪われたらどーすんだ!!」
「オイ離せヨ暑苦しい」
「呪いに物理攻撃が効くわきゃねェだろ。なんだコレ……傀儡か?」
「く……傀儡だァ?」
神楽の肩にしがみつきながらその背中に隠れていた銀時は、雪の言葉にちらりと顔を出した。雪に杖の先でつんつんと転がされているソレは、先ほどはよく見えていなかったが、確かに生気がなく、木でできた人形に見える。確かに木刀で殴り飛ばした時、やけに軽かった気がすると銀時は遅れて気がついた。
「にしては糸が繋がってねェけど」
「あ? じゃどうやって操ってるってんだ」
「関節に小型の仕掛けが取り付けられてる。源外のジーさんが作ったみてェな
「
「おー、全くだ」
人間とは未知のものに恐怖を覚えるものだ。つまり、正体さえわかれば怖るるに足らず。確かに見た目は今見てもおぞましいが、むやみやたらに絶叫することはもうなかった。そう、得体の知れぬ気持ち悪さに対する嫌悪があったのであり、消してビビッているわけではないのだと、銀時は誰にともなくかぶりを振った。
転がる傀儡をその場に放置し、一同はさらに通路の奥へと歩を進める。少しして、正面の道の他にようやく一つ、右方へのルートが現れた。
「分かれ道か」
「うし、オメーは前でガキどもは右行け。私は後ろに行く」
「お前だけちゃっかり帰り道だろーがァァァ!!」
「触んな近寄んな。ソーシャルディスタンス」
うんざりとしたように覇気のない雪に掴み掛かろうとする銀時の手は、あえなく払われた。ここにきてものぐさの性を発揮し出した雪に、もはやため息しか出ない。……いや、そもそも彼女が他人のために、ほぼ率先するようにここまでやって来た時点で、もはや天変地異ものの珍しさだったのだ。この酷くそっけない女の目に、僅かにでも真琴の存在が映っているというのだろうか。
「まあ二手に分かれるのが妥当ですよね」
「私雪とがいいアル。いっちゃん生存確率が高そうヨ」
「お守りはぜってー嫌。おい眼鏡。お前一緒に来い」
「げっ僕ですか!? い、いや〜ちょっと……僕は銀さんと行きます」
「オイオイ面倒くせェ四角関係作んないでもらえます? もう何でもいいからさっさと行くぞ」
「え〜仕方ないアルな。じゃあもうくじで決めるアル」
「なんで用意があんだよ」
──斯くして、一同は銀時&雪チームと、新八&神楽チームに分かれることとなった。雪がナチュラルに舌を打ち、銀時のこめかみに青筋がピキリと浮いた。
銀時と雪は、正面の通路をそのまま真っ直ぐ進むことになった。
入口付近はそれなりに舗装されていたが、進むほどに地面や壁は岩場のように険しいものになっていく。にも拘わらず、銀時と比べ歩幅も小さく、そして彼から見たら歩きにくそうな靴の雪は、まったくペースを落とさずに隣を走り続けていた。
「お前ってなんでそんな靴なの?」
「あ? 何急に。色々活用法があんだよ」
藪から棒な質問に、雪は面倒くさそうに吐き捨てた。彼女の低めで太いヒールは、恐らく特別頑丈に作られている。先ほどもそうだったように、あらゆる場面で都合が良いのだろう。自由に暴れられる範囲内の高さのそれを、武器のようにしている節も過去に見受けられた。
雪が先ほど振るった仕込み杖は、記憶が正しければ彼女と出会った頃にはすでに腰に下がっていた。入手経路も、リスクを負ってそれを持つ理由も知らない。神楽のような戦闘民族でも、朋子や九兵衛のような後ろ盾のある剣士でも、真琴やあやめのような忍でもない。無論、攘夷志士でもない。廃刀令のこの時世、さらに女であることは、ますます武力から突き放す。けれど雪が、それに食らいつく理由は一体何だというのか。銀時に知る由はない。
「……今回は随分あっさりなんだな」
「要領得なくて鬱陶しい。鼻引っ掛けて投げ飛ばすぞ」
「やめろォォ! お前が言うと冗談に聞こえねーんだよ! じゃなくて! お前、こないだは理由がねェと助けにいけねェみてーなこと抜かしてやがったろ」
それはまだ夏の色が強かった頃、ごみ捨て場で酔いどれの銀時と会った時のことを指していた。数秒ほどの間が空いて、雪はどこか不快そうに小さく口を開く。
「何の話してんだオメー、痴呆か」
「あァ!?」
「私ァただバーさんの機嫌損ねるのが面倒だっただけだよ」
風を切りながら走り続ける雪の表情は読めない。前髪から覗く瞳は、いつものように何事にも興味がなさげで、しかし僅かに別の色が混ざってもいるようにも見えた。
不意に、後方からガタリと物音がした。瞬間、二人は流れるように腰の得物に手を添えながら、くるりとターンするように足を止める。地面に擦られた靴底が音を立てた。
後方の天井から、ガタガタと落ちてくるのは無数の物体。先ほどの傀儡と、恐らく同じ作りであろう不気味なそれらは、彼らを見定めると機械的な動きで歩き出す。
「……雪ちゃん雪ちゃん。あれ何に見える」
「あー……傀儡の大群」
「ですよね〜。してどうする」
「まーそりゃ…………三十六計」
「ですよねェェ!!」
二人は弾けるように駆け出した。その動きを模倣するかのように、傀儡たちも一斉に走り出す。
「なんなんだオイどうすんだあの数!」
「真琴〜オラオラさっさと出てこね〜とバーさんにクビにされんぞ〜」
「呑気だなテメーはよォォォ!!」
「うるせーなオメーは騒いでる暇あったら足止めろ。その間に私は先に行くから」
「俺がただのエサになってんだろうがァァ!!」
「お、そこの部屋入んぞ。もう後ろにゃ戻れねェ」
角をいくつか曲がっていくと、正面に扉が見えた。雪は銀時より一歩前に踏み出し、抜刀した仕込み杖で扉を強引に斬り開けた。
「あ、ハズレ」
「ゲッ……!」
そこで待ち受けていたのも、いくつもの傀儡、傀儡、傀儡……。ぎょろりとした瞳がこちらを認めた頃、背後からも追いついた傀儡たちが襲い掛かってくる。前後を挟まれた彼らは、腹を括ったように得物を構え、そして──
「どうやら強行突破するしかねーみてェだな」
「めんっどくせ……」
破壊された最前線の傀儡が地面に叩きつけられる。その後ろに待ち構える無数の傀儡らが、一斉に二人に飛び掛かった。
*
「ふんっ……ぐおォォォ!!」
「おォ、目ェ覚めたかいなお嬢さん」
ほとんど何も見えない暗闇の中に、絞り出すようないきみ声が響く。全身全霊の力を込めて、壁に縫い付けられた腕を外そうとする羽月に、不意に掛けられたのは男の声だった。発生源のほうをバッと振り返ると、いつの間にか音もなく佇んでいる影。しかし唯一の明かりは古びたテーブルに置かれた蝋燭の小さな火のみで、そこから離れた位置に立つその姿はほとんど目視できなかった。
「あっ貴方は……!! どなたですか?」
「ズコーッ」
わざとらしくひっくり返ったのを気配で感じ取る。しかしその手のネタの引き出しがない羽月はただ首をかしげる他なく、「いや無反応はないやろ」と男は我に返った。
「エラい頑張っとるとこ悪いけど、アンタごときの細腕じゃ壊せへんで」
手枷のことを言っているのだとすぐに気が付いた。だが、もっと力を籠めれば外せるかもしれないし、見知らぬ男の言うことなど信じる道理はない。羽月は当てつけのように再び全身に力を籠め、枷の破壊を試みた。
「うぐっ……んぎぎぎぎ……!!」
「だァ〜から、無駄無駄無駄ァー!! てヤツやて」
「ふんっごォォォ……!!」
「え、また無視? ボケ拾ってェなァ」
男の野次もスルーして奮闘するが、やはり枷はびくともしなかった。ゼー、ハーと華奢な肩が上下に動く。ガシャガシャと何度も動かしたせいで、手首がじんじんと痛んだ。
──最後の記憶は、痛みと苦しさだった。顔が充血し、そのまま爆発してしまいそうな熱さだった。あの時首に巻き付けられたのが糸だと分かったのは、意識が覚醒してからのことだ。同様に絞められていた体のあちこちも、まだ変に縛られているような嫌な感触が残っている。
目が覚めてから、恥もプライドも捨てて、何度も沖田の名を呼んだ。けれど彼があの余裕ぶったすまし顔だとか、厭味ったらしいしたり顔だとかを引っ提げて現れることはついぞなく。それより先に現れたのが、この男だった。
此処が何であるのかも、何のために捕らわれたのかもわからない。ただ、数メートル先から声を掛けてくる彼が、敵であることだけはわかっていた。
「いやー、にしてもまさか、ここが真選組にまで嗅ぎ付けられてたとはなァー。不覚やわァ」
「……なるほど。貴方、何か悪いことをしてらっしゃるんですね」
「……」
急に静かになった男に少し疑問を抱きつつ、羽月はぐっと目を凝らす。視力には自信がある、頑張ればシルエットくらいは見えるかもしれない。そう思ったが、やはり視力と夜目は別物であるらしい、彼女には辛うじてなにかがある、くらいの希薄な輪郭しか捉えることができなかった。
「貴方……何故私を捕まえたんですか? 人質のおつもりですか?」
「あ〜それもエエかもな。せやけど段取り崩すんもなァ〜これアクシデントやしなァ〜。それに俺人質文化あんま好かんねん、やっぱ自分の意思で来てもろた方が嬉しいやろ」
「わ、わけが分かりません」
「あ、そうそう表に居た子ォらやけど」
「手出ししていないでしょうね!?」
「食い気味やなァ。しとらんしとらん、ただサツにゃチクらんとってなァお願いしただけや」
「し、信じられません……じゃあ、あの子たちのお友だちはどうされたんですか」
「オトモダチィ? ……ああ、そういや捕まえとったなァ。ガキはお喋りやからな、準備整うまでちィと一緒にいてもろてるだけや」
「準備って、一体なんの……いえ、何を企んでおられるのかは知りませんが、すぐに助けが来ます。貴方の悪事だってすぐに──」
突然わざとらしい足音が響き始め、羽月はそこで口をつぐんだ。蝋燭の火が作る明るみが僅かに揺れる。しかしそこに男の姿が出る前に、どういうわけか火はフッと消えてしまった。まだ長さも残っており、彼が直接触れたわけでもないというのに。
唯一の灯りが消え、途端に部屋は完全な闇に包まれる。そのあまりの深さに、着物の中で背筋が粟立ち、羽月は虚勢を張るように歯を食いしばった。
突然、音もなく、頬を掴まれる。心臓まで掴まれたような精神への衝撃が襲った。いつの間にこんな傍に近付いていたというのだろう。強い力ではないのに、指先の一本たりとも動かせないと、まばたきさえ許されないと錯覚する、奇妙な拘束力がそこにはあった。
「助けなんてけェへんで」
ざくり。と、その言葉は、やけに羽月の心臓を刺した。
助けなど来ない。──そんなことはない。私は、今までずっと頑張ってきた。ずっとずっと良い子にして、たくさん働いて、笑顔を絶やさない、そんな優しく真面目で清廉な人間だった。皆、私のことを好きでいてくれる。いや、沖田さんはきっと私を嫌いだろうけれど、他の皆さんは、私のことを仲間だと思ってくれている。その、はず。
「ゆとり世代か? 甘々の甘ちゃんやなァ。まァもっと甘っちょろい
──仲間など、来ない。助けてくれる、護ってくれる誰かなど、私にはいない。
そんなわけないのに、男の言葉は羽月の自信を確実に殺していった。それは、自分を護ってくれる
「勝手にしゃしゃり出て大人の戦闘に割り込んでなァ、結局エエとこ一個も見せられんで。真正の守られヒロインちゃんやん。足手纏いの」
──足手纏い。要らない子。必要のない子。
私は、沖田さんにとってそうなのだろうか。真選組の皆はどうだろうか。役立たずの私のことなんて、好きじゃないだろうか。
何も見えない闇の中で、強大な孤独感が羽月を襲った。自分の体温を感じられない。呼吸が浅くなる。溺れたように喉が苦しいのは、糸で絞められた名残ではない。
ひとりであるということ。
血縁者がいないということではない。血の繋がりなど、些事であると羽月は思っている。そうではなく、心の繋がりが、ないということ。誰とも築けていないこと。誰からも好いてもらえないこと。大事に想ってもらえないこと。双方向じゃなくて、こちらからの一方通行になってしまっていること。
私は、おじいさまがいないこの世で、自分がひとりではないと、胸を張って言えるのだろうか。
頬から冷たい手が離れていく。何も見えない。気配もわからない。もはや足音どころか、衣擦れの音すらしない。羽月は、ぴくりとも動くことができなかった。
「心配せんでも、じきに自由になれるから待っとき。サツに見つかっといて悠長にしてられんしなァ。もう捨てる覚悟や。あーあ、せっかくエエ隠れ家パクったってのに勿体ない勿体ない。勿体なさすぎて鼻水出るわァ。までも捨て時やったんやな。アイツらにも見つかっとるし、それどころか寺子屋のジャリどもにまで噂が漏れてもーてん。どォせ今まで作ったモンもじゃんじゃか運び出しとるし、もう潮時ってことやろな」
いつの間に移動したのか、離れたところから声が聞こえる。しかし羽月は男がつらつらと連ねた言葉の、半分も言葉として音を拾うことができなかった。頭が朦朧としているからか、独特な口調によるせいか、それとも純粋に理解力の問題か。
ぶれた意識を引き戻したのは、どこからか聞こえてきた派手な衝撃音だった。誰かが戦っているのだろうか。断続的に聞こえてくるそれに、「あの、この音は……」と問うてみるが、待てども返事は返ってこない。やはり物音さえせず、そこにまだ男がいるのかもわからない。いくら目を凝らしても、闇の中では僅かな影すら捉えることはできず、実質羽月は独り、心臓を痛いほど跳ねさせながら、気の狂いそうな闇の中に取り残された心地でしかなかった。